2011年4月29日金曜日
きものが作法を変えた
上記左図は小袖姿で身丈は対丈であることがわかります。
きものの丈が長くなって屋内で裾を引いて着るようになるのは元禄期以降です。それまでは男性と同じように女性も対丈に着て衣紋も抜かない着装をしていました。
裾を引くようになりますと身幅が広いと足捌きが悪いので反物の幅が狭くなります。当然のことながら身幅も狭く仕立てるようになります。右の二枚の図を見て頂きますと、上級の女房も一般庶民の女性も男性のように「胡坐」「立膝」で座っています。
日本の文化は大陸の模倣で始まっています。中国や朝鮮では今も女性は立膝ですから、日本人もそれに倣って男性は胡坐、女性は立膝というのが一般的な座り方だったのです。そのことを上図は証明しています。
裾を引いて歩くようになってから身幅が狭くなり、反物の幅そのものが狭くなりますが、それ以前は反物の幅が42cmくらいありましたので身幅が広く、その上身丈は対丈ですから、胡坐や立膝で座っていても前がはだけて見苦しいということがなかったのです。
身幅が狭くなると胡坐や立膝では前がはだけて見苦しいので、座礼は男女共に正座をするようになります。 公家の女房も普段は袴を穿かなくなったことも正座を促す一因になったのではと思います。
映画や演劇では男性は江戸時代以前は胡坐で、そのままの姿で描いていますが、女性は胡坐や立膝の姿では女らしさが出ないから、作法の面では時代考証を無視して描いているのだと思います。若い監督ならそういうことを知らない人もいるかも知れませんね。
お茶は村田珠光が開祖となって室町時代から行われているのですが、正座が普及する以前はどういう形で茶事をやっていたのでしょうね。そういうことを解説している茶人はいますか。皆さんの中で知っている人がいらっしゃったら教えて下さい。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