2011年1月31日月曜日
キムチ鍋
キムチ鍋を初めて食べました。
作り方は水炊きにキムチの素と白菜キムチを入れるだけで説明をするほどのこともありません。
何年か前からキムチ鍋が食されるようになりました。また昨年は食べるラー油が流行しました。
いずれも辛いものですから食べれば体が温まります。
また食欲が進むことも確かです。大好きとい人も少なくありません。美味しいのは美味しいのですが私はあまり頂きません。
刺激が強いので頂きますと胃の右下の所が痛くなるのです。それから三日も続けると便秘になりやすいということと、痔のある人には良くないと思います。
韓国や中国のように寒い国では寒さ対策の一環として辛い料理も必要で、先祖代々引き継がれてきた食習慣ですから体が欲求する身体になっていますが、そういう習慣もない日本人があまり刺激物を食べるのは身体にとって良くないような気がいたします。
私は持病を持っているからなのかもしれませんが、食べれば痛くなるというのはよほど刺激が強いことは明白です。
2011年1月30日日曜日
私の着付けた素敵な人達
2011年1月29日土曜日
また下がる年金
年金がまた少なくなります。
年金生活者にとっては大変気分が悪いです。
こういうことをしていると年金受給者が困窮するだけでなく、現役で支えている人たちも、自分たちは払うだけ払って年金は貰えるのか。貰えてももっと少なくなるのではないか。不安が募ってこんなことなら年金なんか掛けたくないという人が増えてくるのではないかと思います。
現実に年金なんか掛けない。困れば生活保護を申請するという考えの人が増えています。
人生は終わりよければ全てよしと言われています。
どういう人生が一番良いかと考えますと、働かないで楽して保障だけしてもらおうという考えは駄目ですが、真面目に働いてさえすれば蓄えなんか考えないで、若いときは目いっぱい生活を謳歌し、そして年老いてしまえば老後は生活や医療の心配が無いようにする。様々な意見があるでしょうが私は年老いて経済的に心配のない社会の構築というのがベストの国作りだと思います。悲しいかな今の我が国の政治では富裕層は別として、一般人は大変不安です。
個人の金融資産は1400兆と言われていますが、老後に惨めな思いをしなくてもよいようにひたすら備えているわけで、そんな人生はいくらお金を所持していても幸せでしょうか。
国をリードする政治家は国をどう導いていくのが理想かという確かなビジョンを掲げて国民に訴えて、国民と一体となって国づくりをしていくべきです。
老後に心配がなく医療費も心配がなく、行きたいと希望すれば誰もが進学できる。そうであれば税が上がっても国民は納得するでしょう。
今の政治はそういう確たるビジョンもなく目先の遣り繰りばかりに終始しています。
約束した国会議員を含めた人員の削減もしないで税の値上げばかりを考えて、そして年金しか生活の糧となるものがない者の収入も削減していく。そんな政治を見せられると情けなくなります。
皆さんは子供が可愛い孫が可愛いと言いますがこんな政治を静観していたら、本当に子供や孫の時代には苦しくなるでしょう。それでは真の愛情にはならないでしょう。
60年安保の時は若者が先頭を切って闘争に加わりました。今の若者は直接自分たちの生活に関わってくるのに大人しすぎます。もっとブログででも訴えて行かなければと思っています。
皆が声を上げれば絶対によい結果が出てくると思います。
2011年1月28日金曜日
清荒神 宝塚
清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。
天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
当山は火の神、カマド(台所)の神としてあがめられ、また各種の現世利益を祈願されるご参詣の方で賑わっています。
三宝荒神さんは火の神様で昔は竈のある台所には必ず神棚が設けられ祀られていました。
私の家の台所にも神棚が設けられ三宝荒神さんが祀られていました。
お元旦には先ず初めに三宝荒神さんにお神酒を捧げて手を合わせてからお屠蘇を祝いました。
何故だか知りませんが三宝荒神さんは男の人がお供えをすると喜ぶからと言って母は何時も私にお供えを手向けさせました。その母が懐かしいです。
