2010年8月31日火曜日

苦しみを知る



テレビを見ていると有名人の方が苦しむことも大切だと言っておられました。
 私などは小学校の5年生の時からアルバイトをしています。
新聞配達の仕事をさせて欲しいと配達所に頼みに行きました。配達は中学生以上でないとさせられないと言われ配達は断られましたが、販売の方ならさせてやると言ってくれました。
Xの脚に板を乗せてその上に新聞を並べて「朝刊如何ですか」と呼び込みをします。
当時はまだ家庭で新聞の取っている人は少なかったので結構売れました。
それから働きづめに今日まで働いてきました。
 両親を見送りました。離婚もしました。不倫もしました。失恋もしました。
様々な経験しました。勿論自業自得の一言にすぎるものですが、苦しいことも多々ありましたので、お陰で人の心の痛みは良く分かるようになりました。人の心の痛みがよく分かりますから人に優しく親切に接することもできます。
そういう意味では確かに苦しみを知るはこと大切ですが、苦労したからといってそれだけで人の心の痛みを感じて優しくなれるかと言えば、それは違います。
 「衣食足りて礼節を知る」という諺があります。
経済的なゆとりが心のゆとりにつながって礼儀を弁えれる人になるということですが、これも例えば親から引き継いだ財があっても真の礼節を弁えれる人に必ずなれるとは限りません。
自分で財をなす苦労をしてきてはじめて人の痛みが分かるようになります。
またいくら苦労して来て様々な経験を積んで来ても、各々の規模で社会的に成功を納めなければ、欲望が消滅しないで恨みやねたみばかりが心を専有して、人の気持ちを顧みるゆとりができません。
 人それぞれに成功の規模は異なりますが、規模に関係なくそれぞれの立場で納得のできる人生を歩まなければ、苦労するだけでは優しくなれないのです。
 苦労することが大切ですが、苦労することそのものが大切ではなく、苦労によって得れる心のゆとりが大切です。
 有名人はそれが成し遂げれてるからそう言えるのです。
明日の食べることを心配しなければいけない人に高潔な心になれと言っても無理なのと同じです。

2010年8月30日月曜日

死後の備え



6月に結婚式を挙げましたのでまだ新婚です。新婚生活のなかでこんな話は悲しくなるからしたくないのですが、高齢者の結婚ですから確かな心構えを持っておかなければいけないので葬式はどうするかを話し合いました。
 私の家は浄土真宗ですが、私は般若心経を崇拝しています。因みに浄土真宗は般若心経は唱えません。
「色即是空」何事にもこだわるな。人は欲といものにこだわりに執着するから苦しまなければいけない。正にその通りです。
自分が死んでも子供達には苦労のないようにこうしてやりたいというのも欲でしょう。
仏教で説く六道の世界は現世の人達の行いを戒めるためのもので、死んで霊魂だけが残るというようなことはない。死んだら土に帰るだけです。人は大地から生まれ大地に帰って行くと信じています。
 死んでから名前を付けて頂いても仕方が無いので坊主は呼ばないでくれ。戒名なんかいらないと言っています。
死んでから皆に少しでも負担を掛けないようにお金を使わないように葬って欲しいと妻に言いました。
死んだ時に何でこんなお粗末な葬式なのだと、兄弟や親戚の者から言われないように、兄弟にはその旨前もって話しておくからと頼みました。
 今は小さな家族葬というのがあって、死んだ所から会場まで。そして会場から焼き場まで搬送してくれて、会場では棺に入れて線香と蝋燭立ては用意してくれて、焼き場の許可申請なども代行してくれて178000円というのがあります。これで死後骨は一心寺に納骨すれば20万円で済むからそれにしてくれと具体的に備えを済ませました。これで安心です。
 あとは大病をして妻に迷惑を掛けないように健康管理をしっかりとするだけです。
今は俺に甲斐性が無いので妻が仕事に行ってくれています。それだけが心苦しいです。
真の男らしい男は家族に優しく思い遣りがあって甲斐のある男です。俺は優しいですが甲斐性がありません。もう男失格です。これからは家事に精出してハーフで行きます。

2010年8月29日日曜日

2010年8月28日土曜日

季節は巡らない



秋元順子さんの新しい曲に「一枚の写真」という歌があります。

死ぬまでずーと傍にいて 愛していくと言った人
あれから私に あれから私に 季節が巡らない

という詩があります。
季節が巡らないという気持ちになったことがありますでしょうか。
 季節は巡らないことはない何時も無常の風は吹いています。
けれども悲しすぎて、切な過ぎて、無常の移り香を愛しむ
心のゆとりがない。心は閉ざされていて季節が移り変わっていくことも目に留まらない。
自分の中では時の流れは悲しみの淵で止まったままである。
自分はこの詩の一篇を耳にしたときに胸がキュンとなりました。

 自分で起こしたきもの学院を35年間営んできて、自分の不祥事で生徒に迷惑をかけてはいけないので全て後継者に譲り、微々たる蓄えしかない状態で裸になってしまいました。
 悪いことは不思議と重なるもので、そんな時に脳腫瘍の通告を受け、おまけに住まいも引っ越さなければいけないことになり。引っ越しはしなければいけない、入院のための検査はうけなければいけない。最悪の状態です。
 そのまま逝けたらいいのですが術後高い確率で後遺症が残るという事です。その後の事を考えれば消沈してしまうばかりで自然の移り香なんか目にとまりません。
 URの団地に引っ越しました。武庫川団地はゆったりと空間を取った緑の多い所です。二階には連絡通路があり花壇には季節の花を植えて綺麗にしてくれています。しかしそんなものが目に止まるゆとりがありません。まさに季節が巡らない状態に陥っていました。
 それを救ってくれたのが6月に結婚した妻です。
色々あったけど、色々あったからこそ巡り逢えることが出来た。私には今食べさせて行く経済力が無い。しかしながらそんな事は力を合わせればなんとかなるでしょう。くよくよしないで楽しく仲良く暮らして行こうと言ってくれました。一にも二にもお金を求める世知辛い時代に、最高の神のプレゼントです。
それからは季節が巡るようになりました。死ぬまでずーと傍にいて愛していきます。

