2011年1月24日月曜日
学校の先生の苦悩
最近教育の場で新米先生がノイローゼになり、父兄を相手取って訴訟を起こしているという出来事があります。
先々週の日曜日から教育の場で奮闘する校長と、子供たちの姿を描いたドラマ「スクール」が放映されています。
私達の小中学時代の授業中の雰囲気は静寂そのもので、授業中に騒ぐということはありませんでした。
そういう時代に育ち、授業中はそうあるのが当たり前と思っている私達からみれば、ドラマに描かれている教室の風景は、ドラマだから少しオーバーに演出されているのかもしれませんがひどいものです。
話半分にしてみてもひど過ぎます。全て演出されたいるというのではなく、多分にああいう雰囲気になってしまっているのではないだろうかと考えてしまいます。
先生は夢を抱いて教育の場に来られ、こういう形で授業を進めたいと思い描いている。しかし子供たちは先生のいう事を聞かない。叱ると父兄から逆に攻撃を受ける。
また勤務は雑用も多くあって多忙である。子供たちを導けないことは自分の恥部となることだから誰にも相談できない。一人で抱え込んでしまった挙句にうつ病に陥ってしまうのですね。
親達が先生の苦労を考えて子供たちを叱って一緒になって導いてくれたら先生も救われるのですが、学級崩壊は親も先生に責任を背負わせて責めてくるのですね。
教育の三本柱は心・知・体ですね。心は勿論精神面の育成でしょうが、学校では主に道徳面において指導するという事であって、躾は親の責任でしょう。
授業中に騒いで迷惑になるような行為をする。そういう事は躾の問題で親の責任です。今の時代は先生が厳しく子供たちと接することが出来ないのであれば余計に親の責任が重いでしょう。
お宅の子供は学校で騒いで先生のいう事を聞きませんと連絡を受ければ、親は子供をしばきまくってでも行いを正して学校に送り出す。改めなければ学校に行かせないくらいの責任感を親は持つべきだと思います。
先生と言っても世間で揉まれて鍛えられて来ているわけではありません。
人生経験も少なく苦労も少なく、ただ人よりも少し頭が良かったから先生になれたという人がほとんどです。
そういう拙さを子供たちは見抜き、また親も今の先生は「あかん」と嘆き批判します。
家でもお母さんが親父のことを馬鹿にすれば子供たちも見習って軽視します。それと同じで親が学校の先生のことを批判すれば子供たちも先生を馬鹿にします。
年長者の親達から見れば、経験の浅い先生は頼りなく思うでしょうが、先生も父兄も知識の差が多少あるだけで何も変わりません。若い時は人生経験がない分拙いのは世の習いです。何でも10年経験して一人前になれます。拙くて当たり前です、その点父兄は子供の教育者として10年以上も経験を踏んでいるのです。
父兄からすれば経験の少ない分拙くてあたりまえですから
先生の拙さを批判するのではなく、だからこそ先生が指導しやすいように親が確かな躾をして、先生が進めやいようにしてあげなければいけないのです。
色々とあるでしょうが先ずはそのように努力するのが筋です。そういう理解が親側に無いことが教育の場を乱している一因になっているのではないでしょうか。
真に子供が可愛ければ幼い時から確りと叱って躾けておくことが肝心でしょう。
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