2010年12月31日金曜日

黒豆


平成元年に前妻と離婚して21年独り住まいでした。
最近はお正月と言っても全く風情がなくなりました。
せめておせち料理ぐらいは作ってお正月らしいことをしなければけじめがつかないと思い、毎年年末の30日から31日にかけておせち料理をつくってきました。
ところが黒豆は作り方がわからなかったので作ったことがありませんでしたが、3年ほど前から作るようになりました。
 今年も勿論作りましたが昨年は、豆にしわが出来て失敗でしたが今年はきれいに美味しくできました。
黒豆は煮ている時に少しでも空気に触れるとしわが出来てしまいますのでそこが難しいところです。
丹波の黒豆は高いもう少し安くなれ。

2010年12月30日木曜日

年末


 寒空に 希望に光る まめの月

 いよいよ押し詰まってきてテレビでは今年の大きな事故、事件をランキングして流している、
その中で感動的なのは何といってもチリ鉱山の救出劇だ。
救出された時に妻が夫に抱きついて喜び合う。
テレビでは夫の方が家族を見つけて歩み寄って抱き合うとシーンがおおかったように思う。
抱き合う形は皆同じだ。どんなに嬉しかったことでしょう。
しかし妻ではなく恋人であった人もいる。そして妻は嬉しさのあまりに泣きながら夫に飛びついて行って喜びを表現するのかと思えば意外に冷静なように思えた。
生存していることが判明し手紙等の交信が出来ていたからかもしれない。
生還してきたシーンを見ていて印象的なのは妻よりも子供たちの歓喜の表情でした。
子供は親が全てですから妻たちよりも心配をしていたのかもしれない。
あの子供たちの歓喜の表情を見ていると子供たちを虐待する親が腹立たしい。

2010年12月29日水曜日

大掃除


大掃除と言いましても2DKの狭い住まいですから特別に掃除しなければいけないこともありません。
結婚してから食事は私が作りますが掃除や洗濯はしてくれていますので、年末だからと言って特別に大掃除をしなければいけないほどの汚れもありません。
台所の換気扇だけです。ここは男の出番の所ですからやりました。
油汚れは苛性ソーダーの液につけておけばきれいに取れます。
または重曹と台所の中性洗剤とお酢を混ぜたものが油汚れはよく落ちます。

 私は最近は洗濯屋に洗濯物を出したことがありません。
例えば夏の上布のきものです。大きなシミが付いてしまって京都にしみ抜きに出したのですが、しみが取れないという事で返ってきました。
そのままでは着れないので、着れないのであれば失敗してもいいと思いワイドハイターに着物をきれいに畳んだままで一晩浸けておきました。そうするとしみ抜き屋に出して取れなかったシミが見事にとれていました。
 それで水洗いをして最後にキーピングで糊付をして干しておきますと見事に新しいものによみがえりました。
それからは油以外の汚れ物は一晩ハイターに浸けておいてから洗濯するようにしています。そうするとシミが取れてきれいになります。
 油汚れの場合はハイターでは取れません。重曹と中性洗剤と酢をミックスした液を作ります。汚れた部分に汚れを移す布を敷いておいて、歯ブラシの古いものを液に浸してこすらないで上からたたくようにして、汚れを下の布に移します。その作業をすれば大抵は取れますので、取れればハイターに浸けて一晩おいてから洗います。
これは私からの提案ですが、高価なものですがシミがあるために着れないという物があるとします。そのままでは着れないのであれば駄目でもともとですから一度試みてください。もし汚れが取れれば、それから高価なものは仕上げのために洗濯屋に出せばよいと思います。洗濯屋では落ちないシミがあります。

2010年12月28日火曜日

ゆりかもめ



ゆりこもめ 右へ倣えで 一休み

2010年12月26日日曜日

我が家のクリスマス



クリスマスケーキとなりますと子供たちが幼い頃によく買ったことがありますが、それ以来の我が家への到来です。子供によく買った時代には1500円も出せば大きなケーキが買えましたが、こんな小さなケーキでも3000円もします。
ケーキにローソクを立てて妻とワインで乾杯して頂きました。
 その前に久しぶりのヘレのステーキを戴きましたので、これ以上食べたら肥えると叫んでいましたが、きっちり頂きました。とにかくケーキも肉も美味しかったです。
 
 肉はバターを溶かせて低温でニンニクを炒めて香りをバターに移して塩と胡椒で味付けをして赤ワインで蒸すやりかたです。久しぶりに贅沢に良いヘレ肉でしたので美味しかったです。
こんなことは何処の家庭でもやっていることですからわざわざ記することでもないのですが、22年振りの我が家でのクリスマスですからごめんね。

2010年12月25日土曜日

男の料理 胡瓜と生わかめ



胡瓜を乱切りにして塩をまぶしておきます。
生わかめを水洗いしてよく水切りをします。
甘酢をつくります。砂糖多量に塩少々です。砂糖は全てかんです。甘みが勝っている方が誰もが戴けますので味付けはベストです。
私は酢を買う時は大きい容量の分を買ってきて一度にそれを甘酢にして日持ちがしますのでおいておきます。そうすればいつでも簡単に酢の物が作れます。
胡瓜は少しすると水分が出てきますのできれいに洗ってまぶした塩気をとります。
そうしたらキッチンペーパーで水分を取って器にわかめとキュウーリを入れて甘酢を入れれば出来上がりです。

煮魚もよくします。鯖やサンマ骨ごと頂ける缶詰のように煮るのは得意です。
煮魚に酢の物そしてみそ汁でもあれば最高にヘルシーな夕食です。

男の料理

2010年12月24日金曜日

クリスマスイブ




今日はクリスマスイブですね。楽しいですか。この年になると「そんなものいらんね」となりますが今年は久しぶりに楽しいイブになりそうです。
外に食事でも行こうかと話していたのですが、妻が朝に帰ってきて明日からまた二日間の泊りの仕事になりますので、二人でケーキを食べて、外食したつもりになればステーキの上等が食べれますので、上等なステーキを食べて、そしてシャンパンでも買ってきて飲もうという事に決めました。
 妻には先日クリスマスプレゼントのつもりでブーツをプレゼントして納得済なのですが、やはり当日に何もないのはさびしいので上記の写真でも分かるようにプレゼントを用意しました。
 私への妻からのプレゼントはデジカメです。24日の夕方に届くことになっています。
デジカメは持っているのですがYouTubeにアップしますと動画の場合に両端が黒くなってしまいます。
 ハイビジョンで撮れば画面一杯にアップ出来ると教えてもらったのですが、どうしても両端が黒くなります。同じアップするのであれば画面全面に画像をアップしたいのですが、今持っているカメラではできません。私のデジカメはパナソニックのルミックスです。
 他のデジカメを持っている人は16:9で撮影すれば全面にアップできるという事です。カメラのせいではないかということで、プレゼントしてくれることになりました。
本当にカメラに問題があるのでしょうか。それが分からないまま人の話を聞いてまた買ってくれます。
またというのはルミックスも妻が買ってくれたものです。カメラが変われば出来るようになるのでしょうか、詳しい人がいたらTouTubeの画面に画像を全面にアップする方法があるのでしたら教えてください。

2010年12月23日木曜日

冬枯れ


冬枯れて 散りゆく命 趣ふかし
空風に 曝されながら 今暫し
年老いて 空しい日々や ぬれ落ち葉

2010年12月22日水曜日

色無地のきもの


 大奥の職員は将軍と御台所に拝謁の出来るお目見(おめみえ)以上と、拝謁の出来ないお目見以下とに区別されています。

<お目見以上>
・上﨟(じょうろう)=御台所のお側に勤め典礼、学芸の
            お相手になった。
         最上級者ですが表向きには口を
           出さない役。
・御年寄(おとしより)=老女とも局とも言った。大奥の
            一切を切り回し最大の権力者。
篤姫のドラマでは滝山がその役
            職でした。
・お客会釈(おきゃくあしらえ)=将軍の大奥入りやご家
                 門の来訪時の接待係
・中年寄(ちゅうとしより)=年寄りの助役
・中﨟(ちゅうろう)=将軍の側室。将軍が見染めても直
           ぐに枕席にはべらせるというこは
            できなかった。上級者に預けら
          れて教育を受けてからでないと寝屋
          には行けなかった。多くの場合は御
           年寄のとりなしで中﨟になった。
           そのために権力争いが生じた。
・お小姓(おこしょう)=御台所の遊び相手
・お錠口詰(おじょうぐちつめ)=表御殿と大奥の境目を
           守り、将軍の大奥入りをいち速く
           伝えた。

