2010年7月31日土曜日

振袖の時の帯結び



戦後経済復興を遂げてから一般の人たちの間でも花嫁衣裳に打掛姿が普及しました。
 打掛は武家の礼服だったものですから、戦前は身分階級意識が根強く残っていましたので一般の人は身分を憚って打掛けは着ませんでした。
 花嫁衣裳は専ら黒の本振袖を着用していました。その振袖の帯結びは片方の肩から矢羽根のように斜めに形づくった立矢という帯結びです。
 江戸時代から若い人は晴れ着の時は立矢に結びました。立矢は若い人の晴れ着用の帯結びとして定着していました。その立矢を斜めにしないで真横にして、真中の箱ダーツにしている部分をめがねというのですが、そのめがねの部分をお太鼓のようにしたのが「ふくら雀」です。

 上図のピアノを引いている絵は大正年間に描かれたもので、その絵からも分かるようにふくら雀が結ばれるようになるのは大正年間です。
 ふくら雀が普及してからは黒の本振袖の時は立矢に結び、その他の振袖の時はふくら雀に結ぶことが定着しました。
 戦後から暫くの間は振袖を着ればふくら雀に結ぶのが習わしになっていましたが、昭和の50年以降になりますと様々な創作結びが考案され、古式のふくら雀は結ばれることは少なくなりました。
 きものの場合は帯結びにバリエーションをもたせる以外に趣向の凝らしようがありませんので、美容界やきもの着付け業界の手によって様々な変わり結びが創作され普及していきました。
 帯結びはそういう経緯の本に結ばれていますので、礼盛装時はこの帯結ぶでなければいけないという約束事もありません。
 皇室では振袖をお召しになられる時は古式に則ってふくら雀しか結ばれません。
そういう習慣に倣って一般の方も結納や御見合いの時などはふくら雀に結ばれては如何でしょうか。

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2010年7月30日金曜日

醜い我欲



民主党の両院議員総会が始まり執行部に対する責任論が噴出しています。
 そもそもこの度の参院選挙の敗北は菅総理の消費税アップ論が原因の全てかと言うとそうではないでしょう。
小沢、鳩山のお金に関する問題、鳩山さんの優柔不断の政治姿勢、そういうものに既に国民は嫌気をさしていた。それもおおきな原因でしょう。そういう大きな負の要因があるところに菅氏が消費税をアップを言ってしまったということでしょう。
 小沢氏鳩山氏のお金にまつわる不祥事の時には責任問題を言わなかった。言わなかったというよりも言う勇気が無かったのでしょう。そういうことを考えますと参院選の敗北は民主党全員の責任です。
そういう認識も自覚も無しにここでまた総理を代えてどうしようというのです。
政党政治というものは党を挙げて国民の為に何をすべきかの国策を立てて一致団結して行くことが道理ではないですか。
 敗北すれば余計に一致団結して政治に取り組むべきなのに内輪で責任論をぶつけ合う。その事の真意を図れば国民無視の我欲の表出です。
 責任を取らせて自分に近い先輩、ボスが執行部になれば、自分も引き立ててもらえるという我欲の表れでしょう。
 そういう我欲が無いとすれば何を根拠にまた総理を代えるのですか。菅氏に代わって良い政治ができる人材がいるのですか。誰が成っても政党政治は党が一致団結しなければ前に進まないのです。
 逆から言えば党が一致団結していれば総理は誰でもそんなに変わらないということでしょう。
だから総理の支持率は下がっているが、総理は菅氏で仕方が無いというアンケート結果が出ているのです。

 政治家になれば誰もが総理に成りたいでしょうが、もっと自我を捨てなければ。公僕と言う言葉はそういう意味でしょう。責任論をぶっている人を見れば我欲ばかりが目に映ります。

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2010年7月29日木曜日

子供の頃の思い出(1)



現在まで連なって記憶されているのは小学校の4年生位からで、それ以前は断片的に記憶しているが、それがどう繋がってそうなったことかは全く分からない。
 私の子供の頃は総体的に貧しかった。回りの友達の家でも際立って金持ちという友はいなかったので、自分の家は貧乏などとは思いもしなかった。母親が頑張っていたので食べる物が無く、ひもじい思いをしたという経験がなかったからだろう。
少し大きくなるとそれまでに見えなかったことが見えて来て、自分の家は貧乏なんだということを知りました。連なっている自分の記憶の中では、親父の働いている姿は無かったからです。
 
今では中古品を扱うには資格が必要ですが、その頃はそんなものは必要でなく、母は中古品のせり市に行って古着を仕入れて来て、大きな風呂敷に包んで売りに行っていました。
 衣料が不足していて新しいものは高価だったので結構売れたようです。
 オバーコートなどの高価な物を仕入れた時は、それが純毛であるかを確かめるために、裏から糸を引き出してマッチで燃やして、その匂いと糸の縮れ具合いで確かめていたのを覚えています。
 大きな風呂敷包みを背負って行商していましたので、背中に水がたまって、後に分かったのですがそれが化膿してよく咳をしていました。
 親父が食事の支度をして母は遅くまで働いていましたので、夜になると「早く帰ってこないかなぁー」と母が恋しく首を長くして待っていました。
 現在のように車が走っているということもないので、音はよく響きます。遠くの方で母の咳が聞こえてきます。「帰って来た」と叫んで母を迎えにまっ暗闇の中に飛び出していました。
母は懐かしく優しい心の故郷です。

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2010年7月28日水曜日

無常


あわれ蝉 無常の渕で 吾を見る

 蝉は孵化してから1週間の命と言われていますが、長いものは1カ月位は生きると言われています。
たとえ一カ月生きたとしても瞬時の無常の流れの中でしかありません。
 蝉も人間も宇宙を構成している極小さな要素の一つにしかすぎず、無常の流れの中で生きている仲間です。
 蝉は短い時間の中で子孫を残す働きをして、夏の訪れと夏の風情を我々に与えてくれている。我々は蝉よりも少しだけ長い命を頂いているが、長い分だけの値打のある生き方ができているのか。
 人間は欲望が強いために計算ずくめの一生ですが他の生き物は一途だ。
欲望が強ければそれだけ喜びも大きいが苦しみや侮辱や挫折感も大きい。
 仏教では静安に生きるために虫の如く一途に生きよと言っているような気がした。