2010年8月27日金曜日

現在着装時の帯の種類



A=丸帯 
 一枚の裂地で作られているので模様が丸に通っているの
 でそのように言う。帯は丸帯が帯本来のもので、丸帯は
 見えないところまで織物になっているので製作費がい。
 そして堅くて結び難いので丸帯に代わる格式を有した帯
 として袋帯が出来る。

B=袋帯 
  今の袋帯は表と裏を張り合わせて端をかがるか縫い合
  わせて作っていますが、当初の袋帯は袋状に織られて
  いたのでこの名がある。「細雪」の小説の中に出てく
  るので昭和の初め頃につくられたものと思います。出
  来たのは昭和の初期ごろと思われますが実際に丸帯に
  代わる礼装用の帯として使われ出したのは戦後のこと
  です。
  当社は留袖、振袖用のものしかなかったのですが、現
  在では盛装または紬の物も制作されています。
  礼装用は白地、金地、銀地の織物で模様は有職か吉祥
  文様に限られていましたが、最近はそういう約束事が
  崩れてきています。

C・D=九寸名古屋帯
    江戸時代末期からお太鼓結びが流行り出し明治に
    なりますと若い人の礼装時以外はお太鼓結び一辺
    倒になります。
江戸時代には町人は贅沢な織物の帯の使用は禁止されていましたので、G図にあるような腹合わせ帯を締めていました。腹合わせ帯は丸帯の長さがありますので結ぶ時は二重太鼓になります。
そこでもっと簡単にお太鼓結びが結べるようにということで、大正年間に名古屋の女学校の先生がお太鼓結び専用の帯を創作しました。それが名古屋帯で名古屋の先生が創作しましたのでその名があります。名古屋帯は略装帯ですから礼盛装には使用できません。

F=八寸名古屋帯
 名古屋帯本来の形は九寸名古屋ですが、九寸名古屋は中
 に芯を入れて仕立てます。それをもっと簡単に仕立てて
 使えるように考案されたのが八寸名古屋帯です。九寸は
 仕立てる前の幅が九寸あり、仕立てると八寸の幅になり
 ます。八寸は芯を入れませんので始めから八寸の幅にな
 っていますのでそのように呼ばれています。

G=半幅帯
  普段着用として使用する帯です。単と小袋の二種あり
  ます。浴衣には専ら単の半幅を用いますが小袋でも間
  違いではありません。小袋は昔は羽織したと呼ばれて
  いました。

H=腹合わせ帯
  腹合わせ帯です。江戸時代は町人は贅沢な織物は使用
  禁止でしたので専ら腹合わせ帯を使用していました。
  晴れ着も普段着も腹合わせ帯でしたので、そういう事
  から名古屋帯には染の帯もありますが、染は柔らか物
  の着物にも使用できる事になっています。図Eはその
  染の九寸です。
I=角帯
  角帯は男性の帯です。男性の帯にも礼盛装用と街着・
  普段用とあります。写真の角帯は博多の角帯ですが博 
  多は街着・普段用です。

2010年8月26日木曜日

武庫川納涼盆踊り



「踊る阿呆に見る阿呆」と言いますので阿呆も踊っています
妻は浴衣を着たのが初めてだそうで喜んでいました
昔から日本には様々な年中行事があり普段は勤勉に働いて、時期折々の行事では大いにはしゃいで羽目を外し人間関係の輪を深め明日からの活力につなげました。
今は毎日がお正月気分でメリハリのない生活になってしまい、その分感動や感激が少なくなってきています。
大切な事は感動感激をするという事です。
感動感激をして良い気分になって「よしまた悪い事をしたろ」という人はいません。よい気分になれば「よし明日からまた頑張るぞ」という気持になります。感動感激をすることの意義はそこにありますので、億劫がらずに地域の行事には参加して行事を盛り上げるという事も、先で子供達の大きなプレゼントになるのではないでしょうか。
現在のように楽しみの選択肢が多いのは必ずしも感動につながっていません。

2010年8月25日水曜日

辛子明太子と納豆スパゲッティー


辛子明太子だけでも美味しいのですが納豆をトッピングすると美味しいですよ。
辛子明太子は結構高いので私は何時もくずの明太子を買います。
型崩れのした明太子はよくテレビショッピングでも販売していますが、くずは全く形のない中のツブツブだけのものです。それですと開いて中を取りだす手間もはぶけるし、ワンパック200円前後で買えますので得です。
辛子明太子は料理と言えないくらいに簡単で美味しいです。
作り方はスパゲッティーが茹であがりますと水切りをして茹でたナベに戻します。スパゲッティーは熱いですし鍋も熱いので上けらオリーブオイルをかけてまぜます。そして熱いうちに明太子を入れて混ぜればそれで出来上がりです。
納豆は卵の黄味だけ入れて洋辛子と麺つゆを入れて混ぜてトッピングさせます。
ヘルシーでかつ美味しいです。

2010年8月24日火曜日

借金は駄目



 お盆に妻の実家に挨拶に帰りました。
妻は姉妹4人と弟の5人兄弟です。長女、次女、本人、妹と一番末は長男の弟です。
因みに妻の子供は4人で上3人は女の子で長男は一番下ですから、不思議に構成が似ています。
 田舎に帰った時に長女と妹の二人が帰っていました。夜に私と弟と女3人と酒を交わしながらの話になりました。
 姉と妹は妻が今更結婚をして仕事と家事の両立で夫の面倒を見なければいけないことに対して、今更結婚をして苦労なんかしなくても「私には信じられへん」と賛成ではなかったようです。

