菊水文様
重陽の節会が始まったのは平城天皇の大同二年(807年)です。
しかも当日の宣命のなかに節会再興の思し召しが述べられていますので、これ以前から行われていたものと思われます。
菊花は神仙にいう長寿の瑞草隠逸{ずいそういんいつ(菊の異称)}の君子とされ、また日精と呼ばれ、太陽の精気含んだ花とされ、百草の王とも言われています。
菊花は人間の身体を軽くして精気を増し、更に人を健康にするという効果があると言われています。
菊を浸した水は生命の水、不老長生の水であり、菊に水を配して瑞祥の文様とするのは、全てこの話から生まれたものです。
織文としての菊は鎌倉時代以降で、後鳥羽天皇をはじめとする仙洞の御紋でした。菊の紋章は明治二年八月に十六弁八重菊を皇室の御紋章と定め、皇族は十四弁単裏菊をもって定め、皇室以外の使用は禁止されました。
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