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2010年7月27日火曜日

夏の響き


  空蝉の 間際で子らが 騒ぎなく

7月の10日過ぎに蝉が鳴きだした。「これで梅雨は明けるな」と思ったらそのまま梅雨は明けた。蝉は何をどう感知してそれを悟って鳴き始めるのか。
早朝からジャンジャン鳴き始めるが昼前にはピタット鳴き止む。
昼間はもう寝ているのか。
昔は早起きは三文の得と言って人も夜明けとともに働いた。
歌舞伎なども昔は朝から始まった。
明りと油代の影響だが朝早く夜早く寝るのは健全な生活習慣だ。
夜9時~夜中2時くらいまでが体にもっともよいゴールデン睡眠タイムだと言われています。美容と健康のためには最高によいそうです。
美しくなりたい人は蝉のように早く休むことですね。

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2010年7月26日月曜日

成人を見直せ



食べて行くのが精一杯という状況で頭に浮かぶことは、「たまには美味しいものを食べに行きたいなぁー」「旅行に行きたいなぁー」と考える程度で、将来に対する夢などはなかなか持てません。
 希望もロマンも無く、ただただ食べることに明けくれている人がこの不景気で沢山います。
 政権争いばかりしていないで、もっと国民が希望を持てるような政策争いをしてほしいです。

 来年度の予算編成が始まりこれ以上の借金を増やせないから昨年並みに抑えたい。昨年並みにした場合に社会保障費が1.3兆円ほで増加になっている、その増加分を各省一律に10%ほどカットをしようという政府案が出されています。これにはさすがの前原大臣も怒っていると報道されています。
そうやおおいに怒って予算を分捕って公共事業をやってください。
 ゼネコンや自動車産業などが躍動し始めると動くお金は大きいし、関連事業も多いので景気の回復には一番効果があります。弱電気部門やエレクトロニクス分野は波及効果が低いのです。
景気を良くするには何と言っても大きなお金が動くゼネコンや不動産部門です。
 世界から取り残されつつある空港や港湾、また集中豪雨で各地で大きな被害を出しています。
また都心部では目的地に行くのに渋滞で動かない所が沢山あります。これはビジネス上は大きな損失です。まだまだ無駄ではなく有効な公共事業がある筈です。
そういうものに大いにお金をつぎ込んで実践し、先ずは景気を良くする。現状においてはこれが肝心でしょう。
 
 昨今は財源がどうのとか、これ以上の借金は増やせないなどと分かったようなことを言っていますがちゃんちゃらおかしいです。
 「今更何を言うてんねん」と言いたいです。ここまで大きな借金を作ってしまっていて、今更せこせこしないで大金を投入して景気をよくして。それと同時にみんなの党が言うように国会議員の数と給料を減らし、公務員の数も給料も減らして大改革をする。
それをやれば国民は少々荒ぽく増税をしても納得するでしょうから、それから消費税をあげればいいのです。
 増税をして年老いても生活費や医療費の心配をしなくてもいいようにする。、東欧並みに社会保障を充実させればお金を貯めなくてもいいのですから必ず内需が良くなります。
真面目に働いて25年も年金を掛けても貰う時は生活保護者の半分もない年金。これでは国民はお金は使わんわなぁー。年金なんか掛けたくないと言うわなぁー。
 子供手当を出す前に子供を安心して何時でも安価に預ける施設を作る。そうすれば出生率も上がるし景気にも良い影響を与えるでしょう。やらないかんことは一杯です。
 こういう話をしますと、今までの習慣やしがらみなどがあって、そんなに簡単にはいかない等と物知りぶったことを言う人がいます。それの最たるものが国会議員でしょう。
 坂本竜馬はなぜ今の世で騒がれているのか。あの人達は不可能と思うものを実現してしまったからです。
そこに大勢の幕末フアンは魅了されているのです。根性と団結があれば平成改革は可能です。
歴史に大きく名を残す政治家が現れて欲しい。渡辺さん大いに吠えろ一歩も引くな。

2010年7月25日日曜日

浴衣姿


南出 美樹様 芦屋の花火大会に行くそうです。誰とかな。美しい人は気になりますね。

浴衣は別名中形ともいいます。ちゅど手ぬぐいの大きさくらいの型で染めましたので手拭中形とも言います。
昔は地白浴衣と言って地が白で柄色が藍一色のものか、逆に地染浴衣と言って地は藍で柄は白抜きのものしかありませんでした。
その後注染中形という染め方が考案されます。それは柄の部分に染料を注ぎ込んで柄の部分を多彩にする染め方です。これらの浴衣は一枚一枚職人さんの手で染められたもので、生地も確りしていないと染められなかったので、物は確かで、洗い張りをして仕立て替えも出来ましたが、今の仕立て上がりの浴衣は、多彩ですが全てプリントもので、生地も薄く、全てミシン脱いで、襟なども掛け襟は全て偽の掛け襟になっています。
浴衣も華やかになって街着の趣を漂わせていますが、浴衣はあくまでも散歩着程度の外着です。
以前に浴衣で卒業式に出席しようとした生徒が入場を断られたというエピソードがありましたが、断られて当然ですね。

2010年7月24日土曜日

振袖の変遷


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振袖の変遷






明治5年の衣服令によって礼服は洋服一辺倒になりました。明治16年に男子の紋付袴が略礼服として認められるようになりますが、その他の和服は公の儀礼の場から姿を消します。 洋服が公の場での公服となったために、和服の進展は見られず、江戸時代後期のものが模様や帯結びだけが多少変化して現在に至っているのが和服の現状です。 江戸時代の一般庶民の礼盛装は江戸褄に代表されるように裾模様が主でした。振袖においては江戸時代の後期には富裕な町人は支配者階級の振袖に倣って綸子地の総模様の振袖を着る人がいましたが、一般庶民の振袖の主流は裾模様です。 明治時代になって科学染料が普及し、型友禅なども普及したことによって振袖の模様は裾模様から総模様へと変化していきました。 大正時代の後半になりますと、洋画の影響を受けて振袖にも花卉を大きく大胆に描写する絵柄も出てきます。 着物は時代の流行に合わせて袖たけを長くするとか、帯結びに変化を設ける以外にバリエーションのもたせ方がありません。昭和の50年代くらいからはそれまでは振袖時の帯結びは立て矢かふくら雀一辺倒であったものから、様々な変わり結びが結ばれるようになりました。 それは美容界の指導者や、きもの学院が普及してきて、人と違ったものを作り出して講習材料としなければネタがないというところから発生発展したものです。因みに皇室の皆様は振袖をお召しになる時は古式に従ってふくら雀しか結ばれません。 古式はふくら雀ですから、結納の時に振袖をお召しになられる場合は、古式通にふくら雀に結んではいかがでしょうか。

