2010年7月15日木曜日
善と悪
何が善で何が悪か。
法を犯す事件を起こせばこれは悪である。これは誰でもが分かる。
それでは法を犯さなければ全ての行為は悪ではないのか。それは違う。
反社会的行為をすればそれは悪である。
法律は最低限度の社会的ルールであって、それだけでは皆が静安な生活が出来ないから、安心して快適に暮らせる為の知恵として善という言葉がある。
善悪の基準は社会です。法を犯せば勿論の事、反社会的行為をすればそれは悪であり、社会に対して善意に言動することは善であり、その集大成が道徳です。
悪は全て葬り去ることが理想であるがそれは難しい。
私も今は少し大人になって慎めるようになってきている。例えば街中で立ち小便をするというような事はしなくなった。車で出かけて駐車をする所が無い時に、少しの時間だから分かりっこ無いからあのコンビニの駐車場に停めとけばいいのにとか、あのスーパーマーケットの駐車場に停めとけばいいのにという者が多いのだが、俺にはそれはできない。後から何か一品買ってあげればいいじゃないと言うがそれは違う。と善人ぶったことを言っているが俺は今までには幾度となく悪を繰り返してきていることは確かだ。
悪にも誰もが一度は経験をしていることでその程度のことならまぁー許せるかというものもあるが、俺は一つだけ絶対に許してはいけないとおもっているものがある。それは苛めだ。
例えば学校での苛めで、もう学校なんか行きたくないという子供がいる。学校は将来を見据えた自己研磨の最大の場です。将来を左右する場です。それが苛めによって勉強することを遮られる。こんな大きな悪があるでしょうか。
生活が掛かって懸命に自分の為、家事の為に働いている。その職場が苛めで働く意欲を殺がれてしまう。生活が掛かっているのです。その生活を苛めの為に脅かせる。こんな悪がありますか。
こんな重大な事を虫が好かないとか、どうしても好きになれないとかとい理由で苛めてしまう。
世の中には平気で好き嫌いの理由で苛めてしまう人間がいます。虫が好かない、どうしても好きになれないそれは人間だから仕方がないだろうが、それで苛めてしまう人間は最低の人間や。
虫がすかない「なにーお前そんなことが言えるほど立派な人間か」苛める前にそれを考えなければ。
もし俺の子供がそんな目にあっていたら俺は必ずそいつをやっつけてやる。もうこの年になって何時死んでもいいから、怖いものはないから必ずやってやる。
何を言いたいか。やられるに値するほど苛めは罪悪だという認識を皆が持たなければいけないのです。
特に学校の先生は其の事に命を掛けよ。苛める子供がいたらぶん殴ってしまえ。それに文句言って来る親がいたらそんな親もぶん殴ってしまえ。それを皆が称賛する社会通念が出来なければいけないのではないか。
親も自分の子供が苛めの方に回っていれば子供をぶん殴れ。悪に対して親が子供をぶん殴ることが出来なければ良い社会はできませんよ。何でこんなに子供をぶん殴れない大人が増えたのでしょう。
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