2011年4月8日金曜日

人生の思い出No1の附則その2


日本の食卓は明治までは銘々膳です。
家父長が一番上座に座り、左右に居並んで食べるという形です。
食事をするときは話をすることは許されず、家父長が一方的に話したとあります。
ちゃぶ台が普及するのは大正から昭和にかけてです。
ちゃぶ台が普及してからは大きな器に盛って共食をするという事がなされるようになり、器も大きいものが普及したとあります。そして丸いちゃぶ台ですから上下がやかましく言われなくなり、家族団らんで話をすることが増えたとあります。
ただし食事を頂く時は家族全員が一緒に頂くと言うのが原則でした。
 そういう習慣が崩れだしたのは戦後からです。
家父長制がなくなり男女同権がうたわれ、女性の地位の向上と反比例するように父親の威厳が削ぎ落とされるようになり、ついには父親の威厳が失墜していきます。
 それによって子供は父親の前で萎縮しないようになり伸び伸びとしてきましたが、それに伴って親の意見が子供に届かなくなりました。
 子供の教育には畏敬の念を抱いている父親の存在は重要なのですが、畏敬の念を抱かなくなったために好き勝手な思念を抱く子供が増えました。
子供の教育にとっては大きなマイナスです。
 亀の甲より年の功という諺があります。一般的には子供よりも大人の方が知恵は上です。
子供にとっては最高の教科書である親の言葉が子供に届かないのですからマイナス面が生じるのは当然です。
 親の威厳の失墜が学校の先生の威厳の失墜につながっていき、それが子供たちに大きなマイナスとなっています。   子供たちにとっては優しくて接しやすい大人が最高でしょうが、子供がやりやすくなるということはそれだけマイナスが大きくなるのです。そういう原理原則を大人は知るべきです。
 これには女性の配偶者蔑視が大きく影響しています。そしてそれ以前に軽視蔑視されない男自身の男づくりが大切でしょうね。男が威厳を持って一本筋の通す社会が子供たちを立派に育てます。
昔のように亭主関白になるというのではありません。

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