 妻の実家では皆さん私に気遣いをしてくれています。だからといって気心が知れませんので会話は弾みません。
私も皆に気遣って積極的に話をして行くタイプではありませんので、ジート座っていては気まずいので食事の支度は私が全てしました。それの方が間が取れて気楽だったからです。
それを見ていて妻の姉妹は今更結婚をして苦労しなくてもと思っていたのが「くみ子あんたが面倒みてもらっているのやね。良かったね」と言ってくれました。
 私達の関係を納得してくれた後に「飯山さんはくみ子の何処がよかったのですか」ときかれました。
 妻は10歳を頭に4人の子供がいる時に離婚をしています。今は4人とも立派な社会人になっていますが大変な苦労をしています。だから私のように蓄えのないつまらない男でも力を合わせれば「何とかるわ」と言って結婚をしてくれました。その逞しさと優しさに惚れましたと答えました。
 そうすると姉はそういえば「私達は知らなかったけどくみ子は大変な苦労をしたものね」と言いました。妻はその苦労の時期を乗り越えて落ち着いた時に子供たちを連れて田舎に帰ったそうです。
 その時にまだ生きていた母に「これまではこんな状況でした」と始めて言ったそうです。そうすると母はそんなことは全く知らずに何の手助けもしてやれなかったと泣いてくれたそうです。
 そういう話が出ましたので「くみちゃんは今までに親や兄弟に一度もお金の工面を頼まなかったのですか」と聞きました。妻は一度もなかった。だから子供たちが小さい時は田舎に帰る余裕も無かったので一度も帰ったことが無かったといったいました。
それで分かりました。盆になれば兄弟は争うようにして皆実家に帰って来ます。それぞれに苦労されたと聞きましたが、誰もが親や兄弟に一度もお金の無心をしたことがないそうです。だから兄弟がみんな仲がいいのです。
いくら血を分けた兄弟でもお金の無心をすると絶対に仲たがいしてしまいます。
想像を絶するような苦労をしていてもお金の無心をしたことがない。
兄弟が仲良く付き合って行く上で大切な条件ですね。

おすすめリンク

2010年8月23日月曜日

民主党お前もか



民主党の代表選挙を巡って小沢氏が出馬するようなことが取り沙汰されています。
小沢氏は確かに不気味さと怖さと嫌味さを兼ね備えた風貌で、経験も豊富で力を秘めた政治家かもしれません。しかしお金に纏わる不祥事が明確にならない限り、総理という頭に据えてはいけない人物でしょう。
そんなことは誰が考えても当たり前の理屈です。
それでも小沢氏を担ぎあげようとする人達が多数いる。自民党の派閥政治を批判しながらも、挙党態勢という名のもとに派閥争いを展開させようとしている姿は、以前の自民党となんら変わりありません。
 自分の親分を祭り上げる。
トップに据えることが出来れば自分達も政府の要職に付ける可能性が高まるからです。国民のためと言いながら自分達の私利私欲の為ばかりです。
 人には欲望と言う煩悩がありますので太古の昔から同じ事を繰り返しています。人間というものはそんなもので、大人数になれは必ず派閥が出来覇権争いが生じます。
だから民主党が政権を取った時から、様々に綺麗ごとばかり聞かされていましたが、いずれは嘗ての自民党のようになると思っていました。
 欲を抱いた人間の集団である限りはそれは仕方がないことだと理解はしています。ただ腹立たしいのは、派閥争いを展開しようと画策しながら挙党体制で国民の為に頑張ろうという表現は、我々国民を愚弄し侮辱している事ですから「舐めてんのか」と言いたいです。
 この不景気の中、国民生活のためにやらなければいけないことが山積しています。
我々素人でもこういう風にしなければいけないということは分かるほど問題点が多いのです。
こんな国難に際しては要職に付いている者はもちろん、政党政治ですから同志全てが「走り使いでも何でもしますから遠慮なく言い付けてください」といって一丸となって国難に立ち向かうのが真の挙党体制であり国民のための政治です。
 小沢さんが総理になれば国が極端に良くなるのか。あの田中角栄でも思い通りに行かなかったのに、その弟子格の小沢さんが頭になったからと言って一変するとは考えられません。何故なら政党政治だからです。それが現実であるのに小沢さんを担ぎあげようというのは我欲闘争でしかありません
 菅総理の支持率は下がっているけれども次の総理は菅さんでという声が多い。それは今は覇権争いなどをしている時ではないという国民の声です。
しかるに国民のためなんて言い方は、国民を子供扱いにした舐めた表現です。
 次代の子供たちに住み良い社会を残して行くことは先人の義務です。そのためにはいくら政治家の先生方が偉らくても舐めたことをされたら「舐めてんのか」と国民は怒らなければいけません。あまりにも無関心すぎます。怒りの声が広がれば世の中は浄化されていくのです。
ブロガーの皆さん大いに怒りましょう。今一番力が発揮できるのはブロガーの皆さんです。

おすすめリンク

2010年8月22日日曜日

妻の故郷の景色



妻の故郷の景色面河渓谷


修験者の聖なる山石鎚山
広大な山から聖なる水が注がれて清らかな流れをつくる面河渓谷
こんな透き通った清らかな流れを見たのは初めてだ
人は清らかな流れを見ると癒され心が浄化される
生きた芸術だ

その素晴らしい芸術に私ごとき者の下手な歌が添えられているのは笑い草ではあるが、YouTubeがダウンロードできなくなり、また既存のCDを使用すると著作権の侵害のメールが直ぐに送られて来るので我慢していただきたい

