2010年7月16日金曜日

子供の躾



 最近街中で子供がぐずって駄々をこねて泣いて泣いて、親がいくらなだめても泣きやまずに泣いている子供をよく見かけます。
親の信条の無さが見えてしまうからそういう光景は非常に見苦しいです。
 子供は自分の思い通りにならないから駄々を捏ねて、泣くという形で欲求しているのです。
そういうことは親の躾の拙さの表れなのです。
 幼児は三歳にして出来上がると言われています。それを理解出来ずに親が可愛いからと目一杯に構い甘やかせて育てているからです。
 
 我々の子供のころは洗濯機も無ければ掃除機もなかった。朝起きて朝食の支度をして、終わればあと片付けをして掃除をする。掃除が終われば洗濯をする、洗濯は洗濯板を使っての手洗いですから時間が掛かる。洗濯物を干してホット一息つけばまた次は昼食の支度です。毎日がそういう慌ただしい事の繰り返しですから子供の面倒を見る暇もない。暇はなくても可愛い我が子供の事ですから、泣けばお腹が空いているのでは。おむつが濡れているのでは。おむつを変える時は便に変化はないか子供の健康のことはきちっと点検をしておく。それは欠かさずきちっとするけれども構っている暇が無いから寝かせたまま放置しておく。   それでも子供はそれが当たり前の普通の日常のサイクルですから、そういうものだと思ってぐずらないで大人しく寝ています。ぐずる時は体調に何か変化がある時ですからそれは昔のお母さんは見逃しません。
 
 ところが今のお母さんは時間があって子供が可愛いものですから、少しでも子供がぐずると構って抱いてあやしてしまいます。ぐずると親が抱いてあやしてくれることがわかるから、いくらでも泣いて欲求してきます。
そして歩けるようになって自分で行動出来るようになれば、良し悪しが何も分からないからやりたい放題に行動をします。その時に良し悪しが分からないからこそ、教えるという意味でいけないことをすれば叩いてでも強く怒って躾ておくことが重要です。ところが普通は逆で「幼くて分からないから仕方が無いでしょう」と大人は言うのです。それではいけません。
 幼い時から自分の親は怒れば本当に怖いということを子供の体に染み込ませる厳しい躾がたいせつです。
 
 サーカスのライオンや象は、動物使いの人が怒れば怖いと思っているから言うことを聞いて芸をするのです。子供も幼い時はそういう動物と同じで親は怖い存在である事を体に叩き込んでおくことが必要です。親が怖い存在でなければ躾なんかできません。

 親は子供にどうしてあげることが最善なのか。それは少しでも早く自立出来る精神を養って上げる事です。そのために「可愛い子には旅をさせ」「愛の鞭」という言葉があります。
 前回子供をぶん殴れる大人に成れと言いました。親が子供に厳しく怖いという社会通念がある方が子供の為には絶対によいのです。子供に舐められて教育や躾なんかできません。
子供がぐずっている光景を見ますと、幼くして親が舐められているのです。

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