振袖の変遷



明治5年の衣服令によって礼服は洋服一辺倒になりました。明治16年に男子の紋付袴が略礼服として認められるようになりますが、その他の和服は公の儀礼の場から姿を消します。
 洋服が公の場での公服となったために、和服の進展は見られず、江戸時代後期のものが模様や帯結びだけが多少変化して現在に至っているのが和服の現状です。
 江戸時代の一般庶民の礼盛装は江戸褄に代表されるように裾模様が主でした。振袖においては江戸時代の後期には富裕な町人は支配者階級の振袖に倣って綸子地の総模様の振袖を着る人がいましたが、一般庶民の振袖の主流は裾模様です。
 明治時代になって科学染料が普及し、型友禅なども普及したことによって振袖の模様は裾模様から総模様へと変化していきました。
 大正時代の後半になりますと、洋画の影響を受けて振袖にも花卉を大きく大胆に描写する絵柄も出てきます。
着物は時代の流行に合わせて袖たけを長くするとか、帯結びに変化を設ける以外にバリエーションのもたせ方がありません。昭和の50年代くらいからはそれまでは振袖時の帯結びは立て矢かふくら雀一辺倒であったものから、様々な変わり結びが結ばれるようになりました。
 それは美容界の指導者や、きもの学院が普及してきて、人と違ったものを作り出して講習材料としなければネタがないというところから発生発展したものです。
因みに皇室の皆様は振袖をお召しになる時は古式に従ってふくら雀しか結ばれません。
 古式はふくら雀ですから、結納の時に振袖をお召しになられる場合は、古式通にふくら雀に結んではいかがでしょうか。

2010年7月23日金曜日

自己責任



デンマークでは社会保障が充実しているので、税は高いが年老いても何の心配もなく生活していけるという事です。そういう国が現実にあるとすれば、そこに向かって政策を進めて行くことが正常な道ではないでしょうか。
 デンマークでは社会保障が充実しているので歳を老いても経済的には心配はないけれども、逆に生きて行く目標を見いだせずに虚しさから自殺する人が多いという事です。そこまで面倒は見れないでしょう。

 私は神仏詣でをした時は神妙に礼拝をしますが、何か困ったことが出来たからといって神頼みをしても叶えてくれないことは承知しています。
 神は我々に生きて行く為の糧となる自然の恵みを与えてくれています。後は個々の知恵で生きて行きなさいというのが神の根本教理だと思っているからです。
 神も自己責任で生きて行きなさいとおっしゃっているのですから、生き方は自分で決めて実践していく以外にないでしょう。
 生き方はあくまでも自己責任が原理原則ですから、原理原則に則って国は色々と規制をすることを止めて欲しいですね。
そんな事をするから借り入れが出来ずに生活が成り立たない人が出来ている。
 また就職活動でも規制があって募集を掛ける方はいかにも大きく門戸を開いているような条件を掲示しているけれども、内情は絞られた条件でしか募集をかけていない。そんなことを知らないから期待と希望を持って面接に行くけれども体よく断られる。いくら行っても断られる。それやったら最初から学歴、年齢。性別、経験の有無などを明記しておいてほしい、そうすれば無駄なお金や時間を使わないで済むのにと怒っている人も沢山います。これも規制することの弊害が出ている現象です。
 
 何か事故や事件が生じた時はそれに対する責任と保障と罰則を明確にしておいて、後は自己責任に任せる方がうまく回って行くように思います。
 こんなことを書くと馬鹿とちがうかと言われそうですが。運転をしていることが分かっていて酒を飲ませたら飲ませた店の者も罰則なんて馬鹿げていませんか。
 飲み屋は呑ませるのが仕事ですから酒を進めるでしょう。それが何が悪いのか不思議です。
 飲むか呑まないかはあくまでも本人の責任でしょう。
酒を飲んで事故を起こした場合は理由のいかんを問わず100%保障と責任と罰則を完備していけばそれで十分でしょう。世界に誇る先進国の法律とは思われない未熟さを感じます。先進諸国はどうなんでしょうか。私が知らないだけなのでしょうか。

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2010年7月22日木曜日

私の着せさせて頂いた素敵な人達


あまりにもきもの姿が素敵でしたのでモデルになっていただきました。
モデルは棚倉千恵さんです

2010年7月21日水曜日

下着に付いて




上図の清長と写楽の絵を見れば女性たちは幾枚も重ね着をしていることが、襟元や裾を見ればよくわかります。
小袖中心の時代になるのは安土・桃山時代からです。
当時の小袖の正式な着装は平安時代の衣(きぬ)の重ね着を取り入れて、当時はまだ襦袢がありませんので一番下には肌着用として白の小袖を着て、その上に重袿(かさねうちき)に真似て色物の小袖を着て、表着(うわぎ)には柄物の小袖を着るというように三枚重ねが正式な着装法でした。
 清長と写楽の絵は市井の女達を描いていますが、身分に関係なく富裕な人達は普段着・晴れ着に関係なく下着を重ねて着ています。
 和装の場合は襦袢と表着の間に重ねて着る小袖を下着と言って肌着とは区別しています。
襦袢が元禄時代くらいから着用されるようになります。襦袢が着用されるようになりますと、肌着として着用していた白の下小袖が襦袢に取って代わるのかといえば、そうではなく一番下の小袖の下に襦袢を重ねるようになります。従って上図のように3枚・4枚重なって着装するというようになります。
 江戸時代には普段や礼盛装を問わず重ね着をするのが通常のきものの着方だったのですが、戦後洋服中心の時代になりますと和装は簡略化されて留袖以外は重ね着をしなくなりました。
 中振袖や訪問着を着る時に襟だけを重ねる、重ね襟と言うものをつけます。あれは下着の名残で、下着の襟だけを昔のように重ねるということです。
 昔は普段着・晴れ着関係なく付けましたので、重ね襟はどんな着物に重ねても間違いという事はありません。
但し下着は季節によって重ねたり重ねなかったりと調整をしましたので、春袷、秋袷の時期は重ね襟はしない方がいいですね。