2010年8月21日土曜日

文様と装飾品のルーツ



古代には事ある毎に女は鬘(かつら=草花で髪を飾る)を巻きました。
上図は鬘を巻いた女性図です。
鬘は桂とも書きます。
頭に巻くターバン鉢巻のことです。この鉢巻のルーツは挿頭花(かんざし)です。
生の草花を身につけることによって、自然の草花の生命力を頂き、元気で幸せになるという生命触れ合いの信仰からきています。
 人も自然の一部ですから自然と調和して、自然のサイクルと生命のサイクルが一致していれば健康で幸せになれるという信仰から、自然のものを身に付けて生命力を得ようとしました。
 当初は生の植物を装身具にすることから発して、それがべっ甲、珊瑚、金銀にとってかわるようになり、植物は衣服の文様として用いられるようになりました。
 和服の文様は健康で幸せになれるという信仰からはじまっていますので、全ての文様は吉祥につながっています。従って喪服と喪服の襦袢は無紋の無地の生地を使用することになっていますが、最近は色は白であれば地模様は全く関係がなく使用されています。それはこういう日本人の美意識を分かっておられない人が多いからです。
因みに花は最高の贈り物と言われています。それは上記のような意味が込められているからではないでしょうか。

おすすめリンク

2010年8月20日金曜日

お盆のお供え




妻の田舎に行って驚いたのはお盆の仏前の御供えです。
私の家は浄土真宗で家も貧しかったのでお盆は13日に家の玄関前で迎え火の焚き火をしてその火で仏壇の線香と蝋燭に火を灯して、仏前に小さな台を置いてその台を白い布で覆ってその上に果物と野菜と御菓子を御供えするという程度のものでした。
 それも私が小学校の低学年時代の記憶の曖昧な時の事で、小学校の5年の時に尼崎に引っ越してきてからはお盆の儀礼は一切見られなくなりました。
ところが妻の家では御霊具膳(おりょうぐぜん)で立派な御供えをします。この御霊具膳を見たのは始めてです。聞くところによると浄土真宗以外は全てこの御霊具膳を使用するそうです。
 膳に飯椀に御飯を山のように盛って、汁椀は汁もの、壺椀にはあえものや豆類、平椀には煮物、高杯(たかつき)には酢の物を盛りつけてその膳を二対供えます。
その他には段盛供具や高杯には果物や御菓子や野菜を御供えします。御霊具膳は毎日新しく支度をしたものと取り替えます。
私も二日間だけ朝早くに起きて支度をして御供えの御手伝いをさせて頂きましたが大変な手間です。
大変な手間で重大な儀礼であることを姉弟達は分かっていますのでお盆には皆手伝いに帰ってきます。
 妻は5人姉弟ですがそのうち4人は帰って来ていました。
それぞれが家庭を持って分散してしまえばなかなか一同に会する機会は少ないものですが、これは伝統儀礼のなせる力だと羨ましく思いました。
 
 高齢者が何処に行ったのか分からない。家庭や家族の絆が薄れていることが問題化されていますが、これは先祖を敬うとい儀礼が疎かになって来た事が一因しているように思います。
 日本には伝統文化である様々な儀礼や行事がございます。
仏事、神事にまつわる儀礼が多いのですがそれらの一番の良さは、日頃は忙しくで疎遠に成りがちな親子、兄弟、親族達が一同に会せることではないでしょうか。
親族と言うのは五等親までを言うそうですが、広い世界で親族と言われる人達はほんの僅かです。
その僅かな人達とも仲良く出来ない世情を成ってきていますが、そういう生き方は自分の人生を豊かにすることは出来ないだろうと私は思っています。

2010年8月19日木曜日

高知よさこい



徳島の阿波踊りは300年の歴史がありますが、高知のよさこい祭の一回目は昭和29年です。
 歴史的にはよさこい祭は阿波踊りより見劣りをしますが、規模と内容に於いては勝るとも劣らない規模に膨れ上がって今や全国に名だたる二大祭りになっています。
 あの炎天下で連を組んで一糸乱れぬ踊りを披露してくれる、あのエネルギィッシュな踊りには感動をうけます。
 あれを見ていると自分の今までの人生であのように何かに一途になって取り組んだことがあるのか、
その事をおもってしまします。
 あそこまで一糸乱れずに踊るには相当の稽古が必要だろうと思います。
 京都の今村組の練習風景をテレビで見たことがありますが凄まじい練習でした。
ああいう凄まじい練習に耐えてその努力の成果をよさこいの舞台でぶつける。さぞ気持ちよく充実感に溢れ、真の喜びと楽しみとはこれだということを体得されることだろうと思います。
 一緒に練習を積んできた同志と深い絆が出来、生涯の友もあれで出来るのではないでしょうか。
 
 楽しみの対象は無数に存在しますが、お金を出せば簡単に得られる楽しみよりも、あのように我慢や苦しみが伴う楽しみはその分大きな喜楽を得られます。
年老いてその事が良く分かりますから若い時に一途に何かに取り組まなかったことを悔みます。

2010年8月17日火曜日

2010阿波踊り前夜祭第一部No2



「踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃそん損」
大変趣の深い言葉ですね
 馬鹿に成って踊っている人もおつに澄まして見ている人も人間の中味は変わらない「同じ阿呆なら」ですね。
 人生は如何に楽しんで生きて行くかが生きるための
目的です。
その楽しみは奥が深く無数に存在しますが阿呆に成って
踊ることもその一つです。
一つでも楽しみが多いのが良いのは簡単な算数です。
踊らにゃそん損です。
 私は盆踊りに行きますと必ず踊ります。
知っているのはごうしゅう音頭・炭坑節・河内音頭
だけです。
あとは前の踊り子を見て必死で真似て踊ります。
皆さんは踊りますか。踊りを私より知っていますか。
踊りを馬鹿馬鹿しいと思っていませんか。
踊りを知らないものが見よう見真似で踊ることを
自分の恥部をさらけ出すようで恥ずかしいと思っていま
せんか。

