2010年3月29日月曜日
結婚式に思う
昨日は久しぶりに苦楽園のN様のお家に着付けに伺いました。
このお家を訪れますと思いだします。お嬢さんが結婚をされる時に近くの神社で挙式をされるのでお家で支度をしたいということで打掛の着付けをさせて頂きました。
支度を終えて神社にお出かけになる前にお嬢さんとお母さんは仏壇の前に座って、ご先祖様に報告のお祈りをなさってから出かけました。
その姿を見て、家で支度をしてから出かけるというのもいいものだなぁーと感動した思いが甦ってきます。
今ここに自分がいて幸せな時を迎えることができた。自分の力なんか何にもありません。
父母がいてそして先祖がいて、その線上に自分が今そこにいるから大きな喜楽を得ることができるのです。
そのことを思えば父母は勿論の事ご先祖さんにもご報告と感謝の意を捧げる。人として当たり前の行為ではないでしょうか。
ところが最近では、生まれてから宮参りや七五三・十三詣りには神仏にお祈りをして、恐らく葬儀では仏式で葬送されるであろう人が、何故結婚式ではキリストに感謝をしてご先祖様をないがしろにされるのか、私には理解が出来ません。
私は日本人として日本の文化に誇りを抱いたいます。
歴史、即ち祖先を私は大切に思っています。今年は坂本竜馬ブームですが、今週の大河ドラマでは坂本竜馬は脱藩します。
何の私利私欲も無く国の行く末を憂いて、多くの人が命を掛けて散っていきます。
そういう人たちの熱い思いと犠牲があって今の私達はあります。そういう祖先の勇気を私は誇りに思っています。本を読んでいると涙が出て止まりません。
私達はそういう素晴らしい人達の活躍された線上に存在出来ています。その事に思いをはせて感謝できる自分でなければ自分の人生を豊かにすることは絶対に出来ないと思います。
人は自分自分と自負心だけ旺盛ですが、自分より賢い人は掃いて捨てるほどいます。自分の存在なんか塵や埃の如くです。素晴らしい人はいくらでもいますがそういう素晴らしい人でも自分ひとりの力では何にも出来ません。それが人生です。
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