清州荒神は以前に一度来たことがあります。荒神さんは阪急電車から降りて登って行くのが本来の参詣道で門前町が連なっていて趣が深かったのを覚えています。
駐車場のある位置からは以前に来たときは店がなかったのですが、最近は車で来られる人が多いので駐車場の所から出店が連なっていて昔とは随分変わっています。
2011年1月27日木曜日
60代ラストラン
昨日は私の誕生日でした。
光陰矢の如しといいますがあっという間の69才です。
シックスナインなんて言うのは御目出度いことなのでしょうが、そんな戯れもなく段々としょぼくれて行きます。
昨日は妻が外食をしようと言って美味しいものを食べに連れて行ってくれました。
デコレーションケーキは二人では食べきれませんのでショートケーキを買って帰りました。
プレゼントはデジカメを買ってもらいました。
朝からmixiのメル友から何人か誕生日のおめでとうコールを頂き、また近年稀なる携帯メールも何通か頂き嬉しかったです。
若いつもりでも身体がいう事を効かなくなっています。これではいけないと考え、今年は体を鍛え直すと誓って走り出したのですが怪我をしてしまって出鼻をくじかれました。
顔の傷はもう少しという所まで治ってきたのですが腕がまだ痛いのです。
五十肩で一年半ほど悩まされて苦しんでやっと楽になったのにまた肩を痛めました。
これも日にち薬で近いうちによくなるだろうと思いますのでまた一から体を鍛えます。
おもにジョギングとストレッチです。これを続けるのは大変なのです。
私のよく行く喫茶店のマスターは走るのが趣味なのです。毎日朝4時に起きて軽く走ってからシャワーを浴びて店を開きます。
私も若い時から途切れる時もありますがジョギングを続けています。だけど私の場合は楽しんで走ったことは一度もありません。ただただ健康のことを考えて走っています。
走っていて体の調子が思わしくないようでしたら絶対に何処かが悪いと思いますので、その時は医者にいこうと健康のバロメータにしています。
現在病はほとんどの場合運動不足が原因になっていますので皆様を頑張って運動してください。
2011年1月26日水曜日
教育と経済
政治の根本目的は平和で住みやすい社会の構築でしょう。
そのためには経済と国の防衛と教育が大切です。
その中でも教育は大変重要です。教育の三本柱は心・知・体ですがいずれも経済に大きく左右されます。
不景気になって貧富の差が大きくなり進学したいと思ってもお金がないからできない。
親は食べて行くのが精一杯で子供の躾どころではないという家庭も多くなっています。
そいう所の子供は一般的には躾が行き届いていなので学校でも問題児になったりします。
そして義務教育を終えたら直ぐに働きに出ます。私も中学しか出ていませんが、昔は中学出でも有名企業に就職が出来たのですが、今は可哀想に中学出では就職できません。
それでも生きて行かなければいけませんのでアルバイト的な仕事をして食いつなぎます。
そういう生活をしていると一番癒されるのは好きな人と一緒にいることですから、年若くして子供を設けます。
それでも末永く二人で力を合わせて生活していけば問題はないのですが、若いですから自分の楽しみを優先させるために旨く行かなくなって離婚をしてしまいます。
離婚をすれば親に負担はかかるし自分も働けなくなってしまいます。それでも生きて行かなければいけないから必死で働きます。そういう状態では子供の躾どころではなくなります。そのしわ寄せがまた自分の子供に降りかかって親と同じ人生を強いられることになります。
そういう子供が沢山いる地域では当然学校の教室も乱れてしまいます。
世の中は平等と言いますがそれは法的に平等であって人生は運命的なものによって色付けされており平等ではありません。
教育は大切ですがそれ以前に経済が大切です。貧しさは人に優しくする心まで蝕んでいきます。
私達の子供の頃の大人と今の大人を比較しますと、今の大人は自分の安らぎとか癒しというものを優先して求めるところがあります。本当に子供が可愛くて愛しているというのなら時間を惜しまず子供の躾と教育に励むことが出来るのではないかと考えてしまいます。
私の妻には4人の子供がいて一番上の子供が10歳の時に離婚しています。
話を聞きますとそれからは脇目も振らずに子供たちを大きくするために働いたと言っています。
何も妻を自慢したくて言っているのではありません。