2010年8月16日月曜日

2010阿波踊り前夜祭第一部No1

ここをクリックしてください

結婚して初めてのお盆ですから妻の実家に挨拶を兼ねて行って来ました。
妻の実家は愛媛の内子町の大平という標高700mほどの山間の所にあります。
同じ四国の人なのですが徳島も高知も行った事が無いという事ですから予定よりも一日早く出て阿波踊りを見て一泊して、翌日は高知のよさこいを見て帰郷してきました。阿波踊りもよさこいも迫力があって良かったので妻は大満足をしてくれました。
素晴らしかったのでご存じの方も多いと思いますが紹介します。
長いので一部づつに分けて紹介させていただきます。

2010年8月11日水曜日

妻の故郷


妻とは一緒に生活を始めて半年です。妻の話には田舎のそれも父母の話がよく出てきます。
父は厳しい人だったらしく、学校から帰れば夜になるまで山仕事を手伝わされていたそうです。
 皆は夏休みを楽しみにしていますが、彼女は休みの方が手伝いでしんどいから学校に行っている方が良かったと行っています。
 親には一度も優しい言葉を掛けて貰ったことが無いので親は好きでないと何時も言っています。
 面白い話があります。山で下草取りをしていた時に親父が山の上から飛ぶように降りてきてそのままひざ蹴りされて吹っ飛んだそうです。何で怒られたのか本人には理由がわからないのです。
後で分かったそうですが親父が呼んでいたそうです。ところが本人には聞こえてなかったのです。
親父は教育の一環として怒ったのでしょうが本人には分けが分からないままに蹴飛ばされたので怖さと憎しみしか残っていなかったのです。
 そんな両親に育てられたので高校を卒業して早く家を出たいと念じていたそうです。
そんな故郷ですが今となっては無性に田舎が懐かしそうでよく話をします。
 いまは両親もいないのですが、幼い時の強烈な思い出は歳とともに望郷の念に変わっていっているようです。盆休みは田舎に帰るのを楽しみにしているようですから、私も挨拶をかねて一緒に帰ってきます。
帰りは15日の予定です。
16日からまたブログ再開しますのでよろしくお願いします。
暑いですから皆さん身体に気を付けて下さい
おすすめリンク

2010年8月10日火曜日

運動会の思い出




 遠足の思い出といっても行った先や友人との楽しい思い出というものは全く記憶にありません。
遠足や運動会の思い出は母の思い出です。 母はその日は暗い内から起きて巻き寿司を作ってくれました。荒野とカンピョウと三つ葉の沢山入った巻き寿司です。卵や椎茸などは入っていませんがおいしかった。そしてその時だけはみぬき(ゆでたまご)が一つ入っていました。我々の子供の頃は卵は高級品で病気になった時に栄養補給のために食べれたぐらいです。
私は病気になったことが無いので普段に卵は食べたことがありません。その卵が一つだけ入っているのです。嬉しかった美味しかった卵と巻き寿司は母の愛情の化身です。

 私の所は母が働いていたので学校の参観日は一度も来たことはありません。ところが運動会の時は早くからご座を持ってきて見やすい場所を確保して見てくれました。私は小学校の時は走るのが速かったのでその姿を見るのを楽しみにしていてくれたのだと思います。
 私が走ると張ってあるロープから身を乗り出して手を叩いて応援をしてくれました。母が来てくれる運動会は私は遠足よりも好きでした。
昼は一緒に御飯を食べて終わったら母と一緒に帰りました。帰り道で母はよく頑張ったねと頭を撫でてくれました。
今は差別問題で運動会も味気のないものになっています。

 この年になってよく想像することがあります。
それは運動会の光景です。自分もあの世に行ったら天から下界の一番よく見える場所にご座を引いて場所取りをして待っているから、「君はゆっくりゆっくり十分に下界で楽しんでからおいでや」と妻に行っている姿です。「世話になったなぁー。ありがとう。先に行っているね」そうい言って逝けたら、これほど幸せな人生はないだろうと思っています。

おすすめリンク

2010年8月9日月曜日

道を正す


会社や家庭、いずこに於いてもいがみ合いや諍いが起こります。
 人はプライドが強くて自分の意見や思考がベストだと自負心を持っています。
自分の意見や思考に皆が従えば心地よい気分になれますが、逆らえば気分を害しますので様々な場面で自我を主張したがります。
 特に家庭なんかでは何が道理かなんかよりも各々の感情をぶつけ合います。そんな場合に力関係が明確な場合は、力のある方を立てて他は我慢しようとします。
我慢出来ているうちはまだ平和を保てますが、我慢の糸が切れてしまうと離婚とか、親子関係においては子供は外に癒しを求めて非行に走ったりしてしまいます。
 人間は感情の動物と言われているように、どうしても感情が先走ってしまうのです。
 感情と感情がぶつかり合えば、人は十人十色と言われている通りに区々ですから旨く行く筈がありません。
会社に於いても家庭においても、旨く進展して皆が楽しく生活をして行く事は、誰もが望んでいることだと思います。
そういう良い状態を構築するには常日頃から、感情に振りまわされないで、物事の一つ一つに付いて何が道理かを考え、その道理に則った言動が取れるように訓練することが大切です。
 