  お目見以上の役職にはその他に10以上ありますが奥女中の上級者はお錠口詰ぐらいまでです。
中﨟以上は一生奉公で親の死に目に会うために帰宅できる程度です。
上級者の礼装は打掛け姿ですが、その打掛けは中﨟以上は綸子の縫模様です。映画テレビではピカピカの織物の打掛けを着ていますが、あれは嘘です。予算の関係でそうしています。
打掛けの下に着ている服を間着(あいぎ)と言います。
上図の写真を見て頂きますと無地のものを着ています。中﨟以上は紋縮緬と言いまして、地模様のある五定紋か三定紋の無地のきものを着ています。上級者は綸子で下級者は縮緬です
私達の一生には様々な通過儀礼があります。宮詣り、七五三、十三詣り、成人式、結納、入卒式典などは全て厳粛な式典です。その厳粛な式典に訪問着では華やか過ぎて厳粛な雰囲気に不釣り合いである。
もっと雰囲気に相応しい正装が欲しいということで、江戸時代に礼装として着用されていた間着を準礼装として採用して用い始めたのが色無地です。従って、色無地は地模様があって紋付になっているものが正式です。
この色無地は戦後の経済復興に伴って準礼装として一般化されたおきものです。
江戸小紋は細かい柄の一色染めで、着装すれば色無地の趣がありますので、江戸小紋に紋を付ければ色無地として着用してもよいということになりました。 

2010年12月21日火曜日

庶民の嘆き


 ビートたけしさんのTVタックル年末3時間スペシャルを昨日見ました。
あらゆる業種の方々50人が参加していました。
一般参加者の意見を聞いていますと窮状を切々と訴えていました。全身から吐き出される切実な意見に身をつまされました。
 民主党内の小沢問題についてどう思うかという話の時に介護をされている方が、「いまそんなことを言っている時か、そんなことに時間を費やす暇があれば、政治家は我々が仕事をしている現場に来て、どんなに厳しい現状であるかを身をもって知る努力をしろ」。そういう努力もしないで内輪もめして、そんなことに時間を費やしているのは国民に対する裏切り行為だと厳しく政治家を揶揄していました。その意見に大喝采でした。
 それに対して政治家の話は「そうしなければいけない」「そのように考えている」などと予定や理想の構想ばかりが話されるだけです。
予定や構想でしか答弁できないことは致し方がないことであることが分かりますが、実行性について思いを巡らせますと政治家の答弁には空しさを感じます。
そう感じていることはビートたけしさんも同じだったのでしょう。最後に次の言葉でその番組を締め括っていました。
 番組に出演している政治家の先生方は様々に意見を述べますが、それが実現したことがない。さも実現させるように述べていながら、それが実現できなかったときには「こう言ったけど出来なかったので悪かった」とか「出来なかったので責任を取りますと言ったこともない」そんな政治家が多いから選挙の時には国民がしっかりと選ぶ目を肥やしてほしいと言ってました。肥やしてほしいという事はもっと政治に関心を持つべきだということでしょう。

2010年12月20日月曜日

行きつけの喫茶店



私が前妻と離別したのは平成元年です。蒲団と衣類だけを持って引っ越して来たのが手毬の右隣に4階のマンションが映っています、そのマンションです。
それ以来朝食は喫茶店のモーニングで済ませるようにしています。
 その行きつけの最も頻繁にいく喫茶店が写真の手毬です。
モーニングが350円で周辺の喫茶点よりも50円くらい安いのです。
 喫茶店の店主によっては自分の所のコーヒーは絶対に旨いと自信過剰なくらいに自負している人もいるのですが、豆によって変わりますし、コーヒーのたて方によっても変わりますし、個々の趣好によっても評価は変わります。
結論としては多少の趣好の違いはあってもそんなに著しく異ならないという事です。
ならばなぜ頻繁にその店に行くのか。安いからか。そんなことは問題外で一番はやはり人情味という言葉がありますが心の味に魅せられてということです。
 マスターは定年をしてから始めた店ですから根っからの商売人ではありません、ママもサラリーマンの奥さんだったのです。だからマスターなんかはお世辞も言わないけど悪口も言わない。本当に人の良さが表出している我々と同じオッチャン族、いやお爺ちゃん族です。
ママは厳しいことも臆することなく言える人ですが、根は優しい人で味わいのある楽しい人です。
そんな人情にプラスして客間での下町の人情味が感じられるいい雰囲気なのです。
 マスターは二年前ぐらいから競馬をするようになり、日曜日だけ私達客の分も一緒に買いに行ってくれます。G1になりますと金曜日には枠順が決まりますので競馬フアン同志で話が盛り上がります。
この喫茶店で幾人の方が癒されていることでしょう。
マスターもママも私より上ですから健康に留意して何時までも頑張ってほしいです。

行きつけの喫茶店



私が前妻と離別したのは平成元年です。蒲団と衣類だけを持って引っ越して来たのが手毬の右隣に4階のマンションが映っています、そのマンションです。
それ以来朝食は喫茶店のモーニングで済ませるようにしています。
 その行きつけの最も頻繁にいく喫茶店が写真の手毬です。
モーニングが350円で周辺の喫茶点よりも50円くらい安いのです。
 喫茶店の店主によっては自分の所のコーヒーは絶対に旨いと自信過剰なくらいに自負している人もいるのですが、豆によって変わりますし、コーヒーのたて方によっても変わりますし、個々の趣好によっても評価は変わります。
結論としては多少の趣好の違いはあってもそんなに著しく異ならないという事です。
ならばなぜ頻繁にその店に行くのか。安いからか。そんなことは問題外で一番はやはり人情味という言葉がありますが心の味に魅せられてということです。
 マスターは定年をしてから始めた店ですから根っからの商売人ではありません、ママもサラリーマンの奥さんだったのです。だからマスターなんかはお世辞も言わないけど悪口も言わない。本当に人の良さが表出している我々と同じオッチャン族、いやお爺ちゃん族です。
ママは厳しいことも臆することなく言える人ですが、根は優しい人で味わいのある楽しい人です。
そんな人情にプラスして客間での下町の人情味が感じられるいい雰囲気なのです。
 マスターは二年前ぐらいから競馬をするようになり、日曜日だけ私達客の分も一緒に買いに行ってくれます。G1になりますと金曜日には枠順が決まりますので競馬フアン同志で話が盛り上がります。
この喫茶店で幾人の方が癒されていることでしょう。
マスターもママも私より上ですから健康に留意して何時までも頑張ってほしいです。

2010年12月19日日曜日

冬景色


 枯れ果てて 寒風貫けし ケヤキ園

不景気で寒風吹き貫けし世帯も多いのではないでしょうか

2010年12月18日土曜日

卓球


高須団地の道を隔てた直ぐ北側に鳴尾体育館があります。
体育館はバレーやボトミントンもやっていますので天井は物凄く高く作られています。
その三階には100mのランニングコースも設けられています。
以前にそこで走っていたこともありますので、体育館では空いていれば一般の人でも卓球が出来ることは知っていました。

 最近は旅行といえば金宿で安く上がる湯快リゾートを利用しています。
湯快リゾートはお風呂とカラオケと卓球などの遊びを充実させています。
 昨年結婚をしてから新婚旅行の他に白浜と下呂に行きました。白浜と下呂は湯快リゾートです。早い目にチェクインして食事までにゆっくりと寛いで、そして遊ぼうと思っているからです。
 卓球も置いてありますのでやったことが無いのですが二度とも卓球をして遊びました。
やったことが無いのでうまく球が返せません。それでも一時間くらいしていると少しは打ち返せるようになってきます。そうなると少し面白くなってきます。
その面白さをほんの少しだけど味わっていますので、「そこの体育館で卓球させてくれるはずだから行こうか」と誘いました。
 彼女はどちらかというと家でのんびりとしていたいというタイプなのですが、「卓球だったら行ってもいい」と言いましたので行きました。用具も貸してくれるものと思い行ったのですが用具は自分持ちだという事です。それでその日はできませんでした。
 コーナンに安いラケットが売ってるかもしれないから、続くかどうか知れないので安いのを買いに行きました。
売っていました。700円です。これなら続かなかってもおしくないのでそれを買ってきて日を改めて申し込みに行きました。
 60歳以上は割引でゲーム代が2時間で100円です。60歳以下は180円で台の使用量が100円必要ですから合計で380円です。2時間で380円です。ありがたい話です。
いきなりの二時間はきついです。球拾いの方が多いので打つのに動く、球を追いかけて行って拾うのにしゃがまなければいけない。二時間でフラフラです。
でも汗を掻くと非常に気持ちがいいです。あくる日は全身がバラバラで筋肉痛です。
それでも懲りずに3回行きました。少しだけピンポンから卓球になってきました。
 来ている常連の人たちは同じ年頃でも上手いんです。横でやっていると恥ずかしいくらいですが、その人たちは「夫婦でされているなんていいですね」と言ってくれています。
卓球では負けているけど仲の良さでは勝っているかな。