昔の人は自分の楽しみを完全に犠牲にして子供の養育に邁進されたという話はいくらでもありました。
今の若い人たちは窮地に追い込まれても、自分の楽しみを優先させるという人が多くなっているようにおもいます。いくら困っても人は助けてくれません。子供にとって頼りになるのは親だけなのですから、窮地に追い込まれてもひたすれ子供を愛し、子供の将来を考えて躾を怠らないようにしてほしいですね。
2011年1月25日火曜日
なんとかせにゃ
習うとか勉強するというのは何も人の為にするものではありません。
成果を上げるには方法論よりも何をおいても先ず自身がやる気になるという事が肝要です。
やる気という精神が最も大事ですから、みんながその気になって「頑張るぞ」という気持ちにさせる環境つくりが指導者の仕事の一つです。
ところが自分の為に取り組んでいながらいくら叱咤激励しても、真面目に且つ前向きにやろうとしない人もいます。
大人の場合はそうい人に限って学院関係者の見えないところでは生徒同士でつるんで、やる気を損なうようなことを言いふらします。
そんな人が混ざってますと全体の士気を損ねてしまいますので、そういう人であることが判然とすれば「あなたはもうこれ以上やっていても上達は不可能ですから辞めなさい」とハッキリ言って、私の場合は幾人も辞めさせたことはあります。
自分の為にやっているのですから勉強したくなければ辞めればいいのです。
だから高校生以上は出入り自由ですから比較的導き易いのですが、小中学生は辞めさせることができません。注意してもいうことを聞かない。強く言ってもしちょっとでも小突いて泣かせてしまうものなら、親が出てきて文句を言う。
先生達は叱っても叩いたりすることはできないという事を子供たちは知っていますので、先生を舐めてかかります。
小中学校の先生は大変ですね。
先生達のことを批判をされる人も少なくありませんが、逆の立場になって考えればそりゃ難しいですわ。
子供だけでなく大人も自分の為にやっていても真面目にやれない人が多数います。注意すれば子供たちと同じように反発をしてくる。しかし反発しても辞めさせればいいのですから私達の世界は楽ですが、それが出来ない先生方のご苦労は大変です。
問題児は私たちの子供の時代よりも増えている。だけど子供が悪くないのです。子供は家庭や社会通念という外的要因によって育ってきます。
親が本気になって子供を諌めていくということをしなければ子供たちは可愛そうですね。子供は様々に学びながら育っていきますので自由奔放は決していい結果を生じないと思います。
2011年1月24日月曜日
学校の先生の苦悩
最近教育の場で新米先生がノイローゼになり、父兄を相手取って訴訟を起こしているという出来事があります。
先々週の日曜日から教育の場で奮闘する校長と、子供たちの姿を描いたドラマ「スクール」が放映されています。
私達の小中学時代の授業中の雰囲気は静寂そのもので、授業中に騒ぐということはありませんでした。
そういう時代に育ち、授業中はそうあるのが当たり前と思っている私達からみれば、ドラマに描かれている教室の風景は、ドラマだから少しオーバーに演出されているのかもしれませんがひどいものです。
話半分にしてみてもひど過ぎます。全て演出されたいるというのではなく、多分にああいう雰囲気になってしまっているのではないだろうかと考えてしまいます。
先生は夢を抱いて教育の場に来られ、こういう形で授業を進めたいと思い描いている。しかし子供たちは先生のいう事を聞かない。叱ると父兄から逆に攻撃を受ける。
また勤務は雑用も多くあって多忙である。子供たちを導けないことは自分の恥部となることだから誰にも相談できない。一人で抱え込んでしまった挙句にうつ病に陥ってしまうのですね。
親達が先生の苦労を考えて子供たちを叱って一緒になって導いてくれたら先生も救われるのですが、学級崩壊は親も先生に責任を背負わせて責めてくるのですね。
教育の三本柱は心・知・体ですね。心は勿論精神面の育成でしょうが、学校では主に道徳面において指導するという事であって、躾は親の責任でしょう。
授業中に騒いで迷惑になるような行為をする。そういう事は躾の問題で親の責任です。今の時代は先生が厳しく子供たちと接することが出来ないのであれば余計に親の責任が重いでしょう。