2010年7月20日火曜日

貸金



私は以前に暇があればパチンコに行っていた時期がありました。
夏は涼しいし、冬は暖かいしお金が続けば一人で暇を潰すには絶好の場です。
しかしパチンコはお金の面ではきついです。フィーバーが掛からなければ30分で一万五千円くらい軽く無くなります。
 人間の心理というものは不思議で勝っている時は直ぐに止めれるのですが。負けているとブレーキが効かず全部賭けてしまいます。
 最高に勝ったのは10万円くらいです。一度でもそんな経験をしていると、もしかして取り戻せるのではないかと思いブレーキを踏み忘れてしまうのです。
そんなに負けの込んでいる時はいくら追っても。それまでの経験で取り戻せないことが分かっているのに突き進んでしまうのです。
 聞くところによると、パチンコ屋のオーナーが今日は200万円利益を上げたいと考えてコンピューターを朝セットすると、想定した客数が入るときっちり二百万円利益を上げるそうです。そんなものと喧嘩しても所詮勝てっこないのですが、それが分かっていても止められずに躍起になってしまい、結果は大損で終わってしまうのが落ちです。
 最近は女性の客が多くて女性が行かなければパチンコ屋は成り立たないと言われています。
行きつけのパチンコ屋で座っていると、あの女性は金融屋から追い込みが掛かっている等という話はいくらでも耳に入ってきます。
そんなものは自業自得で同情の余地もないけれども、金融法の改正で収入のない女性は借り入れが出来なくて、生活が成り立たないで嘆いている女性が沢山いるという事です。
 
何でそこまで国が関与して規制するねん。何で自己責任で解決させるようにしないのか。
 金融屋は今までは金利を沢山取っていた。だけども儲けているから法的な枠を超えてまで追求しないで損失で計上してしまう。だから貸出しの条件も甘くて助かった人は沢山います。
どんなに規制をして足らなければどうしても必要なのです。
借りられなければ闇金に流れていきます。
 名のある金融業者は法的な枠を超えてまで厳しい取り立てはしませんが、闇金は情け容赦なく取り立ててきます。その結果今まで以上に怖くて惨めな思いをする人が増えてくると思いますよ。
 
 規制したら困る人は少なくなるという考えは間違っています。ことお金に関してはいるものはいるのですから、規制を掛ければより惨めな思いをする人が増えるのです。
 借り過ぎて贅沢をして身を滅ぼして行く者は放って置けばいいのです。借りなければ生活が出来ない人のことを考えなければ。
 今は不景気で30歳代でも手取り20万円前後の人も沢山いるのです。
そんな人が子供が小さくて奥さんは働けない。それで高い家賃を払っていれば生活は成り立たないのは当然でしょう。政治家はそいう惨めさを知らんやろ。

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2010年7月19日月曜日

2010年7月17日土曜日

街路樹 ヤマモモ


ヤマモモ目ヤマモモ科の常緑樹。また、その果実のこと。
中国大陸や日本を原産とし、暖地に生育し、暑さには強い。
 高木で、成木は20mほどになり、幹は太くなると灰白色の樹皮に覆われ、
 多数の楕円形の皮目を持つ。姿形がホルトノキに似ているので間違えやすい。
雌雄異株で、花期は3-4月、数珠つなぎに小さな赤色の目立たない花をつける。
 6月ごろに黒赤色の実を結ぶ。果実は甘酸っぱく、生で食べる他、ジャムや果実酒に加工される。
 高知県の県の花、徳島県の県の木、その他知多市、西都市、下松市の市の木に
も指定されている。

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2010年7月16日金曜日

子供の躾



 最近街中で子供がぐずって駄々をこねて泣いて泣いて、親がいくらなだめても泣きやまずに泣いている子供をよく見かけます。
親の信条の無さが見えてしまうからそういう光景は非常に見苦しいです。
 子供は自分の思い通りにならないから駄々を捏ねて、泣くという形で欲求しているのです。
そういうことは親の躾の拙さの表れなのです。
 幼児は三歳にして出来上がると言われています。それを理解出来ずに親が可愛いからと目一杯に構い甘やかせて育てているからです。
 
 我々の子供のころは洗濯機も無ければ掃除機もなかった。朝起きて朝食の支度をして、終わればあと片付けをして掃除をする。掃除が終われば洗濯をする、洗濯は洗濯板を使っての手洗いですから時間が掛かる。洗濯物を干してホット一息つけばまた次は昼食の支度です。毎日がそういう慌ただしい事の繰り返しですから子供の面倒を見る暇もない。暇はなくても可愛い我が子供の事ですから、泣けばお腹が空いているのでは。おむつが濡れているのでは。おむつを変える時は便に変化はないか子供の健康のことはきちっと点検をしておく。それは欠かさずきちっとするけれども構っている暇が無いから寝かせたまま放置しておく。   それでも子供はそれが当たり前の普通の日常のサイクルですから、そういうものだと思ってぐずらないで大人しく寝ています。ぐずる時は体調に何か変化がある時ですからそれは昔のお母さんは見逃しません。
 
 ところが今のお母さんは時間があって子供が可愛いものですから、少しでも子供がぐずると構って抱いてあやしてしまいます。ぐずると親が抱いてあやしてくれることがわかるから、いくらでも泣いて欲求してきます。
そして歩けるようになって自分で行動出来るようになれば、良し悪しが何も分からないからやりたい放題に行動をします。その時に良し悪しが分からないからこそ、教えるという意味でいけないことをすれば叩いてでも強く怒って躾ておくことが重要です。ところが普通は逆で「幼くて分からないから仕方が無いでしょう」と大人は言うのです。それではいけません。
 幼い時から自分の親は怒れば本当に怖いということを子供の体に染み込ませる厳しい躾がたいせつです。
 
 サーカスのライオンや象は、動物使いの人が怒れば怖いと思っているから言うことを聞いて芸をするのです。子供も幼い時はそういう動物と同じで親は怖い存在である事を体に叩き込んでおくことが必要です。親が怖い存在でなければ躾なんかできません。

