2009年8月7日金曜日

人生の理解は難しい


                    憂いなく ゆらゆら泳ぐ 金魚よ  
 
先日偶然に飲み屋で女性のお客さんと一時間ばかりマジな話が出来る機会にめぐまれました。
 お歳は55歳で離婚をされて、懸命に働いて子供を育てたと言っておられました。今は子供も大きくなったので自分のことが考えられるようになった。今は旅行に行くのが最高の楽しみだということでした。  人間には息抜きや癒しが必要です。その手段の中では旅行が最高に楽しいと言われる気持はよくわかります。 それはよく分るのですが、それはその人にとっては最高に至福の一時かもしれませんが、それが誰にでも立て嵌りません。しかしその人は誰にもあてはまる。旅行ほど楽しいものは無いだろうと主張されていました。
 人生の理解というものは各自が体験した範囲内でしか理解できものであるといことを、その人の主張は如実に物語っています。  旅行に行く計画を立てて実行に移す。帰ってから暫くは楽しかった余韻に浸ることができますが長続きはしません。思い出は何時までも残りますが、あの嬉しかったときめきは直ぐに消え去って行きます。
 すぐにまた次の計画が実行に移せればいいですが、次までには経済的、時間的な理由で暫くは我慢しなければいけないのが一般的です。
 その我慢している間は喜楽から得れるときめきは途絶えているわけです。お金で得る喜楽はそのように途絶えてしまいます。そのように途切れ途切れに途絶えてしまう喜楽と、途切れることなく永続して得れる喜楽とを比較すれば、どちらが大きく心に弾みをつけてものかは簡単な算数です。
 旅行の楽しさはわかるけれども、旅行が最高という事はないのですよ。旅行よりもときめきが途絶えることのない喜楽はあるのですよ。そのように話してもその人には通じません。 そのように自分の狭い範囲でしか楽しみを理解出来ていない人がおおいのです。 マズロー博士は第三段階まではほとんどの人が達成するけれども、その上の欲求を達成できる人はうんと少なくなると言っています。この話は全くそれを実証しています。
 人生に正否など有りません、人に迷惑をかけなければ好きに生きていけばいいのです。人生とはそんなものですが、一度しかない人生です、私達凡人はどんなに勉強しても聖人にはなれません。成れないのであれば様々な喜楽を一杯経験して人生を終えて行きたいと思いませんか。そういう考えの同志を増やしたいと思って私は書いています。

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