2009年7月30日木曜日

皆が厳選すれば世の中は良くなる



                 夏の間は チョットお休み 着付道   

最近の美容室はカット・パーマだけで着付けやセットをしない所が多数あります。 そんな所でも顧客に頼まれれば断れませんので、着付けは私の所に下請けに出して、セットだけ自分のところでするところもあります。

 通常はセットをして着付けるというのが順序ですから、セットが出来上がる時間を見計らって店に行きます。見ればもう少しで出来上がりというところまできているのですが、それから毛先の始末に戸惑って30分も待つということがあります。 その点、大阪の新地の女性たちが頻繁に出入りする美容院では、イメージが出来上がればアットいう間に仕上げてしまいます。

 これは着付けでも同じです。下手な者は時間が掛かる割には出来上がりが悪くて直ぐに崩れてきます。 何を意味しているかといえば、技能と仕上げる時間は比例しているということです。

 最近は本物が少なくなりました。自分の技量がどの程度なのか客観的に自分を見つめることが出来ないのです。 昔は美容。理容の世界でも弟子入りをしてじゅっくりと技量を磨く。親方から認証されなければ一人前の職人として仕事ができなかった。自分を厳しく査定してくれる人がいたのですが、最近は専門学校を卒業すればすぐに開業する人も少なくありません。 そんな時代ですから、利用する側が厳しく選択して行かなければいけないと思います。厳しく選択して行けばもっと世の中は良くなるとおもいます。

 そのためには本物とはどういうものかを判別できなければいけません。自分のことで恐縮ですが、例えば着付でしたら私が着せる時間と遜色のない時間で着せれば一人前でしょう。 そういう事を実際に見て頂くことがお役に立てることの一つではないかと西宮流では有名な武庫殿と意見が合致し、私の着付けている姿をユーチューブにアップしてくれることになりました。 この年になって自分は自慢しようと思っていません。一人前とはこういうものだという参考にして頂ければ幸いです。Googleで「着付け名人と寿々のタイム着付け」を入力して検索した頂ければ見れます。ぜひ一度見て下さい。 

2009年7月27日月曜日

女優の離婚



                     朝顔の 笑う笑顔に 癒されて  

私は芸能界で仕事をしたことがありますので、幕内のことは皆様方よりも少しは分かります。

 離婚をする場合は、芸能人も一般の方も同じで、男性の浮気がNo1でしょう。次に経済ですか。お酒は経済や暴力に繋がらなければ、大きな原因にはなり難いでしょう。

 女優さんの場合は一般の女性とは異なった理由があります。名声のある女優さんであれば、当然のことながら経済的にも一般の人のように男性に頼る必要がありません。

 そういう立場ですから結婚をしないで一人でやっていけばよいのですが、好きな人が出来れば何時も一緒にいたいので結婚をします。 好きな人のために尽くして上げたいので女優を一時辞めてしまう人もいます。 様々な人間模様を描く仕事をしていて、愛は永遠不滅のものでない。そんなことは分かっているはずなのに、それだけ愛は偉大で、女優も一般人も愛の前では何も変わらないということでしょう。 好きになれば仕事を投げ捨てても尽くしてあげたくなるのですが、その内に恋愛感情は消え去って一緒にいてもときめかなくなります。

 女優さんは一般の人と違って仕事の愉しみ、ときめきを知っています。知っているだけに一緒にいてもときめかなくなりますと、仕事に復帰したいと思うようになります。 女優さんと一緒になるような人は経済力のある人ですから、家にいてほしいと希望します。

 人は連れ合いのために結婚をし生活しているわけではありません。自己の人生の充実の一環として結婚をするわけですから、一緒にいてもときめきを感じなくなれば、より大きなときめきを感じる仕事に復帰したいと考えるのは当然のことです。

 男は特に経済力があれば自分のために尽くし家庭を守っていくのが良妻賢母であると思っている人がおおいのですが、それは男性側のエゴです。 男も女も自己の人生の充実が生きていく目的で、一般の女性は男性よりも仕事の方が生甲斐であるというものを有していないから、理解が出来ないかもしれませんが、女優さんの選択は当然の欲求です。そういう事が発端で二人の間に溝ができで離婚に発展していくというケースも少なくありません。

 あまり自分のことばかりを考えていると、年老いてから淋しい人生を過ごすことになってしまうかもしれませんが、そうい意味での離婚の選択は理に適っていて、むしろ男性側に理解が不足しているように思います。 理に適って自己の人生の充実を追及していく。その結果として離婚をしてしまう悲しいですね。

