2010年9月30日木曜日

匂い重ね


拝みても 萩の匂いに 気もそぞろ

大阪府豊中市中桜塚
阪急宝塚線曽根駅から徒歩直ぐ
東光院

*匂いに付いて

平安時代の礼装である十二単は白の小袖の上に袴をつけます
その上に単衣、五ツ衣、打衣、表着、唐衣、裳 を着用します。
一番下に着用する単衣は一番大きく仕立てられています。
そして五つ衣、打衣、表着と上に着用する衣ほど裄と身丈が次第に短くなるように仕立てられています。
裏は襟、襟先、立褄、裾、袖口に1cmほどふき出しに仕立てられていますので、着装した時はその部分の色の重なりが見えるように出来ています。
着装した時は色の重なりが華やかに艶やかに目に映るようにして、色の重なりを楽しんだわけです。
それを重ね色目といいます。
松重、梅重、藤重というように季節に合わせて様々な重ね色目を楽しみました。
この素晴らしい重ね色目の感覚は、現在でも着物を染める時に地色に対して柄色を何色にするかという時に参考にされています。
季節に応じて様々な重ね色目を楽しんだのですが、重ね方の一つに「薄洋」「匂い」というのがあります。薄様(うすよう)はさいごを白色に重ねるもので「匂い」は上から順に薄く重ねる色重ねを言います。
そんなところから匂いは色の重なりを示す言葉として使用されています。

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2010年9月29日水曜日

ワンコインノンサート


県立芸術文化ホール KOBELCO大ホール
ヴァイオリン  マウロ・イウラート
ピアノ     ジョゼッペ・マリオッティ
曲  バッジーニ 妖精の踊り

 芸術という言葉があります。
美を伝える手段と言う意味です。
例えば京都や奈良などに散策に行きますと、崩れかけている白壁の土の上に、苔と草が根付いてその白壁に枝垂れかかるように紅葉が色を付けている。
崩れかけている白壁は綺麗ではありませんが、何とも言えない感動を覚えさせてくれます。
 そのように私達に高尚な感情の高まりを覚えさせてくれるものを美といいます。
 
 美というものはその人の並はずれて才能だけでなく、そのものを通して死に物狂いでその事を研鑽してきた情熱と努力が感じ取れるから、見る者、触れる者の心に感動を与えてくれるのではないでしょうか。
芸術は私達の気持ちを心地よく揺るがせてくれる最高傑作ではありますが、それを感じ取るには見る側の理解度が問われる難しさはあります。私には陶芸はさっぱり理解できません。
 
 さて芸術の素晴らしさとは何か。人は感動、感激を覚え「よしまた明日から悪いことをしたろ」と言う人はいません。
素晴らしい芸術に触れると「よかった。よしまた明日から自分も頑張るぞ」という善なる心を喚起し、実践につながるから芸術は偉大なのです。
 素晴らしいものに触れて感動しても「よかったね」だけで終わってはいけないのです。
「良かったね」と癒しだけに終わらせてしまう人が多いのですが、以前に私が記したようにそんなに癒しが必要なのでしょうかということです。
 芸術家は才能だけでなく血の出るような努力と情熱を捧げて出来上がっています。私達は自分の人生においてそのような努力や情熱を傾けたことがあるのか。恐らく大半の人はないでしょう。
そのように血の出るような努力と情熱を傾注して目標を達成すれば、癒しなんか必要でない存在になれることを知ることは大切です。

2010年9月28日火曜日

色と柄の調和



色目と言うのは遠目でもはっきりと分かりますので良く似合う色を選択するのは大切です。
思わぬ色の組み合わせが素敵で装いの効果を高めるということはあります。
 色目に付いては別に約束事はありませんので組み合わせは自由ですが、垢ぬけて見える色合わせがありますのでご紹介します。

(1)
着物と帯の地色を同系色の濃淡で合わせる組み合わせです。
(2)
きものの柄色の方が目立ちますので、着物の柄色の一番目立っている色目に、帯の地色を合わせるか、同系色の濃淡で合わせる組み合わせです。
上図の写真の訪問着姿の左は裾が濃いグレーの色を使用していますので、帯は其の色に合わせたコーディーネートをしています。
右の写真も同じく着物の柄色は金色ですから帯も金色地に合わせてあります。
スッキリと垢ぬけした色合わせになっていると思いますが如何でしょうか。
(3)
昔は濃い色の着物には薄い色の帯を合わせる。
薄い色の着物には濃い色の帯を合わせるという色合わせをする人が多かったのですが、きつい色合わせですから最近はきつい色合わせを避ける人が増えています。
これを参考にして頂ければ結構垢ぬけた色合わせになります。

*柄の調和
これも約束事はありませんので自由ですが、花鳥風月は花鳥風月同志のはんなりとした雰囲気で組み合わせる、幾何学模様は幾何学模様同志の組み合わせがスッキリします。
縞模様の着物にには人形柄や置き物などの道具柄などがよく合います。
吉祥文様には有職文様を組み合わせると重厚な組み合わせになります。

2010年9月27日月曜日

裁縫の思い出




 駄目で元々と考え梅田で時代衣裳着付専門学院を開校しました。
 一年目は順風満帆の出足だったのですが一年経った段階で残ったのは3人で、それからというものは何とか潰さないようにと踏ん張りました。
 芸能界の衣裳を担当している頃に京都の室町の呉服問屋に衣裳の仕入れに行っていました。呉服の問屋を知っていました。そんなことできものが欲しいという知り合いがいれば室町に一緒に連れて行って商談が成立すればバックマージンを貰うというようなこともしていました。
その第1号のお客さんは大きな事業をしている知り合いの奥さんでした。
 その奥さんは80万円の訪問着を買われました。35年位前の80万円ですから超逸品物の最高級品です。
 「20日後の身内の結婚式に着たいのだけど仕立て出来るか」と聞かれました。
 今でこそ室町も一般のお客さんが行くので仕立て屋を抱えていますが、当時は商売人相手に売るだけでしたから、仕立てはしてもらえません。私達も仕立て屋を抱えるほどの力は無いので仕立てをしてくれるところを知りません。
 仕立上がりの日が決まっていますので、後で探すというわけにはいきません。その場で仕立てが出来ることを即答しなければいけません。
 この商談が成立すれば3割程マージンが頂けるので何としても「仕立出来ます」と言わなければいけません。
 別れた妻は和裁が出来る人だったので「お前できるやろ」と聞きますと、そんな高級な着物は縫えない。縫う自信がないと言います。私達にすれば大金が入ってくるのですから「なんとか頑張ってみます」と言ってほしかったのですが、「絶対に嫌だ」と言い張ります。それでも私は「分かりましたお約束の日までに必ず上げます」と言って買っていただきました。
 家に帰ってこんなにお金が貰えたのですから頑張って縫ってくれと妻に頼んだのですが「嫌だ」といいます。仕方がないから私が縫いました。
 地方巡業の舞台に行きますと現地で衣裳合わせがあります。大抵一人で行きますので寸法直しをしなくてもいいように役者の寸法は分かっていますので、こちらで勝手に決め付けで持っていきます。
着物の場合はそんなに駄目が出ないのですが、主役級の人はこっちの方がいいなぁーと、予備の衣裳の方を選択することも稀にあります。そういう時は寸法直しを自分でしなければいけませんので、着物はどういう形になっているかが分かっていました。また運針も出来ました。
 最初に絵羽の模様合わせをして、模様がずれない様にしつけ糸でしつけをしてから、ヘラを打ってそれからばらして縫うという順序で縫い上げました。
 そういう商いがボチボチですが成立するようになり、アルバイトに行かなくてもいいようになりました。それからは教室の無い時は私が家にいて仕立てと子供の面倒を見る生活が2年ほど続きました。
何が言いたいのか。
若者よ命がけで取り組めば何事も成せばなるのです。若者達よそれを分かって下さい。一番大事なのは情熱です。

