2010年3月21日日曜日
孤独死
カフェスマイルの近隣のお客さんで、武庫殿やkokoroちゃんや私も含めてカフェスマイルに集う常連さんはみな知っている、スマイルの名物おばあちゃんが孤独死し2~3日放置されていたと聞きました。
この前まで窓から手を振って元気にされていたのに驚きました。
年には不足はないけれど死に方には不足があります。なんと悲しい逝き方でしょう。
私も人の親ですから良く分かるのですが、子供は目に入れても痛くない。まさにその通りで子供は可愛いものです。可愛がって大切に大切に育てます。おばあちゃんにもそうして大切に育てた子どもさんがいる筈です。
子供の中には、こんなに嫌なことや苦労ばかりするのだったら産んでほしくなかったとうそぶく人もいます。それでは嘯く子供達に聞きます。これまでに喜楽は一度も無かったのでしょうか。
そんなことは絶対にありません。人生は喜怒哀楽の繰り返しです。
吉田松陰は12歳の子供でもそれを既に経験している。あとはその繰り返しだけだから何時死んでも悔いはないと言っています。
怒哀だけの人生なんて絶対ありません。大小の違いはあっても喜楽も必ず経験しています。
その上に自分の心がけ次第、努力次第で喜楽はいくらでも増幅させることはできます。
楽しい事はいくらでも経験できます。経験できるのは生きているからです。親が産んでくれたからです。育ててくれたからです。子供は自分の力だけでは生きていけないのです。そのように考えれば一番大切にしなければいけないのは親でしょう。
住居環境や経済的理由など様々に人は理屈付けをしますが、そんなことは心がけ次第で全て解決できる事です。
人生は誰もがそのうちに年老いて死んで行きます。例外は無いのです。順送りです。それが自然の法則ですから、その法則に則って、順繰りに子供たちが親を看取って送り出して上げることが一番自然な形なのです。
本来はそうあるべきものが、気が合う合わない、好きでないとか、好きになれないなどと個々の感情を優先させてしまって自然の法則を感情によって崩壊させてしまっています。
そういう現実の世界を子供達が見て育つわけですから、大きくなっても親のことは知らんと言う子供が増えてくるのは、これも自然の法則です。
そういう悪循環が繰り返され今度は自分が年老いて寂しい思いをしなければいけないことになってしまうのです。
勿論全てがそうであることはないのですが、風潮としては完全に親に対する不義の風潮は固まってきています。こんなことでいいのでしょうか。
楽しい人だったおばあちゃん。そのうち我々も行くから面白いネタを沢山集めておいてね。
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