2009年8月22日土曜日

人権はあるのか



ユニバーサルジャパン パレード

 知人のお母さんが認知症で入院をしているので、付き合って見舞いにいきました。

 リハビリの一環として皆さんで童謡や簡単な民謡を歌っているところでした。しばらく見ていましたが歌声は看護師さんの声だけで、患者の皆さんはわれ関せずで思い思いの方向を見つめて座っているだけです。

歌とは何か、何を今自分達がしているのか、させられているのか全く分かっていないというありさまでした。

 知人のお母さんは知人が顔をすりつけてお母さん来たよと言っても全く表情一つ変えない、目すら動かさないのです。こんな悲しいことがありますか。でもそれが現実です・ 不謹慎な言い方であるとはおもうのですが、動物園の動物以下の認知喪失状態です。

 人権とは自由で何の制限も受けない権利というそうですが、認識がないのですから自由もないし制限や制約を受けっぱなしです。

 皆さんも一度、これも大変失礼な言い方ですが見学に行かれたらよいとおもいます。

 誰もがこんな姿で生きていたくないと必ず思います。中にはどんな形でも生きていてくれた方がいいという人がいますが、そういう人は在宅介護をすればいいのです。 病院に送り出されている人は、大抵経済的な面やその他の家庭事情を抱えています。・ それでも基本的には在宅介護の方向に国は持って行こうとしています。働かなければ食べていけない人がいるのに最後まで見てもらえないのです。 現在選挙中ですが、何処が政権を握ろうとも、今後の大きな政治の課題であることは確かです。また真先に取り組まなければいけないでしょう。

 私なら認知症と診断されたならば、認知する意識が無くなれば薬殺してほしいです。 何にも自分で出来ない分らないのに生きている価値が何処にありますか。そんな状態で生きていれば人に迷惑掛けるだけです。 人権とか人命という言葉は人間らしく生きている人に当てはまる言葉であると思います。タブー視しないで生きているという事はどういうことか、もっともっと意見交換をして、自分の命は自分で決めれるように法律を改正してほしいです。

末期癌でもそうです。治る望みも全くなく、ただただ本人と家族の人がもがき苦しむ状態で何故逝かせてあげないのか。人権とは何か。人権のためという一括りの法律で、そんなに苦しめていいものなのか。自分の命は自分で、自分で判断の出来ないものは家族の意志で命を断てる人権を認めて頂きたいです。そちらの人権の方を重んじて頂きたいです。

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