2010年12月17日金曜日

外国で快挙


 デジタル ドメイン三橋 忠央さん、この人は俳優の三橋達也さんのお子さんだそうです。
アメリカ映画で俳優のジェフ ブリッジスが60歳から30代の顔に変身するという
シーンがあって、その顔をコンピューターグラフィックスで見事に変身させたという事です。
これは大変難しい技術で三橋さんだけにしかできないことだそうです。
 日本人が異国で大変なことを成し遂げたと聞きますと、同じ日本人として誇らしくて嬉しくなります。
 外国で研究を重ねてノーベル賞を取った方もおられます。またあまり表に出ないような研究者や医療に携わる方で外国で活躍されている方も沢山おられるようです。
 日本人が外国で活躍されていると聞きますと誇らしく嬉しく思いますが、その反面何故日本国内で育たないのか。  優秀な方や多くの技術が外国に流出していく、これは我が国の政治に何か大きな欠陥があるのではないでしょうか。
昔から言われています。日本には資源が無いので知恵と知識と勤勉でそれを補うしかないと。それが育ちにくい環境・政治は改めなければいけないのではないでしょうか。

2010年12月16日木曜日

着付けた素敵な人達


Lapaisir
トータルビューティスパ ラベジール
オーナー 成田 博美 様

石川県白峰村で産する手紬は非常に丈夫で生地が釘に引っかかっても破れないばかりか釘を引く抜く程に強いので釘抜き紬ともいわれています。
お召しになられているのはその釘抜き紬地の訪問着です。
宝塚歌劇の女優さんを彷彿させる美しい方です。

2010年12月15日水曜日

孫と遊ぶ


最近は便利でパソコンで孫の成長が動画で見れます。
静止画との違い動画は可愛いしぐさが見れますので楽しみが倍増します。
 妻は毎日のように送ってきた孫の動画を見ていますが、可愛いしぐさが見れますので余計に生で接してみたいという願望が強くなるようで、少し早いけど「ほとりちゃんの所へクリスマスプレゼントを持って行くかと」と言いますと物凄く喜んでいました。
ほとりちゃんというのは妻の長女の娘です。
1.9才の女の子です。言葉はたどたどしいですがこちらの言う事は理解できるようです。
 久しぶりの対面です。扉を開けて中に入りますと人見知りをして泣き出しました。
そこで「ほとりちゃんアンパンマンですよ」と写真の室内車を見せますとぴたっと泣き止みました。それからはご機嫌さんです。
プレゼントの車が気に入ったらしく妻と二人で両者喜んで遊んでいました。
妻は孫と娘とに会えましたので嬉しかったのでしょう大はしゃぎしていました。
昼前に行ったものですから昼食を用意してくれていました。カレーを作ってくれましたので頂きましたが美味しかったです。
結婚する前は長女が料理担当だったらしく料理は上手で、こまめにらっきょと梅干も漬けていてお土産に頂きました。
 長女は妻と二人きりで生活していた時期が一番長く、また妻が苦労して自分たちを育ててくれたことも長女ですからよく分かっています。妻とは同じ親子でも一番近い仲で、妻の事を大変心配していて、私が妻と一緒になると決まった時は、妻は騙されているのではないかと一番危惧していました。従って私を見る目が一番厳しかったのは肌身で感じていましたが、そういう疑問も今は払拭させてくれたようで私も行ってよかったと一緒に喜んでいました。
そんな一日でした。

2010年12月14日火曜日

子供たちへ


妻には4人の子供がいまして上三人は女で一番下が男の子です。
上の子供が10才の時に離婚して女手一つで育てて全員大学まで行かせています。
子供達が小さい時は栄養失調で難民の子供たちのようにお腹だけポコット膨らませていたと笑い話としてよく話します。
大変だったろうと思います。
 妻には子供たちが成人するまでの過程において、両親が田舎で健在だったそうですが、妻がそんなに苦労したこを知らなかったらしく、子供たちが大きくなって田舎に連れて帰ってその話をすると両親は泣いていたそうです。
 妻は5人姉弟で上4人が女で一番下が男で不思議な因縁です。
その姉弟達も妻がそんなに苦労したことを誰一人知らなかったそうです。一切親や姉弟達に泣き言は言わないで耐えて苦労して子供たちを育てています。
苦労して育てただけに子供たちは親思いです。今の時代に子供が親に仕送りをする家庭なんて珍しくなっていると思いますが、全員まだ若いので家庭を持っていれば遣り繰りは大変だと思うのですが妻に仕送りをしています。
今の時代は親はよい時代を生きて来ていますので、経済的に不自由をする人が少ないので、結婚してからでも親を頼りにする子供が多いという現実のなかで、妻の子供たちは完全自立して親には優しいのです。

 私には二人の娘がいます。二人とも大学を卒業してもうこれで親の務めは一様果たせてのではという段階で離婚をしました。
子供たちは大切に大切に育てたつもりですが、何処でボタンのかけ違いをしたのか今は子供はよりつかなくなっています。私が妻と知り合う前からの事ですから私が結婚したことは関係ありません。あくまでも私個人と子供たちとの心の問題です。
子供も独立をしますと最も大切にしなければいけない家庭が出来ますので親にかまっておれないという事もあるでしょうが、子供たちに世間体や金銭面で迷惑を掛けていなければ、私の妻のように全ての親は子供を大切に思って育てているのですから、子供たちの方がもっと理解を深める努力をして、親に優しくならなければいけないのではないでしょうか。

2010年12月13日月曜日

運動の効能


私は以前は南郷町の方に住んでいてよくニテコ池の周りをジョギングしていました。山手の方です。
 妻と離別して笠屋町の方に(西宮の東の端の海のほう)来たのは、武庫川の河川敷をジョギング出来たらという思いがあったからです。
 何も持たずに衣類と蒲団だけ持って家を出ましたので、これから生活していけるのかといじけてしまったために鬱になりました。全然眠れなかったのですが、そんな時もジョギングは続けていましたので、治りも早かったのではないかと思います。
 ある時にきついヘルニアになりました。一人で立ち上がるのが大変で、何とか立ち上がって自転車を杖代わりに押して、這うようにして河川敷に行きました。
前かがみになりながらそろそろと歩きました。2kmくらい歩きますと体が温まってきて、腰を伸ばして歩けるようになりました。腰が延びて普通に歩けるようになりましたので、そろそろとジョギングを始めました。
3kmくらい走りますと普通に動けるようになりました。
 痛かったけれども1週間くらいそれを続けますと普通になりました。治ったわけではありません未だに運動不足になりますと腰が痛くなって、足の裏に電気がはしったようになります。運動を始めますとそれがなくなりますので、今でも気が向けばジョギングしています。

 知り合いが腰と足が痛いと言っていましたので、運動しなければ治れへんでと言ったのですが、「医者は歩いたりしない方がよい」と言っているということです。
そんなことは絶対にない。運動して腹筋や背筋や大腿部の筋肉を鍛えなければ根本的に治れへんのにと思っていたのですが、ある時その人が朝早くに歩いているということを耳にしました。そして後日会いましたので「歩いているんやってね、調子はどう」と聞きますと「調子がいい痛みもなくなった。あの医者はなんやねん」と言っていました。
 そうなんです腰痛や足が痛いと言う時は大抵は運動不足なんです。歩くなり走るなりして筋肉を鍛えることが早く治すための一番の早道なのです。
 朝早くから整形外科に列をなして開院するのを待っている光景を各所でみかけます。電気を当てて治療をしてもその場限りで根本的な解決にはならないのです。勇気と努力をもって辛くても運動することが一番の治療になります。実験済ですから参考にしてください。

2010年12月12日日曜日

男の料理 タコのセロリとトマト煮


 タコは何故こんなに高くなったのでしょうね。
当然少なくなったという事でしょうが、蒸しタコのほとんどは外国産ですものね。
ちょっときゅうりの酢の物にも入れたいと思っても高いので躊躇してしまいますね。
私は最近はこういうものは尼崎の三和市場で買うことにしています。
500円ほどで太いタコの足が4~5本入ったものが買えます。
今日はタコを買ってきてセロリとトマトで煮付けました。
柔らかくて美味しいですよ

・タコをたっぷりの水を入れてセトリをそこに入れて40
 分煮ます。
 セロリはタコを煮る方は葉っぱの部分を使って、茎の部
 分は細長く刻んで炒める方に使え ばいいと思います。
 40分煮ますとタコは噛んだら直ぐにくだけるくらいに
 柔らかくなります。
 タコは煮ますと一度は固くなるのですが40分茹でます 
 と柔らかくなります。
・40分煮たらタコを取り出して食べやすい一口大に切ります。
・フライパンに玉ねぎとセロリを細長く切ったものをいれ
 て油で炒めます。
 シメジなんかもいれます。炒めたらタコの茹で汁を入れ
 てそこに缶詰のトマトを入れて煮ます。塩とコショウと
 で味付けします。私はすこし赤ワインをそこに入れま
 す。
 煮詰まったら切ったタコを入れて一炊きしたら出来上り
 です。

