2011年4月28日木曜日
白色
冠位十二階の制において冠の色で位階を示すようになりました。
徳(とく)、仁(じん)、礼(れい)、信(しん)、義(ぎ)、智(ち)に大小を設けて十二階としたわけですが、白色は義の臣下の色として用いられていました。
その後奈良時代の大宝律令(701年)によって服制が改められ服色によって階級が表現されるようになり白色は臣下の色から姿を消します。
白昼という言葉があるように白色はさんさんと輝く太陽の色、即ち天皇を象徴する色として扱われるようになります。
白はまた清浄な色として神事に欠くことの出来ない神聖な色として扱われるようになります。
現在は喪の色と言えば黒が一般的ですが、黒が喪の色として普及するのは大正年間以降でそれ以前は白でした。
結婚式も喪服も白色ですが、吉事の白色は地に地模様がある者を使用し、喪の場合は無地を用いました。
目にし手にすることの出来る事物の全ては生活を豊かにするためのものであり吉事に通じす。したがっておめでたいときには大自然の力にあやかるという事で地模様のある白を用いましたが、凶事の時には無地を用いたわけです。
時代劇を見ていますと大名や高貴な役職者は襦袢の襟に白色を用いていますが、下級の武士は鼠色を用いています。また町人は一般的には黒色の半襟を付けています。
これは白色は高貴の人の用いる色で下級者は用いることを禁止されていました。
下級者が白色を用いていて罰せられたという逸話も数々あるそうです。
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