2009年7月26日日曜日

檜扇(ひおうぎ=緋扇)について











扇には檜の薄板で作った檜扇(ひおうぎ=緋扇)と、蝙蝠(かわほり)と言って竹・木・鉄などを骨にし  た扇があります。 
 扇を手に持つのは奈良時代から正装時の構成の一つに数えられていて、奈良時代・平安時代前期には上記の絵にあるように團扇(だんせん)と言ってうちわ状のものを持っていました。 
平安時代中期以降は唐衣裳(十二単)が実質的には正装になります。正装の時は容儀を整えるために檜扇をもつのが定めになりました。
 扇には正装の時に持つ檜扇と衵扇(あこめおうぎ)とがあります。衣冠や直衣の時は橋数の少ない衵扇をもちます。
 また普段の時は絵にある五本骨の扇を持ちます。後に中浮(ぼんぼり)または中啓(ちゅうけい)というものに変わります。
 檜扇は男子は衵扇共に無地ですが、女子の扇は檜扇・衵扇共に極彩色に描かれています。 女子の檜扇は男児の橋数よりも多く三十九橋で、霞・雲形・桐・鳳凰・梅・竹・松・尾長鳥などが色鮮やかに描かれていますので、女性の檜扇は緋扇と呼ばれるようになったものと思われます。
 正装の時には容儀を整えるために扇を持つのは習わしです。現在も留袖の時には左胸の位置で帯に扇を差し込んでおきますが、あれはそのままに差しておくだけでなく、御挨拶の時には扇を必ず持って御挨拶をするためにありますので、そのことを忘れないで下さい。




2009年7月20日月曜日

人は何故苦労を買って出るのか



       上図はマズロー博士の欲求の5段階説です。

 混沌とした状況の下では食べる、寝る、性交などの生理的欲求を先ず実現させたいと思います。


弱肉強食の言葉の如く、動物の世界では常に生命が危険にさらされていますので、生理的欲求が実現できれば次に安全で安らかに暮らしたいという欲求が生じます。 


人という文字は、人と人とが支え合った形だと言われています。その文字の如く人は社会という人の群れの中でお互いに支え合って生きていますので、安全が確保出来ると自分も社会に帰属して生きたいと思うようになります。 


そこまではほとんどの人が実現させますが、それでは満足できないで自分は皆から抜きん出た存在になりたい。即ち自我の欲求を実現させたいと思う人が出てきます。 


そして最後は、サラーリーマンはその部署や組織の中でトップに成りたい。政治家は皆さん大臣になりたいと希望しているように、自分は一番注目される存在になりたいと自己実現の欲求が生じます。 


 この5段階説は人の意欲、欲望と置き換えてもよい心理を実に的確に説明しています。まさにその通りです。 この5段階説では3段階まではほとんどの人が実現させます。とこらが三角形の上に行くほど先窄みになっているのと同様に、四段階の自我の欲求を実現させる人は急激に少なくなります。


 それは自分が他者よりも優れた知識や能力を所有していなければいけないからです。 人よりも優れたものを身につけるにはそれだけの苦労と努力が伴いますので、苦労や努力が嫌な人の方が多いから当然です。それでも4段階に進みたいと苦労を買って出人がいる。それは何故か。そこが重要です。 4段階の自我の欲求を実現させることが出来れば、生甲斐のある充実した人生を送れるという大きな褒美が貰えるからです。


 四段階を実現出来れば、苦労を厭わず手に入れたものですから、仕事をしていても苦にならず、楽しみに変わっていきます。即ち、永続性のある楽しみに変わって行きますので、充実した人生が送れます。


 人生を充実させるには楽しみがネックで、その楽しみは永続性のあるものでなければ人生を大きく充実させることが出来ないと言ってきましたが、マゾロー博士の5段階説はそのことを証明しています。