2010年12月11日土曜日

男の料理 ぶり大根


冬の名物料理ですから今までにも何回も挑戦したのですがその度に臭くて食べれませんでした。
もう一度こうしたらいいのではないかという方法で作ってみてやはり臭くて食べれなければ二度と作らないと決して作りました。
これまでよりは臭みもなくこれならいけるのではないかという程度に出来上がりました。

・大根を1cm位の厚さに切って、少し硬い目まで水煮し
 ておきます。大根には十文字に切り込みを入れておきま
 す。
・合わせ調味料を作っておきます。割合は濃口醤油1
 ・みりん1・酒1と水1です
 水は煮詰めた時に味が濃くならないように入れておきま
 す。
・フライパンに油をひいてまず大根を両面焼きます。焼け
 れば取り出して次はぶりを両面焼きます。出てきた水分
 は臭みの原因ですからペーパーで取り除きながら焼きま
 す。
 焼きあがれば大根を入れて合わせ調味料を入れます。
この時に土しょうがを擦って生姜汁を入れればより臭みを抑えられます。
水を入れてありますのでその水を飛ばす程度に煮て調味料をからませれば出来上がりです。

2010年12月10日金曜日

留袖は本来はお袖の形の意味


 上図左の小袖には振りがあり、右の小袖には振りがありません。
小袖、即ちきもののお袖は右図のように当初は全て振りが無かったのです。
 阿国歌舞伎に代表される遊芸の女達は、踊りの演出効果を高めるために子供の脇明きのあるお袖にヒントを得て、振りのある小袖を着るようになります。
  いずれの時代においても芸人達が流行を生み出す源となるのは同じで、芸人達の華やかな小袖の形が一般の人達にも広がって行き、若いミスの人達の晴れ着は振袖仕立てにするのが一般化されていきます。しかし、振袖を着るのはミスの間だけで結婚をすれば振りの無い留袖仕立てにするというのが習わしでした。
そういうことから留袖仕立ての着物はミセスの象徴だったのです。
その留袖仕立を代表する着物は紋付の裾模様のきものですから、ミセスを象徴する代表のきものということで、江戸褄をいつの時代からか留袖と称するようになりました。
 風俗書などには留袖という呼称の小袖は無く、あくまでもお袖の形を表す言葉としてしか使われていません。

私達の若い頃は喫茶店に入って注文をする時は「温かいコーヒーをくださ」「冷たいコーヒーをください」と言っていました。それが何時からか「ホットコーヒーください」というようになりました。そしてついには「ホット」と言えば温かいコーヒーの意味として何処に行って通用するようになりました。
 ホットな飲み物は他にいくらでもありますが、ホットはコーヒーの代名詞になりました。それと同じように戦後になってから、紋付の裾模様と言わなくても留袖で通用するようになりました。それはミセスが着用する代表の着物だからです。
因みに何故留袖が無くなったのか。
時代の推移と共に袖丈が次第に長くなります、そして享保年間(1716年~)になりますと帯幅も広くなってきたことによって、着装がし難いことから既婚者のお袖にも振りが付けられるようになります。浮世絵などを見ますと江戸の中期には振りのある小袖、無い小袖と新旧の形が混在している様子が描かれています。
大奥の女性たちは市井の流行に関係なく留袖で通しました。

2010年12月9日木曜日

辛い一言


 妻は24時間勤務の激務の仕事をしています。
先週は4日連続の勤務でした。重度の知能障害者の介護の仕事をしています。
きつい仕事ですがキーパーの皆様は生活が掛かっていますので皆さん懸命に勤めておられます。
障害者の皆様方を仲間と言うのだそうです。仲間の人たちも今までは土日祭日は家に帰っていたのですが親が年老いて来ていますので、テストケースとして全日預かるようになり妻は土日祭日の担当として働いています。
仲間はこれまでは土日祭日は家に帰っていました。家では寛げますので、気持ちの発散できてストレスがたまらなかったのですが、今は全日施設に預けられていますのでストレスが溜まって、我儘が表出してきているようで介護は大変だということです。
 今回も4日で1kg痩せたと言っています。「スマートになっていいやん」と励ましていますが少し心配です。
 しんどい仕事ですから辞めれたら辞めたいと思っている人も少なくないようで、そういう話がよく出るそうです。そういう話が出た時に「飯山さんはいいねぇーご主人がいるから辞めたい時には何時でも辞めれるものね」と皆から言われるそうです。
24時間勤務の人たちですから独り者の方が多いからです。
 キーパー仲間からそう言われるという事を聞きますとドッキリします。
俺の年になると十分な老後の備えをしておかなければいけないのに、それができていないのです。俺も男ですから「辞めたければ何時でも辞めたらいいねん」と言ってやりたいです。
 学院運営は順調で老後の心配なんか全くなかった。それが自分の拙さで学院を全て譲ってしまった。
 人生は皮肉です。学院を全て譲って経済的には大変な状態になってしまった。そうなったからこそ今の素晴らしい妻と知り合えることが出来た。自分が落ち目に陥っていなければ全く妻とは接点がなかった。今は私は最高に幸せだけど妻に苦労を掛けることになるのではないか。申し訳ないことをしてしまったという気持ちもある。
 だから細々とながらも復活をかけて頑張っているが難しいだろうと思う。でも元気でいる限りは俺は必至で自分の出来るだけの事をして頑張ります。人間は死ぬまで現役が最高の生き方だと自分は思っています。

2010年12月8日水曜日

魚嫌い


              星田園地クライミングウォール

 先日行きつけの喫茶店に行きますと顔なじみの人ばかりでした。何時も忙しい時には馴染みのお客さんには「あんたはもうだいぶ長いこと座っているので帰って」と平気で言うママさんなのですが、客が来そうでもないのでママも交えて話がもりあがりました。
 独りの人はボランティアで少年野球の監督をされているか方です。
その人が夏の合宿で少年たちを淡路島に連れていったそうです。
 民宿で宿の主人は漁師と兼業ですから朝早くに海に出て鯛を釣ってきてくれたそうです。
淡路の鯛は一本釣で潮の流れが速いので身が締まって美味しいと評判です。
主人が自ら子供たちが食べやすいように三枚におろして炭で焼いてくれたそうです。
 
 この話が出る前に養殖ものと天然のものの鯛とはどちらの方が美味しいかという話で盛り上がっていました。
天然ものが油が乗っていて美味しいという者の方が数は多かったのですが、その時に「今年の夏になぁー淡路に行ってなぁー」という事で先の話になったわけです。

 「淡路で頂いた天然ものは身が締まっていて少し甘みも感じられて、さっぱりとした味で大変美味しかった。やっぱり天然ものやで」という話になったわけです。
「本当に美味しかったのに子供たちは皆一口も口にしよらんかった。今の子供はみんな魚がきらいなんや」と監督がいいました。
「今の子供は魚嫌いな子が多いからなぁー」と皆も納得です。
 俺らの子供の頃は肉なんかほとんど食べたことが無く、おかずのメインは魚やったのに変わったなぁーと異口同音にみんなが言いました。
 市場でも魚屋は潰れてしまってスーパーでしか見られなくなりました。
蛋白源は肉よりも魚か大豆などで摂取する方が健康にはいいということは一般的に言われています。なのに子供たちは魚よりハムやソーセージの方が好きという子供がほとんどです。
これはどうも親に原因があるようです。
 我々の子供の頃と比較しますと、最近は癌、糖尿病、アレルギー症状の人や若くしても既に白髪なる人が多くなってきています。それはそういう食生活の変化が起因しているのではないかと思いますがどうなんでしょうね。

2010年12月7日火曜日

植物大好き人間


学院を創設したのが30歳の時です。
一年目は順調だったのですが二年目からは生徒が3人になり苦労しました。
自分で始めた事業ですからなんとか潰さないようにしなければいけないと燃えていましたので自分では苦労とは思ったことがありません。
苦労というよりも頑張りました。頑張るのも当たり前のことですが毎日励んでいたことは確かです。
お蔭様で何とか専従して食べれるようになりました。それまでは食べさせていく義務がありますのでアルバイトをしました。
少し経済的に落ち着いてきた頃に新緑の紅葉を見ました。このことは何度も書いていますが紅葉に花が咲くなんてことは全く知りませんでした。
 紅葉は秋になれば紅く色付くという程度の理解しかなかったものですから、細かい可憐な花を見て「エッ紅葉にも花が咲くんだ」という事を知り感激しました。
 それから冬に甑岩神社にいきました。枯葉が木々の足元に降り注いで積もっています。それを見て自然はすごいなぁーと感じました。冬になれば日照も弱く日の当たる時間も短くなるので負担を軽減させるために葉を落とす。その葉は足元で積み重なって腐葉化して腐葉土となって親を助ける。その循環を見て人の頑張って生きている生活を彷彿させるようで、これにも感動しました。それからです植物に関心を持つようになったのは。
 町によって異なりますが私が住んでる西宮の大きな通りには、通りごとに異なった樹木を植えてくれています。
そして季節季節には異なった風情を見せてくれています。せめてその街路樹の名前ぐらいは知っておきたいと思い本を買いました。
それからですね植物が好きになったのは。今年は縁あって結婚ができました。妻も私以上に植物が好きですから道を歩くごとに「あれは何やったかな」と会話をしています。
妻は、男の人でこんなに花卉のことで話が出来るのは珍しいので大変うれしいと言ってくれています。