 親は子供にどうしてあげることが最善なのか。それは少しでも早く自立出来る精神を養って上げる事です。そのために「可愛い子には旅をさせ」「愛の鞭」という言葉があります。
 前回子供をぶん殴れる大人に成れと言いました。親が子供に厳しく怖いという社会通念がある方が子供の為には絶対によいのです。子供に舐められて教育や躾なんかできません。
子供がぐずっている光景を見ますと、幼くして親が舐められているのです。

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2010年7月15日木曜日

善と悪



何が善で何が悪か。
法を犯す事件を起こせばこれは悪である。これは誰でもが分かる。
それでは法を犯さなければ全ての行為は悪ではないのか。それは違う。
反社会的行為をすればそれは悪である。
法律は最低限度の社会的ルールであって、それだけでは皆が静安な生活が出来ないから、安心して快適に暮らせる為の知恵として善という言葉がある。
 善悪の基準は社会です。法を犯せば勿論の事、反社会的行為をすればそれは悪であり、社会に対して善意に言動することは善であり、その集大成が道徳です。
 悪は全て葬り去ることが理想であるがそれは難しい。
私も今は少し大人になって慎めるようになってきている。例えば街中で立ち小便をするというような事はしなくなった。車で出かけて駐車をする所が無い時に、少しの時間だから分かりっこ無いからあのコンビニの駐車場に停めとけばいいのにとか、あのスーパーマーケットの駐車場に停めとけばいいのにという者が多いのだが、俺にはそれはできない。後から何か一品買ってあげればいいじゃないと言うがそれは違う。と善人ぶったことを言っているが俺は今までには幾度となく悪を繰り返してきていることは確かだ。
 
 悪にも誰もが一度は経験をしていることでその程度のことならまぁー許せるかというものもあるが、俺は一つだけ絶対に許してはいけないとおもっているものがある。それは苛めだ。
 例えば学校での苛めで、もう学校なんか行きたくないという子供がいる。学校は将来を見据えた自己研磨の最大の場です。将来を左右する場です。それが苛めによって勉強することを遮られる。こんな大きな悪があるでしょうか。
 生活が掛かって懸命に自分の為、家事の為に働いている。その職場が苛めで働く意欲を殺がれてしまう。生活が掛かっているのです。その生活を苛めの為に脅かせる。こんな悪がありますか。
 こんな重大な事を虫が好かないとか、どうしても好きになれないとかとい理由で苛めてしまう。
 世の中には平気で好き嫌いの理由で苛めてしまう人間がいます。虫が好かない、どうしても好きになれないそれは人間だから仕方がないだろうが、それで苛めてしまう人間は最低の人間や。
 虫がすかない「なにーお前そんなことが言えるほど立派な人間か」苛める前にそれを考えなければ。
 もし俺の子供がそんな目にあっていたら俺は必ずそいつをやっつけてやる。もうこの年になって何時死んでもいいから、怖いものはないから必ずやってやる。
何を言いたいか。やられるに値するほど苛めは罪悪だという認識を皆が持たなければいけないのです。
 特に学校の先生は其の事に命を掛けよ。苛める子供がいたらぶん殴ってしまえ。それに文句言って来る親がいたらそんな親もぶん殴ってしまえ。それを皆が称賛する社会通念が出来なければいけないのではないか。
 親も自分の子供が苛めの方に回っていれば子供をぶん殴れ。悪に対して親が子供をぶん殴ることが出来なければ良い社会はできませんよ。何でこんなに子供をぶん殴れない大人が増えたのでしょう。

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2010年7月14日水曜日

今の結婚式



 最近は躊躇も無くドレスを着て教会で式を挙げる人が多くなっています。
 家に帰れば仏式で先祖をお祭りしている私たち年寄りには少し抵抗がありますね。
 世間では「死んだ御母さんが見守ってくれているから心配しなくていいよ」とか、「亡くなった御母さんの事を念じて行いを正さなければね」などと話をしています。
 体は灰と化しても霊魂は存在し、何時も自分たちの身近な所にいて見守ってくれている。日本ではそう言われているから、それを信じてそういうことを言い、またそれを信じている人も少なくありません。
 現実にその霊魂を鎮め癒し守るために様々な年中行事があります。日本の年中行事の大半が祭礼です。

 魂の存在を信じている人もいれば、信じてなくても日本の習慣ですから恭しく取り行う。そうすることによって霊魂の存在云々よりも自分の心が落ち着いて癒されるから、慣習に則って行うという人もいるでしょう。
それが我が日本の文化なのです。
 それが現実なのに娘や孫は結婚をするときにキリスト教で行う。
 霊魂は可愛い子供や孫の様子を天から見ることも出来ないでしょう。
 そんなことはない見ればいいじゃないかという人もいますが、同じ宗教でも現実に勢力争いが行われている実情の中で、異教徒が覗き見るということはできないでしょう。
 結婚式だけはキリスト教で挙式をして、子供が生まれれば神社に宮参りに行き、十三詣りは仏さんにお参りし、成人式も神社にお参りにいって、死ねば仏式で葬られる。バラバラで節操が無いと言われても仕方がないでしょう。
 
 何故こんなことになってしまうのか。
親はお金は出すけれども口は出さないという大人が多くなったからです。
 結婚は法律では本人同志の意思次第とはありますが、例えば結婚した相手が大きな犯罪を犯したと仮定します。
本人同志で決めたことですから、家は関係ありませんでは済まないでしょう。
 最近は離婚が増えています。本人同志でひっついたのですから離婚しても知らんと親は白を切り通すことはできないでしょう。直接両家に問題は降り注いでくるのですから、結婚とは新しく家と家の繋がりが出来るという意識と認識をモット強く持たなければいけないでしょう。
 あまりにも若い者の言いなりに成り過ぎていて、結果として起きている現象だと私は思います。
 
 今の若い者も結婚する時は親頼み。離婚すればなおさら親頼み。自分たちにはそれだけの力しかないのですから、親の言い分ももっと聞かなければ。聞きたくなければ完全自立しなければ。
私なんか自慢じゃないけれど結婚式は全て自分でしました。大きくなるまで育ててもらったらそれが普通でしょう。

