2010年9月18日土曜日

成せばなる



サラリーマンとしては失敗者ですから、駄目で元々という気持ちで大阪の梅田に時代衣裳の着付専門学校を設立しました。当初は120人位来てくれました。
 月謝が一万円ですから120万円の収入です。
辞める前の給料が五万円前後で、経費は10万円に満たない程度でしたから、「やったぜ」と思いました。
 一年間のカリキュラムを組んでいましたので一年間はその状態が続きました。
問題が生じたのは一年後です。

 お稽古に来られていた人達は名の通ったきもの学院の先生方でした。
其の人達はこんなことも知っている。こんなことも出来るというように、自分の学院に戻れば他の先生や生徒達に自分の存在を誇示できるから来ていました。
 週に一回のお稽古で一年程度では出来るようにはなりません。しかし出来るか否かは関係ないのです。たとえ出来るように成ったとしてもそれを現実に活かせる場がないことを知っているので、時代衣裳に触れたという事実だけで十分ですから、一年経った段階で3人だけが残って後は辞めていきました。

 サラリーマンは働かなければ給料は入ってこないだけですが、商売をしていると働かなくても毎月決まっただけのお金が出て行きます。蓄えなんかアットいう間に無くなってしまいます。
 折角始めた学院運営であり、少ない人数ですが3人の人は私に賭けて残ってくれています。そのためにも絶対に潰せません。
そこで3人には同じ曜日にお稽古に来てもらうことにして私はアルバイトに行きました。
 大丸のお中元とお歳暮の配達です。当時は一個60円くれましたので、夏の終わりと正月前は給料の3カ月分位の収入になりました。
 子供は幼稚園の年長組と年少組ですから手が掛かりますので私が面倒をみました。
 幼稚園に迎えに行った足で其のまま子供を乗せて配達に行きました。子供は車の中で待っているのがしんどいので付いてきます。
其の家だと分かれば先に走って行って呼び鈴を押して「ごめん下さい大丸です配達に来ました」とさけんでいました。
 そういう状態が3年間続きました。宣伝をしなければ生徒はあつまりません。
 経費の中で宣伝費が最も高く付きますので其の宣伝も容易にできません。それでも必死で耐えて踏ん張りました。
 私は自分の苦労話を自慢するためにこれを書いているのではありません。
 私は親は既にいませんでしたので親から援助はしてもらっていません。兄弟にもお金を借りたことがありません。そんな状況であっても目標を掲げて、何としてでもやり遂げるのだという強い気持ちと情熱を持って取り組めば、大抵のことは成就する。その事を分かって若い人には頑張って欲しいのです。

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