2010年4月29日木曜日

殴ったろか大阪ではしばいたろか


 仏さん嘘をついた罰を与えてね

 新しい政権が誕生すればきっと政治を良い方向に変えてくれるであろうという期待感で民主党を我々が選らびました。民主党の政治が良いから選んだのではない。良い方向に導くだろうという期待感だけで選んだのですが、その期待は既に裏切られた。まだ一年も経ていないのに、なんという体たらくなことでしょうか。
 民主党の最大の功績は事業仕分けだろう。前政権の自民党がやらなかったことをやってくれたと我々国民は喜んでいますが、商売をやって来た私たちから言わせれば、こんなに大きな借金をしていながら今までやらなかったことが馬鹿で危機感が足らなすぎると言いたいです。

 財政にゆとりがあれば何が生じても対応が容易ですから国政の最大の仕事は財政です。政治家の最大の仕事は財政の健全化です。
 今仮に他国のように国債の格付けが下げられたら日本は完全に破滅してしまいますよ。
もっと危機感を持って国の為に政治家は働かなければ。
その働きの急務は政治家の数を大幅に減らすことです。
 民主党の政治は自民党がやって来たことに対して、自分達は違うとパフォーマンスで違いを見せるためにいじ繰っているだけで、基本的には何ら変わっていない。
それが証拠に鳩山総理は事業仕分けで埋蔵金なるものを浮き彫りにさせれば、それで新しいサービスがいくらでも行えるなどと言っていたけれども、それも勉強不足だっただけの結果しか出ていない。
 最初は財源的に期待してほしいと行っていたけれども、最近では前政権が出来なかったことをやった
そのことに意義があるなどと言い換えています。二枚舌もいいところや。

 こんなに借金まみれで財政の洗い直しをするのは当たり前のことや。そんなことを言っていることそのものがわれわれ商売人からすればズレている。パンツのゴムが緩んで尻が見える位にズレ下がっているのに気が付いていないのが悲しい。

 上のボス二人が揃いも揃って金にまみれて小沢氏はくじで選ばれた検察審査員全員から起訴相当と判断されている。そんな人間が政権の中枢にいる。
 そんな人間が国を思い民を思っていると言うことすら片腹痛い。国を思うのだったら直ぐに辞めよ。みんな自分は自分はと自尊心を目一杯持っているけれど優れた人は掃いて捨てるほどいますよ。
トップの両氏が辞めても日本はビリットも揺るぎません。これは両氏の責任だけでなく、こういう事態を黙して自分の身に火の子が降り注ぐのを避けている民主党の政治家も同罪です。
 煙が立て灰色の煙が立ち上れば自ら身を辞さなければ、どうして子供を教育していけるのですか。

 自ら辞めなければ次の参院選では民主党を大敗させて幹事長として責任を取らせます。
取らせます等と言いますと「あいつ阿呆と違うか」と思う人もいますが、その絶対の選択権は我々国民にあるこを忘れてはいけないという事です。

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2010年4月28日水曜日

花嫁衣裳



こんなに馬鹿のろけをしていたら皆さんに「いい加減にせい」と怒られそうですが、白無垢を御披露させて頂いた時に、写真が武庫殿から届いたら色打掛も御披露しますと宣告していましたので掲載させて頂きました。
 当初は白無垢だけの積りだったのですが、折角写真を撮るのですから「色打掛も着たいか」と聞きますと着たいという返答でしたので急遽着ることにしました。
衣裳と着付けとメイクは大阪丸福という、豊中に本社のある貸衣裳店です。
 
