名護屋帯というロープ状の帯が江戸の初期に流行するですが、直ぐに廃ってしまって、帯は一枚の布を二つ折にして中に芯の入れた丸帯が主流となります。
江戸の初期には上図の写真に見られるように、1.5寸~2寸程度の紐のように細いものを、おもいおもいにすきな位置でし締めていました。
平和で安定した時代が続けば衣服は優美になって行くのは歴史の常道で、元禄時代になりますと今の半幅帯位の帯幅になっていきます。 帯幅が広くなったことで、それまではまちまちの位置で結んでいたものが、後ろで結ぶことが普通になります。
その後帯幅は次第に広くなっていきます。文化年間には帯幅は1尺近くの広さになります。 当時の流行の源泉は歌舞伎で女歌舞伎が禁止になり、男歌舞伎一辺倒になりましたので、女形をする時に女らしく見せるために帯幅を広く結んだことが一般にも伝播していったようです。
当時は写楽や清長の浮世絵に見られるように帯は二つに折らないで広いままで結んでいました。 女性のお袖は結婚をすれは留袖仕立てにするのが習わしでしたが、帯幅が広くなったことで、ミセスのお袖にも振りが設けられるのが一般的になります。
浮世絵を見ますと帯揚げ帯締めを使わず結んでいます。帯締めや枕や帯揚げを使用するのはお太鼓結びが普及してからのことです。
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