2009年11月30日月曜日

理想の彼氏


   
   紅葉に 負けじと強く 手を握り

 封切を待って27日に「理想の彼氏」という映画を見てきました。
離婚をし、不倫も経験し、裏切りもし裏切られもして、67年間女性関係では様々な人間模様がありました。
 女性関係に於いては自慢にはなりませんが一般の人よりも少しは経験を積んでいます。そういう経験上から理想の男性と女性の在り方に付いて私なりの結論をえていますが、文化の違う外人とでは異なりはあるのではないかと大変興味がありました。結論としては同じでした。
 
 夫は経済的に力があり、日本の男性によく見られる亭主関白で、自分の思い通りに生活を営んでいます。
 そういう男は経済的に豊かで何の不自由もさせていなければ、妻は十分に満足しているだろうと思っています。
 十分にそれで幸せだろうと思っているから、妻の気持ちを顧みようとはしません。その上に自分の力に溺れ妻を軽視していますので浮気も平気でします。
 そういう夫の浮気を目にして幼い子供を二人連れて妻は家を出ます。
子供は幼いので自分が働くには子守が必要です。アルバイトで若い子守をしてくれる男性を雇います。その男性とハッピーエンドで終わるという映画です。
 夫と別れてから友達の勧めで幾人かの男性と付き合いをするのですが、どの男性も自己中心の考えをする人で好きになれません。
 ところが子守の男性は彼女が一番喜ぶことを優先させて尽くします。
正規の職業を有していないのですが、駄目男ではありません。大企業の誘いがあるのですが、自分が就職をすると彼女が困りますので断わって、子守のアルバイトを優先させます。
 そういう優しい心に引かれて彼女はその男性を愛するようになり二人はむすばれます。
 この後、二人は一度別れるのですが、自分の理想とする人は彼女と彼しかいないということで、別れてもお互いを思い心ではつながっています。そんな二人が再開して二人は結ばれるという内容です。
 
 お父さんと旅行に行くのは嫌、同じ楽しむなら友達と気楽に行きたいという女性が沢山います。
 経済的に明日から困らなければ直ぐにでも別れたいという、潜在感情を抱いている女性は物凄くいます。
 お互いの自我の応酬戦が何時の間にか一緒にいても楽しくないという夫婦関係にしていまっているのです。
 結婚をしてそのまま来ている人には理解できないかもしれませんが、人間の一番の喜びは、年老いても尚二人でいることが楽しいという関係です。
 そういう関係が壊れてしまっているから、それを補うのは趣味やお金ということで、余計にお金に執着してしまうのです。
 お金なんか食うに困らないだけあれば十分です。それよりも映画で描かれているようにお互いが労り助け合う優しい関係が理想です。
 難しいね。この理想を成し遂げる人が何人いるでしょうか。時代がどのように変わっても永遠のテーマですね。

2009年11月27日金曜日



  太閤も めでた紅葉や 瑞宝寺

 バスは裏六甲を下って行く。有馬の街を見下ろす麓に近い所に瑞宝寺前のバス停がある。バス停の直ぐ目の前に階段があり、そこを10m程上がると民家があり、その民家の空き地に大きな古木の紅葉の木が二本あり、今が盛りと赤く燃えた姿を見せてくれる。
 しばし立ち止まってカメラのシャッターを切る。
そこを左に曲がって坂道を少し行くと、その一角だけが赤く燃え上がって私たちを迎えてくれる所がある。そこが瑞宝寺だ。
 極楽浄土は花で彩られていると聞いているが、その極楽浄土に招かれたごとくあまりの美しさに呆然となってします。
 紅葉は黄色、オレンジ、紅色に姿を変え折り重なるように色を重ねて輝いている。
 その色はただ絵具で色を重ねた色彩ではなく、先のない命を燃やして最後の務めを果たしいる生きた色だから私たちの心を捉えて離さないのだ。
 あまりに艶やかだから彼女達にしよう。彼女達はもうすぐに散り絶える。
しかし来年もまた元気に芽吹き私たちの人生と同じように一生を演じる。
 私たちは一度きりだがその生き様は同じだ。
宇宙という大極からすれば人間も木々も宇宙を構成している一つの要素にすぎない。
 同じものであるならば自分も最後は紅葉や桜の如く、最後を華麗に輝かせて死にたいものだ。
 そのためには深く緑に彩られている間に輝きの為の蓄積を怠ってはいけない。六十代はまだまだヒヨコだからもう一頑張りしなくては。