 私は若い時に映画や演劇の衣裳の仕事をしていました。結婚式の場面がある映画などでは、新しい衣裳を自社で買って調達するのは莫大な費用がかかりますので、そういう時は丸福さんに協力をして頂いて衣裳を借りていました。その時代からのお付き合いですからもう40年以上になります。
古い付き合いですから色打掛も着たいということですので宜しくお願いしますと言いますとオウナー自らこれがいいのと違うと選んでくれました。ご覧頂いてお分かり頂けると思いますが、白無垢も色打掛も最高の衣裳です。
品物は最高ですが値段は最低にしてくれました。知り合いは有りがたいですね。人間関係は日頃から大切にしておかなければいけませんね。
 私も長年きもの関係の仕事をして来まして様々な方々とのコネクションがございます。
その経験を活かせて自分たちだけが美味しい思いをするのではなくて、皆様方のお役に立てることもしなければと思っています。
 様々な事情があって結婚式を挙げていないという人も沢山おられると思います。
女性は幾つ何十になっても一度は花嫁衣裳を身に纏いたいというのが本音ではないかと思います。
そういう人がおられましたら奥様の為に是非写真だけは撮ってあげてください。二人だけで神社で挙式をすれば人を煩わせることはありません。新鮮な気持ちになっていいものですよ。
自分もやってみようかなぁーという人がいましたら相談してみてください。
安くて少しでも良い衣裳をお世話します。

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2010年4月27日火曜日

晩春の一服


           萌黄差し 池影に映える 平等院

4月26日平等院に藤を観賞に行きましたが少し早かったです。
花は見れませんでしたが国宝の仏像を沢山見れて心がなごみました。
仏像は静止している人の如く生きています。言葉は発しないけれど何かを言っています。
その前に佇む私達はその一瞬は自我を捨て素直になっています。
素直に成れる人は向上心を持っている証です。
悪事を考えている人間はそういう場所に行こうともしないでしょう。
幸せに成りたい、もっと向上したいと希望する人は時にはそういう場所で一瞬でも無我に成る事は大切ですね。

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2010年4月26日月曜日

介護と支援


 妻は重度の知能障害者支援センターで働いています。
以前は養護学校と言っていましたが最近は支援学校というように変わってきています。
 妻とは結婚をしてまだ1カ月ですから妻の仕事に付いては全く分かりません.
生徒は仲間と言うそうですが、重度の障害を持つ仲間はどの程度の理解があるか聞いてみました。
 好きな人、嫌いな人、優しい人、怖い人は分かるそうです。力関係も分かるそうで自分より弱い人には稀に苛めもあるそうです。そういう点ではよく分かっているそうですが支援が無ければ生活していけない事は確かだそうです。
 当たり前のことで馬鹿かと言われそうですが、支援という点に付いて言えば、施設に来れている障害者だけでなく、施設に来れない人も多数いるのではないかと言う事です。
 仲間と言うそうですが、仲間の中には大きな声で怒鳴り散らすこともあるし、暴れて暴力を振るう人もいると言う事ですから、その度合如何によっては施設へは入れない人もいるのではないかと申していました。
 受け入れる方としては何とか手の施せる人でないと支援が出来ないでしょうから、施設に入れてない人もいるのかもしれませんね。
 妻の仕事は最近になって24時間体制になりました。土・日祭日と平日組に分かれて24時間体制で支援するのです。
 それまでは仲間は土・日祭日は家に帰っていたのですが、親御さんが高齢になって来られていますので、親がいなくなった時の事を考えて、仲間をそういう環境に慣れさせておくことが必須だという判断からだそうです。
 仲間も家に帰る事を楽しみにしていたようで、親御さんも子供と過ごせるのを楽しみにされていたそうですが、両者共に寂しくなり中には「帰りたい」と泣く人もいるようです。先を考えれば仕方がないことではありますが寂しいですね。
 ところで皆様方はそういう仲間たちと自分とは違うと思っていませんか。何も違わない全く同じなのです。
 私達も社会と言う器の中で多くに人に支えられて生きています。支えられて生きているという点においては仲間も私達も何も変わりはありません。
 二十歳になればどんな人でも法律的には大人になりますが、私は真の大人か否かは、自分が支えられて生きている事が理解できているか否かで区別しています。
 自分も支えられて生きていることが分かれば、ハンディーを背負っている人には自分以上に支えてあげなければいけないことが分かると思います。
可哀相などと言う同情論ではなく、自分も支えられているのだから支援の必要な人には厚く篤く支えて行く、当然の理屈です。
 障害を抱えている人は勿論の事、懸命に頑張って来た高齢者に篤く厚く支援の出来ない我が国は駄目ですね。