2010年9月26日日曜日

アメリカこけたら


円高が進めば輸出大国日本としては企業の損失が多くなり株価も当然下がります。
円高で一時は9000円を割り込む場面のあった株価ですが、ドル買いの介入があって一時は9600円まで持ち直しました。
だけどまた徐々に円高が進んでいます。それに伴って株価はジワリジワリと下げ、喉が乾いて水を欲したる人の如く市場介入の潤いを欲しがっています。
 24日には市場介入があったという噂が上がり株価は持ち直しそうな動きもあったのですが、それも噂で終わったためにその日の株価は下げで終わりました。
 ここで今一度ドル買い円売りの介入があれば日本の政府が本腰になっていることが通じて円高も止まるのではないかと素人目には思うのですがその気配がありません。
 先のドル買い円売りの介入ではドル安を望んでいるアメリカからは不快感を感じていると言われましたので、アメリカに気を使って市場介入は出来ないのではないでしょうか。
 市場の動向はアメリカに全て準じるという状態が続いていますが、そんなに日本経済に力がないのでしょうか。
 日本は先のバブルがはじけた時に復興までに10年掛かりました。
アメリカもリーマンショックから立ち直るのに10年くらいかかるのではないでしょうか。

 アメリカは尖閣諸島の問題でも中国との摩擦を避けて日中間で解決してほしいと言っています。
同盟国でも今は簡単に口が出せないアメリカの経済事情なのです。
 アメリカが本当に強い国である時はアメリカを頼っていればなんとか成ったのでしょうが、現状を見つめればもうそろそろ日本も完全自立しなければ、益々窮地に追い込まれる羽目に陥るようにおもいます。
 中国はアメリカが経済的な関連で日本苛めをしても今は口出し出来ないことを読んでいるかのように嵩に掛かって責めてきます。
 今回のこの状態は良い教訓です。
今後は日中間の問題では中国に経済的に弱みのあるアメリカはあてにならないことは明白になったのですから、政治家は確りとした舵取りと指導力を発揮しなければ世界から見放されてしまいます。頼むから確りしてくれ。

2010年9月24日金曜日

考えても仕方がない事は考えない



 誰もが豊かな生活を望んでいます。
そのためにはお金が必要です。お金は欲望の充足に大きく関わっていますので、お金を巡って様々な論戦が始まったりします。
 結婚をする時には自分が選んだ旦那は何処に勤めていて、その会社ではうまく昇進をして管理職になれたとしたらどれだけの所得がえられ、管理職にならなければこの程度で終わるという大凡の計算は結婚をする前から把握している筈です。
そういうことは既に分かっていて結婚するわけです。
ところが恋愛感情が薄れて来て一緒にいてもときめきを感じなくなってきますと、欲望は益々募るばかりですから亭主の収入について愚痴を零したり不平をぶちまけたりしだします。
 欲望は募るばかりですが、愛はそのうちに必ず冷めるということが若い時は分からないのですね。
 時には贅沢もしてみたいという欲望心がそうさせるようになるのです。そんな気持ちを現実化させるには、亭主の働きだけではどうにもならなければ奥さんが手助けをする以外にないのです。
 自分は主婦業に専念して働きたくないと言って、主人だけの稼ぎをあてにして愚痴をこぼせば、二人の仲は悪化するだけです。
 それしかないということが分かれば他の事をくようよと考えて言い争ってもどうにもなりません。
 それでも様々に主張し合ってお互いを傷つけ合っている人もすくなくありません。
 この年になるとなんとつまらないことかと思ってしまいます。
 今よりも良くなりたいと希望すれば妻が手助けをする以外にないのですから、考えても仕方のないことは考えないようにすることです。
 考えなければいけないことは、共稼ぎをしながら何時も明るく楽しくまた仲良くやっていくにはどう協力し合っていくかを考え話し合う事です。
 そこで一つ提案です。女性がフルパートで働きに出て、帰りにスーパによって買い物をして帰っている姿をよく見かけます。
帰って夕食の支度をするのですね。
 そんな状況で亭主が帰って来て「おい御飯」「先に風呂に入る」、食事を食べも「これ美味しいなぁー」の一言もない。そんな男とは別れなはれ。日本の男にはそういうタイプの人が多いのです。
 自分が甲斐性がないから働いてくれているのですからもっと優しく協力をしなければね。
男はよく働いて家族の者に優しく甲斐性のある人が一番男らしい男であることを知らなければね。

2010年9月23日木曜日

頑張れ若者



 今年は不景気ですから大学を卒業しても就職ができないという人も少なくありません。
本人も辛いし親御さんも切ないと思います。
 非常に気の毒であると同情します。そんな立場の人にはちょっと手厳しい事ではありますが、今年だけでなく就職活動は永遠に続きますので感想を述べさせていただきます。
 人は皆平等と言いますが、それは人権は誰にも犯されることが無い荘厳なものであるという意味での平等であって、社会生活上は平等ではありません。
 生まれながらにして社長を約束された人もいれば、いくら努力しても報われないという人も現実にはいます。
社会は力関係で成り立っています。
力のない、向上心の乏しい人には社会は無情に映るかもしれませんが、考え方によっては力関係で成り立っているから面白いとも言えます。
 