2009年7月19日日曜日

記念の日になるか選挙


バラのよに 香り豊かな 国になれ
 いよいよ選挙です。変革の始まりになるか。なって欲しいと私は念じています。
 麻生総理は国民に安心を与える自民党などと言っておられますが、政治の根本目的は国民が安心して暮らせる平和で豊かな社会の構築であって、今さら安心なんて何を言っているのかと拙さを感じてしまいます。
 平和で豊かな社会を構築し持続させて行くにはどういう道を選択すべきかが政治家の仕事なのです。 そのためには経済が中心になってしまいますので、お金を何に優先的に使って行くかが具体的な仕事でしょう。
 二言目には財源がと言っていますが、確かなビジョンを持って、それを国民が納得し支持すればお金なんかどうにでもなるでしょう。
 確かなビジョンもなくその場だけを取り繕うような政治ばかりを見せられていますので、国民はお金を出すのを渋って貯蓄にまわすのです。 真面目に60歳まで働いた者には老後は最低の生活を保障し、医療も心配なければ国民は金融資産を1410兆円も持っているのですから出すでしょう。
 所得税や消費税がいくらになっても将来に対して何の心配もない社会を構築してくれれば、国民は納得してお金はだします。国民が保有する1400兆のお金を使ってもらえるようにしなければ、間違っても内需は拡大しません。そのためには将来に対して心配のない社会を構築しなければ無理でしょう。
 国民にお金を出して貰おうと思えば政治家自らが徹底した行革を行わなければ虫がよすぎるでしょう。何故こんな簡単なことがわからないのか。 ばらまきではなく確かなビジョンを持って確実にそれに向かって突き進んで行く。そのためには幕末の志士たちのように自分の命は惜しまないという覚悟で政治を行って欲しい。
今度政権が変わったとして、同じことを見せられれば国民は失意のどん底に陥ってしまうでしょう。民主党の責任は大変重いのです。政権を取ることばかりに終始しないで必ずや希望の持てる社会を構築して欲しいです。
 有する者は放置しておいても生きていけます。底辺の者は放置すれば死んでしまいます。それを思えばもっと底辺に的を当てた政治が必要ではないでしょうか。豊かな者は貧しい人の力を得て豊かさを保っていけてることを忘れてはいけないと思います。将来の生活のためにコツコツをお金をためなくても、最低限度の生活が出来るようにしてほしい。これを政治の原点にして欲しいです。

2009年7月18日土曜日

2009年7月17日金曜日

永続性のある楽しみ

人間は自己顕示欲の強い動物ですから、自己の存在を承認してもらえることが何よりも大きな楽しみになります。 
 他者から自分の存在を承認してもらったという経験のない人は、お金や愛によって得られる喜楽が唯一の楽しみだと思っておられる方が多いので、理解し難いところがあると思いますが、これは真理ですから理解してください。 
 人生を充実したものにするには刹那的に消え去る楽しみよりも、永続性のある楽しみを所持しておかなければいけません。 他者から承認される喜楽は永続性のある楽しみに繋がります。最も身近なところで例をあげますとブログの書き込みです。 
 ブログ書き込みは自己顕示欲の最たる行為です。誰にも頼のまれたわけではありません。誰もお願いしたものではなく期待しているわけでもありません。 
 厚かましく、制服のお仕着せのように、勝手に押し付けで書き込んでいます。考えれば厚顔なる行為です。 だからこそ絶対に他者の悪口を書いてはいけません。
 そのことさえ弁えていれば、見る方に絶対の選択権があるのですから、嫌なら見なければいいのですから、そういう意味では押し付けであっても許していただけるでしょう。 
 ブログというのはその程度のもので、自分ごとき者が書き込んだものが人さまの役に立っているとは思っていませんが、書き込みを始めて幾人かの人が見てくれているということが分かると嬉しくなります。 
 その数が増えてくるともっと多くの人に見て頂きたいという欲が出てきます。マズロー博士が言う自我の欲求の承認です。 
 これには多少の勉強や努力が必要ですが、承認の欲求の実現が伴っていますので、努力が苦ではなく楽しんで行えるようになります。 
 あくまでも自己満足に終始していることなのかもしれませんが、自分を選択し自分につないでくれるという、人間の絡みがそこに現実としてありますので、楽しみの一つとなって行くことは確かです。 
 そうい楽しみは自分の心がけと少しの努力で続けて行くことが出来ますので永続性のある楽しみの一つに生育して行きます。
 永続性のある楽しみは様々にありますが、ブログもその一つになり得ます。

asita

2009年7月14日火曜日

馬鹿が歌っています

                 着付け名人です暑中見舞いにお歌を  

 ブログにも書きましたが先日カラオケの発表会の構成と脚本を頼まれました。 
 その後御苦労さん会に招かれて、その席で歌ったのを西宮流では有名な武庫殿がユーチューブにアップしてくれました。
 暇な時に馬鹿な男のざれ歌を聞いてやってください。ユーチューブを開いて「100made]を入力してくださいますと2ページにあります。