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2010年4月23日金曜日

老いの結婚


結婚式の写真を撮りました。
 再婚で高齢ですから今更家族や友人知人を煩わせるのは悪いので、私は何もしなくても彼女と一緒になれただけで十分と思っていました。
 彼女も私と一緒になれるだけで十分満足ですと言ってくれていました。
彼女と一緒に暮らすことを決めて様々な話をしている中で、彼女は最初の結婚でも式などは挙げていないという事を聞きました。
 そのことを聞かされますと、女性は幾つ何十になっても一度は人並みにきちっと式を挙げたいのではないかと思いましたので、「式を挙げたいか]と彼女に聞きました。そうすると私が想像していたように「式を挙げたい」と彼女は言いましたので式を挙げることにいたしました。
 彼女は重度の知的障害者の支援の仕事をしていまして土・日・祝日は仕事で休めませんので式を挙げるとすると平日になります。平日ですと皆さんに来ていただくことが出来ませんので、式は神社で二人で挙式をして、写真も二人で撮りに行って披露宴は平日の夜に行うことにしました。
 その写真を先日撮りに行ってきました。
掲載の写真は西宮流の武庫殿が一緒に行って撮ってくれたものです。
私は若い時に結婚式を挙げましたがその時の記憶が全くないので、私も初めての花婿の写真撮りと同じで新鮮な気分でした。
この年ですから特別に緊張はしませんが大変新鮮で気持ちが引き締まる気分で、彼女の希望通りに進めて来たことが自分にとっても良い思い出となって良かったと思いました。
 お互いに年ですから嫁の方も白無垢はどうかなぁー、不細工にならないかなぁー、鬘は絶対に似合わないだろうと言って心配をしていたのですが、手前味噌で恐縮ですが良く似合っていました。
 折角写真を撮るのですから白無垢だけではなく色打掛も着たらということで、白無垢と色打掛と二組着装して写真を撮りました。
馬鹿馬鹿しくて見ておれないとお叱りを受けるかもしれませんが、武庫殿からSDカードを頂いたら色打掛の方も紹介します。
写真を撮ってもらって感じたことは、年老いてからでもこういうことは新鮮な気持ちになっていいものだなぁーということです。
 私もそうだったように、恐らく皆様方も若い時に写真を撮った時の気持ちは全く忘れてしまっているのではないかと思います。そこで銀婚式ウエディングでもう一度原点に帰って写真を撮り直してみては如何でしょうか。きっと様々な面でリフレッシュされると思います。
それから結婚式を挙げていないという人も少なくないと思いますが、そういう方々もお歳に関係なくぜひ写真を撮られては如何でしょうか。

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2010年4月22日木曜日

自分の命は自分で決めさせて


                 コデマリ

私の様な馬鹿者は苦労と努力を重ねて順風満帆に船を走らせているのに、ふと魔がさして進路を転換させて苦労という島に座礁させてしまいます。
 私も60歳で座礁させてしまいました。自業自得ではあるのですが、この年になって一からの出直しはしんどいです。蓄えも無いので不安で一杯です。
 そんな時に脳腫瘍を患い命がけの手術をしなければいけないはめに陥りました。独り住まいですから後遺症が残って目が見えない、手足が自由に動かせない、言語障害が生じてしゃべるのが不自由になればどうしょう。
娘はいるけれども娘には自分の生活と人生があるから頼れない。悲しいですね。こんな人は私だけでなく沢山いらっしゃると思います。