お宅の子供は学校で騒いで先生のいう事を聞きませんと連絡を受ければ、親は子供をしばきまくってでも行いを正して学校に送り出す。改めなければ学校に行かせないくらいの責任感を親は持つべきだと思います。
先生と言っても世間で揉まれて鍛えられて来ているわけではありません。
人生経験も少なく苦労も少なく、ただ人よりも少し頭が良かったから先生になれたという人がほとんどです。
そういう拙さを子供たちは見抜き、また親も今の先生は「あかん」と嘆き批判します。
家でもお母さんが親父のことを馬鹿にすれば子供たちも見習って軽視します。それと同じで親が学校の先生のことを批判すれば子供たちも先生を馬鹿にします。
年長者の親達から見れば、経験の浅い先生は頼りなく思うでしょうが、先生も父兄も知識の差が多少あるだけで何も変わりません。若い時は人生経験がない分拙いのは世の習いです。何でも10年経験して一人前になれます。拙くて当たり前です、その点父兄は子供の教育者として10年以上も経験を踏んでいるのです。
父兄からすれば経験の少ない分拙くてあたりまえですから
先生の拙さを批判するのではなく、だからこそ先生が指導しやすいように親が確かな躾をして、先生が進めやいようにしてあげなければいけないのです。
色々とあるでしょうが先ずはそのように努力するのが筋です。そういう理解が親側に無いことが教育の場を乱している一因になっているのではないでしょうか。
真に子供が可愛ければ幼い時から確りと叱って躾けておくことが肝心でしょう。
2011年1月23日日曜日
葉付きかぶら
鳴尾にある関西スパーでは木曜日に朝市が行われています。
先日もやっていましたので、ちょっとのぞきますと葉付きのかぶらが一束100円で売っていましたので二束買いました。
二束しか残っていなかったのです。
かぶらは葉付きで売られていることが多いのですが、大抵は葉が痛んでいて葉を食べるというのは難しい状態に成っています。ところが今回のものは葉がきれいなので思わず買ってしまいました。
帰ってきて根といえばよいのか、または実と言えばよいのかよくわかりませんが、そちらの方は薄くスライス状に切って塩を振りかけて少し寝かして水を出してから良く水切をして甘酢に漬けました。
4~5日すれば頂けるのではないでしょうか。
葉の方は細かく切って油で炒めました。
先に固い茎の方を入れそれがしんなりとしてから葉の柔らかい分を入れ、だしの素少々と、醤油、砂糖、酒少々を入れ水気が飛ぶまで炒め最後にゴマ油とチリメンジョコをいれました。
それが写真の分です。
妻は大根の葉は食べたことがあるけれども、かぶらの葉を食べるのは初めて言っていましたが「美味しい」と言って喜んで食べてくれました。
私の母は病弱でよく寝込みました。そんな時に「進ちゃん三和に行ってあれを置かってきてくれる」と言われてよく買いにいきました。
買ってくるとこれはこうして煮てほしいとか、これは焼いてほしいとかよく手伝わされました。そういう母譲りの家庭料理しか作れませんが、最近は料理に少し磨きがかかってきた様に思います。
これは愛する人がいて、その人に少しでも美味しいものを食べさせてあげたいという愛情がそうさせてくれているのでしょう。
料理は義務的に作るようになると、味気のない料理と同じで味気のない夫婦生活になってしまいます。
2011年1月22日土曜日
少しましになりました
お蔭で少し男前が戻ってきました。ご心配をお掛けしてと言っても誰もご心配なんかしていないでしょうね。
人の不幸は蜜の味と言いますからさぞおかしかったと思います。
妻は何時も私の家にはプライバシーが無いのかと冗談で怒ります。
なんでもかんでも曝け出さないで、隠すものは隠しておいたらいいと注意を受けています。
自分では何も恥じるべきことをしていないし、一生懸命に生きてきましたので、私のような愚直な人間の生き様でも皆様方の多少の興味となり、それがひと時の暇つぶしにでもなれば幸いと思い、何事もあまり包み隠すことなく書いています。
書いていますと言いましてもこういうものはすべて自己満足でしかありません。
自分の満足のために記しているのですから、拙い記事に何時も目を通して頂ける人たちには厚く御礼申し上げます。
私はどちらかというとまぐろ型でじーとしていれば死んでしまうタイプですから、少し男前が戻ったので回遊を再開します。
これからは春の花が咲きますので今年は武庫殿に少しでも近づいたいい風景の写真を撮れるように頑張りたいと思います。
