2010年2月14日日曜日

つき


よく「ついている」などと言いますが、つきは偶然なのでしょうか、それとも定めでしょうか。

 つきという言葉は辞書には記載されていません。運が付いているの「つき」の事でしょうね。
運とは天命のめぐりあわせということですから、やはりつきは神が決めることなのですね。
 人は生まれてから後の事は、どんなに貧しく辛い環境で育っても清く正しく生きることは可能ですね。
 こういう言い方をすれば、辛く苦しい環境で育った人は「お前らにはどん底の苦しさなんか分からないだろう」と叱責を受けるかもしれません。しかし私も随分と貧しい家に生まれ育っていますのでお金のない貧しさは分っています。その上で申し上げれば健康でさえあれば清く正しく生きていく事は可能です。したがって生後の人生において、宿命などと神のせいにする気持ちは私にはありませんが、生まれた時から障害を持って生まれて来る人も沢山います。そういう人を思えば神はどうなっているんだと神の仕打ちを呪ってしまいます。

 私の妻は重度の障害者の支援施設で働いています。先日までは土・日・祝日と盆正月には親が家に連れて帰っていましたので、平日は昼と夜泊まりの二交代で仕事をしていました。
ところが親が高齢になってきて先の子供の事を考えますと、一人で生きていく訓練をしておかなければ余計に可哀相な目にあわせてしまうということで、盆と正月以外は施設で生活をすることになり、彼女も土・日・祝日は24時間勤務になりました。

 子供たちと言っても30代40代の大人ですが、これまでは家に帰れる日には親が迎えに来るのを玄関まで行って嬉しそうに待っていたと聞いています。子供達も家に帰れない分寂しくなるでしょうが、高齢になってきて可愛い子供の面倒が見れなくなってしまう、親の気持ちを考えればもっと悲しいでしょう。

 この人たちは何の罪があってそうなってしまったのでしょう。神はあまりにも酷いではないでしょうか。
 世の中には何の罪もなくそういう辛い生活を強いられている人達も沢山います。それを考えれば健康であることに感謝して、頑張って生きていかなければ罰が当たりますね

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