2011年4月18日月曜日

足袋の文数


 家康が寛永通宝を作ったものの中国の貨幣が強くて一向に通用しないので仕方なくお触れを出して寛永通宝を使え、ついては草履、下駄、足袋はすべてこの寛永通宝を単位として表現する。一枚で一文、十枚で十文とすると決めてしまいました。それから足袋は文数で呼ばれました。
足袋はcmで表されるようになるのはそんなに古い話でなく、それまでは専ら文数で表し、一文は2.4cmですから私は26cmですから11文半を履くなどと言っていました。
昔の公家の履物は靴、履、沓(いずれもくつ)でしたの襪(しとうず)という指のないひも付きのものでした。
足袋に親指の股が付くのは高貴な人が草履を履くようになってからで、江戸時代は一般庶民は礼装時以外は足袋を履くのを禁止されていました。
明治になって一般の方たちも足袋を履くようになり足袋にこはぜが付けられるようになりました。
こはぜは明治10年位からだと文献にあります。

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