 それでも生きて行かなければいけない。いっそのこと手術の時に失敗して麻酔で眠ったままあの世に行けたらどんなに幸せなことか。「後遺症が残るようだってら、死んでも一切文句は言わないと誓約書を書くから先生そんな時は殺してや」と言いました。
そんなこと出来る筈もないのは分かっているけれども、それがその時の自分の一番の正直な気持ちでした。

 末期癌で苦しむだけ苦しんでいる。それも治るのだったら我慢をしなければいけませんが、治る見込みは絶望的、家族の者もあまりの苦しみ方にもう逝かせてやって欲しいと思っている。そんな状況でも無理やり生かされる。なんで自分の命は自分で決めさせてくれないのか。もういいから先生お願といえば犬猫のように簡単に安楽死出来るでしょうに。自分の命は自分で決めれるようにして欲しいです。

 年間三万人以上の人が自殺をしています。そういう人の大半は頑張れば生きていける人達だと思うのですが、自殺していく人の身辺には愛がないのですね。
愛してくれている人がいる。愛する人がいれば何とかしなければと頑張れるのですが、そういう愛を感じる人が存在しないから寂しくて虚しくて人生に終止符を打ちたくなってしまうのですね。
 縁あって一緒になった夫婦や家族の皆さん達は、苦しい立場に追い込まれた家族がいれば、愛で包み込んでやって欲しいですね。
 縁あって一緒になっても、運命を共にしようという愛を持続させている人が少なくなっているから自殺者する人が減らないのですね。

 今は自分も縁あって愛する人が出来ました。そういう人の出現で改めて愛の大切さをまた一つ学びました。
 お金があれば簡単に喜楽を手にすることが出来るので、人は経済、経済と経済重視に傾斜しているのですが、経済よりも愛が大切ですね。
 貧乏していても支え合って生きて行けばなんとか生活は出来る筈です。
 愛も無い、このさき生きていても人様に迷惑をかけるだけになれば安楽死させて欲しいですね。

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2010年4月18日日曜日

我が国の誇れる文化」


          八重桜 春の盛りに 際立ちて

 和倉温泉の加賀屋が台湾進出をするそうです。
加賀屋が日本古来の作法に則りおもてなしをしている。それが台湾の方々に大好評で、加賀屋を訪れる台湾の方が口コミで物凄く増えているそうです。
 台湾の方々の支持の多さに、このまま日本人の心をそのものまま持って行けば必ず成功するという確信のもとに台湾進出を決めたそうです。
 現地の人を採用しても着物を着せて、日本古来の旅館のもてなし方を指導して、日本の加賀屋のもてない方を変えないで経営すると言っておられました。

 日本には日本人が忘れている日本の素晴らしい文化があります。
外国人はそういう古来の日本の文化というものに大変な関心を示され、その素晴らしさに感嘆されます。
 日本人の勤勉さ優しさ真面目さ思い遣りや心配りは作法の原点ですから、外国人であっても本物に触れると、心が浄化されて心地よい気分になるのでしょう。

 例えば礼ですが、礼には立礼と座礼があります。
空手などでは吐く息の時が一番気が籠って力が出せますので、吐く息で攻撃をします。
100mの短距離では吐く息だけで一気に走りぬきます。一番力が入るからです。
 礼は吸う息で屈体をして、一番心の籠った吐く息だけ留めて、吸う息で体を起してきます。一番深く屈体をした時に心が籠るように吐く息だけ留めるのです。

 御飯を頂く時の作法も実に合理的な動きでまとめられています。全く無駄のない動きでまとめられていますので、それに慣れれば考えることなく手慣れ手慣れで最もスムーズにことが運べます。
何故そのように徹底した合理的な動きで纏められているのか。慣れれば作法に気をとらわれることなく進めて行けるからです。
 優秀な職人は次に何をするかを考えなくても進めて行く事ができます。その分気持ちにゆとりや余裕ができます。そのゆとりある心を器や食材や料理を作ってくれた人、また器や食材を与えてくれた自然の恵みに感謝を籠めて食事を頂く。そのために作法というものがあります。
 日本の古来からの作法は日本人の他者を思い遣る優しい心を形に表したものですから、外国人といえどもそれに触れれば心が伝わりますので、好評を得ているのだとおもいます。

