2011年3月28日月曜日

企業と政治家


2号機から大変高濃度の放射能物質が出ていると放送されています。
本当に近いうちに心配が治まる状態に成るのでしょうか。
それが一番心配です。
何故こういう事故になったかを考えて行きますと、世の中の仕組みの不思議さに唖然とします。
想定外とよく言いますが、事故が起これば大変な惨状につながると認識されているものに付いては、絶対でなければいけないのです。
絶対であるべきものに想定外という言葉は当てはまらないのです。皆さんそうはおもいませんか。
 原発については今までにも設備について取沙汰されていました。
本当は十重二十重に備えを十分にして、絶対と言えるところまで設備投資にお金を掛けなければいけないのに、そこまでやれば設備投資にお金が掛かり過ぎるので、安全基準を満たしておればそれで良しにしています。その安全基準は企業にとって都合のよいように出来ている。その程度でいいのか否かは政治家も追及しなければ、専門家も机上の上だけの計算で十分だと思い込んでしまっている。専門家も国もそれでよいと許可をした。その段階ではそれで十分だと思っていたから想定外と言う。
アメリカのスリーマイル島でも同じ事故があった。その段階で安全基準は絶対でないことが証明されている
それなのに企業サイドの都合で安全基準を満たしているからと、政治家も専門家も設備の見直しをしなかった。誰に責任があるのでしょうか。
 地震は想定外の巨大規模だったから仕方がないで済ますのでしょうか。
 もしもテロに攻撃されたとしても、びくともしないように十重二十重に安全を確保する設備にしておく。それが原発というものではないでしょうか。
 この度の事故で農作物や海産物がだめになる。
東京電力に責任を取らせたら潰れるかもわからない。潰れては国民が困るから国が許可を出した責任で保障をする。
その保障のお金は私達から出ているわけです。
 天災で困っている人は助け合うのは当たり前ですから、大いにお金を使って復興第一に考えなければいけない。しかし原発事故は少し引っかかる思いです。
 原発を誘致したり許可したり安全基準の審査などに当たっては、これまでの慣習からして企業と政治家の癒着がささやかれている。事故がおこれば全て国民が面倒を見る。

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