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2009年11月24日火曜日

大自然の芸術



 これから化粧を始めようとしている。少し化粧の出来ている人もいる。すでに化粧を終えて艶やかに颯爽と風になびいて私の目を捉えて離さない魅力に溢れている様子を振舞っている。
 この艶やかな魅力に溢れた様子は私たち人間には創り出せない大自然の芸術だ。
 芸術とは美を伝える手段で、美とはそれにふれた者の心を高尚に、かつ高揚に導き、一服の清涼剤を頂いたごとく心を癒してくれる。それだけに留まらず「よし、また明日から頑張るぞ」という善なる心を喚起させてくれる偉大なパワーを持っている。だから芸術は偉大なのだ。
 大自然は季節ごとに私たちに素晴らしい芸術を提供してくれる。この無償の芸術を体一杯に感受することは生きていく大きな喜びの一つだ。
 しかしこれは誰もが感受出来るものではない。自然の偉大な力に畏敬を抱き感謝し、いつも関心を寄せているものだけが受け取れる恩恵だ。
 神は差別なく偉大なものを提供してくれているがそれを感じ取れる個々の生き方が問われる。

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2009年11月19日木曜日

自立



 以前に「スタンドバイミ」という映画を見ました。
子供の頃は各々の立場や思惑や利害などの絡みはなく無邪気に交際出来ていたのが、大人になれば各々の思惑やまた利害や損得が絡んできて、こどもの頃のように無邪気に友達として交際しにくくなるという映画であったと記憶しています。
 
 大人になれば男は特に仕事が主となりますので、利害や損得や力関係を考慮しつつ付き合わなければいけなくなります。
 マイペースで付き合えることは少なくなります。こういうことは国と国との関係においても全く一緒ではないでしょうか。
 鳩山総理と岡田外相の間で沖縄の基地問題に付いて温度差が生じているようなことが報道されていました。
 マニフェストに掲げた方針を貫きたいというのが鳩山総理の意向のようにおもいます。それに対して岡田外相の方は現場で直接折衝を行っている立場として、民主党の思惑を貫き通すことの難しさを直に感じ取っていることの温度差のように思います。

 自分のペースで交渉は進展して行けば問題はありませんが、それぞれに事情を抱えているもの同志ではそんなに簡単にはいきません。
 自分のベースで付き合いたければ、人に一切依存することない完全自立が先ず大前提でしょう。
 防衛面において長年に渡って人頼みの政治を行ってきているのですから、政権を取ったからといって自分たちの思い通りにと考えるのは拙すぎる考えだと思います。
 自分の意見を通したければ憲法を改正して自国の防衛は自国でする。
完全自立を果たしたから、「アメリカさん長年に渡ってありがとうございました」といって引きさがってもらうようにする。それが当然の理でしょう。
 何故勇気を持って憲法改正を唱えて実行しないのでしょうか。
今やアメリカは日本よりも中国をパートナーとして重視しています。
中国の体制を考えた時に中国と対等に仲良くやっていくには、力関係において強さを誇示する外交上の作戦があって日本を踏み台にしているということではないでしょうか。
 日本は早くに完全自立しなければ、世界での発言力が劣化していきます。
国と国の交わりは人と人との交わりと同じです。完全自立なしで相手と対等に対話できるはずがありますん。
 子供たちは完全自立出来ていないのに大人に対して生意気な振る舞いをします。それを許しているそんな軟弱な大人たちの心根がそのまま政治の場でも拙さを披歴しているように思われてなりません。
 私は子供のころは悪ガキで喧嘩も強かった。あいつは強いと思われていると人は親切にしてきます。それに対してこちらも優しくしていくと信頼関係はより深まります。
 あいつは弱いと思われていたら、何を主張しても取り上げられないで軽視されます。子供の世界も外交も同じです。喧嘩をして血の一つも流したことのない良い子はそんなことは分からないかもしれませんね。