 加賀屋は日本の加賀屋をそのまま持って行くと言われています。誠心誠意が凝縮された日本の作法という文化に誇りと自信を持っているのです。
 自分の国の文化に誇りと自信が持てなければ尊敬されません。この辺で西洋文化一辺倒になりかけているのにブレーキをかけて身辺を見直しては如何でしょうか。

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2010年4月15日木曜日

宗教と生き方


妻は生長の家という団体の信者と言えばいいのか、会員と言えばよいのか私にはよく分かりませんが入っているようです。
 そういう団体は皆の寄付と言えばいいのか、寄進と言えばいいのか、はたまた他の呼び名があるのかこれもわかりませんが、そういうものと雑誌や新聞を購入していただくことで成り立っている筈です。
 妻もいくばくかのお金を納金しているのかもしれませんが、そういう事実を目にしたことも無いし聞いたこともありませんし、こちらから尋ねた事もありません。

 以前に創価学会に入信している女性と付き合ったことがありますが、その女性は京都や奈良のお寺に散策に行っても門はくぐりますが絶対に手を合わせるということはしませんでした。

 哲学的に言えば、私たちは大自然の恵みが有って生きています。太陽の光があって、水があって、樹木があって、火があって私たちは生きれています。大自然は偉大であり、感謝の気持ちを捧げるとしたら先ず大自然の神々に捧げるべきだと思っています。
 そして自分が今ここに存在出来ているのは祖先と両親のお陰ですから、祖先という仏を大切に思い感謝を捧げることが次位だと思います。
 私はそのように思っていますので、何処の神社仏閣に行っても分け隔てなく礼を尽くすようにしています。

 以前に付き合っていた彼女にはそのように私の意見を述べてありましたので、創価学会の人達は普通は他宗の神社仏閣には行かないと聞いていましたが、彼女は一緒に行った時は門だけはくぐりました。しかし絶対に手を合わせることはしませんでした。
 一緒に行けば並んで手を合わせて拝みたいと思うのが普通でしょう。そういうことのない彼女にはそれは間違っているでという気持ちは何時も抱いていました。

 様々な宗教や団体があります。そこに参画してそれによって自己の心を浄化させてくれるのであれば悪いことではなく、むしろ良いことだとは思っていますが、自分の所だけはオンリーワンで正しいというような教えをする所は私はどうかと思います。

 人生の歩みは、人には優しく愛を持って接し、自分には厳しく、そして前向きに何かに取り組み社会貢献の度合いを高める生き方をする。どこの教えもそれが不変の教えではないでしょうか。そしてそういう生き方が出来れば自己の人生は必ず充実します。人生はそういう図式になっています。
 ところで我が妻は何処に行っても丁重に頭を垂れていますので好感が持てます。

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2010年4月13日火曜日

食事


豆ひじき
大豆は前日から水につけておく。
豆は煮立ってきたら灰汁を取って柔らかくなるまで煮る。
私流は塩少々と砂糖を入れてそしてほんだしを少々入れて煮ます。
干し椎茸も前日から水につけておく。
豆が柔らかくなったらひじきを水で戻す10分ぐらいで戻ります。
戻ったらこれも私流ですが水が綺麗になるまで何度も水を代えてひじきを洗う。
ひじきをざるに取って水を切ります。
出来たら椎茸を細く切ってひじきと一緒に油で炒める。
よく炒めたら豆を入れる。豆を入れたら醤油1.みりん1・酒1の割合でいれて、砂糖を入れて
そして土しょうがの下ろし汁を少し入れる。全体に調味料をからめて少し蒸煮する。水分を飛ばして最後にごま油を少しからませて出来上がり。
私は少し甘い目の味付けにします。
大変ヘルシーな一品です。豆を煮るのに時間がかかりますね。