 道理とは人間が生きて行く上で最も正しい道ということで、その道は一筋しかありませんので意見や思考が異なって諍いに発展するということはありません。
それでも人間は感情の動物で、意見等の対立が無くても何か虫が好かないなどと好き嫌いを露にする人は少なくありません。そういう人は自分の拙さを披歴していることが分かってないのです。それも道を正して行けば少なくなるでしょう。
 昔から人は「死ぬまで勉強」と言われています。
この言葉の勉強は学修に勤しめというよりも、人間性を磨けという意味合いの方が強い言葉です。
 人間誰もが幸せに成りたいと希望しています。幸せに成るには今の時代ではお金を掴まなければ幸せになれないという人もいますが、幸せに成るために一番大切な事は人間性を磨く事です。その人間性を磨くために勉強をしなければいけないと言っています。
 その勉強の具体的な形が、何が道理かを考えれる知恵を養い、その事が分かれば感情に振りまわされる事がないように、道理に則った言動がとれるように訓練をすることが勉強です。
おすすめリンク

2010年8月8日日曜日

吉祥文様



吉祥とは「よいしるし、めでたいしるし」という意味で、それを表現した文様を総称して吉祥文様と言います。本来は中国の信仰に基づくもので多種に渡っています。
上図はその一部で、何故お目出度いのかという意味がそれぞれにありますのでご紹介をします。




・青海波=青海波(せいかいは)波文の一つで、青海勘七
     が作ったものと言われています。
中国では地図上に海を表すのに用います。
     波文は他に遠波・さざ波・大波・荒波・波頭な
     ど多くあります。   
     広大で偉大な海の現象である波は吉祥とされて
     います。
・松竹梅=歳寒三友とも言われます。     
     松は中国では四季常に青く、寒い冬にも葉を改
     めないところから、変わり易い人の心を戒める
     ということで、松の常樹を貞徳になぞらえてい
     ます。
   松の長命をことほぎ、さらにこれを人の長命
     に結び付けて目出度い木とする考えが生れ
   鶴や亀との組み合わせがデザイン化されるよ
     うになりました。
   松は神霊の依代(よりしろ)ひいては神霊そ
     れ自体と見なされる霊木、神木と見なされ
    正月のしめ飾りなどに用いられています。
     竹は四季緑を変えず、その成長と繁殖の目覚ま
     しい活力、不思議な中空の幹の形態などによっ
     て霊的なもの、神聖なものとみなされていまし
     た。
  従って、神霊の依代として、また招代(おぎし
     ろ)として現在でも欠くことの出来ないものと
     して尊ばれています。
  中国では瑞鳥の鳳凰が桐の樹に宿り、竹の実を
     食べて成長するという、いわば慶寿の植物とさ
     れてきました。
 さらに節を正しく待するため、節操の正しいもの
     の代表として梅・蘭・菊と共に四君子の一つに
     数えられ、こうした考えが松・梅と結び付いて
     松竹梅の観念を生み出して、広く一般に知られ
     ています。
     
・梅=古来中国から渡って来た花で、万葉集には萩に次い
   で梅が歌のテーマとされています。
春の先駆けに梅を頭に飾ることは新しい年に希望を
   かけるしるしとされて吉祥として扱われています。
   また梅は厳冬に花を咲かせるのでお目出度いともさ
   れています。
 
 日本では松は平安時代に、竹は鎌倉時代に、梅は桃山時代に吉祥とされましたので、歴史の重い順で松竹梅という並びになっています。
上図以外にも吉祥文様は沢山ありありますが、それぞれにいわれがあります。それは下記のHPに記してありますので、是非開いてご覧ください。

ここをクリックしてください

2010年8月7日土曜日

民主党が動き出した



 民主党が代表選挙を控えて動き出したと報じられています。
マスコミを通してその動きを見ていますと政権獲得闘争、即ち欲望の実現闘争としてしか映ってきません。
 7日の朝ズバを見ていると民主党の川内博史議員が「そうして真の総理を選ばなければいけない」と言っていました。
 真の総理て何や、菅さんは真の総理ではないのか。そのように政権闘争と言葉遊びばかりの繰り返しで、真に国民を見据えた政治が行われていないから、年寄りが何処に行ったかも分からないという情けない国になってしまうのです。今騒がれているお年寄りの問題は政治の貧困さ以外のなにものでもないでしょう。

 大所帯になると様々な意見が噴出してくることは分かるが、政党は政策を掲げて大筋の所ではぶれることなく挙党体制で国の為、国民の為に働くのが政党政治ではないのですか。
 総裁の任期は何年と定めておいて任期が来るまでは派閥色を見せないで全力で支えていく。これが政党政治の道理でしょう。
 その道理が覆るような動きはそれは全て我欲です。
歴史を見てみると大きな内乱が度重なっておこなわれています。覇権争いをする者は、自分が権力を握ることが国を良くし民の生活を向上させることになると大義名分を掲げて戦っているのですが、それは我欲以外のなにものでもないのです。本当に民の為めを憂いて動くのであれば、争いは止めて協力して事をなすことです。
 坂本竜馬が偉大な人として今も崇められているのは薩摩や長州という自藩の権益をどうしても捨てきれない指導者達を国の為にという方向転換させ協力させたことにあります。真のという言葉を使うのであればそういう人が真の政治家なのです。そういうことを考えれば人間的に拙い人は真の政治家にはなれないという事です。

おすすめリンク

2010年8月6日金曜日

年寄りの孤立



 人それぞれに思いは異なりますが、私は年老いて連れ合いや家族に看取られながら衰弱死して逝く人生が一番幸せだと思っています。
 人は自分の事が一番可愛くて大切ですからどうしても利己的に成りがちですが、自分中心に物事を考えずに、我慢辛抱をして連れ合いや家族の事を大切にした人生を送らなければそういう終焉は難しいでしょう。
 人は自我の強い生き物ですから自分のペースに合わさせよう、引きずり込もうとします。
自分の思い通りに行けば機嫌よく過ごせます。本人はそれでいいですが、妥協し我慢をして合わせている方は当然のことながら次第にストレスが溜まって行きます。
 夫婦や親子関係でも力関係が働いていますので、力関係のバランスが保たれている時は我慢し譲り合いながらも平和を保てますが、我慢の出来ない程誰かの自我が突出すれば家族や夫婦の絆は崩れ、年老いた人は淋しく一人で暮らさなければいけない状態に陥ってしまいます。