 人は誰もが良い生活(物質的に恵まれた)をしたいと望んでいます。それを実現するにはお金をより稼げる人になる以外に方策はありません。
 お金は高い所にしか流れませんので社会的に地位の高い人にならなければお金は流れて来ません。
 そのためには医者や弁護士などのように特別なライセンスを所持するか、サラリーマンなら管理職以上にならなければリッチさは遠退いて行きます。
 大学でも世間一般的には良い大学とそうでもない大学というように、現実にランク付けがされています。
 就職活動が始まれば良い大学の、それも成績の良い人から順に就職先が決まって行きます。
自由主義というものはそういうものです。だからその事を嘆いても仕方がありません。
 有利な立場を得たければ、自分も頑張って優先選考されるように良い大学に入り、よい成績を取れるようにするしか方策は無いのです。それが現実ですから其の現実から逃避しようとすれば豊かな生活を諦めなければいけません。
 学生は勉強することが本分ですから遊び呆けていないで、競争に打ち勝てるように勉学に勤しまなければいけないのです。
 人は本気になって頑張ればそんなに力量に差はありません。ただ親の躾や接し方や生活環境などによって頑張り方に差異が生じてきます。それが成績を駄目にしてしまう大きな要因になります。
 そう考えれば本人だけの責任とは限りませんが、本人が楽して楽しんだ分格差が生じていることは確かです。

 生き方は個々の考え方によって異なりますので一概に良し悪しは言えませんが、学生時代を楽しんで遊んだ分、遅れを取ってしまったと割り切らな仕方がないでしょう。
「いいや割り切れない」というのであれば頑張らなければ。頑張ることもしないで就職出来なかったことを恨めばそれは餓鬼の考えです。後悔先に立たずと言います。学生は勉強することが本文ですから頑張って頂きたいです。親も甘やかさずにもっと厳しく接しなければ。

2010年9月22日水曜日

娘との話



妻は仕事で三日もいないから暇潰しに阪神競馬場に行ってきました。
敬老の日ですが年寄りは見かけず、親子連れが多かったです。

男は自分の好みを優先させながらも、自分だけが楽しむのは気が引けるので家族を巻き込んで家庭サービスをしているわけですね。
子供は親と一緒なら何処に行っても喜んでいますので問題は無いのですが,果たして奥さんは喜んで来ているのでしょうかね。日頃仕事で頑張ってくれているので休みの時は旦那の希望に合わせて付き合いで来ているということもあるのではないでしょうか。
以前に娘から彼の事で相談を受けた時に、言った言葉を思い出しました。
昔から男は外に出れば七人の敵がいるなどといいましたが、そんなことはありません。
何処に行っても人間関係の難しさはありますが、敵というものではありません。
自分もサラリーマンを経験していますので良く分かりますが、仕事仕事といいながら男は外に出ていますので適当に息抜きは出来ています。
その点女の人は一見楽なように見えますが男のような息抜きはできません。時間的にも経済的にも我慢辛抱の生活を強いられている人が多いのです。
ですから休みの時ぐらいは自分の望みを優先させるのではなく奥さんの希望を優先させる男を選びやといいました。
パチンコでもそうですが二人で打つと勿体ないので男性が打って女性は傍らで見ている光景をよく見かけます。そんな男は先でも自分の事ばかりを考える自己中で道楽をするタイプだから自分のしたい音ばかりを優先させる男は間違っても選ぶなと言ったことがあります。
男と女の関係では一般的には女の方が我慢辛抱している事の方が多いので、そういうことを理解して自分のしたいことはばかりを押しつ行け無い男を選びなさいとアドバイスしています。
健康で優しく欲働く男が最高なのですが、大人しすぎるのはいやという人も多くてそんな人は失敗をしていまうのです。

2010年9月21日火曜日

君に読む物語



何時に放映されたのでしょうか。レンタルDVDを借りて来て見ました。
 妻は認知症になり入院をしています。子供達は認知症は見分けが付かないのだから、一緒にいても仕方が無いから家に帰って来て下さいと父に言うのですが、妻の面倒を見たいから夫も同じ病院に入院して、暇を見ては妻を散歩に連れ出して妻に物語を読んで聞かせます。
 その物語は自分達二人が知り合ってから一緒になるまでの実話です。
それを読んで聞かせることによって記憶がよみがえり正気にもどったことがあるから、少しの時間でもそうなってほしいから飽くことなく同じ物語を読み聞かせるのです。
 
 そして映画は二人の若い時の物語へと入って行きます。
好きで好きで一時も離れたくないと愛し合った二人ですが、女性は富豪の娘で男は肉体労働者です。
身分の違いで二人は引き離されます。無理やり引き離されたのですが、彼は毎日一年間手紙を書きます。しかしその手紙は彼女のお母さんによって隠され彼女の手元には届きません。
 彼女は彼はもう自分の事を諦めてしまったものだと思い込み、新しい恋人が出来ます。その彼は実業家でお金持ちです。彼女の両親も大賛成で二人は婚約をします。
 結婚式を間近に控えたある日、初恋の彼が新聞に載っているのを見ます。その記事を見て心が動揺するのでキチットけじめを付けるために、今の彼に許しを得て逢いに行きます。
 逢ってからあんなに愛し合っていたのに何故何の連絡もくれなかったのと彼を責めます。
 彼は一年間毎日手紙を出したのに見ていないのかと言います。それを聞いてやはり彼は自分のことを愛してくれていたのだと分かり、以前の愛が蘇って二人は元の関係に戻ります。
 そこに母が連れ戻しに訪ねてきます。彼も同じ町まで迎えに来てホテルで待っていると告げます。許婚の彼の事も好きなのです。彼はお金持ちで元彼は労働者ですから、どちらを選ぶか悩み迷います。そして場面は元の病院のシーンとなり読み聞かせている場面に戻ります。
そうです初恋の彼を選んで結婚したのです。
お金よりも悔いが残らない、どちらがより好きかを基準に選んだのです。
 一般的には経済力最優先で選ぶのが通常ですが愛を優先させたのです。
 彼はお金持ちではありませんが、彼女が認知症を患ってからも付きっ切りで面倒をみています。結婚はお金よりも本当に優しい人と結ばれるのが理想ですよね。、
 
 現在でも女性の方はお金よりもそういう理想の結婚をしたいと念じている人が多いようにおもうのですが、男性は現実優先でロマンの持てない人が多いように思います。
力関係ばかりの中で苦脳しているからでしょうか。
 映画は理想の夫婦関係を描いていますが、現実にはそうでない夫婦の方が多いから見つめ直しなさいという警鐘でしょうね

2010年9月20日月曜日

敬老の日に思う


はや紅葉 入道雲に 紅を差す

 敬老の日を迎えるに当たって若い人達にアンケートを取ったそうですが、その結果何も考えていない。特別何もしないという人が大半であったそうです。
 子供が望んでいなくても親は様々に子供を構います。大人にとって構う事が楽しいからです。
ところが年寄りは放ったらかしにする。年寄りを構っても面白くないからです。
人間は実に正直に反応します。

 人間は必ず年老いてそして亡くなって行きます。そういう自然の節理からすれば子供よりも年寄りを大切にするのが正当なのです。
そうすることによって子供の心にも敬老の観念が植え付けられて行って、子供の自主性や自立心を養うことにもつながり、子供の情操育成面にプラスに作用するはずですが、そういうことを願うのは無理。時代は変わりました。それはもう夢のまた夢になって来ています。
 