私の朝食は行きつけの喫茶店のモーニングで済ませています。
朝から若い主婦層は来ていませんが、パートに出かける熟年層の馴染みの女性客は結構います。
その人たちの最も多い話題は今日の食事の事です。
「あんたとこ今日は何にするのん」「今日は内は出張でいないから有り物で簡単に済ませるねん」
「いいなぁー私の所も一週間ぐらい出張してくれたらいいのに」「毎日時間通りに帰ってこられたらしんどいよ」「ほんまやね」と話しています。
 あまりにも辛辣に厳しい批判をされるので、「そんな風になったのはどちらに原因があるの」と問いますと、異口同音に「そりゃ旦那や」と言われます。
 料理は愛です。愛している人に美味しいものを食べさせてやりたいと思うから、色々と苦心して料理を作ります。料理というものはそんなものです。
 多くの奥さん方は経済を旦那に依存しているから仕方なく義務感で作っておられるわけです。
主婦業だけでなく仕事というものは意気に感じて、また楽しんで行わなければしんどくて辛いです。
 一般的に奥様方は食事を楽しんで作くっているわけではないので、毎日毎日何にしようかな考えるだけでしんどいのです。
 女性の方は特に男の子は気になって放って置けないから、男の子に手がかかる間は子供のおこぼれで食事は満足に頂けますが、その子供も親元から巣立っていけば味気ない食卓になってしまわないか心配ですね。

 男性は男の仕事と比較すれば家事なんかどうてことないだろうと決めつけて、女性の仕事を軽視する傾向があります。軽視しているから労わりも感謝の気持ちも湧いてこないでやって当たり前と考えていますが、毎日毎日献立を考えて食事の支度をするのは大変苦労なのです。

 男の中には女性に働いてもらって家計を助けてもらっている人も少なくありません。そんな家庭でも女性は仕事を終えてから食事の買い物をして帰って食事の支度をする。男は料理は女が作るものと決めつけて何にも手伝わない。手伝わないだけでなく「お前の作ってくれるものは本当に美味しい」と褒めもしないし感謝もしない。それでは先で食卓が貧しくなっても仕方がないわね。食事は愛の象徴ですから。

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2010年4月11日日曜日

2010年4月9日金曜日

指導すること


医者も看板を掲げていますが患者募集とは書けません。患者募集とは書けませんが宣伝行為で有ることに変わりはありません。

 私が大阪できもの学院を設立しましたが2年目に経営的に苦しくなりましたので、教室を使用しない日に貸すことにしました。
 大阪の扇町線のメイン通りに面して目立つ場所にあるところでしたので、直ぐに書道の先生が借りたいとこられました。
「先生生徒募集の看板を掲げますと」聞きますと、書道は生徒募集は書きません。「書道」とだけ書きますと言われました。
その先生は60歳代の方で私は30代の青二才ですから、その先生は私に「あのね生徒募集と書きますとこちらから来て下さいとお願をすることになります。こちらからお願いをしておいて厳しく接することはできないでしょう」と諭すように私に言われました。
 それから私はずーと不審に思っています。
 露骨に生徒募集と書かなくても書道と表に掲げれば「ここでこういうことをしていますので来てくださいね」と宣伝していることに変わりはないのではないでしょうか。

 教えるということはどんなものでも同じですが戦いです。生徒に舐められたら責任と使命が果たせません。
 生徒達から貴重なお金と時間を頂戴しています。お金を頂いているからこそ厳しく接して生徒をぐんぐん引っ張って行く、それが先生の責任です。引っ張って行くと言ってもどれだけの人を引っ張っていけるかという%の問題です。どんなに頑張っても100%は無理です。

