2009年10月6日火曜日
考え方
芋と栗 君と供する 十三夜
現在は日本女性といえども自分で着物が着れなくても恥ずかしいという時代ではありません。
着物にも普段着から礼装までありますので、いつでも着る機会はあるのですが、ほとんどの人は着ません。着ないから、馴染みがないから着れないのですが、時によっては着なければいけない時もあります。その時のためにわざわざ着付のお稽古に行くのは合理的ではありません。
そんな時は私共では出張をして留袖を3000円で着付けていますので、それを利用する方が合理的です。
こんな時代にわざわざお稽古する限りは、思いついた時に何時でもきもののお洒落を楽しめるようにお稽古をすべきです。
きもののお洒落を主目的にお稽古をする限りは、自分の姿を鏡に写して惚れ惚れとするくらいに上手な着装ができるようにならなければお稽古に行く意義がありません。
上手の目標は教えて頂いている先生です。先生と肩を並べるところまでに至って上手にできるようになったといえます。
そこまでに至るには血の出るような努力が必要です。着付けも例外ではありません。
人は何かに取り組んで目標を掲げても、大方のひとは目標の手前で挫折してしまいます。だからやると決めたら先生を追い越すくらいに目標を高くもって臨まなければいけません。
成果という形は目標を高く掲げて実践をした結果として実現するもので、精神の高揚が最も大切です。
精神性の大切さを理解できずに「着付けぐら」という精神性の低い考えの人が少なくありません。それでは掲げた目標に絶対に達しません。
キチットした考えと心の整理が大切なのですが、そんなことを考えようともしないで何かに取り組み、「着付けぐらい」と侮ってしまう。
人とは不思議な動物です。
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