2010年12月6日月曜日

お客様は神様


亡くなられた歌手の三波春男さんは「お客様は神様です」とよく言われていました。
演じる者がいてそれを見る者がいる。作る人がいてそれを買って使う人がいる。
どちらも五分と五分で、どちらが偉いとか勝っているということはありません。
ただお客には絶対の選択権があるという事です。
 見る方には絶対の選択権があるのですから、見たくなければ見なければいい.
マン悪く見てしまえば「馬鹿な奴だと」無視して、二度とその者のブログを開かなければいいのです。
しかるに人の書いたブログに対して激昂して罵倒してくる人がいます。
「お前の書いた政治に対する感想は愚直すぎて見るに堪えない」「年ばかり食って何もわかっていない」愚か者めがという調子です。
 俺の書いたブログに直接コメントを乗せているなら、それも一つの意見ですから聞き流しますが、わざわざメールまでして送ってきています。
俺は賢くないです。中学しかでていない教養に乏しい人間です。だから愚直なことをよく書いていると思います。それは認めます。
それは自覚していますので「馬鹿」かと言われても仕方がありません。だからと言って天下のネットを使って個人を罵倒し攻撃することは正しい行為だとは思われません。
 おれは政治家に対しては庶民感覚で「もっときちっとやれ。舐めてんのか」などと愚直なことを言いますが、一般の人に対して攻撃をするようなことはしてはいけないと自覚しています。それが天下のネットを使わせて頂いている人の弁えだと思っています。
 その人は、自分では賢い素晴らしい人間だと思っておられるかもしれませんが、ブログで一般人に対して罵倒し愚弄することは、自分の拙さを披歴していることになると思ますが如何でしょうか。
 各自に絶対の選択権があるのですから、馬鹿な奴のブログは見なければいいのです。言葉の凶器は悲惨な事件を招く一因になりますのでブログ仲間には皆さん優しく接しましょう。

2010年12月5日日曜日

男の料理 天ぷら


材料はレンコン・さつまいも・セロリ・茄子・ちくわ 以上です。ごぼうが美味しいのですが買うのを忘れました。アスパラも美味しいですね。
 油はサラダ油にこうばしい香りがしますのでごま油を入れます。5:1くらいの割合です。
粉は業務スーパーでからりと揚がるてんぷら粉が売っていますのでそれを使います。本当にからりと揚がります。
そこに塩少々と卵を二個入れてねります。
温度は170~180度の間で上げます。
材料はさつまいも一個、レンコン一本、茄子残り物二個、ちくわ4本、セロリ1本ですが写真のように沢山になりました。
 一日目は天つゆで食べましたが二日目は天丼にしました。まだ残っていましたので三日目は天ぷらうどんにしていただきました。
天ぷらは後片づけが大変ですが豪華で美味しく考えれば安上がりです。
れんこん100円、イモ100円、竹輪360円、セロリ100円で三日間頂きました。
後片づけは油をこす油専用の晒しを二枚用意していますので、天ぷらが揚がれば直ぐにステンレスのボールに晒しでこしておきます。こうすれば後片付けが億劫になりません。

 天ぷらは台所が汚れるので作らないという家庭が多いと聞きます。
そんなことを言わないで熱々の天ぷらを食べさせてあげてください。

2010年12月4日土曜日

twitterて


twitterて何。各々のPRの場。無料でネットが使えてPRが出来る。只で使えるのは確かに悪くはない。
しかし私などの無名の者が呟いても誰も関心を示さないだろう。
誰かに知らせるほどのつぶやきもない。呟いてどうなるの。呟いてストレスを発散させるほど憂いもないし心も病んでない。
最初は自分も相手を探してフォローしていたがやめた。フォローしなくても一日に10人くらいはフォローしてくれる。後はフォロー返しのボタンを押すだけで増えていく。
有名人ならつまらないつぶやきでも聞きたいフアンはいるだろうが、無名の私などが呟いて何になるのか。商売人は宣伝とまではいかないまでも、只で報じることが出来るので重宝しているかもしれない。
どのように利用すべきか今は分からない。
それでも俺は細々ながら商売をしているのでtwitterはやっている。
やっていながらこんなことをいう俺は馬鹿か。

2010年12月3日金曜日

映画 PS I Love You


妻とDVD PS I Love youを見ました。
仲の良い若夫婦の旦那が脳腫瘍で亡くなります。
この映画を見た直後に私も脳腫瘍で入院をしましたので、その時はドッキリしたことを覚えています。
 旦那は余命幾ばくも無いことが分かっていますので、自分が死んでから少しでも妻の悲しみを和らげてあげたいと記念日には手紙が届くように手配をして亡くなります。
 一年間は妻だけでなく、親や友達の所にも手紙が届くように万全に手配をしています。
 妻はその手紙を手にして彼との思い出が蘇り号泣します。
それを見ていて、事実をしっかりと受け止めて、少しでも早く彼のことを忘れるようにすることがベストなのに、酷なはなしだなーと最初は思いました。
人は簡単にそのように思ってしまうのですが、よくよく考えると、最愛の人に先立たれて直ぐに忘れろという方が酷なことですね。
暫くは引きずって悲しむのが普通です。
先だった彼はそうであろうと思って、次第に悲しみが薄れるまでは、妻の悲しみを共有してあげろうと考えたのですね。そう思うと最初に自分が感じてことが拙かったと思い直しました。
 どんなに大きな悲しみでも時間の経過によって忘れる、慣れるという人間の本能によって薄れていきます。
次第に悲しみも薄れて来た一年目に最後の手紙が母に預けられていました。
それには何時までも私は愛しています、でも君はもう私の事は忘れて自由奔放に生きてほしいと書いてありました。
 この最後の文言が涙を誘います。妻は泣いていました。マン悪く電話が掛かってきて電話に出た声が泣き声だったので何か言われたようで、映画のせいだと弁明していました。
 人間は死亡率100%で誰もが必ず死にます。結婚をすれば子供たちのためにも簡単に分かれるという事はできません。ならば何時までも愛を無くさないように支え合って生きていくべきです。それが残念ながら理想になってしまってかんたんではないという悲しい現実が横たわっています。
こういう映画を見て自分たちも嘗ては熱く燃えていたことを思いお越すことが大切ですね。

2010年12月2日木曜日

千の風になって


 私は事業が安定してからよくカラオケを歌いに行っていました。
千の風になってという歌が流行した時に、「私のお墓の前で泣かないでください」という冒頭の歌詞があります。
それを聞くと、身近な人を見送った年配の人の中には涙を流す人がいました。
杉本真人の「吾亦紅」なら、親孝行の出来ていない私などはホロットさせられるのですが、千の風になってはそんな泣くような歌と違うのにと不思議に感じたことがあります。

私のお墓の前で泣かないでください
私はお墓の中でじーとしていません、
千の風になって大きな空を吹きわたっています
秋には光になって畑にふりそそぎ
冬はきらめくダイヤのように雪になり
朝は鳥になってあなたを目覚めさせ
夜は星になってあなたを見守っています

この歌は、泣かないでください私は天国に行っても皆の役に立つように忙しく動き回っています。
だからあなたもお墓の前で泣いていないで、皆の役に立つように頑張って働いてください。
私は頑張っているあなたを見守っています。そう言っている歌です。

 人は生かされて育てられ大っきくなって行きます。
人は生かされ、そうして生きて行けるのですから頑張ってくださいね言っている人生の応援歌なのです。
この歌は好きだと言ってよく歌われましたが、この歌の詩の内容について話を聞きますと理解されている人は少なかったように記憶しています。
 この詩は作者不詳ですが、以前にNHKのラジオの教育番組で漢詩の解説をしている番組がありました。それを聞いていると解説をされている大学の先生が、千の風になってと同じ詩が古典にあると言われているのを聞いたことがあります。
 古代から文明文化は進歩しても、人の生きていく根本目的は変わらないということですね。

2010年12月1日水曜日

星のブランコ



妻が勤めている寝屋川から近いので迎えに行ったついでに行きました。
交野市の星田園地にあります星のぶらんこです
天の川伝説の発祥の地と言われていますので、交野市は自然を大切に守られています。
長いつり橋から見る景色は大変景色がよくて感動ものです

