2010年9月27日月曜日
裁縫の思い出
駄目で元々と考え梅田で時代衣裳着付専門学院を開校しました。
一年目は順風満帆の出足だったのですが一年経った段階で残ったのは3人で、それからというものは何とか潰さないようにと踏ん張りました。
芸能界の衣裳を担当している頃に京都の室町の呉服問屋に衣裳の仕入れに行っていました。呉服の問屋を知っていました。そんなことできものが欲しいという知り合いがいれば室町に一緒に連れて行って商談が成立すればバックマージンを貰うというようなこともしていました。
その第1号のお客さんは大きな事業をしている知り合いの奥さんでした。
その奥さんは80万円の訪問着を買われました。35年位前の80万円ですから超逸品物の最高級品です。
「20日後の身内の結婚式に着たいのだけど仕立て出来るか」と聞かれました。
今でこそ室町も一般のお客さんが行くので仕立て屋を抱えていますが、当時は商売人相手に売るだけでしたから、仕立てはしてもらえません。私達も仕立て屋を抱えるほどの力は無いので仕立てをしてくれるところを知りません。
仕立上がりの日が決まっていますので、後で探すというわけにはいきません。その場で仕立てが出来ることを即答しなければいけません。
この商談が成立すれば3割程マージンが頂けるので何としても「仕立出来ます」と言わなければいけません。
別れた妻は和裁が出来る人だったので「お前できるやろ」と聞きますと、そんな高級な着物は縫えない。縫う自信がないと言います。私達にすれば大金が入ってくるのですから「なんとか頑張ってみます」と言ってほしかったのですが、「絶対に嫌だ」と言い張ります。それでも私は「分かりましたお約束の日までに必ず上げます」と言って買っていただきました。
家に帰ってこんなにお金が貰えたのですから頑張って縫ってくれと妻に頼んだのですが「嫌だ」といいます。仕方がないから私が縫いました。
地方巡業の舞台に行きますと現地で衣裳合わせがあります。大抵一人で行きますので寸法直しをしなくてもいいように役者の寸法は分かっていますので、こちらで勝手に決め付けで持っていきます。
着物の場合はそんなに駄目が出ないのですが、主役級の人はこっちの方がいいなぁーと、予備の衣裳の方を選択することも稀にあります。そういう時は寸法直しを自分でしなければいけませんので、着物はどういう形になっているかが分かっていました。また運針も出来ました。
最初に絵羽の模様合わせをして、模様がずれない様にしつけ糸でしつけをしてから、ヘラを打ってそれからばらして縫うという順序で縫い上げました。
そういう商いがボチボチですが成立するようになり、アルバイトに行かなくてもいいようになりました。それからは教室の無い時は私が家にいて仕立てと子供の面倒を見る生活が2年ほど続きました。
何が言いたいのか。
若者よ命がけで取り組めば何事も成せばなるのです。若者達よそれを分かって下さい。一番大事なのは情熱です。
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