 社会保障が充実しているノルウエー等では親の面倒は見なくてもよい、親もまた子供に面倒を見てもらう気持ちは無い。そういう概念が定着しているそうですが、日本ももう先の長い話ではなくそうなって行くでしょう。
それが実情なのに、社会保障制度の構築を思念する時の基軸に、いまだに道徳観念を考慮して制度化しようとする時代遅れの政治家がいます。
 淋しく悲しい事ではありますが現実に年寄りは孤立化していくのですから、その時代の流れに沿った社会保障の充実を考えなければ孤独死して放置されたままの年寄りは益々増えて行くと思います。

2010年9月19日日曜日

西国三十三ヵ所 善峯寺



天然記念物に指定されている日本一の松を紹介

2010年9月18日土曜日

成せばなる



サラリーマンとしては失敗者ですから、駄目で元々という気持ちで大阪の梅田に時代衣裳の着付専門学校を設立しました。当初は120人位来てくれました。
 月謝が一万円ですから120万円の収入です。
辞める前の給料が五万円前後で、経費は10万円に満たない程度でしたから、「やったぜ」と思いました。
 一年間のカリキュラムを組んでいましたので一年間はその状態が続きました。
問題が生じたのは一年後です。

 お稽古に来られていた人達は名の通ったきもの学院の先生方でした。
其の人達はこんなことも知っている。こんなことも出来るというように、自分の学院に戻れば他の先生や生徒達に自分の存在を誇示できるから来ていました。
 週に一回のお稽古で一年程度では出来るようにはなりません。しかし出来るか否かは関係ないのです。たとえ出来るように成ったとしてもそれを現実に活かせる場がないことを知っているので、時代衣裳に触れたという事実だけで十分ですから、一年経った段階で3人だけが残って後は辞めていきました。

 サラリーマンは働かなければ給料は入ってこないだけですが、商売をしていると働かなくても毎月決まっただけのお金が出て行きます。蓄えなんかアットいう間に無くなってしまいます。
 折角始めた学院運営であり、少ない人数ですが3人の人は私に賭けて残ってくれています。そのためにも絶対に潰せません。
そこで3人には同じ曜日にお稽古に来てもらうことにして私はアルバイトに行きました。
 大丸のお中元とお歳暮の配達です。当時は一個60円くれましたので、夏の終わりと正月前は給料の3カ月分位の収入になりました。
 子供は幼稚園の年長組と年少組ですから手が掛かりますので私が面倒をみました。
 幼稚園に迎えに行った足で其のまま子供を乗せて配達に行きました。子供は車の中で待っているのがしんどいので付いてきます。
其の家だと分かれば先に走って行って呼び鈴を押して「ごめん下さい大丸です配達に来ました」とさけんでいました。
 そういう状態が3年間続きました。宣伝をしなければ生徒はあつまりません。
 経費の中で宣伝費が最も高く付きますので其の宣伝も容易にできません。それでも必死で耐えて踏ん張りました。
 私は自分の苦労話を自慢するためにこれを書いているのではありません。
 私は親は既にいませんでしたので親から援助はしてもらっていません。兄弟にもお金を借りたことがありません。そんな状況であっても目標を掲げて、何としてでもやり遂げるのだという強い気持ちと情熱を持って取り組めば、大抵のことは成就する。その事を分かって若い人には頑張って欲しいのです。

2010年9月17日金曜日

癒しってそんなに必要


黄金の 稲穂に畔の 緑映え

 私は30歳の時に芸能界の衣裳の仕事を辞めました。
関西でドラマ制作をしますと製作費が高くつきます。
何故ならば関西出身の役者でもチョット売れてくると東京に席をおきます。
関西に呼べば交通費・宿泊代などの諸経費が嵩む事と、製作本数が少ないので大道具などの使い回しができなくてその分製作費が高くつくのです。
 同時に映画も下火になりましたので多くの仲間は東京に転勤しました。
 そういう状態ですから映画、舞台、テレビをあてにしなくても成り立つように、一般事業部の業績を上げなければと考え、きもの学院の先生方に十二単や芸者・舞妓等の着付けを教えますのでしませんかと営業に回りました。
 直ぐに飛びついて来ましたので毎週教材を風呂敷に包んで教えに行きました。
 教材費などを入れて結構なお金にまりました。そのまま続けて着付が出来るようになれば、映画やテレビ局の現場担当者として、常雇いでなく必要な時にだけアルバイトとして使えるという構想もあったのですが、会社側は乗り気でなく東京転勤の命が下りました。
 東京に行くのは嫌だったので断るつもりでした。
そんな時に教えている人達が学院をやれば私達は行きますと言ってくれました。
 私は神戸製鋼の養成工として入社しそこを辞めています。日本では学校から入社した会社をやめてそれ以上の会社に行けるということはまずありません。サラリーマンとしては失敗者ですから、駄目で元々という気持ちがありますので、皆が言ってくれることを受け入れて、梅田の扇町線に時代衣裳着付専門の着付け学院を開校しました。
 私は歌が好きですから50過ぎからよくカラオケを歌いに行くようになりました。人が素敵な歌を歌っています、「その歌は新しいのですか」と聞きますと「古いよ20年ぐらい前にヒットした歌や」と教えてくれます。
 私は学院を始めてから50過ぎまで歌も歌ったことが無いので知らないのです。勿論バーやスナック等にも行ったことがありません。私はギャンブルが好きで今でも日曜日には必ず競馬をしますが、50過ぎまではパチンコもしたことがありませんでした。
無我夢中で仕事をして来たのですが、遊びたいなんて事を考えたことは一度もありません。
自慢にはなりませんが海外旅行をしたことがありません。経済的には何の問題も無かったのですが行きたいと思ったことがないのです。
仕事一筋で癒したい癒されたいと思ったことがありません。世間では癒し癒しと癒し方に付いて叫ばれていますが。それって淋しいですよね。本当に打ち込めるものがあれば癒しなんか全く必要ではありませもの。