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2009年11月14日土曜日

大丈夫民主党



  官僚は参画させずに民間の有識者と政治家主導で財政の仕分けが現在行われています。
 今までには見られなかった画期的な試みですから大いに期待し政治が変わっていくことを嬉しく思っています。

 一般論ですが、役人は保身のために保守的な考えに陥っています。
民間では保身のためには実行力をもって革新的でなければ今や直ぐにリストラの対象になってしまいますので、大きな違いがあります。
 無愛想で事務的で血の通った対応が感じられません。
「すみません」「ありがとうございました」と頭を下げることを知らないのでしょう。そのくせ仲間意識が強くコネクションのある人や、知り合いに対しては親密です。だから天下りが後を絶たないのです。
 役人に対しては私だけでなく馴染めないという人が多いのではないでしょうか。
 このたびの仕分け作業は私たちが直接選んだ人が主導権を握って行っています。即ち、我々国民の手に主導権が渡ったということですから、それだけでも民主党に勝利させて良かったというのが正直な感想です。

 良い面は如実に表れていますが、その反面で非常に重要のところで大丈夫かということも露呈しています。
 その一つが暫定税率の廃止です。
暫定税率を来年四月から廃止と唱えています。1リットル当たり25.1円の
暫定税率分を廃止する代わりに20.1円の温暖化対策税を課すという案がでています。
 ガソリンは安くなりますが石炭は1キロ当たり0.7円の温暖化対策費を上乗せして3.44円にして、灯油は1キロ当たり2.04円から4.82円とする。電気料金の税負担は1キロワット当たり0.52円から1.04円にアップします。
 それによって暫定税率は廃止してもⅠ世帯当たり年間1127円の負担増になるということです。
 暫定税率廃止などと私たち国民を喜ばせる格好いいことを言いながら、「なんやこれは」という事態になっています。

 今の財政の仕分けを見ていますと、財政の本体である部分に出来たオデキや腫れものをどう除去しようかというっことをやったいるだけですから、大きな無駄廃止にはならず、結果的には財政は膨らんで国債を増発し我々国民に負担を強いるということになっています。
 このたびの選挙では民主党は財政の抜本的な改革を行い、無駄を省いた余剰金でマニフェストに掲げたサービスが提供できると確か言っていたはずです。
 まだ始まったばかりですから、もう少し長い目で見て行かなければ仕方がないと思いますが、約束通りに財政の抜本的な改革がおこなえるのでしょうか。
 そのうえで役人や議員の定数も削減して国民の納得が行くようにしてくれるのでしょうか。
そこまで本当に出来るのか。大丈夫ですか民主党さん。大きな名誉とお金を得ているのですから命を掛けて頑張ってください。

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2009年11月9日月曜日

子供はどう育てるのが理想か



  昔は子供は社会からの預かりものと言われ、子供の養育についての指針や概念がありました。
 私たちは社会とい人の群れの中で共存し共に支えあっています。
支えあっていると言っても、どんなに力のある人であっても支えている力は微量です。
 支えられて生かされていることが真理です。
その道理からすれば、自分の子供といえども少しでも早くに社会に送り出して恩返しをすることが真っ当な考えでしょう。
 社会に出て大きく社会貢献した人は、経済的に潤い心の面においても豊かに暮らせる。社会というものはそういう図式で出来あがっていますので、昔のように子供は社会からの預かりものという観念で育てることが、当人にとっても最も益のあるものとなるように思います。