2009年7月13日月曜日

楽しく生きる

 生きて行く究極の目的は自己の人生の充実です。喜楽には刹那的に消えさるものと、心掛け次第では永続するものとがあります。人生を充実させるには永続性のある喜楽とはどういう事かの先ず理解が必要です。 
 多くの人は「お金と愛」が喜楽のすべてだと思っています。これは経験のない人には理解し難いかもしれませが、お金は儲けるという面で永続性のある喜楽が得られます。 
 使う事によって得られる楽しみは刹那的です。刹那的ですから、それしか知らない者には「いたちごっこ」になってしまって、最後は虚しさだけが残ってしまいます。 
 男女愛は何時まで経っても連れ合いは大切な存在に変わりはありませんが、結婚をして10年も経てば連れ合いと一緒にいることが生甲斐、楽しいという人は皆無です。 
 子供は可愛い存在です。親にとっては生甲斐の一つであることは間違いのない事実ですが、それも子供が大きくなれば友達や恋人の方が良くなって親元から巣立っていきます。そんなものに何時までも縋っていては人生を充実させることはできません。 
 お金も駄目。愛も駄目だったら他に何か大きな喜楽に繋がるものはあるのですか、私にはそれが分らないという人がいます。 
あるのですよ。
 人はどういう状態になった時に一番大きな喜楽を得られるかを考えてみてください。 
 人は物凄く自己顕示欲の強い動物です。自分は賢い、自分の考えは正しいと思っておられる人が沢山います。それは自己顕示欲の強さを象徴しています。 
 人は自己顕示欲の強い動物ですから、他者から自分の存在価値を承認され賞賛されることが一番楽しいのです。
  自分は賢いと自負心を持っていても何にもなりません。自分の価値は自分んで決めるものではありません。人が決めてくれるものですから、あの人は賢い。あの人は素晴らしい。あの人は偉い。あの人は凄いと他者から賞賛されるようにならなければいけません。他者から称賛されることが一番の喜楽であることを理解し、理解出来たならば人から賞賛されることを長く保てるようにすれば、永続性のある喜楽が得られます。 
 私の言っていることは真理なのですが、こういうことは自身で心のときめきを経験しなければ理解ができません。実感出来ていなければ理解が物凄く難しいのです。ブログは文字数に制限がありますので、次はもっと具体的に永続性のある喜楽に付いた述べます。

2009年7月10日金曜日

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2009年7月9日木曜日

俳句誰でも投稿欄

俳句誰でも投稿欄
上手、下手関けなく、世界に一つしかない作品を掲載するコーナーです。
皆様方の作品をどしどしコメントのコーナーに投稿してください、本ページに掲載いたします。

エッセイ爺の独り語

エッセイ爺の独り語
エッセイ爺の独り語は長年きもの学院の学院長を勤めて来た
経験から、主に心の在り方に付いて記してあります。

着物よもやま話

着物よもやま話
着物よもやま話は資料としてでなく、様々な話題性を含めて記載したいます。
一度是非つないで御拝読くださいませ。

2009年7月6日月曜日

ある女の芽生え

  上記の女性はカラオケ喫茶のママです。カラオケ店を開業して7年になります。3周年の時に一度店主催の発表会を行っています。 
 その時は主人もいました(その後離婚)し、また店の常連から発表会を行なえと進言されて行ったものですから、店の常連の人達が積極的に手伝ってくれてママはあまり苦労することなく終えています。
 今年は7周年の節目(昔から陽の3・5・7はお目出度い年と考える習慣がある)ですから発表会を行うことを決めたそうです。 
 3周年の時にやってくれた司会者はおしゃべり上手ですからその人に任せて、自分は最後に少し挨拶をすればそれで済むと考えて、行うことを最初は決断していました。
 ところがその司会者も店のお客様で、その司会者を嫌う人達がいて、その司会者を使う事にクレームがつきました。
 店にとってはどちらも大切なお客さんです。どちらの言い分を聞き入れるということもできません。
 その上に店には全く関係のないお客様同志のいがみ合いという、店にとってはマイナスになることもしばしば生じていますので、そういう事も払拭したいので、どういうやり方がいいかという相談を受けました。
 そういう煩わしさを払拭するには、お客様には一切手伝ってもらわないようにして、ママが中心で何事も仕切らないけない。教えるから頑張りなさいということになりました。 今までの司会者には丁重に断って、最初と最後の締めは自分でやる。そして要所要所ではママが出て行って挨拶やら紹介をすれば、後はナレーションでいい構成になるから、その線で行こうということになりました。
 決断はしたものの人前でしゃべるのが大の苦手のママにとっては、大きな難題を背負うことになりました。
 人は「そんなものぐらい、その気になったら」とよく言いますが、おしゃべりはそんなに簡単ではありません。
 それを克服するには私の作った台本通りに練習をする以外に解決の方法はありません。自分は主役になって頑張らなければいけませんので、歌を歌う時の振り付けや、裏の仕事の手配やらと大変です。
 ママにとっては生まれて初めての大きな試練です。逃げられない頑張る以外に選択の道はありませんが、よく頑張りました。 本番当日は全てを仕切って、挨拶も歌もとちることなく素敵にというわけにはいきませんが、第三者からみればスマートにやり遂げました。 終わってから私のところにお礼の電話がありましたが、達成感で胸が一杯という感じでした。  楽しみは無数にあります。無数にある楽しみの中で何が一番の喜楽になるかということです。
 自分の存在をアピールして、人から自分の存在価値を承認される喜楽にまさるものはありません。そういう楽しみは自分の心がけ次第で永続性のある喜楽となっていきます。
 そのことを分かって頂きたくて「ある女の芽生え」というタイトルで紹介させて頂きました。
 ママも初めて真の喜楽とはどんなものかを、勉強出来たのではないでしょうか。この経験と心のときめきを大切にして、今後大きく羽ばたいて頂きたいものです。
 ママの頑張っている姿はユーチューブを開いて「100made]を打ち込んで検索して頂ければ見れますので、一度見て上げてください。2ページ目です。