 厳しくしたら直ぐに辞めるからと優しくする先生がいますが、そういう先生は指導者としては失格で必ず失敗します。

 普通の学校でも勉強を他人事のように軽視している人は少なくありません。特にお稽古事なんか切羽詰まって来ている人はいません。そういう状況下で行っているわけですから自主性に任せておけば多くの人が行ったという事実だけが残るだけで、行ったけどやっぱり出来ないという結果に終わってしまいます。
そんな人は沢山いらっしゃると思います。
 そうならないようにするのが指導者の責任です。そのためには生徒募集の文言なんかは些細なことであって、そんなことよりもお金を頂いているからこそ、情熱と愛を持って厳しく接して行く事は肝要だと私は考えています。
書道の先生方の御意見を聞きたいですね。

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2010年4月6日火曜日

誤解から来る仲たがい


私には二人の妹がいます。上の妹夫婦は実に良く出来た夫婦で、夫婦の模範と言っても過言ではない存在で兄妹にも優しく気遣ってくれます。
 主人は今も現役で働いていますが、先日軽い脳梗塞になり目が少し霞むということで現在は休んでいます。
それまでに働きづめに働いてきましたので、症状は軽いのでちょうどいい骨休みだから旅行にでも行こうかということで先日広島の方に行きました。
 優しい二人ですから私に土産を買って来てくれました。
土産を買って来たので今から持って行ってやると電話がありました。私は高層の団地に住んでいて駐車場も有りませんので、バス停で待つことにしました。
 車から降りて挨拶させる形を取るのは申し訳ないから、窓を開けさせて体の具合を聞いたりして挨拶を済ませて、お土産を受け取って「有難うまた歌いにでも行こう。気付けて帰ってや」と挨拶をして車を行かせました。

 車を出してからも妹は手を振って見送りに応えてくれていたようですが、私は直ぐに踵を返して家の方に向かいました。
 幾日か経って妹から変わりないかという電話をしてきてくれました。その時に「この間土産を持って行った時に私は手を振っているのに直ぐに向こうを向いて行ってしまってあんたは冷淡や」と注意を受けました。
 その時に「そうやねこれから気をつけるわ」と謝りましたが、私は冷淡でそうしたわけではないのです。
 土産をわざわざ持って来てくれていますので、兄妹である妹には気を使わなくても旦那には気を使わなければいけません。
 旦那も優しい人ではありますが、こういう場合は通常は義理で来てくれています。だから用が済めば少しでも早くに返って頂くように気遣いをしなければいけません。
 私が何時までも手を振っていたらそれを知っていて車のスピードを上げて去るということはできません。そういう気を使わせずに直ぐにスピードを上げてその場から去って頂くように、私なりに気遣ったことなのです。

 若い時なら指摘をされて注意を受ければ言い返して、その結果気まずくなっていただろうと思いますが、今は「そうやね悪かったね」と聞き流せる年になりました。
 自己主張しても何の良いことも無い、災いにつながるだけの場合は沈黙は金ですね。

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2010年4月3日土曜日

結婚と女心


        伊豆諸島に多く自生しているところから大島桜という
        葉と花が同時に開く 葉は塩漬けして桜餅を包む

4月1日は年度代わりで覚え易いし、切りがいいので入籍をしに行ったことを前回書きました。

 この年ですから今更結婚という形を取らなくても、家族との絡みもあることですから気軽にお付き合いを続けて行けばいいのではないかという意見もありました。
 私の知り合いには出会い系で知り合って付き合っている人もいますが、今更結婚は煩わしいという人の方が多いです。

 結婚をして毎日顔を合わせていれば慣れと飽きでその内喧嘩もします。それが原因で嫌な気分になることもあるだろうから、お互いが合いたいと思う時にだけ逢うという付き合いの方が気が楽でいいという人の方が多いようです。
でもそれはお互いに都合の良い割り切った関係であって本当の愛ではないと思います。

