2010年9月20日月曜日

敬老の日に思う


はや紅葉 入道雲に 紅を差す

 敬老の日を迎えるに当たって若い人達にアンケートを取ったそうですが、その結果何も考えていない。特別何もしないという人が大半であったそうです。
 子供が望んでいなくても親は様々に子供を構います。大人にとって構う事が楽しいからです。
ところが年寄りは放ったらかしにする。年寄りを構っても面白くないからです。
人間は実に正直に反応します。

 人間は必ず年老いてそして亡くなって行きます。そういう自然の節理からすれば子供よりも年寄りを大切にするのが正当なのです。
そうすることによって子供の心にも敬老の観念が植え付けられて行って、子供の自主性や自立心を養うことにもつながり、子供の情操育成面にプラスに作用するはずですが、そういうことを願うのは無理。時代は変わりました。それはもう夢のまた夢になって来ています。
 
 社会保障が充実しているノルウエー等では親の面倒は見なくてもよい、親もまた子供に面倒を見てもらう気持ちは無い。そういう概念が定着しているそうですが、日本ももう先の長い話ではなくそうなって行くでしょう。
それが実情なのに、社会保障制度の構築を思念する時の基軸に、いまだに道徳観念を考慮して制度化しようとする時代遅れの政治家がいます。
 淋しく悲しい事ではありますが現実に年寄りは孤立化していくのですから、その時代の流れに沿った社会保障の充実を考えなければ孤独死して放置されたままの年寄りは益々増えて行くと思います。

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