2010年11月30日火曜日

着付けた素敵な人達


七条 容子様
結城地の贅沢な訪問着です。絞りは一竹のこれも贅沢品です。
高級品として最近は紬の訪問着もたくさん作られていますが、紬のものは高級品ではありますが、趣味性の強いものですから公的なパーティーやレセプショウンなどでは着れません。

七条 友紀様
お子さんの七五三に行かれます
友禅の訪問着に龍村の袋帯です。
久しぶりに龍村の帯を触らせていただきました。
振袖に締めておられたそうです。

2010年11月29日月曜日

着付けた素敵な人達


                    森下明子様

結婚式にご出席です
からし色の色無地です。
からしでも少し渋めの辛子色ですから色目だけで言えば少し地味目ですが、大きな市松模様の個性的な色使いの袋帯はからしの色無地によく乗っています。
こういう色目の着物は若い人が個性を強調されてお召しになると素敵な装いになります。
こういう色合わせはお母さんに選んでもらえば、若い御嬢さん向きとしては絶対に選ばないだろうと思います。
素敵な装いでした。

2010年11月28日日曜日

着付させて戴いた素敵な人達


               上田 浩美様
これで着せさせた頂いたのは二度目です。
素敵な奥さまです。
お友達の結婚式にご出席されるそうです。
今回は着てから頭をセットされるそうです。


 最近は後ろで束ねておけば様々な付け髪があるので自分でも簡単にできますので、自分でされる人も多くなりました。
そういうことの大きな原因は経済的なことよりも、美容院でセットをしてもらうと老けて見えてしまうという事が多いからです。
着物を着る人が少なくなっていますのでセットを勉強するのに時間とお金を掛けても採算が取れないから美容院側の勉強不足ですね。

2010年11月27日土曜日

男の料理 大根の炊きこみご飯


大根四分の一を、長さはそのままで7~8mm位の短冊に切ります。
竹輪を5mmくらいの幅の輪切りにします。
合挽きミンチを150~200gを用意する。
写真には青いものが入っていないが青いものを出来上がったら上に置くとよい。
ご飯は少なく炊くと美味しくないので私は何時も四合炊きます。上記のものはご飯四合の分量です。
竹輪と大根とミンチ肉を入れて酒とみりんを入れて薄口醤油をいれます。
出汁の素を少し入れて炊きます。
けっこういけますからおすすめです。

2010年11月24日水曜日

絹糸について


絹には
(1)生糸=繭玉から糸を繰り出した糸
(2)玉糸=蛹(さなぎ)が2匹以上入っている繭から糸
   を繰り出した糸です。28~250デニールと太さ
   がまちまちで、その上に節があるので染物には不向
   きですから裏地、帯、紬の着尺地などに使用されま
   す
(3)真綿紬糸=繭の中には蛾(が)が穴を空けた繭、傷
   や汚れた繭、糸口の見つからない繭、途中でもつれ
   て糸繰りの出来ない繭、また繭は最後まで糸くりが
   出来なくて必ず10%くらい薄皮繭ができます。
   そういうのを特殊加工で真綿にします。真綿にした
   ものを紡いで糸にしたものが真綿紬糸です。これは
   連続糸ですから軽くて丈夫です。
(4)絹紡糸=「けんぼうし」と読みます。これは屑繭を
   木綿のように紡績加工をして糸にしたものです。
   素材は絹ですが、絹独特の光沢、こし、また丈夫さ
   に欠ける糸です。
 
 生糸以外は副蚕糸(ふくさんし)と言います。
例えばデパートで以前はワゴンに乗った安い反物が目玉商品として販売されていました。
今でも店頭に安い目玉商品を展示している所があります。それらは絹100%の商標が付けられていますが、絹紡糸100%s使用のものや、何十%か絹紡糸が含まれている商品がほとんどです。
 きものを着るときに伊達締めという10cm位の幅のある紐条のものを2本使用します。
 その伊達締めには各学院オリジナルの物が沢山ありますが、昔からの博多織りの伊達締めが一番理に適って使い良いものです。
 その伊達締めは最近京都で織った京筑というものが出回っています。それには絹紡糸が使用されています。見た目は博多織りのものよりも奇麗ですが、使って糊が落ちてしまいますと腰が無くなり紐状に幅が寄ってしまい扱い難くなります。
同じ絹100%でも絹紡糸はこしや強度がなく木綿と変わらないもので、私に言わせれば粗悪品です。
同じ絹100%と表示していましても全く異なりますので、生活の知恵として知っておいて頂きたいとおもいます。

2010年11月23日火曜日

菅総理の体たらく


 APEC CEOサミット2010横浜が開催され、議長国である我が国の菅総理大臣は張り切っておられた事と思いますが、トップとしての貫録という点で影が薄いのにはがっかりです。
 人間というものは大きな希望を抱いて、自信を持って前に進んでいる時は内面から輝きオーラーを感じるものですが、菅総理にはそれが感じられないのです。
 先進国の首脳と並びますと貧弱に見えてしまうのは私だけでしょうか。
 希望に燃え自信に裏打ちされていればもっと輝く筈なのですが、総理としての器に欠けるのではないでしょうか。
 そのことを象徴するのが中国の胡錦濤国家主席との対談の時です。
 人と話をするときには絶対に目をそらすなと言います。自信の無い者、信念の弱い者は相手の気迫に押されて必ず目をそらせてしまいます。
いま中国との間では問題が山積しています。そんな時に相手国のトップと対談するのですから確りと目を見据えて「舐めたらあかんぜ、何時でもやったるぜ」という気迫をもって話し合いをしなければいけないでしょう。しかるに対談をするのに下を向いたままでメモを読んで意向を伝える。まるで蛇に睨まれた蛙のごとくの様でした。情けないです。
会談をするのにメモを読んで会談をするなんて前代未聞です。
 民主党は官僚に答弁をさせないで大臣自らが答弁をするなんて言っておきながら、あの無様な姿はなんやと言いたいですね。
 自民党政権時は、君たちはやるやると言いながらやらない「やるやる詐欺や」と言っておきながら「詐欺はお前たちや」と言いたいです。
この不況でみんなが困窮している時にあんな無様な姿を見せられたら夢も希望もなくなります。

2010年11月22日月曜日

尖閣問題に物申す


      燃えてます 怒っています 紅葉だ

 尖閣の問題でビデオが流出したことに付いては、もう皆さんは語りつくされたと思いますが、私も一言叫びたいです。
 事件に関するビデオを撮ってあるという事は当初から知らされていました。
その一言で中国に非があることはおおよその察しはついていました。それなのに中国に言われぱぁなしのままでした。
 事件が報じられた日に喫茶店に入りました。マスターはぶつぶつ言いながらコーヒーを入れています。そのつぶやきが尖閣の事であることがわかりましたので「マスター腹が立つやないか舐められぱなしやで」と私が言いますと、即座に「わしも朝から腹がたってじーとしていられへん気分やねん」と直ぐに返してきて怒りをぶつけ合いました。
 初めて行った喫茶店でしたがそれで一気に意気投合です。
 「国でも個人でも一緒や舐められたらまともな付き合いはできへんで」「せや舐められたらあかん。舐められて何が国益や、舐められて国益が守れるかい」「ほんまや情けないわ」今でも怒りはおさまりません。
 
 ビデオ流出に関しては守秘義務があるからいかんといいます。法律は大切ですから罰せられても仕方はありません。本人も覚悟はしていました。
法律は大切ですから法に則って処理をしたらいいのですが、おさまらないのは感情です。
当初からビデオがあると言っていました。確たるものがあるのに何故中国の思惑通りに事が進められて堪えているのか。
 政府が舐められているだけではないのです。日本即ち我々国民全体が舐められているのですよ。単細胞ですから「舐めやがって」と俺の気持ちはおさまりません。
 政府は国益を考えての事と弁解すると思いますが、問題を先送りにすると禍根を残すだけですよ。
 アメリカも今や中国の財力に頼るところがある。そんな状況化で先送りをすれば力関係でどうすることもできなくなります。
 アメリカの顔色を窺い、中国に気を遣い、我が国は何処に向かって船を走られせるつもりなのか。
「はっきりせい」「もっと明確な目的地を定めて船を走らせろ」政治家は確たる信条と認識を持ってなければいけないはずなのに、口先ばかりで日本丸を操船しているのではないか。そうとしか思われない。
 竜馬ごめんね。晋作ごめんね。松陰ごめんね。あなた達は今の政治家のように良い思いをしなくて国のために尽くしてくれたのにね。