 子供の虐待が毎日のようにマスコミを賑やかせていますが、それは全体からすれば微々たる数で、ほとんどの家庭では子供を慈しんで大切に宝物のように育てています。
 大切に大切に育てて年老いたら子供は寄りつかないで年寄りは孤立し、マスコミで騒がれているように何処に行ったかも分からない。親の愛が子供に伝わっていなのです。伝わっていても連れ合いが自分の親に対して理解を示してくれなければ、気持ちはあっても現実には気遣う事ができないということもあるでしょう。それも思い遣りのない側の自我の突出です。
 人生は順送りです。年寄りを大切に気遣う生活をしておれば、子供達もその姿を見て育っていますので、自分が大人になった時は自分もそうしなければいけないと思ってくれるでしょう。
 年寄りをないがしろにした生き方をしていれば、子供はその姿を見ていますので親の面倒なんか見なくていいという気になるでしょう。
 これだけ年寄りが孤立する社会になってしまった現在、もう引返すことは出来ないでしょう。
これは我々大人の責任でもありますが、国策の責任でもあります。
 国をどう発展させ、どういう国づくりをしたいのか。何の理念やビジョンも持たないで政権争いばかりしている政治の責任です。
 人の生き様に大きく影響を及ぼすのは社会通念です。その社会通念は大人の言動と政治指導が大切です。
 経済中心で頑張れ頑張れと頑張らせて年老いたら淋しく孤立してしまう社会、これは個々の人格の問題で済ませる事の出来ない重大事です。

おすすめリンク

2010年8月5日木曜日

子供の頃の食事の思い出



中学の頃の夏休みの昼食はキューリを塩でもんで大きなどんぶりに山盛りにされているのを5人で食べた。普通の家ならウイークディーの昼は親父はいないのが普通だが、私の家は何時も食事の時は親父がいた。
おかずのない時もあった。味噌汁が残っていれば味噌汁をかけて食べた。味噌汁のない時は醤油をかけて食べた。それでもおかいさんでないだけ腹もちは良かった。
 随分と麦ごはんを食べた。麦の割合が多いので温かい時はまだ食べれたが、冷めるとパサパサで食べれなかった。
 ある一時期はタイ米を食べさされた。外米と言っていた。これには閉口した。温かいうちは臭くて食べれません。細長いお米で冷めればこれもパサパサで食べれたものではありません。
白い御飯が食べれないのであればお粥さんが一番ましです。
そのおか粥さんも米を始末するために芋粥にしてよく食べさされました。
最近ではダイエットを考えてホテルなどでも朝は御粥を用意しているところがあります。
芋粥なども珍しくてヘルシーな食べ物として美味しいなどと聞きますが、それを毎日食べさされると甘ったるくて食べれたものではありません。
 芋粥は嫌で粥だけを食べて芋を残して親父にこっぴどくどつかれたことがあります。
御粥に関しては嫌な思い出ばかりですから、ホテルに行っても私は粥には見向きもしません。
あんなものが美味しい好きだという人は幸せに育った人なんだなぁーと羨んでしまいます。

 私の所は母が外に出ていまして、母は家にいれば作ってくれたかもしれませんが、おやつなんか食べたことがありません。
外に遊びに行けば当時は畑や田んぼばかりですから、スイカ、キューリー、トモト、まっか、いちじく、柿などがあり、盗み食いをしようと思えばいくらでも簡単にできましたが、我々餓鬼仲間はそれはしなかったです。
盗み食いはしなかったですが「すかんぽ」など後は忘れましたがよく草を食べました。
そんな生活でしたが飽くことなく飛び遊んでいました。よく回虫の虫をわかしたり、下痢やおできができたり熱を出しましたが病院に行ったことは一度もありません。我慢をしていると自然治癒で治っていました。
 私達の若い時代は総体的に貧しく慎ましい生活をしていましたので、そんなに肥えた人はいませんでした。
 タイトスカートが流行した時代ですがウエストの平均はは56~58cm位でした。前の下腹部はえぐれていてスマートでした。昨今はダイエットで大金をつぎ込んでいる人も少なくない時代ですが痩せたければ昔のように粗食にすればいいのです。目一杯食べてお金をつぎ込んで苦労をしてダイエットをして、挙句の果てにダイエットでノイローゼにまでになっている。豊かさによる弊害も沢山みられる滑稽な時代です。

おすすめリンク

2010年8月4日水曜日

伊達締め



芸者が座敷に出る時に着る裾引きの着物を「出の衣裳」と言います。
 裾引きを着る時は帯の下に着崩れを防ぐために一条という裂を帯の下に巻き付けます。
 芸者の場合は赤の一条を巻いて、帯の上下に少し覗かせて着付の演出効果を高める着装をします。
 その一条が博多織りの単帯に真似て、帯よりも薄く狭く、少し短いものを布の代わりに巻く付けるようになります。博多織で出来ていますので、如何にも帯が巻きつけられているように見えるところから、伊達に巻いているという意味から伊達巻きと呼ばれるようになったものと思われます。
 今は前で紐のように結ぶ形になりましたので伊達締めと言っています。
 この「伊達巻き」「伊達締め」と言う言葉は広辞苑にも解説されていません。

 Googleで伊達巻きと検索しますと、どこかのきもの学院が、伊達締めはきもの着付教室によって普及したように解説していますが、伊達締めは伊達巻きという形で着付教室が繁栄する以前から用いられています。
 伊達締めは本来は博多織の物ですが、着付学院が各々独自のオリジナルなものを考案して現在では写真のようにマジックで止める物、シャーアリングされている物などがあります。