2010年9月16日木曜日

馬鹿な話



最近あっちの方が全く駄目になってきました。
出来ればまだまだ妻と睦み合いたいのですが駄目なのです。
その事を友達に話しますと、その友は「我々の年齢になってくれば何時も心がけてエッチなビデオでもみて脳を刺激させておかなければいけない」と教えてくれました。
そういえば最近は全くそちらの方の関心は無くなっています。
俺なんか何時も夜に成るとそういう筋の無料のサイトがあるので見ている。
お前も見たらと言ってくれましたので、まだパソコン歴一年半で分からないことが多いので開き方を具体的に教えてもらいました。
そして其の夜妻は泊まりの仕事でおりませんので早速開きました。
アダルト無料サイトで検索すると簡単に開きました。
細かい画像で三か所で最中の画像が出てきました。
無料サイトと書いてありますので、もっと大きな画像で見たいでしょう。
そう思って画像をクリックすると開くには認証が必要ですというのが出てきました。
これは20歳以上でないと開けません。20歳以上ですか「はい」「いいえ」で答えて下さいとありましたので「はい」の方をクリックしました。
そうすると貴方はこちらの会員になりました。何日までに58000円ここに振り込んで下さいという画像がでてきました。
 会員になった覚えは無いのでキャンセルしたいとみたのですが、そういう画面がありません。
ポソコン歴が浅くて始めての経験ですから少し慌てました。
いろいろと探していますと、不審な方はこちらに問い合わせの電話を下さいという画面がありました。
キャンセルの電話をしようと思ったのですが、待てよこのままだったら私の事は何にも分からない筈だ。それなのに電話をすれば分かってしまうので電話はまずいだろうと思いなおしました。
 これが悪名高いワンタッチ請求なのですね。これは明らかに詐欺ですね。
こういうものを許しておくというのはパソコンも気を付けなければいけないなぁーと思いました。
こういうものは何とか取り締まれないのでしょうかね。
ED解消で始めたものがこれで余計にEDが進行してしまいそうです。

2010年9月15日水曜日

お母さんの最後の一日



11日の土曜日の夜9時から「お母さんの最後の一日」というドラマを見ました。
亡くなって行くその日の様々なエピソードを描いたドラマでした。
 愛情一杯に育てられた3人姉妹が母の病状の悪化で見舞いに来て、病室が家族団欒の居間のような雰囲気になっている。大変幸せな最後の日を描いています。
 ドラマの中で担当の看護師の親子関係も同時に描いていました。
看護師のお母さんは娘のことを色々と構うのですが、それが嫌で嫌で仕方がないのです。構わないでほしい。放っておいてほしいと何時も言い争いをしています。
 患者であるお母さんは何時逝ってもおかしくない病状ですから、緊急体制で看護師は待機しています。
 そんな時にナースコールの赤ランプが灯りブザーが成ります。看護師は急いで病室に駈けて行きます。緊張の一瞬ですが、駆け付ければ病状でなく、付き添いで仮眠している娘の毛布が身体からはがれているから風を引かないように肩まで掛けてやって欲しいというものでした。
 その時その看護師はこんなことで呼びつけてと思うのではんく、母というものは何処でも同じで、母の愛はそんなに深いものである。有り難いものだということをその場で悟ります。
 人が聞けば何と迷惑な行為だと思うかもしれませんが、お母さんの愛は理など関係なく愛情を傾けてくれます。
恐らく親父がったらそんなことで人様を煩わせてはと理屈を優先さててしまうでしょう。

 母は自分の寿命は分かっているので夫と子供たちに死んでから読んでまらえるように手紙を書きます
その内容は一人ひとりの性格に合わせてこういうことに心がけなさいという簡単な内容で最後に幸せでした有難う。平均年齢まで生きられなくて御免ね。健康に気を付けて頑張ってね。少し早いけど幸せに行けるのだから許してねと書いてあります。
 ドラマの中で、「今日のこんな雰囲気の中で死ねたら一番幸せな死に方だね」というセイフがあります。理想の逝き方を描いています。
 以前にブログで書きましたが私も幸せな逝きかたをしたいと思っています。
 昔は運動会に家からご座を持って席取りに行きました。あれを思い出します。
 少し早い目に逝って下界の良く見える良い場所を確保しておいてやるから、「君(妻)はあわてないでいいからゆっくりと後からおいで。先に行っているわね。」「本当に有難う幸せだった。喜んで行くから泣かないでね。」そう言って逝けたらどんなに幸せか。そういう最後でありたいと念じています。
 それは簡単でありません。優しく尊敬される夫婦関係でなければいけないでしょう。そういう伏線がなければ幸せな逝き方はできません。
 改めて妻に感謝し大切にすることを誓いました。よいドラマを有難う。

2010年9月14日火曜日

尖閣諸島


日本の象徴か 暗い少し明りが見えるだけ

 今日は代表選挙ですが、中国の漁船が尖閣諸島侵犯に関して公務執行妨害で逮捕したことに対して中国が5回も大使を呼び付けて抗議を受けた。その上に要人の日本派遣をとりやめるということに対して物凄く私は腹が立ちます。
腹が立つというのは日本政府の態度に対してです。

 尖閣諸島は1880年~1940年に琉球の住民が船着場や鰹節工場などを建設していたのですがそのうちに無人化します。
 尖閣諸島周辺で地下資源があることが明確に成り、台湾、中国が自国の領土であることを主張し始めます。
 昭和の50年代に指定暴力団住吉会系の街宣右翼団体の日本青年社が尖閣諸島に入って私設の灯台を建設し、日本の領土であることを実証し保安に勤めました。
 尖閣諸島の領土権が叫ばれ出しましたので2005年に海上保安庁が日本青年社から受け継いで海図に日本の領土であることを明確にしたという事です。
 尖閣諸島は日本の領土であるか否かの明確化は日本の国民の財産という意味においては物凄く重要な問題です。
総理大臣の代わりはいくらでもいますが領土の代わりはありません。
 日本外交の極上の重要な問題ですが。それを感じて現実に実行に移したのは右翼団体である。
この事実からして如何に政治家が体たらくであるかが分かります。
 政府は2005年にやっと海図で領土であることを示したということを知ってあきれてしまいました。
 世の中は力関係で成り立っている事は個人も社会も国も同じです。
 経済的には中国とは親密に国交して行かなければいけない。その良好な国交を続けて行くためには舐められたらいかんのです。
「やるんやったら何時でもやるよ受けて立つよ」と言う気構えと武力を保持していてこそうまく行けるのです。会話だけで事が済めば理想ですがそうは行かないのです。
 沖縄基地反対なんて訴えて、それを支持することが正義だと考えている人がいますが、そんな非現実な考えでは平和は維持していけません。
 反対なら自国で完全自立をする。その上でもアメリカとの安保は成立するでしょう。それの方がお金が掛からないからアメリカも喜ぶでしょう。反対なら確かに自立しなければ。これは政治家だけでなく国民も確りと考えるべきでしょうね。

2010年9月13日月曜日

キムチ冷やしそば



冷やし麺に麺つゆをかけただけの簡単料理です。
麺は写真では和そばを使用していますが、中華麺でもそうめんでも同じです。
上にとまと、きむち、中華風きゅりの漬け物をトッピングしました。
麺つゆは何時も自分で作ります。

*麺つゆの作り方
・水3・濃いくち醤油1・本みりん1の割合です
だしの素を少し多い目に入れて一度沸騰させて冷まします。私は甘いだしが好きなので砂糖をいれます。
丼とか納豆、漬け物、冷ややっこ等に使えます。
男前豆腐店の「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」半分で147円くらいします。
この豆腐にこのだしをかけてたべたら美味しいですよ。これはおすすめです。