2009年7月5日日曜日

生きる目的を見直そう

                     幸あれと 親の願いや 袖の丈  

 般若心経の中に「色即是空」という言葉がありますが、それが教理の基本だと言われています。 空(くう)というのは「から」「なにもない」という意味でなく、「こだわるな」という教えです。 

 人は欲望が強いので様々なことにこだわります。そのこだわりがあざとなって悩みや苦しみが生じます。 だからといって仏教の教えのように煩悩を断ち切って彼岸に達するというようなことは我々凡人にはできません。 人は欲望の渦巻く此岸(しがん)でしか生きていくことはできません。出来ないからこそ、少しでも良い人生を歩むには確かな論理を承知しておくことが大切です。 論理というのは人生哲学です。人は希望通りの人生はなかなか歩めません。悩みや苦労が多いのが人生なのですが、理屈を理解しておれば自己の心を自制したり、浄化したりすることは可能になります。思うような人生は歩めないもので、それは仕方がないとして納得できる人生だけは歩みたいものです。 

 名前は忘れてしまいましたが、ある数学者の先生が、身の回りの一つ一つの事柄を哲学的にきちっと理解して置くことで人生の展望が開けるとおっしゃっています。全くその通りだと思います。 

 人は自分は賢しこく何でも分かっていると思っておられますが、例えば捨てるほど衣服を持っているのに新しい服を見ると欲しくなって買ってしまいます。「何故買ってしまうのでしょう」と、改めて聞かれると即答できる人は稀にしかいません。多くの人が答えられないというのが現実です。 全ての人は一度しかない人生ですから、有意義に充実した人生を歩みたいと希望しています。希望していながら人生は何を目的に生きているかを尋ねますと答えられない人がほとんどです。 答えられないけど、人生を充実したいと強く思っている。その上に人間は欲望の強い動物ですから尚更に迷いの世界に入っていってしまいます。 

 どんなに勉強をしても人間は悩み苦しの世界から脱することはできませんが、確かな人生哲学の理解があれば、悩みや迷いを減少させることはできますので、生きている限りは真面目に前向きに人生について考えることが重要です。 豊かになって贅沢を知ってしまったがために、真面目に人生について考える人が少なくなっていますが、時代はどう変わろうとも人間の生きていく目的は不変です。 不変であることが分かっておられない人が増えてきていますので、もう一度原点に返って人は「何を目的に生きているか」を見つめ直して欲しいなと何時も思っています。