2010年11月21日日曜日

絹について


絹は中国では紀元前2000年の殷の時代から用いられていました。
中国では絹織物のことを錦(にしき)と言います。
帛(はく)は絹のことで金=帛で、絹はお金と同じぐらいに尊いものでした。貴重なものですから国外への持ち出しは禁止していたのですが、坊主などの手によってシルクロードを経てイタリア、フランスに持ち出されて西欧においても絹織物が発達しました。
 日本でも絹の伝来は早くて垂仁天皇(紀元前28年)には任那の国王に赤絹百疋を持参させたと日本書紀にあります。
 麻のように茎の繊維から糸にすることを績(う)むと言います。木綿のように綿状のものを糸にするのを紡績といいます。絹は繭玉から直接に糸を繰り出しますので製糸と言います。
・繭玉の周期
(1)卵から
(2)毛蚕(けご)になり、眠期と齢期を四回繰り返しま
   す。その期間は25~30日で五齢期に入って繭をつく
   ります。
(3)繭が完成するとその中で幼虫期最後の脱皮をして蛹
  (さなぎ)になります。
(4)その後12~13日で蛾(が)に変態します。蛾になる
   と口から体液を出して繭層の一部を溶かして外に出
   てきます
(5)外に出てくると交尾して卵を産み一週間後に短い生
   涯を終えます

(3)の蛹が蛾になる前に殺蛹(さつよう)して乾繭(かんけん)といって繭を乾燥させて貯蔵します。
糸を製する時は繭を煮ながら糸を繰り出します。一つの繭から取れる糸の太さは2.5~3.5デニールという細いものです。糸の長さは1200m前後の長さがあります。
 白生地などを織る時には大変長い状態で織りあげて、反物(12m),四丈物(16m)、疋物というようにカットして商品にします。
 一つの繭から取れる糸の太さは細いので五個、七個、九個の繭から一本の糸を作ります。作られた糸が生糸です。専門的には15中、21中などと言います。中というのは糸の太さのことで、一つの繭の糸の太さは約3デニールですから21中は七個の繭から一本の生糸にしたという意味です。

2010年11月20日土曜日

有馬 瑞宝寺

ここをクリックしてください画像が見れます

太閤も愛でたという瑞宝時の紅葉
山門だけが残っている廃寺址ですがその山門がロケーションの効果をたかめています。
ここは新緑の紅葉も綺麗ですしその時期はツツジも咲きます。

2010年11月19日金曜日

武田尾温泉

画像が見れますここをクリックしてください

妻の娘を三田まで送って行ったついでに武田尾温泉はたしか紅葉がきれいと聞いていましたので足をのばしました。
武田尾は19歳の時に一度キャンプにきたことがあります。
たしか川に沿って福知山線が走っていた記憶があったのですが、トンネルができてきれいに整備され、旧の廃線路はハイキングコースになっています。一度また車ではなくハイキングに来たいと思いました。
聞いていた通りに紅葉はきれいでした。妻が撮影しました。私よりセンスがいいようです。

2010年11月18日木曜日

西国33か所番外花山院



西国三十三か所には西国巡礼の開始と発展に関係ある3か所の寺院が番外として列記されています。
西国33か所を開始されたのは徳道上人で、その徳道上人を祀っている発越院が一つです。
西国33か所巡礼を再興されたのが65代花山天皇でその花山天皇が剃髪された元慶寺がその一つです。
花山天皇が晩年は三田にお住まいになられたので、三田の花山院ごその一つに数えられています。花山院はこの時期は紅葉がきれいで大変癒される寺院です。

2010年11月17日水曜日

長着の生地


長着というのは大人用の本身の着物の事です。
長着用の高級白生地といえば羽二重、綸子、縮緬がその代表です。

・羽二重=
平織り組織ですが、筬(おさ)といって経糸を整理するものがあります。その筬に経糸を二本入れて整経して、経糸に緯糸を交互にくぐらせて織りますのでその名前があます。
上品な光沢のある柔かい織物です。男子の高級衣料の紋付はこの羽二重が用いられます。

・綸子=
上図左の地模様のあるのが綸子です。
紋織は経糸何本かに対して緯糸を一本くぐらせるというように織って、糸の交錯を不均衡にして経糸と緯糸の浮き沈みで模様を織り出すものです。
繻子組織といいますが、今はコンピューターでジャガードが簡単にできます。
ジャガードというのは紋紙に穴を空けて経糸を自動的に上げ下げされるものです。
これが出来るまでは柱の梁の上に乗って腹這いになって、人が経糸を上げ下げさせて織りました。従って、機の前に座っている人より梁の上で経糸を上げ下げする人の方が上級者であったのです。そんな大変な工程で織ったものですから、大変な高級品で支配者階級の上級者しか用いることができませんでした。

・縮緬=
緯糸に糊を付けて1mに対して3500~5000mの撚りを掛けて強撚糸に仕上げます。撚糸には右撚糸と左撚糸があり、それを交互に、即ち平織りに織った織物です。平織りですから朱子織よりも手間が掛からなかったのでその分安くなり、町人の礼装はこの縮緬が主になりました。
縮緬は撚糸を使用していますので幅は縮ます。幅は広く織って整理して普通の反物の幅にします。
整理すると撚糸によって畝が表面に出来ます。それが縮緬の特徴です。

 封建社会では男尊女卑ですから、男性が用いる羽二重が最上級で、次いで高級な綸子が次位で、支配者階級の下級者や一般庶民は専ら縮緬を用いました。そんなところから、一位に羽二重、二位に綸子、三位に縮緬というように白生地にも昔は格式が存在していました。
高級織物は綸子を用いられることが多く、帯揚げも同様で礼盛装、染物の着物には綸子の帯揚げを用いるという約束事がありました。
 礼盛装、柔らか物を着用した時は帯揚げは必ず綸子の帯揚げと決まっていたのですが、最近はそういう事を知っている人は少なくなり色さえあえば何でもありになっています

2010年11月16日火曜日

映画「幸せになるための27のドレス」


 主人公の女性はブライダルの仕事をしています。
今までに26人の花嫁を送っています。その記念に26着のドレスを大事に保管しています。勤めているオーナーのことが好きで会社では妻のごとくに尽くしています。そんな主人公にはチャーミングな妹がいます。
その妹が失恋をして姉の家に転がり込んできます。
姉が思慕している社長はその妹の魅力に惹かれて結婚を申し込みます。
 オーナーの事が好きで今日まで尽くして来たのですが、妹の事でもあるし、オーナーの真意でもありますから仕方がありません。辛くて気が進みませんが二人の結婚式のための準備をします。
そんな中で妹はあまりのも破廉恥なことを平然とします。オーナーの前では猫を被って良い女を演じます。見るに見かねて妹の破廉恥ぶりを皆の前で暴露します。
それで縁談が壊れてしまいます。元々は自分が好きな人だったのでその思いのたけをオーナーに告げます。告げられたオーナーは自分も嫌いではないので抱きしめてキスをします。
だけどもピタット来ないのです。嬉しくないのです。オーナーの方もそうです。
彼女には最近付き合いだした男性の事が胸につかえているのです。自分は最近付き合いだした彼の方が好きなのだということをオーナーとキスをして確証を得たのです。それに気付いて彼のもとに走ります。それが自分が着る幸せの27番目のウエディングドレスにつながる話です。

 どうということのない男と女の話ですが、それを見ていてふと思いました。
男と女は互いに惹かれあい、一緒に暮らしたいと念じて懸命に努力します。
それが実現できないときは嘆き悲しみ落ち込んで、死にたいと思ってしまいます。
あんなに一緒にいて楽しかった、一緒にいるだけで幸せだった。そしてみんなに祝福されて一緒に暮らせるようになった。それなのに月日の経過とともに白けてしまいます。
別に嫌いになるわけではなかっても顔も見たくないという時がある。一緒にいるだけでときめくことはなくなってしまう。
 人は夫婦は空気のようなものというけれど、阿吽の呼吸で分かり合えているわけではありません。経済的に困らなければ直ぐにでも別れたいと思っている人は山ほどいます。それを分かって理解できていない人も沢山います。それで何が空気のようなものですか。
 このことを解決しなければ人生は真に楽しいものにはならないでしょう。一番身近にいる人が好きでなくて何故幸せになれるでしょうか。こういうことにすら留意しなくて我意を通す人が多いからそうなるのでしょうね。