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2010年7月13日火曜日

感謝と歓喜の披露宴



35年間やってきた日本きもの学院を私の不徳の致すところで人に全て譲り裸一貫になった。しかしそれがあったから妻との出会いがあった。
今は全て過去の線上にある。
 過去を恨まず妬まずに前向きに歩いていくべきだという事をこの年で習った。今は過去に対して何の恨みの妬みもないが
披露宴の時は困った。
会場が最低35人でなかればいけないという制約があった。
現役であればそんなことに悩む事もないけれど家族だけではそれだけの人数にならない。
 この年になってこんなことで友人知人を煩わせるのは心苦しいし、余分なお金を使わせることにも気が咎める。
どうしようと悩んだが声を掛けなければ仕方がない。
勇気を振るって声を掛けると皆は快く快諾したくれて何とか披露宴を行う事ができました。
本当にありがたいことだと感謝しています。
この分は一度アップをしたのですが写真が不十分だったのですが、西宮流では有名な武庫殿が多くの写真を撮ってくれていまして、それを頂きましたのでアップしなおしました。

最後は二人で「愛が生まれた日」を歌いました。

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2010年7月12日月曜日

美しく



女性は幾つ何十になっても容姿には気を付けているようで、私の妻も肥え過ぎているとか、ここの皺を無くしたいとか、シミになるから日に焼けないようにしなければいけ等とつぶやいています。
 男としても不細工で無様な妻よりもスマートで美しい方がいいのに決まっているから、女性のつぶやきは無理も無いことだとは理解していますが、私としてはつぶやいている女性の理解しがたい所があります。

 綺麗と美しいとは違います。
生まれついて備わっている顔付容貌と言うのがあります。整形手術をするにも限度というものがあります。また経済的な問題もありますのでこういう話にはそういうことは別問題として、綺麗でない人に綺麗に成れと言っても無理な事です。だけどどんな人でも美しく成ることはできます。美しいというのはあの人は感じのいいひとだなぁー、素敵なひとだなぁーと人に良い印象を与えれる人になるということですから、これは努力でどうにでもなります。
 太らないようにスマートな体系を保つ。清潔感を感じる人になる。歩き方が素敵だ。立ち振る舞いが綺麗で心配りが感じられる。何時も笑顔を絶やさず優しそうだ。化粧も自分の個性にあった上手な化粧をしている。
こういうものが全て備わっていれば、生まれつきの御顔のつくりに関係なく全ての人は美しい人になります。
こういうものは自分の心がけで達成することはそんなに困難な事ではありません。

 肥えるだけ肥えて、歩いていると膝が外に割れて男のようにして歩き、顔をみれば陰鬱な顔をしている。そんな人が美しく見えますか。
外を歩いていてよく観察してください。そんな人の如何に多いことか。
 そんな人が鏡の前に座って高い化粧品を使って顔を磨いていても、美しくはなれないでしょう。
こんな簡単なことが何故理解出来ないのか私には不思議でなりません。
 
 肥えた。太っている。痩せてもっとスマートに成りたいと希望する人は物凄くいます。そのために色々なビジネスが発生し想像を絶するお金が動いています。大阪弁でいえば「阿呆とちがうかと」言いたくなってしまいます。
 私は脳腫瘍で入院をしたときに、入院中は病院食だけですごしました。家で食べる量と比較すると物凄く少ないです。それでも体のことを考えて作ってくれているのだからそれで十分だろうと思い
店や物は取りませんでした。痩せてスマートになって格好よくなりました。
 スマートに成りたければ食べ過ぎなければいいのです。何も難しいことはありません。肥える人は水でも肥えるなどと自己弁護する人がいるのですが、そんなことはありません。肥えている人は必ずそれだけ食べているのです。運動をしないでそれだけ食べればそりゃー肥えますわ。

 皆さんは必ず歩きます。その時は背筋を伸ばせて膝が外に割れないように気を付けて歩く。お顔は渋い顔をしないで真っ直ぐ向いて少し笑みを湛えたようにして歩く。毎日の事ですからそういうことに気配りをして実践すれば、自然に良い形が備わっていきます。
努力をしなくても綺麗に見えるのは20代のほんの少しだけの期間です。あとは美しくなりたい人は努力をしなければ。努力もしないでお金だけ出せだ美しくなれると思っている人が多すぎます。
 以前にこのコルセットを付ければ痩せれると言われて、何十万円も出して買って付けている人が沢山いました。
日本は豊かで幸せな所です。今もそれに似たものが沢山あります。薬を飲んで痩せたら健康を害するでしょう。笑ってしまいます。

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2010年7月11日日曜日

watbousi

参議院選挙



選挙に行こうと思い何時も重要な書付を置いてある場所を見るとありませ。
投票カードが来ていない筈が無いと思い探しましたがありません。
 今回の参議院選挙は我々国民にとって非常に大切だという思いがありますので、どうしたらいいかと考えました。  一度投票場に行って尋ねてみればよいと思い「紛失したのですがどうなりますか」と行きました。
 そうすると「はいわかりました。これに住所と生年月日を書いてください」と言われて書きました。書き終わって身分を証明するものはいいのですかと尋ねますと「これで結構です」といわれました。
現在は郵便局や銀行や役所に行っても本人確認が面倒なほどやかましいのに、これでいいのか「これではいかんやろう」本人確認を確りとしなくてはと思いました。

 さて投票です。今回は政局安定のために民主党に今一度勝たせる方がいいとは思っていました。
しかしみんなの党の党首の渡辺さんは30兆円の埋蔵金は確かにある。これは私が行革大臣をしていた時に確認済みだといいました。これを引き出すには本当にやる気があるか否かに掛かっている。
 菅さんはどちらかというと中道左派を目指す政治家で、民主党内には旧社会党の人達もおり、連合がバックアップしている実情からして民主党にはそれは出来ないだろうと言っています。
だからそんな党とは絶対に組まないと言っています。
 その言葉の正否は我々には分かりませんが「自分たちならやれる」と断言しています。
本当にやってくれるかは分かりませんが、そういう可能性があるのならやってほしい。やらせてみたいという気もありましてどちらに入れようかと迷いました。