 愛していれば幾つ何十になっても一緒にいたいと思いますし、真剣に相手の事を思い遣ってみたいというのが愛です。重たい関係ですがその重たいものを互いに背負っていくのが夫婦ではないでしょうか。お互いに重たい荷物を敢えて背負って二人で新たな旅立ちをしたい。そういうお互いの願いが合致したので結婚に踏み込みました

 初めて逢ったのが昨年の9月5日です。知り合って一カ月目に彼女は私と一緒になるために持ち家を売りに出してしまいました。因みにまだ売れていません。

 妻の4人の子供は結婚をしていますが、何か行事があったりお正月には全員家に集まって家族団欒の時を迎えるのが習慣になっていたようですから、子供たはその思い出の家が無くなるので寂しがっているのが私には分かります。それだけに申し訳なく気が重かったのですが、彼女はそういう事には関係なく、一緒になるための準備をドンドン進めています。それだけに絶対に幸せにしてやらなければと考えています。

 私は平成の元年に前の妻と別れていますが、直ぐに他の女性と結婚をするという気持ちは無かったので、子供たちが結婚をするまでは戸籍はそのままにしておきました。5年前にもういいのではないかと手紙を書いて送付し、市役所から離婚届けを受理した知らせがありました。本人からではありません。今更手紙で会話することも嫌だったのでしょう。

 私は現実には平成元年に家を出ましたので別れて22年です。別れて22年になると言っていたのですが、入籍の届けを出しに行った時に書類上では正式離婚は5年前になっていますので、また嘘を付いていたと妻から怒られてしまいました。又というのは付き合った時に年をごま化していたからです。
 何も嘘なんか付いていない。俺は気持ちの上では平成元年にけりをつけていると言ったのですが、彼女は紙が大事なのだと主張して譲りませんでした。
その辺の女心は男には理解できません。

2010年4月1日木曜日

入籍


 4月1日に切りがいいので其の日に入籍をします。
私達二人は出会い系のサイトで知り合った仲です。男女が絡む事件では出会い系が盛んに出てきますので、出会い系で知り合ったと言いますと軽蔑され勝ちです。
 悪事を企む人間にとっては出会い系は格好の餌食の場であることは確かです。それは否定できませんが、そんな人ばかりではありません。真面目な交際を望んでいる人も沢山います。

 そこそこの年になりますと出会いの場というものは極端にすくなくなります。いい人だなぁーと感じても其の人は既婚者であるか否かはわかりません。最近は独り身の人が多いといっても確かめようがありません。そういう状況で出会いを望んでいる人にとっては出会い系サイトは本当に有り難い存在なのです。
 出会い系はお互いを求めて登録をしているわけですが、各々に好みのタイプが有り、条件があり年齢も加味し、収入なども希望されている人がいますので、出会い系に登録をしていても簡単なようで実は出会いは大変難しいというのが現実です。

 私などは高齢でしかも現役を退いて収入も無く、僅かな年金のみで、おまけに蓄えも無いという身ですから難しいのは当然です。
 そんな悪条件な私なのに付きあってもいいという人が現れました。
長年苦労をして来た二人ですからお金は大切であることは十分分かっています。分かっていますが我々の様に終焉がはっきりと見えて来ている人間には、お金よりも二人仲良く楽しく暮らして行くことの方が大切です。そういう点で意見が合致し、二人で支えあって行けば、独りで暮らすよりかは経済的にも楽ですし、楽しく暮らせるのではないかと彼女が言ってくれましたので、一緒に暮らすことに決めました。

 10歳も年下で私の為にこれからも働いて助けてくれると言ってくれています。彼女は天女の化身です。これまでに必死で頑張って生きてきた私に神が彼女を私の所に遣わせたのです。
 彼女は10歳を頭に4人の子供がいる時に離婚をして子供を立派に育てて来ています。物凄く苦労をして来た人ですから、最後に俺が幸せにします。
これからのろけで妻の事を書くかもしれません。その時は許してね。

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