2009年8月3日月曜日
踊る阿呆に見る阿呆
盆踊り 踊る人の輪 途切れがち 盆踊りは霊魂や神を迎える、また送る様式として行われ、新盆の家を歴訪して回るという郡行様式が当初はほとんどであったということです。
有名な阿波踊りなどもその一つですが、次第にお寺や神社のお庭や門前で行われるようになり、輪踊りが一般化していきます。 現在の盆踊りは宗教的意味合いはなくなり専ら地域住人のコミュニケーションの場として行われています。
ところで阿波踊りのお囃子に「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃなそんそん」というのがあります。
大変蘊蓄のある言葉だと以前から感じていましたが、皆様方はお考えになったことがおありですか。 おつに澄まして見ている人も、馬鹿のように踊り狂っている人も、人間の中身はそんなに変わりませんよ。同じ阿呆ならという言葉はそういうことでしょう。
人生は心豊かに如何に楽しく生きるかが個々の生きていく究極の目的です。過ぎ去った時間は二度と戻ってくることはありません。 そうであるから一時の時間も無駄にしないで、心の潤いのために前向きに踊りの輪に加わって楽しまなければ損じゃないですか。見ているよりも踊りの輪に加わっている方が楽しいに決まっていますから。 最近の盆踊りは結構人は集まって賑やかですが、屋台が目当てで、みんなだべっているだけで、民謡会の人達だけが頑張って踊っておられるだけで、何処の盆踊りもさびしいものです。 こういう現象は豊かになって、最も大切な人間関係の重要性が希薄になってきている象徴だと私は思っています。 夏休みというのに子供達の遊び声が全く響いてきません。それも同じ現象のように思います。
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