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2010年7月10日土曜日

花嫁衣裳



以前にも同じようなことを言いましたが彼女は最初の結婚の時にも式を挙げていなかったそうです。
それを聞きましたので「式を挙げるか」と聞きますと「うん」と即答しましたので「それでは挙げよう」ということになりました。
 女性は歳に関係なく花嫁衣裳も着たいのではないかと思いましたので、式は皆を煩わせるのは心苦しいから二人で神社にお参りして写真だけ撮ろうということにしました。
ドレスにするかきものにするか、迷ったのですが私が紋付袴を持っていますし、きものの仕事をしていますので打掛でということになりました。
当初は白無垢だけと考えていたのですが、折角撮影をするのですから色打掛も着たらということで白無垢と色打掛を着る事にしました。
白無垢は綿帽子で色は角かくしでということになりました。
鬘は「絶対に似合わないから嫌だ」と言っていたのですがけっこう似合っているでしょう。
 (株)大阪西川(丸福貸衣裳店)のオーナーとは旧知の間ですから、無理を言って安くしてもらいました。
丸福さんは大阪では有名な貸衣裳店ですから、衣裳レンタルの予定があれば紹介して差し上げますので遠慮なく言ってください。

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2010年7月9日金曜日

披露宴祝援歌



披露宴では多くの人が歌を歌って盛り上げてくださいました。
この分は私にとっては大きな財産ですからご披露させていただきました。

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2010年7月8日木曜日

人種は同じ





万博のお祭り広場に一年間出向して働いていた、それ以来の万博後地の訪問です。
民族博物館に行ってきました。
衣裳の仕事をしていましたので一番目に留まったのは韓国の礼服です。
韓国ドラマでよく見るのですが写真でなく生で見ると撮影所時代を思い出して引き付けられます。
上図左は中国の模倣による奈良時代の我が国の朝服です。
朝廷における服には礼服、朝服、制服とあります。
礼服は五位以上の官吏が重大な儀式の時に着る衣服です。朝服は平日に出廷する時に着る衣服です。
制服は朝廷に奉仕する下級者が着用する服です。
上図右は韓国の古代の礼服です。
石帯をしていることろや靴を履き袴を穿いているところは同じで、位階によって着る衣服の色がさだめられているところも同じです。礼服の時には上図の様な冠を付けるのも全く同じです。

日本も韓国も中国の文化を模倣しているところは同じで親しみを感じてしまいます。
文化も似ている、辿っていけば日本人の大多数は血もおなじという人が多いのではないでしょうか。
それなのに相手を蔑んでみたりした時代もありました。
人間ておかしな動物です。

2010年7月7日水曜日

瓜とわかめの酢の物


瓜を5mm程度の厚みに切って塩をまぶして10分くらい置いておきます。
水で洗って水切りをします。
ワカメも水で洗って水切りをします。
後は甘酢をかけて出来上がりです。
あっさりと美味しいですよ。

(特報)
瓜の超美味しい店を教えます。
京のきさらぎ漬丹波屋です。
ここの漬け物は少し高いのですが本当に美味しいです。
西宮近辺では尼崎の三和本通りの2号線の直ぐ南にあります。

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2010年7月6日火曜日

運命には逆らえないー2



沖縄は凄かったですが本土の大都会でも空襲で多くの方が亡くなりました。広島があります。長崎もあります。戦争というものはそんなもので敗者はその後も苦労を強いられる、それは大昔から同じです。これは其の時代に存在したという宿命としか言いようがありません。
アメリカはソ連との約束を待たずに日本攻撃を始めた。そのために北方四島は無くしたがソ連に統治されることは免れた。そのお陰で今の日本の豊かさがある。
そのように考えますと今は歴史上の線上にあることがつくづく思い知らされます。

 沖縄市にある亜熱帯植物園にいきました。
花を見ている時に急にゴーとう音がして次第に大きくなってきます。前知識もないのでびっくりして思わず身構えたのですが、それは普天間から飛んできた米軍の爆撃機でした。植物園からですと相当上空ですが物凄い音です。それがもっと近くで毎日頻繁に起こるのですからいくら慣れたといっても心に及ぼす被害は物凄いものだと思います。
ならばどうかしてあげなければいけませんが、今は歴史上の線上にあって宿命的な現象ですからどうにもならないでしょう。
 日本はいま自国の考えだけではどうにもならないのです。これも宿命です。
どうにもならないことをどうにかしようとしても無理なことで、基地を排除しようという話よりも、どうすれば沖縄の人の生活が改善されるのかという方向で前進をさせる以外にないでしょう。
その改善は基地を排除することだと沖縄の人達は主張していますが、沖縄の人達には気の毒ですが今はどうしようもないでしょう。どうにかなりますか。
 
 今はどうしようもないけれども、少しでも早く我が国が完全自立して、アメリカさんありがとうございました。今後も緊密に連携をしていきますが先ずは軍はお引き取り下さいと言える国にならなければいけないでしょう。
そうしなければ基地解決なんて出来るはずがありません。そのためには憲法も改憲しなければいけないでしょう。
ある野党は沖縄基地反対。しかし憲法の特に九条の改憲は絶対に反対と矛盾した事を言っています。
 そんな人が政治家にいるのです。如何に矛盾したことを言っているのか、そのことすら分かっていないのです。
 沖縄の人達もそんな政治家を支持してどうにかなるのでしょうか。それも矛盾です。

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2010年7月5日月曜日

運命には逆らえない



今月の22日から2泊3日で、子供たちがプレゼントしてくれたので沖縄に新婚旅行に行って来ました。
沖縄に行けば先ずはひめゆりの塔にお参りに行かなければいけないと思っていたので、空港からレンターカーで直行しました。
 友人は沖縄に行った経験があるので、帰ってから沖縄の話が出ると「ひめゆりの塔に行った。自分も期待して行ったけどたいしたことないろう」と開口一番に言いました。確かに観光気分で行くのであればその通りですが、あそこはそういう気分で行く所とは違うやろうと心の中で叫んでいました。海軍の壕後にもいきました。多くの兵が6月23日のアメリカ軍の沖縄上陸作戦で自刃をし、司令官が辞世の句を書いて自刃した壕も残されていました。
多くの人が長い期間食糧難で苦しみ、その挙句に追い詰められて自刃し爆刹されて逝った。胸が詰まる思いで見てきました。
気の毒なんて安易に言葉で言えません。
しかし沖縄は凄かったですが本土の大都会でも空襲で多くの方が亡くなりました。広島があります。長崎もあります。戦争というものはそんなもので敗者はその後も苦労を強いられる。それは大昔から同じです。このことは其の時代に存在したという宿命としか言いようがありません。
 アメリカはソ連との約束を待たずに日本攻撃を始めた。そのために北方四島は無くしたがソ連に統治されることは免れた。そのお陰で今の日本の豊かさがあります。其の事を思うと今は歴史上の線上にあることを思い知らされます。 

