静寂の 心に映る 夏仁王
テレビを点けると千利休が「秀吉に屈すれば茶の道は腐る」とやっていました。
それを見て若い時に読んだ千利休という単行本を思い出しました。利休について私ごときが記するのはおくがましいですが、私も長年お稽古事に携わって来ている一人として感ずるところがございます。
千利休の高弟に山上宗二という人がいます。この人は秀吉の政治に対して暴言を吐いて流刑になります。
千利休のとりなしで救免となるのですが、またもや暴言を吐いて耳と鼻を削がれて処刑されます。
利休はこの宗二を大変目にかけていたと言われています。宗二の秀吉に対する心情は、利休の心を象徴しているように思われてなりません。
「秀吉に迎合すれば茶の道は腐る」というのはどういうことでしょうか。秀吉は権力によってのみ世の中は平和になる。権力による統治と政治が全てのように考えている人です。
ところが利休は禅宗で修行をし、晩年は名物類を廃して質素にわび茶を作り上げていくというように精神性を最も重んじています。
人間の生きていく究極の目的は静安に生きることである。誰もが権力者に成れるものではない。権力者にならなければ充実した人生を歩めぬのであれば大半の人は幸せになれません。
神仏は世の中をそんな不公平には作っていません。心の豊かさを大切に生きている者には一様に幸せになれるようにしています。
幸不幸はお金や権力で決まるものではない。心で決まるものだということを宗教家である利休はよく分かっていて、茶を通してそのことを教えているわけですから、そこは絶対に譲れない。信念と信条を覆して秀吉に迎合するぐらいなら甘んじて死を受け入れる。それが利休の最後の心境ではなかったかと私は思っています。
坊主でも武将でも権力維持のためには強者に迎合する者が多い中で、利休は立派だと感銘したことを思い出しました。
自分にも遠からず最後がきます。その前に自分で何もできなくなれば自分の命を自身で絶つぐらい潔く覚悟のある生き方をしなければと思います。
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