 伊達締めは長襦袢の着崩れを少なくするため一本、着物の胸元が着崩れないように、そして同時におはし折りを整えて崩れないように一本、着装する時は2本の伊達締めを使います。
 伊達締めは使用目的から考えますと、薄くてそれでいて紐状に寄ってしまわないで確りと幅を保った状態である物で、柔らかくて軽くて、結び目が大きくゴロつかないものがあれば最高です。これに異論を申し立てる人がいるとすれば着付けの知らない人です。
 そういう観点からどういう伊達締めを選択すればよいかを考えますと、各きもの学院が商業的意図で様々なオリジナル商品を奨めていますが、昔から使われている博多織の伊達締めが一番使い良いと思います。
 何故博多織りの物が一番いいかは、確かな理由があるのですが、長くなりますので詳しくはここをクリックしてください。

2010年8月3日火曜日

総理の記者会見に思う


臨時国会が始まり首相の記者会見がありました。
総理は今後の意気回復のための事業とした林業の復興もその一つとして説いておられました。
 私の妻の田舎は愛媛の山奥です。父母が亡くなり山を放っておくわけにはいきませんで妻の弟がサラリーマンを止めて今は家に帰って山を見ています。
 ことしの3月に挨拶の為に妻と田舎に帰ってきました。
写真にあるように家も傾斜地に建てられている本当に山の中です。
周辺の山は広範囲に渡って妻の家の所有だそうです。
山には杉や桧が相当あるようですからこれからの見通しを聞きましたら残念だけど手がつけられないと言っていました。
 木を育てるには山の下草を刈らなければいけない。間引きをして日が当たるようにしなければいけない。枝打ちをしなければいけない。そして木を切り出には人力では駄目なので重機が必要である。
それをするには人手と経験者が必要である。そういう人を雇って木を切り出したとしても輸入木材と比較されて売れても安い。とてもじゃないが人件費や重機を購入した分を払うお金など出てこない。
 山には親が残してくれた木は沢山あるけれども、手を付ければ大赤字になってしまうから残念だけど手入れをしないで放ってある。これは自分の所だけでなく近隣の山を所有している人は全てだと言っていました。
 林業は絶望的だから山を利用して何か他の産業を興せないかと必死で考えていると弟は話していました。菅総理はそういう実情は分かって言っておられるのでしょうか。
 もし法人化させて少しででもコストを下げる仕組みを作ったとして、輸入木材と競争して成り立つように出来るという確かな確証があって言っておられるのでしょうか。
 総理が発言をするときは有識者に精査してもらって、確証のもてる話をしなければ、一国の総理としての品格と能力が疑われてしまいます。

おすすめリンク

2010年8月2日月曜日

有職文様



 有職とは朝廷の礼儀、故実に精通している人のことを言います。
服飾も儀礼の一環で、平安時代に着ていた装束の文様を有職文様といいます。
格調の高い文様として礼服・礼装等の衣服のみならず、家具調度品の模様として広く用いられています。

・立涌=立涌(たてわく)は陽炎を図案化したものです。
    雲を配して雲立湧、花を配して花立涌、波を配し
    て波立涌などがあります。
・亀甲に花菱=図は亀甲に花菱を配したものです。      
       亀甲は亀の甲羅を文様化したものです
       中国の故実に「鶴は千年」「亀は万年」と
       あり、日本でも大変お目出度いものとして
       好まれています。
・向蝶=文様で向かい合っているものは沢山ありますが、
    向い蝶と揚羽蝶は有職文様で平安時代から好んで
    使われました。
    蝶は毛虫~成虫蝶までの変態が自然の持つ不思議
    な再生、復活の力として古代の人々に力強く印象
    付け、また霊魂の象徴として種種の器物や織物の
    文様として用いられています。
・入子菱=入子菱(いりこびし)は菱文の一つで、中国か
     らきたものです。     
     図は菱襷(ひしたすき)に二重三重の菱を入れ
     込んだものです。
 
 有職文様は堅いイメージがありますので、着物の文様としてより礼装の帯の文様としてまた調度品の文様として多く用いられています。
 有職文様は他にも沢山有ります。文様の謂われは中国の故実によるものがほとんどですが、それが日本人の美意識の根幹になっていますので、謂れを知ることは大変興味深いです。
ここをクリックくだされば様々な文様が詳しく見れます。

2010年8月1日日曜日

道を正した政策を



例えば子供手当です。賛否両論で批判をする人も多いですが、子供手当の支給によって助かったと喜んでいる人も沢山いることは確かです。
喜んでいる人も沢山いるということはこの政策は善策なのか否かと問えば、私は違うと思います。
 男女の関係や家族関係に於いては何が道理や条理かという理屈よりも、そういうものを超越した愛が大切です。しかし公の場での論議は徹底して何が道理であるかという精査が大切で、それに沿って具体的にどういう策を講じるかを考えなければいけないと思います。
 資本主義の原理原則は自己責任と自立です。その根本に沿って考えるべきです。
 子供が小さくてその上に預ける所もないので自立出来ないで困っている人も少なくありません。
そういう状況下で先ず何をすべきか。子供手当を支給することよりも、働きたい人、働かなければ自立出来ない人には、何時でも簡単にそして安価に預けれる施設を準備するということが政治の一番の仕事です。
 働きたい人には安価で簡単に預けれる施設を政治の力で整備すれば、国の援助なく自立した生活が出来ます。多くの人が働けるようになればそれだけ景気にもプラスに作用します。
 国の力で環境を整備して働きやすい環境を構築して働いて頂く。それでも生活出来ない人がいればそこで始めて子供手当を支給することを考える。それが道理に適った手順ではないでしょうか。
 道理に適った手順で政策を実行していないから。喜んでいる人もいるけれども、多くの国民やマスコミから政治に対する不審点をぶつけられるのです。