2010年10月31日日曜日
教えることは戦い
着付けが出来るようにと希望してお稽古に来られるわけですが、現実に出来るようになる人は20%もいないのです。
現在は洋服中心で普段はほとんど着物をお召しになりません。きものを着る時は大半の人が儀礼の時ですから、留袖や訪問着というフォーマルです。フォーマルが着れなければ、お稽古に来た意義が半減しますのでフォーマルまで着れるようにする。
そして次に出来上がりです。端的に言って下手、普通、上手とありますので、最低人前に出て行っても恥ずかしくない出来上がりにする。これが普通です。
それからもう一つあります。よくある話ですがお稽古をしている時は何とか着れていたけれども、少し時間が経つと出来ないようになってしまったという点です。これは体で覚えきるところまでお稽古できていないからそうなるのです。
よく習うより慣れろと言いますがそれです。
それが出来ていないから辞めれば直ぐに出来なくなってしまいます。
これは経験上でしか得られないことですから理解し難いかもしれませんが、留袖をヨーイドンで着て、5分以内で普通の出来上がりになれるように訓練をしておかなければ、必ずお稽古を辞めたら出来なくなります。
私達指導者は責任がありますので着れるという事に付いてもそのように定義付けして、最低はそのようになって欲しいと指導していました。今まで申し上げたことで理解に苦しむのは5分以内に出来るようにするということで、後は全くその通りだとは思いませんか。
そういう定義に則って言えば、お稽古に来られても出来るようになる人はごく少数であるということです。
私は現在も出張着付で各家庭に伺っていますが、50歳以上の方は大抵習ったことがあるという人たちです。
それが現実ですから、そうならないようにしてあげるのが指導者の責任ですから懸命に頑張りました。
そのためには本人がその気にならなければできません。その気にさせるために様々に精神論をぶちました。それが嫌さに辞めた人も沢山います。しかしいくら嫌がられても責任を全うするには、説いてやる気を起こさせなければいけません。教えるという事は戦いなのです。戦いに負けたら生徒がだめになるのです。たかが着付ですが教えるという事は凄絶な戦いなのですから、学院、教室という名を簡単に付けるなといいたいのです。
脱税をしている者に「お前ら日本の道を歩くな」とドラマで言っていますが、簡単に学院や教室という名を付けるなと言いたいのです。
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