*中華風きゅうりの漬物
甘酢を作ります、そこにごま油、一味、らーゆ、ニンニクをいれて
きゅうりを適当な長さに切って浸しておきます。
これも簡単でおいしいですよ

*きむちは韓国の店で買って下さい。味はまちまちですが本場の人の作ったものは美味しいです。

2010年9月12日日曜日

郷愁 吾亦紅



こんなことをして遊んでいます
この曲を聞くと母という故郷を皆さん思い出します
涙される人もいます杉本真人のいい曲です

2010年9月11日土曜日

自転車買いました



先日自転車を盗まれた事を書きました。
妻の自転車を寝屋川から3時間半も掛かって持って帰ったものです。その時に私の自転車も虫を抜いて捨ててありましたので修理をして、一階ではまたいたずらされるかもしれませんので2階のフロアーに置きました。ここなら大丈夫だろうと思って置いていたのですが、それも盗まれてしまいました。
仕方がないから妻の分と二台買いました。
 団地の多くの人は自分の住まいする階まで上げて管理しています。
それはいかんだろうと思っていたのですが私達も上にあげることにしました。
武庫殿も同じ団地に住まいしているのですがサドルを取られた事があるといっていました。
 同じようなことが頻繁にあるみたいでサドルにワイヤーロープを付けている人が沢山います。
籠もよく盗まれるようで籠にも多くの人がロープをつけていますので、今度は盗まれないようにサドルと籠と車輪にワイヤーロープをつけました。
 これで大丈夫だと思いますが、同じ団地の人なのでしょうか。外部の人であっても悲しく情けなく淋しくなります。
 頻繁に盗みが起こっているこれは不景気だからでは済まされな根の深い問題です
 日本人はもっと義理堅く正義感に溢れていた人種である筈です。いつからこうなったのか。これも政治の貧困さが表出しているのでしょうか。

2010年9月10日金曜日

代表選挙



総理大臣をコロコロと代えるべきではない。
小沢さんは政治とお金の問題で検察審議会の判断が待たれている。
そういう観点からすれば菅さんの方が代表として相応しいと判断するのが正当ですが、その考えは一般的過ぎるのではと現在は思っています。
 現在は深刻な不況です。
不況なのに円高で中小企業は途端の苦しみに喘いでいます。アメリカがドル安を希望していますので、それに協力をするが如く円高がとまりません。それに対する強力な施策がなされていません。
 巷では30歳代でも可処分所得が20万円未満という人も多数います。おまけに職のない人も多いのです。
雇用と生活という面では今や緊急事態に陥っています。
先ずは景気回復が政治の最大課題でしょう。
 こういう事態に陥れば財政赤字にとらわれないで景気浮揚を最優先に大なたを振れる人がいいのではと考えます。国債を発行してでも景気浮揚を最優先にし、同時に国会議員の数を減らす。地方交付金の一括交付など大胆に改革を進める。それしかないでしょう。現況では制度の改めよりも仕組みそのものを変える改革が望まれます。
ところが菅政権は短い期間であったが、その政治姿勢は垣間見れています。改革の為の大なたを振れるようには思われません。
それであれば小沢さんに一度やらせてみてはという気持ちになっています。

2010年9月9日木曜日

きものと帯の調和・材質の統一



 絹地の物には生糸と使用したものと副蚕糸を使用したものがあります。
 絹は繭球から糸を繰り出して生糸にします。
繭球には蛹(さなぎ)が2-3匹入っている繭もあります。そういう繭から取れる糸を玉糸といいます。
繭は途中で糸がもつれて繰り出せないものや、最後まで糸を繰り出せない物があります。そういうのを加工して綿状にしたものが真綿です。その真綿から糸を繰り出した物が本真綿紬糸です。
 加工をしている間にどうしても屑繭が何&か出来ます。それを木綿のように紡績加工して糸にしたのが絹紡糸です。絹100%と表示をしてありましても絹紡糸(けんぼうし)が使用されているものは直ぐに腰が無くなりますので要注意です。
玉糸、真綿糸。絹紡糸を総称して副蚕糸と言います。

 因みに麻のように茎から糸を作ることを績む(うむ)と言い、木綿のように綿状のものを糸にするのを紡績といい、絹は製糸と言います。

 昔は礼服・礼装・晴れ着・よそ行き着は羽二重・綸子・縮緬地を使用し染めや繍(ぬい)が施されていました。それらの織物は全て生糸を使用して織られていますので、生糸を使用して制作された後染物の着物が格式は上とされています。儀礼の意味を込めて着用する着物は後染めの着物と言う約束事になっています。但し、先染めの着物でお召しというきものがあります。この着物は先染め物ですが経・緯共に生糸を使用していますので儀礼用として着用出来ます。

 着物と帯には生糸を使用してつくられたものと、副蚕糸を使用して作られたものがありますので、生糸を使用してある染の着物には生糸を使用して織った帯を合わせる。
 紬の着物は副蚕糸を使用していますので、帯も副蚕糸を使用して織った帯を合わせるというのが材質の統一です。
但し例外が一つあります。生糸を使用して作られた染物の帯は染のきもの、先染めの着物の両方に使えます。これは昔に礼盛装普段着を問わず腹合わせ帯を使用したことにより由来します。
 
 小紋や紬のきものをお召しになる時は、色の調和や柄の調和だけの好みで組み合わせては行けないという事です。

2010年9月8日水曜日

良質の喜楽とは



何回も記しましたが大切なことですからまた書きます。
人の生きて行き最大の課題は良質な喜楽(永続性のある喜楽)を得る事です。
 人は・寝ること・遊ぶこと・仕事をする事のサイクルの中で生活をしています。
寝る事と遊ぶことは身体と心をリフレッシュさせて、明日からの仕事に弾みをつけるためのものですから、そういうものからは良質な喜楽は得られません。
 良質な喜楽は仕事をすることでしか得られないのです。仕事は生き甲斐だ楽しいという人は既に良質の喜楽を得ておられるので問題はありませんが、問題は仕事は生活の為に嫌だけど我慢して働いているという人達です。
主婦業が生き甲斐だという人を今まで見たことはありませんので主婦もその一人です。
 そいう人達はどうしても趣味や娯楽や飲食などで心を癒すことに終始してしまいがちです。
趣味や娯楽や飲食で得られる喜楽は刹那的で永続性がありません。
 刹那的ですから次から次にと同じことを追い求めてしまいます。限りなくお金が続けばいいですが使えるお金には限度がありますので我慢や辛抱を強いられます。恐らく我慢や辛抱を強いられる事の方が多いでしょう。
 我慢や辛抱の多い生活は不平不満ばかりの生活になってしまいます。そういう生活はしんどいです。酒でも飲んで憂さを晴らさなければやってられないということになってしまうでしょうね。