 幕末に活躍した吉田松陰は叔父の玉木文之進に教育されました。
玉木文之進は大変厳しい人で、ある時松陰が叔父から殴る蹴るの暴行を受けているのを松陰の母は偶然見かけました。あまりにすさまじい怒り方に母親は思わず出て行って救いの手を差し延べようとしたのですが、ぐーと思い止まって、物陰で泣いていたという逸話があります。
 今の親だったら「家の大事な子供に何するねん」ときっと喧嘩になるだろうと思います。
 手を差し延べるのは簡単です。しかし子供の成長のためにはぐーと堪える愛の方が大切です。
 簡単なことよりも難しい方を選択して子供と接して行かなければいけないのですが、今の親は直ぐに子供を構ってしまいます。
 その分子供は根性のない、辛抱や我慢の出来ない、勇気のない子供になってしまいます。
 厳しく怒られて恐怖心を抱いたことのある子供、辛くて怖い経験のある子供は人に対して思い遣りのある、そして勇気のある子供に育ちます。
 学校でも職場でも陰湿な苛めが蔓延っていますが、苛める子供は自分が怖い経験をしたことがないのです。甘やかされて育っているから他人の苦しみや辛さが理解できない最低の子供に育ってしまいます。
 学校や職場はその人の人生を左右する重要な場です。それが苛めによって続けられないということになれば、それは立派な犯罪行為です。
勉強なんか二の次で良い。人の苦しみが理解できない人間は最低です。
それを理解して教育して行くのが親の責任です。親達よ頑張ろう。

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2009年11月5日木曜日

子供の芽生え



 子供を出産すると母親の体力が戻るまで育児室に預けられ、大きな病院では多数並べて寝かされています。
 母乳を与える時以外は必要なチャックを受けて寝かされていますので、その段階では嬰児達はぐずったりというような個性を発揮することなく大人しく寝ています。
 ところが母親の手元に戻されて親が養育しだしますと次第に色づけされて個性が作り出されて行きます。
 
A:親の中には子供可愛さに一生懸命に構って育てる親
B:どうしたらよいのか分からないから親頼みの母親たち
C:子供は可愛いけれど生活のために構って上げることが出来ない母親
D:子供を構って上げる時間は十分にあるけれども、自分の癒しや楽しみ
  を優先させる母親

子供を育てるということはそのことを通して親自身が勉強するということですからBやDの親は大人に成り切れていないのです。

 子供はそういう親の都合や環境によって次第に色づけされて性格というものが作り出されていきます。
 子供自身で性格を作るということはないのです。
昔から子供は親の尺度しか育たないと言われています。その言葉がそれを証明しています。
 どんな形で子供を育てようと子供は育ちます。
ですが子供は自分の分身で可愛い、そして子供は親の生き甲斐であり、夢の一つであり、楽しみの一つです。中には自分が達成できなかったロマンを子供に託して子供の養育に必死になる母親もいます。
 子供を掴まえて始終小言をいったり叱ったりしている母親も少なくありませんが、そういう行為は結局は自分自身を叱っていることになるのですが、親は分かっているのでしょうか。
 子供の芽生えにとってそういう親の芽生えが大切です。

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馬鹿が歌っています

2009年11月1日日曜日

生き方の修正



 人間の欲望が文化を発達させて来たことは確かです。
今後どのように発達して行くかということですが、難しいことは分かりませんが、テレビや自動車は目覚ましく進化して行くと思います。
 これも人間の欲望のなせることですが、忘れてならないことはどんなに文化が発達しようとも、私たちの生きて行く原理原則は普遍のものであるということです。
 
 野には赤い花黄色い花が咲いています。
夜の巷には同じように赤い花、黄色い花、青い花が咲いています。
欲望の強い私たちは野山に咲く花よりも、あやしく光り輝く街の花に心を奪われ勝ちです。
 町の花は貪欲に彩られているだけで、それはやがて貧困につながります。
その点、野に咲く花を愛する人は持続する豊かさを得られます。
 人は寂しがり屋ですから、人の温もりを求めて街に繰り出しますが、そこに咲く花からは一時の癒しが得れても持続する豊かさは得られません。
 
 嘗て、日本人は大自然の風情いを愛でるというよりも信仰にちかい気持ちで接して心の豊かさにつなげて来たという歴史があります。
 今の人は経済に振り回されて自然を愛でるという美意識を失くし、ハイテクにばかり目を向けています。
 ハイテクは生活を便利にしてくれますが豊かにはしてくれません。
便利さを得てそのゆとりを大自然に目を向けた生活をしてこそ、真にゆとりのある生き方が出来ると思います。
 
 野山が美しくなり、川や海が美しくなってこそ私たちの心も美しくゆとりあるものになると思うですが如何でしょうか。
 私たち全てが最後は自然の白い花に囲まれて見送られことを忘れてはいけないと思います。

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