この記事は文字数の関係でこれ以上記述できませんので続きは明日にします。

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2010年7月4日日曜日

春雨の野菜炒め


はるさめは少し固い目に1分ちょっとくらい茹でます。
後は豚を良く炒めて野菜を入れ最後に春雨を入れて炒めます。
炒める時にだしの素を小さじ一杯ぐらい入れると絶対に美味しくなります。
味付けは塩と胡椒とウスターソース少々と醤油を少し入れて最後にごま油を私は入れます。
だしの素を入れて最後にゴマ油を入れれば絶対に美味しく出来上がります。
妻が大好きなのでよく作ります。

 私は今は気楽な仕事をしていて、妻は結構しんどい仕事をしていますので料理は何時も私が作ります
何時も美味しいと言って食べてくれます。
後かたずけもしなくていいよと言っているのですが結構やってくれます。
 女性の毎日の食事の支度は結構大変です。
旅行に行くのに年配の人は主人と行くのを嫌がります。
折角家事から解放されて上げ前据え膳で食事が出来るのに、主人と一緒だと「おいお茶を入れてくれないか」等と言われるからです。
それだけ毎日の女性の食事の支度は大変ですから、これからの時代は男性も積極的に厨房に参画していくべきですね。

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2010年7月3日土曜日

竹の子



書き貯めていたものですから旬がずれてしまいましたが、今年は立派な竹の子を二人から頂きましたので堪能するくらい食べました。
旬の時期に旬のものを頂けば幸せな気分になります。
料理の達人は料理は愛情だと言いますがその通りだと思います。
料理下手は下手なりに心を込めて作りますと美味しくなり料理の腕も上がります。美味しいものを食べさせてやりたいという人が存在する事は料理には一番ですね。

 竹の子は上の部分を少し切って、皮に3箇所くらい切り目を入れて、糠を入れて20~30分煮て冷めるまでそのままにして置いて灰汁を抜くのは何方もご存じだと思います。
 煮るのは酒、みりん、醤油、砂糖、塩少々というのは誰もが同じだと思います。
私は少し甘い目に味付けします。
 これも私流ですが20分ほど煮たら一度冷まして、冷めたらまた煮ます。それを3回ほど繰り返します。
そうするとよく味が染み込みます。
 天ぷらにする時も十分に味が染み込んでいますので衣が揚がれば出来上がりです。醤油味が染み込んでいますので塩で頂くと美味しいですね。
 ワカメは干しワカメを戻したものは直ぐにドロドロに溶けた状態になりますので、私は生ワカメを使用して、ワカメが少し柔らかくなるまで煮て、少し甘い目にワカメだけ食べても美味しいように味付けします。
ワカメは竹の子と一緒に煮ないで別々に煮て、頂く時に竹の子の上にワカメの煮たものと汁を一緒にかけていただきます。

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2010年7月2日金曜日

緋扇



扇には檜の薄板で作った檜扇(ひおうぎ=緋扇)と、蝙蝠(かわほり)と言って竹・木・鉄などを骨にした扇があります。
扇を手に持つのは奈良時代から正装時の構成の一つに数えられています。
奈良時代・平安時代前期には上記の絵にあるように團扇(だんせん)と言ってうちわ状のものを持っていました。
平安時代中期以降は男子は衣冠束帯・女子は唐衣裳(十二単)が実質的には正装になります。
その正装着装時は容儀を整えるために檜扇をもつのが定めになりました。
扇には男女共に正装の時に持つ檜扇と衵扇(あこめおうぎ)とがあります。
正装時以外の衣冠(いかん)や直衣(のうし)の時は橋数の少ない衵扇をもちます。
また普段の時は絵にある五本骨の扇を持ちます。後に中浮(ぼんぼり)または中啓(ちゅうけい)というものに変わります。
 檜扇は男子は衵扇共に無地ですが、女子の扇は檜扇・衵扇共に極彩色に描かれています。
女子の檜扇は男児の橋数よりも多く三十九橋で、霞・雲形・桐・鳳凰・梅・竹・松・尾長鳥などが色鮮やかに描かれています。緋は赤系の艶やかな色ですので、女性の檜扇は緋扇と呼ばれるようになったものと思われます。
現在でも正装の時には容儀を整えるために扇を持つのは習わしです。
留袖の時は黒塗りの扇を持ちます。普通は左胸の位置で帯に扇を差し込んでおきますが、扇はそのまま差しておくだけでなく、御挨拶の時には扇を必ず手に持って御挨拶をするのが礼儀ですから覚えておいてください。

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2010年7月1日木曜日

まめとひじき



大豆はヘルシーな食べ物の代表であり、栄養価の高い食べ物で、安上がりですから大いに食べていただきたいですね。
大豆は一晩水に浸しておきます。
ざるに上げて煮ます。水は多い目にして最初は強火で煮ます。煮えてくれば灰汁が出ますので灰汁をこまめに取り除きます。
そしたら私流ですが炭酸ソーダを小さじに少々と砂糖を入れ、そして出しのもとを入れて柔らかくなるまで弱火で煮ます。
豆が煮れたら甘みが浸透するように冷ましておきます。
ひじきは良く水で洗います。そんなに洗うのかという程に洗って磯の匂いを取り除きます。
出来ましたらざるで水切りをしておきます。
干し椎茸を豆を付ける時に同じように水に浸して一晩置いて戻しておきます。
干し椎茸を立てに5mm位の幅に切ります。
煮る時の調味料は酒1、みりん1、醤油濃口1、砂糖を合わせて置きます。
甘さ塩辛さはお好みです。
出来ましたらフライパンに油を入れてひじきと干し椎茸を炒めます。この時に豆を後から入れて調味料を入れて全体にからませて水分を飛ばしたら出来上がるように良く火を通して置きます。
ひじきによく火が通ったら豆を入れて調味料を入れて全体にからませて水分を飛ばします。
最後に土生姜の汁とごま油を少量からませて出来上がりです。
ひじきを炒める時にだしの素を大さじ一杯くらいを入れるのが美味しく頂くこつです。
冷蔵庫に入れておけば日持ちします。冷めれば少し豆が固くなりますのでそれを見込んで柔らかくしておく方が良いとおもいます。それもお好みですね。

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