2011年3月29日火曜日

崩れた安全神話


 原発の安全神話が崩れて大変な事故に陥っている。
原発建設当初は住民の人を集めて話し合いを持ちました。。
その席で住民はもし事故が起こった時には私達住民はどうして逃げろというのだ、この宍道湖を泳いで渡って逃げろというのかと質問をしたそうです。
そうすると原発安全院会のメンバーは、今日のこの会は皆様方の質問に答える会ではないと議事を進め、そういう形で建設を進めて行ったそうです。
 私は住宅街の中に大きな建物を建設することに反対をして建設側とやり合ったことがあります。
国としては経済発展優先の観点から建設法的には認めています。
しかし住民の意見を十分に聞くようにという条件付きですから、建設側は話し合いの場をもうけます。
 その席で住民側としては様々に実害があるわけですから反対の意見を述べます。
それには適当に答えるだけで、建設側の大きなマイナスになるようなことは、いくら住民側の意見を聞いても聞き流すだけで「そのようにします」という答えは絶対にしません。国が法的に問題ないと認めていますので話し合いなんか茶番劇なのです。最後は裁判という事になるわけで法的には何の問題もないので、そこまで行くなら行けばいいという、最初から説明側は腹をくくっているのです。
ただ住民に対する十分な説明が義務付けされているからゼッシャーでやっているだけなのです。
 国の発展が優先という前提によって法的に認められているから住民との話し合いは茶番なのです。
 原発建設も同じです。原発は絶対に安全という安全神話を説いて、素人には分からないのだという姿勢で学者や建設側が押し切り国が後押しをするのです。
 アメリカで同じ事故が起こり安全神話が崩れたにも拘わらず、安全基準を満たしているとして何の手も打たずにここまで来て、そして大きな事故を起こしてしまった。
明らかに原発事故は人災です。天災と人災が重なっている。この人災は悪くすれば関東から上を滅亡させてしまうかもしれません。
 アメリカの学者は、アメリカのように広い国土でも事故が起きれば大きな被害が出るのに、日本のように狭くて住宅が密集しているようなところで事故が起きればどうなるのか考えただけでも恐ろしいと言っています。
これを教訓に「人が大事かそれともお金か」もっと地に足を付けた思念が必要ではないでしょうか。

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