 誰もが社長や管理職に成れて出世するわけではありません。遣り甲斐や生き甲斐を感じながら仕事が出来るわけでもありません。ならばどうすればいいのでしょうか。
 人は自分は賢い偉いんだというプライドが無ければ生きて行けない動物です。
 プライドが強いから自分の置かれている立場に何時も不平不満をぶつけます。ぶつけても解消するわけでもないし、逆に立場がわるくなるだけなのですが、不平不満を鬱積させてしまうのが一般的です。一般的にはそうなのですが、それだは何の解決もしません。
 
 自分の価値は自分で決めるものではありません。人が決めます。多くの意見としてあいつは駄目な奴だと評価されればその人は社会的には駄目な人なのです。
人は自分のことは抜きにして、他人の事は良く見ています。そしてその批評は概ね良く当たっています。
だから自分は自分はと自分を誇示しないで、自分のような者でもこうして雇ってくれて働かせてくれている。「有り難いことだ」と思えば、どんな仕事でもその仕事は苦にならないで楽しんで出来るようになります。全ては自分との戦いであり、発想の転換で解決できるのです。
 「自分のような駄目人間でも有り難い」と思えるようになれば出世をした人間よりも楽しく仕事が出来るようになります。
頑張っても駄目な時は、その次は阿呆に成りきれる大切さを勉強する事です。

2010年9月7日火曜日

知ることの大切さ



 「喜楽が得られれば」~「心地良い気分になり」~「充実感や幸せ感を覚える」
心理状態はそのようにリンクしています。
 誰もが幸せになりたい、充実した人生を過ごしたいと希望しています。人生は如何に大きく永続性のある喜楽を得るかが課題ですから、それは本能的に皆さん理解せれていますので、様々な手段で喜楽を得たいと模索しています。
 欲望は喜楽を得たいという心の求めであって、その欲望は例えばいくら信仰をしても多少制御出来る心の柔軟さを養えるだけで、聖人のように欲望を消し去ることはできません。
 凡人は様々な手段で喜楽を求め続けるのです。歳を老いてくると欲望が少なくなるので丸くなっていくのですね。

 何の苦労や努力をしなくても喜楽を手に入れることが出来るのは、お金を使って得れる娯楽や趣味です。娯楽や趣味はお金さえ出せば簡単に手に入れることが出来るので、多くの人はお金お金とお金に執着しお金が全てだと思ってしまうわけです。
 確かにお金を所持していれば多くの喜楽を手に入れることはできます。
しかしそういう喜楽で人生を充実させる事が出来るかと言えばそうではないのです。
 お金で人生の充実が買えるのであれば、私のような貧乏人は幸せになれないというラベルを貼られたも同然ですが、そんなに単純でないのが人生の妙味です。

 お金は使うばかりでは真の人生の充実は得られません。お金は儲けるという過程のなかで様々に勉学をし行って心の充実が得られるようになるものです。
 明日食べることに困窮している人に礼節を弁えろと言っても無理があるのと同じで、仕事から得られる喜楽を経験していない人に、この道理を理解しろと言っても実感として捉えることの出来ない難しさがあります。そういう人は「何を寝ぼけたことを言ってるんだ金さえあればどうにでもなるんだ」と相変わらず唱えていると思います。

 私は一番幸せな生き方をしている人は、仕事が楽しい生き甲斐だという人だと思います。
そういう人の所には自然とお金も寄って行きます。お金は高い所に流れます。
そういう生き方が出来ている人は、私が唱えているようなことは良く理解できていて「そうだその通りだ」と言ってくれます。
 
 世の中には娯楽や男女愛から得れる喜楽ばかりを求めて生活している人が沢山います、そういう人達に人生は一度きりだから「もっと大きな喜楽もあることを知ってくださいね」と、老婆心ながら訴えるようにしているのですが、分かって欲しい人達にかぎり無関心であったり、理解してもらえないというもどかしさがあります。
 だから人生は様々な階層の人がいて面白いのかもしれませんね。
 面白いかもしれませんが私が知っている人にだけは大きな喜楽を手に入れて欲しいので訴え続けます。

2010年9月6日月曜日

生きて行く目的



何の為に着物が着れるようになりたいのか。
寒さ暑さから身を守る。また文化人としての常識という実用面からすれば、大方の人はもう洋服を買わなくても十分に衣服を所持している筈なのに新しい衣服を買ってしまいます。
何故買ってしまうのか
新しい物を身に付けてお洒落をすれば良い心持になるからです。
着付が出来るようにしたい気持ちも全く同じで喜楽が得られるからです。
 お金を使う、お洒落をする、技芸を身に付ける、それらは心の潤いを得るための手段の一つ一つであって根本目的は心の潤いを得るためです。
 心が潤えば生きていることの喜びを感じ、生きて行くことの意義を確りと自覚して、充実した人生を送ることが出来るからです。

 勉強が好きだという人も稀にいますが、大抵の人はどちらかと言うと嫌いでしょう。
 勉強に限らず努力や我慢をしなければいけないものは皆さんあまり好きではありません。
なのに皆さんは自分を叱咤して頑張ります。何のために頑張るのか。社会的に良い立場に立ちたいからです。
 社会で認められれば遣り甲斐、生き甲斐につながる仕事が出来る。収入も大きくなって喜楽をより大きく増幅させることが出来るからです。
これも根本は喜楽の増幅であり、即ち自己の人生の充実のためです。
 様々な道があり、様々な方策があり、様々な手段がありますが、全て終極の目的は喜楽の増幅、即ち人生の充実のためです。
 私達の生きて行く目的は自己の人生の充実です。
そのために結婚をします。結婚は相手の為にするのではありません。自分の為にするのですが、自我を捨て相手を思い遣ることが最も自分の為になるという難しさは伴います。

 こういう真理、人生哲学を認識しておくことは非常に重要ですが意外に御存知でない人が多いのです。
嘘だと思えば友人知人に「生きて行く目的は何や」と聞いてみてください。恐らく答えられない人が沢山いると思います。
 人は何のために生きているのか。こんなことを知らなくても何にも生活に支障はありませんが、認識していれば迷いのない納得の行く人生が送れます。

おすすめリンク

2010年9月5日日曜日

上から目線



アヒルは俺に懐いているから付いてくるわけではない
餌が貰える人であれば誰でもいいのだ
だけど可愛い。
人は上から目線で接することができれば愛おしさを覚える
男は家族も上から目線で見ているから安心して寛げる
だけど支配と言う力だけでは続かない
愛を感じている間は家族は受け入れる

