2010年7月24日土曜日

振袖の変遷



明治5年の衣服令によって礼服は洋服一辺倒になりました。明治16年に男子の紋付袴が略礼服として認められるようになりますが、その他の和服は公の儀礼の場から姿を消します。
 洋服が公の場での公服となったために、和服の進展は見られず、江戸時代後期のものが模様や帯結びだけが多少変化して現在に至っているのが和服の現状です。
 江戸時代の一般庶民の礼盛装は江戸褄に代表されるように裾模様が主でした。振袖においては江戸時代の後期には富裕な町人は支配者階級の振袖に倣って綸子地の総模様の振袖を着る人がいましたが、一般庶民の振袖の主流は裾模様です。
 明治時代になって科学染料が普及し、型友禅なども普及したことによって振袖の模様は裾模様から総模様へと変化していきました。
 大正時代の後半になりますと、洋画の影響を受けて振袖にも花卉を大きく大胆に描写する絵柄も出てきます。
着物は時代の流行に合わせて袖たけを長くするとか、帯結びに変化を設ける以外にバリエーションのもたせ方がありません。昭和の50年代くらいからはそれまでは振袖時の帯結びは立て矢かふくら雀一辺倒であったものから、様々な変わり結びが結ばれるようになりました。
 それは美容界の指導者や、きもの学院が普及してきて、人と違ったものを作り出して講習材料としなければネタがないというところから発生発展したものです。
因みに皇室の皆様は振袖をお召しになる時は古式に従ってふくら雀しか結ばれません。
 古式はふくら雀ですから、結納の時に振袖をお召しになられる場合は、古式通にふくら雀に結んではいかがでしょうか。

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