2009年7月4日土曜日

終着駅は心の駅

                   雨降って 艶やかさます アジサイ花

 遊びの中で老弱男女を問わず憧れに近いものを持っているものといえば旅行ではないでしょうか。
その旅行は何のためにするのでしょうか。 
 多くの人はタンスを開ければ、もうそれ以上買わなくても困ることはないというほど衣類を持っておられます。 それでも新しい服を見れば欲しくなって、中にはクレジットで借金までして買う人がいます。何のためにそこまでするのでしょうか。  
 自分は今は独り身ですから、独りで旅行をしても面白くないのでしませんが、恋人や家族で行く旅行ほど楽しいものはありません。  
 衣服の役割は文化人として社会から逸脱した存在にならないためという目的もあるのですが、そういう観点から衣服の必要性を考えれば、もう十分に皆さん持っておられます。それでも買うのは新しい服でお洒落をすれば楽しいからです。  
 自分はなんとしてもミュージシャンになりたいと希望する人がいます。そういう人は成りたいという気持ちが強いために、成ることが終極の目的だと思ってしまう人がいます。そのように考える人は少なくありません。 何のためにそんなに強い気持ちでミュージシャンになりたいのか。オリンピックに出場して世界一になった人は、その場では「最高にしあわせ」と雄叫びをあげます。しかし後で冷静になってインタビューをしますとオリンピックで優勝することは人生のすべてではないと答えられます。 そうなんです。全ての物事は喜楽を得るための手段であって、終着駅は目に見えない心の駅なのです。  
 仏教では目で見て手に触れることのできる全てを色(しき)と言います。般若心経に色即是空というのがありますが、その色です。 お金は勿論のこと全ての色は喜楽につながる手段です。色によって喜楽が得られ~喜楽が得られれば心が潤い良い心地になる~良い心地になれば幸せ感や充実感を得られるというメカニズムになっています。 
 その方式が分かれば人生にとってネックとなるのは喜楽であることが判然とします。 その喜楽は一定のものなのかといえば、そうではありません。大小長短様々な大きさをしています。 人は誰もが充実した日々を過ごしたいと熱望しています。皆さんそのような願望を抱いているわけですから、喜楽は一定ではなく大小長短様々に存在することを知って、充実した人生を送るためには大きくて長い喜楽を掴まえることに努めなければいけません。 大きくて長い喜楽とはどういうものなのか。その理解によって人生の中身が決まります。

2009年7月2日木曜日

映画の主人公のようになるな



 幸せということに付いて以前に記しました時に「幸せは人のかずほどある」「幸せの感じ方は人それぞれに異なる」というコメントを頂戴しました・ 喜楽が生じれば~心が潤い良い心地になる~良い心地になれば幸せ感や充実感を覚えるというメカニズムになっていますので、喜楽=幸せ と解釈しておられる方がいます。 

コメントを下さった方もそのように解釈されて「幸せは人の数ほどある」と言われておられるのだと思います。 先日「買い物中毒な私」という映画を見ました。面白く楽しく描きながら「そんな楽しみで本当の幸せが手に入りますか」という今の世相を風刺した映画でした。 主人公は「買い物をすれば楽しくて幸せな気持ちになれるから」「でもその幸せは直ぐに消滅してしまうから、幸せな気分になりたいから直ぐに買ってしまうのです」と言っています。 

そうなんです。買い物をしたり、チョットリッチな食事をしたり、旅行したりという楽しみは、その時は楽しいのですが刹那的で直ぐに消滅します。 映画の主人公のように直ぐに消滅してしまうので、またすぐに次の欲求が募ります。それが直ぐに実現すればいいのですが、一般的には時間と経済に限りがありますので、直ぐには実現できないのが現実で辛抱や我慢をしなければいけません。我慢が出来なければ映画の主人公のようにクレジット地獄に落ち込んでしまいます。現実にそういう人が多いのでそういう映画ができたのでしょう。 次の要求が湧いても我慢しなければいけない、その上に従事している仕事が食べるために仕方なくやっているという人も少なくないので、面白くない日が続きます。 楽しみは刹那的に消え去ってしまい、我慢や辛抱をしなければいけない時間の方がはるかに長い。そんな生活で幸せな人生といえるでしょうか。 幸せという言葉の解釈は様々な場面によってことなりますが、刹那的に消え去ってしまうような幸せや楽しみに付いて語っても仕方がありません。 

人生で大切なことは、生涯に渡って幸せ感や充実感を持って生きていくにはどうあるべきかとい事です。 そういう観点からすれば「幸せは人の数ほどある」というのは間違っています。 各々に行う道は幾筋もあります。しかし、どんな道を歩んでも行っていることが永続性のある喜楽につながらなければ、生涯を通して活き活きとした人生を歩むことはできないという点では一つなのです。 若い人は目先の喜楽ばかりを追い求めるというところがあります。それは致し方のない部分ですから年長者の親が確かな見識をもって幸せ感について説いて上げなければいけません。 説いて上げなければいけない大人が喜楽に付いての検証が出来ていない人が多いのです。