古代には事ある毎に女は鬘(かつら=草花で髪を飾る)を巻きました。それを桂とも書きます。
頭に巻くターバン鉢巻のことです。この鉢巻のルーツは挿頭花(かんざし)で、花の生命力を自分の身体に付けることによって、元気になり幸せになるという生命触れ合いの信仰からきています。
人も自然の一部ですから自然と調和して、自然のサイクルと生命のサイクルが一致していれば健康で幸せになれるという信仰から、自然のものを身に付けて生命力を得ようとしました。
生の植物を装身具にすることから発して、それがべっ甲、珊瑚、金銀にとってかわるようになり、植物は衣服の文様として用いられるようになりました。
和服の模様は健康で幸せになれるという信仰からはじまっていますので、すべての模様は吉祥につながっています。
昔の人はそういう事については造詣が深く、人の交わりを大切にしましたので、和装に付いても約束事をきちっと守りました。
例えば、留袖の時の襦袢の色は白色と決まっています。喪服の時の襦袢の色も白色という約束事になっています。
留袖も喪服も同じ白色ですから、最近の人は色だけを取り上げて留袖にも喪服の時にも兼用できるように綸子の白の襦袢を用意されていて、それをどちらにも着ておられる人がほとんどです。そしてそれで正しいと思っておられる人がほとんどですが、それは本当は正しい着装ではありません。
地模様のあるもの、即ち模様は全て吉祥につながるものですから、昔の人は同じ白でも、喪服の場合は羽二重か縮緬の無文の生地で仕立てたのです。それをきちっと守らなければ、喪服を着ても意味がないのです。
そういう細やかな心使いを怠らないのが本来の日本人の美意識です。欧米の文化が横行しだしてから、日本人の美意識も変わってしまいました。良いものはドンドン取り入れてもいいですが、日本古来の良い面を捨て去ってしまっているようにおもいます。差し引きマイナスという面が多く目に付くようになっていることが残念です。
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