綿帽子や揚帽子(角かくし)なる奇妙な風俗がどうして発生したのか、皆様方は疑問に思ったことはありませんか。
その起源は公家の女房が着用した被衣(かつぎ)に由来しています。
子供の頃、映画でアラブの女性が薄い布で顔を覆い、妖艶に腰をくねらす場面に子供ながら興奮したのを覚えていますが、顔を覆うという風俗は世界的に見られます。
日本でも公家の高貴な人は話をするのに御簾(みす)越しに話をしました。外出の際には被衣をかぶって外出をしました。 そういう公家の文化が武家にも伝わり、更に富裕な庶民にもならわしとして根付いていくのは常で、武家も外出に際しては被衣をかぶっていました。
江戸の初期に被衣をかぶって女装をした者が、将軍の参詣時に襲うという事件が起きてから武家では被衣は禁止になりました。
そういうことで江戸ではあまり見られなかった風俗ですが、京阪・伊勢などでは晴れ着には必ず上図のように綿帽子をつけました。
そういう習慣が黒の振袖の花嫁衣裳に引き継がれるのは自然な流れですが、打ち掛けは武家の礼装で、武家は綿帽子を付ける習慣がなかったのに、武家政権が崩壊したことによって、一般庶民の風習が同じ晴れ着であるという事で付けられるようになったものと思われます。
ところで綿帽子なる奇妙な形はどうして発生したかということですが、上図に被衣を被っている写真があります。その横に綿帽子を被っています。公家の女房は被衣を着用する時は被衣が滑り落ちますのでそれを防止するために滑り止めに綿帽子を付けて着用しました。それが後に被衣が省略されて綿帽子だけが残ったのです。揚帽子はその綿帽子をさらに簡略化した形です。
被衣を着用する時には顔に密着しないように笄(こうがい)を上に向けて差しました。それが角のように見えるところから角かくしと言われるようになったと言われています。
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