2010年9月17日金曜日

癒しってそんなに必要


黄金の 稲穂に畔の 緑映え

 私は30歳の時に芸能界の衣裳の仕事を辞めました。
関西でドラマ制作をしますと製作費が高くつきます。
何故ならば関西出身の役者でもチョット売れてくると東京に席をおきます。
関西に呼べば交通費・宿泊代などの諸経費が嵩む事と、製作本数が少ないので大道具などの使い回しができなくてその分製作費が高くつくのです。
 同時に映画も下火になりましたので多くの仲間は東京に転勤しました。
 そういう状態ですから映画、舞台、テレビをあてにしなくても成り立つように、一般事業部の業績を上げなければと考え、きもの学院の先生方に十二単や芸者・舞妓等の着付けを教えますのでしませんかと営業に回りました。
 直ぐに飛びついて来ましたので毎週教材を風呂敷に包んで教えに行きました。
 教材費などを入れて結構なお金にまりました。そのまま続けて着付が出来るようになれば、映画やテレビ局の現場担当者として、常雇いでなく必要な時にだけアルバイトとして使えるという構想もあったのですが、会社側は乗り気でなく東京転勤の命が下りました。
 東京に行くのは嫌だったので断るつもりでした。
そんな時に教えている人達が学院をやれば私達は行きますと言ってくれました。
 私は神戸製鋼の養成工として入社しそこを辞めています。日本では学校から入社した会社をやめてそれ以上の会社に行けるということはまずありません。サラリーマンとしては失敗者ですから、駄目で元々という気持ちがありますので、皆が言ってくれることを受け入れて、梅田の扇町線に時代衣裳着付専門の着付け学院を開校しました。
 私は歌が好きですから50過ぎからよくカラオケを歌いに行くようになりました。人が素敵な歌を歌っています、「その歌は新しいのですか」と聞きますと「古いよ20年ぐらい前にヒットした歌や」と教えてくれます。
 私は学院を始めてから50過ぎまで歌も歌ったことが無いので知らないのです。勿論バーやスナック等にも行ったことがありません。私はギャンブルが好きで今でも日曜日には必ず競馬をしますが、50過ぎまではパチンコもしたことがありませんでした。
無我夢中で仕事をして来たのですが、遊びたいなんて事を考えたことは一度もありません。
自慢にはなりませんが海外旅行をしたことがありません。経済的には何の問題も無かったのですが行きたいと思ったことがないのです。
仕事一筋で癒したい癒されたいと思ったことがありません。世間では癒し癒しと癒し方に付いて叫ばれていますが。それって淋しいですよね。本当に打ち込めるものがあれば癒しなんか全く必要ではありませもの。

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