2009年8月19日水曜日

下着に付いて

       鳥居清長の浮世絵 清長文化12年(1815年)に歿・
   左上 社頭の見合い ・左下 上野の花 ・右下 浜町河岸の夕涼

 上図の清長の絵を見れば女性たちは幾枚も重ね着をしていることが、襟元や裾を見ればよくわかります。
 小袖中心の時代になるのは安土・桃山時代からです。当時の小袖の正式な着装は平安時代の衣(きぬ)の重ね着を取り入れて、当時はまだ襦袢がありませんので一番下には肌着用として白の小袖を着て、その上に重袿(かさねうちき)に真似て色物の小袖を着て、表着(うわぎ)には柄物の小袖を着るというように三枚重ねが通常の着装法でした。
  清長の絵は市井の女達を描いていますが、身分に関係なく裕福な人達は普段着や晴れ着に関係なく下着を重ねて来ています。
 和装の場合は襦袢と表着の間に重ねて着る小袖を下着と言って肌着とは区別しています。
 襦袢が元禄時代くらいから着用されるようになります。襦袢が着用されるようになりますと、肌着としての小袖が襦袢に取って代わるのかといえば、そうではなく一番下の小袖の下に襦袢を重ねるようになりますので、上図のように襟元は4枚重なって描かれています。 普段や礼盛装を問わず重ね着をするのが通常のきものの着方だったのですが、戦後洋服中心の時代になりますと和装は簡略化されて留袖以外は重ね着をしなくなりました。
 中振袖や訪問着を着る時に襟だけを重ねる、重ね襟と言うものをつけます。あれは下着の名残で、下着の襟だけを昔のように重ねるということです。
 昔は普段着・晴れ着関係なく付けましたので、重ね襟はどんな着物に重ねても間違いという事はありません。 但し下着は季節によって重ねたり重ねなかったりと調整をしましたので、春袷、秋袷の時期は重ね襟はしない方がいいですね。

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