2010年9月4日土曜日

保育園増設



横浜市は13年度までに待機児童0を目指して保育所を増設するそうです。
それこそが国民が待ち望んでいる政治です。横浜市政万歳です。
 政治の根本目的は平和で住みやすい社会の構築です。
その住みやすい社会の構築という面で考えれば、底辺の人達に厚い政治を行うことが真の豊かな国の政治と言えるのではないでしょうか。
 富める人達は放っておいても大丈夫ですが、貧しい階級の人達は放っておけば生活が成り立たずに病気したり死んでいったりします。
 現在は職が無くて食べて行くのもやっとという家庭もすくなくありません。
そんな家庭では子供を預ける所があれば預けて、自分も働いて家計の手助けをしたいと考えている主婦の方も多いのです。ところが預ける所が無い。あっても高くて保育費を差し引けば何のために働きに出ているのかわからないというのが現状です。
 子供手当は頂ける人には有り難い事でしょうが、それよりも働ければ働いて夫婦協力して家庭を守っていく事が出来る事の方が優先事項ではないでしょうか。
 今は不景気で働く場がない。あっても子供を預ける場が無い。おまけに収入が無ければ町金で金も借りることができないようになっている。どうしてしのいでいけというのでしょうか。
 そういう人が現実に沢山いるのです。そんな時に党の都合で代表選挙を行って政治の空白時間を作ってしまっている。政治家には困った人に目を向ける人間らしい感情があるのでしょうか。言葉ばかりで真実味が感じられないから政治離れをして行くのですね。

2010年9月3日金曜日

着物の調和・格式の統一




 着物と帯を組み合わせる時には・格式の統一 ・材質の統一・色の調和 ・柄の調和の四点を考えなければいけません。
 専門的ですが最近は着物の約束事を御存知でない方が多くなってきていますので詳しく記します。
格式の統一と材質の統一は約束事ですから着物をお召しになる方は知っておかなければいけません。

(きもの)                
・留袖=礼装(最も重大な儀礼の時に着る)
・訪問着=盛装(重要なパーティーの時に着る社交服)
・色無地=盛装(神仏詣で等の通過儀礼に最適)
・付下=盛装(訪問着に準じて着る。訪問着を簡略化した
    ものだから正式な社交服ではない))
・染のきもの=外出着(お礼や御見舞などの儀礼の意味で
       他家を訪問する時に着る)
・紬のきもの=街着(買い物などの少し改まった時のお洒
       落着)
・木綿・ウール=普段着(普段に着るきもの。街着として
        も使える)
(帯)
A:丸帯
B;礼装用袋帯
C:織物の洒落袋帯
D:紬の洒落袋帯
E:織物の九寸名古屋帯
F:織物の八寸名古屋帯
G:紬の九寸名古屋帯
H:紬の八寸名古屋帯
I:染の九寸名古屋
J:半幅帯

 着物には礼装・盛装・外出着・街着・普段着という格式があります。
帯にも丸帯から始まって次第に簡略化されて格式が生じていますので、着装する時はきものと帯の格式を合わせるというのが格式の統一です。


*礼装=留袖・色留袖・本振袖~着装時は丸帯または丸帯
    に準じる礼装用の袋帯を使用します。但し本振袖は丸帯です。丸帯は現在は礼装用の物しかないというのが現状ですから丸帯に関しては問題ありませんが袋帯の選択です。礼装用の袋帯と言うのは文様は有職・吉祥文様で地色は白地・金地・銀地のものが最適です。


*盛装=訪問着・色無地・付下=丸帯・礼装用の袋帯・洒
    落袋帯です。洒落袋帯は文様や地色に拘らずに作られた織物の帯です。丸帯・礼装用の帯と記しましたが格式の上のものを下に組み合わせて使用するのは正当です。但し逆はいけません。


*その他=洒落袋帯か名古屋帯です。洒落袋帯と名古屋帯
     には織物と紬のものがありますので材質の調和のところで記します。

2010年9月2日木曜日

自転車盗まれました



妻は私の家に来る前は寝屋川に住んでいました。引っ越してくるときには不要なものは全て捨て、洋服類はリサイクルショップに売りに行きました。
 業務用の大きいごみ袋に10袋程持って行きました。その中には本人と娘が着ていたミンクのコートが2点ありましたが全部で5000円に少し切れるくらいでした。
 それでも捨てるよりはましだと話をしていたのですが、後で気付いたのですが妻の勤めているあすなろに寄進した方が有効に使えたのではないかと後悔しました。
捨てるものでリサイクルに出せるようの物があれば皆さん御寄進お願いします。
 引っ越しは大きい物だけは置いて後は私の車で運びました。
自転車は私の車には乗せれませんし捨ててしまうのはもったいないので、私が寝屋川から乗って帰ることにしました。休みなし走って西宮まで3時間半かかりました。
そんなに苦労して運んだ自転車なのに、先日乗ろうと思って自転車置き場に行くとないのです。
盗まれたのです、そして横に置いておいた私の自転車も虫を抜いて空気を抜いてありました。
 一台は無くなり一台はいたずらされていましたので、私には何の覚えも無いのですが個人的な恨みによるものかを考えてしまいました。
 武庫川のURの団地は皆さん自転車を下に置かないで自分の住まいする階に上げて保管しています。
本来は消防法では違反になると思うのですが、大半の方はそうしているということはそれだけいたずらや盗みが多いのかもしれません。

 最近市中では自転車の検問が多いのですが不景気になって自転車の盗難が増えたせいなのかもしれません。
 どんなに困っても人の物に手を掛ければ自分の心がすさんでくるだろうと思うのですが、そんなことに関係なくいたずらや盗みをする者が多くなっているようです。
 
様々な喜楽があり充実につながる手段はありますが、人の生きて行く根本目的は自己の人生の充実であって、一番大切なのは心の問題です。
拙いことや不法な事をすれば「上を向いて唾を吐く」の言葉な如く全て自分に心にの負となって返ってきいます。生きて行く根本目的を意外と知らない人が多いので、学校や家庭でもっと確りと教えなくてはいけないのではないでしょうか。

2010年9月1日水曜日

あきれる政治



全ての人は次代を住みやすい環境で引き継ぐ使命を帯びています。
そのためには国民がもっと政治に対して関心を持って厳しくチックして行く事が重要なのですが、腹立たしく思えるほど多くの人が政治に関心がありません。
 政治家を見ているとあきれてしまうほどに体たらくです。その最たる人は鳩山さんでしょう。
そんな体たらくな事の繰り返しですから、国民が愛想を尽かせてしまっているのも無理がないかもしれません。
 政治家を見ていると幕末の志士たちを思い浮かべてしまいます。
多くの志士が国の為に命を落としました。
現在は点で存在しているのではなく線上で存在しています。
その真理を政治家は理解できているのでしょうか。
理解できていれば我欲闘争なんかしておれないでしょう。命を賭す覚悟をもって政治に携わらなければあの世で先人達に顔向けが出来ないでしょう。