2011年6月21日火曜日
羽織の起源の胴服(どうふく)
写真は「江」のドラマの一場面です。
上に着ているのは胴服と言います。
公家や武家の上級者が普段着として上に羽織っていた短い表着(うわぎ)です。
襟は半纏(はんてん)と同じ形をしていて袖は広袖に成っています。
広袖というのは袖口が袖幅いっぱいに空いている形です。
これが後の羽織に発展していき、武家の通常公服として着用されるように成ります。
江戸時代の中期以降になりますと富裕な町人たちも羽織を着装するようになります。
そして武家の羽織袴の通常公服を礼装として町人は用いるように用途が広がっていきます。
江戸時代の中期以降は男子は町人も羽織を用いるようになりますが、奢侈に走るという事で女性は小袖の上に羽織を着装することは禁止されていました。
女性が羽織を初めて着用したのは深川の芸者衆です。
幕府は市中の遊女の数を1000人と制限していました。
そこで深川の芸者は幇間(ほうかん)、即ち○○奴という男名を付けて御座敷にでました。
芸者に○○奴という名がつけられたのはその名残です。
幇間(男芸者)となって男性と同じように羽織を着てお座敷にでました。それが女性が羽織を着装したはじめだと言われています。一般女性に羽織が流布するのは明治になってからです。
女性の間にも羽織着装が流布しますのと男性と同じように紋付きの羽織も表れます。
しかし女性の羽織姿はあくまでも略装であって、正式の場は帯付きというのが昔も今も変わりません。
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