2010年11月15日月曜日

映画「幸せのきずな」


 この物語は車のワイパーを発明したロバートウイリアムス・カーンの物語です。
カーンは博士号を取得した発明家であり大学の教授です。
妻と6人の子供がいます。
6人の子供がいるという事は妻は家庭的で優しい女性であるという事を描いています。
カーンズも学者として研究熱心な人で、妻と雨降りに車に乗っていて思いつき、それまでとは異なったワイパー発明します。
それを友人に頼んでビッグスリーに売り込みにいきます。
商談成立間違いなしという段階になって話は破断となります。
特許裁判は時間が掛り自分のものであるという証明が難しいことをよいことに、カーンズの特許を無視してビッグスリーが自社の車に搭載します。
1969年以降はカーンズの発明したワイパー一辺倒になります。
約束が違うそのワイパーは自分が考案したものだと談判に行きますが、取り上げてくれません。
そこで仕事もなげうって闘争に明け暮れます。教授の仕事も辞め闘争に没頭したことによって家計は苦しくなります。ある時にフォードの代理人という人が来て、50万ドルで示談しようと家を訪れます。50万ドルというと一躍億万長者です。妻は家計も苦しいので示談に応じてくれるように夫に頼みますが、示談の条件は自分の発明であるという事を伏せたままでという事ですからカーンズは承知しません。
妻はこれまでは協力してやってきたけれどもこれ以上は堪えられないと言って家をでます。
それでもカーンズはあきらめないで裁判に持っていきます。裁判は弁護士を雇うお金がないのと専門的なことは自分でしか分からないから弁護士を雇わずに長男に手伝ってもらって自身で裁判に臨みます。
子供たちも家族や家庭のことを顧みらずに闘争に明け暮れる父親を嫌っていたのですが、大きくなって父の正当性を理解して全員が父親に協力します。
 もちろん最後の審判の時には妻も駆けつけます。判決はカーンズの勝利です。フォードは1億101万ドル支払うことで決着します。おめでとうと子供たちや友人知人たちではしゃいでいる最中に妻はその場から去ります。
 カーンズは追いかけて行きます。闘争を始めてから12年間掛かったそうです。その間妻はほったらかしのまま、妻はその間随分と苦労もし寂しい思いもしています。その過ぎ去った時間は帰ってきません。
 フォードは決着ついたけれどもまだ闘争は残っています。裁判によって莫大なお金を得ましたが人生はお金だけではない、もっと大切なものがある。この人はこの後も恐らく闘争を続けるだろうから同じことの繰り返しになるだけ。妻は「貴方は今後も闘争を続けるでしょうね」と夫に言うと夫は「Yes]と答えます。「そうでしょうね」と言って妻は去った行きます。カーンズの闘争の始末を描きながら一番言いたかったことは最後の妻が去るところです。一番大切なのは何か、そこを描いた監督に乾杯です。

2010年11月14日日曜日

谷汲みさん


地元の人から「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれる西国三十三ヶ所の満願霊場。
延暦17年(798)創建と伝わる寺には、次のような縁起が残っています。
会津の黒河郷に住む大口大領という熱心な観音信者が、ある時十一面観音像を建立したいと願って近くの村の文殊堂に毎日願掛けに通っていた。すると夢のなかに観音菩薩が現れて榎の木を示したので、大領はさっそくその木を切って、京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらった。
しかしようやく彫ってもらった観音を会津まで運ぶ途中、谷汲村まできて仏像がピタリと動かなくなった。「観音さまはここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこに堂を建てて像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困ることはなかったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音さまに華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名がついたといわれています。

2010年11月13日土曜日

肉丼


 簡単でおいしい、これは料理と言えるのか。
男の俺が作るものは簡単なものでも料理の内だ。
前にも記したが・だし汁を作って保管しておくことをすすめる。
そうめん、そばのつけ出汁だけでなくひじきの煮物、肉じゃが、すきやきの割り下、俺の好きな風に吹かれての豆腐にも、多くのものに使えます。
みず3.みりん1・濃口醤油1、そして甘い目の好きな人は砂糖をいれます。
その中にだしの素の顆粒を少し多い目に入れて一度沸騰させます。
一か月は大丈夫です。
出汁を少し多い目に入れて玉ねぎを入れます。玉ねぎがしんなりしたら肉をいれます。
あまり煮ると肉が固くなりますので、肉に火が通って肉の色が変われば出来上がりです。
ご飯にかけて山椒の粉があれば振りかければいいだけです。
ちょっとのろけを言わせて頂くと「今日は肉丼にするわ」と妻に言うと彼女は飛び上がって喜びます。俺の肉丼は、肉は安もんだけど美味しいと妻には評判です。

2010年11月12日金曜日

舐めたら駄目


修とはおさめるということで、この段階も大変難しいですね。
 着付けを例にしますと、みなさん着れるようになりたいと考えてお稽古に来ます。
でも着れるようになれる人の確率は物凄く低いのが現実です。
 フォーマルはもちろんですが、街着も最近はみなさん町では上手に着ておられます。したがって習ったとしても、そういう人達と比較して、上手に着れている自信がなければ外に着て出れません。恥ずかしくて外に着て行けない着付けでは着れたという事にはならないでしょう。現実にはそういう人の方が多いのです。
 その現実を直視しますと、たかが着付けです。その着付けができないということは如何に「修」の段階を極めることが難しいかという事です。
 
 何故そうなってしまうのか。それは前回の分で記したように今は趣味の延長としてお稽古に来られており、自分を磨き鍛える場という考えがないからです。
「頑張りましょうね」「頑張らなければ」と叱咤激励しますと、趣味の延長で捉えている人は、「別にこれを職業としたいと思ってないし」「別に先生になりたいと思ってお稽古しているわけでもないし」などと自己弁護します。
 例えば「自分は街着が着れたらいいだけですから」という線を引く人がいます。
 人というものは不思議なもので、ここまででよいという線を決めたら、ほとんどの人はその線を越えられないでその手前で停止してしまいます。
 そこは通過点と考えている人はその線を越えて前に進めます。お稽古の成果にとって一番大切なのはヤル気という精神面です。
 楽な位置に線引きをしている人は、そんな程度のものは直ぐに出来るようになるだろうという軽い気持ちで臨むからです。ウサギとカメの競争と同じです。
 器用な人でも楽な位置に線引きをしている人よりも、不器用でも志を高く持って取り組む人は確実にその線を越えれるのです。
線引きをしている人はどうしても取り組みが一生懸命になれないのです。
 楽な自分のペースで進めてしまうからです。自分の楽なペースで進めて出来るようになるほど簡単なものは何一つありません。
 簡単であればお金を得て主催することなどできないのです。お金を戴けるものはそれなりの難しさはあります。以前に記しましたように6か月無料というところがあります。私が教えている時に何人かそこの卒業者という人がお稽古に来ていましたが。下手も下手くそで見るに堪えない着付けしかできていませんでした。只という自分を追い込む必要のないところでお稽古してきたからです。

 人は努力すれば光る能力を持っているのですが、努力もしないで舐めて見てしまうという大きな欠点をも持ち合わせています。それは改めなければいけませんね。

2010年11月11日木曜日

「修」「破」「離」


お稽古事の進め方の理想に「修」「破」「離」というのがあります。
現在はお稽古事と言えば趣味の一環と捉えておられる人が多いのですが、昔は教養の一環として、自身を磨く一つの手段として考えていました。
 他者に好まれる人間になる。他者に役立つような人間になる。そうなることが自身の人生を有意義に充実させたものになるという考えであったのです。
 だから何かに取り組んだならば「離」の段階まで進まなければいけない、そうすることによって本当の意味で自信を磨き鍛えることが出来るということです。
 「習わんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ」という言葉があります。
「こうなったらいいなぁー」「こういうことがしたいなぁー」と思念しているだけでは一歩も前進しません。現実に自分の手で櫓を漕いで船出をさせなければ何も得られないし何も身に付きません。そういう意味では何かを始めることは「我が身ながらの師匠なりけれ」となり大切なのですが、始めたならば確かな目標を持って確りと櫓を漕がなければ船は前に進まないのです。遊び半分、娯楽の延長気分ではどうにもならないのも確かです。
 娯楽の延長気分でどうにかなるようなものでしたら、わざわざ貴重な時間とお金を投じてお稽古する必要のないでしょう。わざわざ貴重なお金を投じてお稽古しなければいけないものは全てそれなりの難しさはあるのが道理なのです。
 
 やると決めたら頑張らなければいけないのです。頑張らないで自分を磨き鍛えることはできません。自分を磨き鍛えないで自分の人生を充実させたいと念じることが矛盾です。
 若い人、特に女性は白馬に跨った王子様が出現してくるように思っていますが、現実にはそんに素晴らしい男はいません。
また自分が努力もしないでそんなに素晴らしい男が付くはずがありません。
他力に頼るのではなく、自力で人生を充実させる努力をしなければ人生はどうにもなりません。
そのためには思念するだけでなく自分を磨く何かが必要なのです。
 今の若い人は頑張るという事を忌み嫌う人がいますが、誰かが陰で助けてくれているからそんなことが言えているのでしょう。
またそういいながらも嫌々ながらも生活のために働いているのでしょう。
 同じ働かなければいけないのであれば少しでも収入がよく、働き甲斐のある仕事をしなければ損ではないですか。そのためには自分自身に値打ちを付けなければどうにもなりません。