たまには夜の花も見に行きたいですね。
2011年1月21日金曜日
出来事
私はもう35年にも渡って各家庭に訪問して着付を行う出張着付というのを行っています。
長年にわたって行っていますのでこれまでに様々なことがありました。
お客様は神様という言葉がありますが、私は神様であるとは思っていません。
お客様には絶対の選択権があるというだけです。
お客には絶対の選択権がありますので、下手な仕事や不味いものを食べさせられた時は、相手に小言を言ったり怒ったりするのではなく自分の選択の拙さを責めるのが筋でしょう。
私達仕事を受注した方は受注したことに感謝をして、持っている力をフルに発揮して一生懸命に仕事をこなすことばベストの対応でしょう。
ただし一生懸命に仕事をしてもお客様に気に入っていただけるか否かは別問題です。
もし気に入っていただけなければ、その人はその程度の技量しか有していないのですから、お客は文句を言っても仕方がありません。諦めて次には絶対に頼まなければいいのです。そして友人知人にあそこはだめだと言いふらせばいいのです
言いふらされる方はプロである限りは甘んじて受けなければ仕方がないでしょう。
仕事をする方は悪評が立たないように努力をするしか仕方がないのです。
いずれにしても頼む方と仕事をこなす方とは互いにギブ・アンド・テイクですから、互いに大人として気持ちを害さないように心掛けるべきですが、そんなことはお構いなく自分の感情をぶつけてくる人も少なくありません。
ある時、着付が終わってから着物がほころびているのを発見しましたので縫ってあげようと思い針と糸を用意してくださいとお客様に言いました。
するとそのお客様は「これから大切な所に出かけるのに縁起でもない。昔から出針使うなと言われているでしょう」と大変な剣幕で怒られました。
私も人様に教えている立場の人間です。あまりにも上から目線で怒りますので言い返しました。
「あのね、出針を使うなというのは、いざ本番という時に不備が無いように事前にキチット点検をしておきなさいという戒めのことばですよ。それが出来ていないから親切に申し上げているのに良い年をしてそれくらいのことがわからないのですか」と言ってやりました。
間違ったことを言われて「はいそうですか。ごもっともです」なんて態度で接しなければいけないほどお客は神様ではないという事です。
2011年1月20日木曜日
ポテトサラダ
先日けがをした時に初めて食事の支度をしてくれました。
見た目もきれいで美味しかったので「やっぱりくみちゃんは凄いわ」と褒めましたので、昨日も私が食事の支度をしてあげると言ってくれて大好きなポテトサラダを作ってくれました。
私はポテトサラダを作りますと芋を茹でてから皮をむいて、そしてボールに入れて崩して作りますので物凄く時間がかかりますが、妻は作り始めて直ぐに出来上がりました。
妻の作り方は先に皮むき器で皮をむいてさいころの大きさに切って塩を少し入れて茹でます。
さいころに切ってありますので直ぐに茹であがります。
茹であがったら水を切っててこふきいもにして、その作業中に塩胡椒をします。出来上がれば人参と胡瓜と卵とマヨネーズを入れてあえます。
こふきにしていますのでカラットしていて、そしてふっくらと出来上がって美味しいです。
私の作り方をしますとどうしてもポテトサラダがベタベタになってしまいます。
よそで頂きますとカラットとしています。どうしてそのようになるのかと知りたかったのですがこれでわかりました。妻のようにして作ると早くて美味しく出来上がるのです。一つ勉強できました。
勉強できたという点では盛り付けです。私ではあんなにきれいな盛り付けはできません。
やはり女性は凄い。それからポテトサラダの芋は男爵ですね。
2011年1月19日水曜日
妻の仕事場が寝屋川ですから仕事明けには寝屋川まで迎えに行きます。
最近になって交通量が少なく信号の少ない淀川の堤防沿いの道を発見しました。
長柄の大橋を渡らずにそのまま東淀川に行き東淀川から高槻まで堤防沿いを走り寝屋川に行きます。
帰りは同じ道を帰ってきて、行くときは一方通行で走れませんが帰りは十三から43線まで堤防沿いを走れますのでそのルートで帰ってきます。
ある日帰り道で妻がトイレに行きたいと言いましたので、十三の所に洒落た喫茶店がありますのでそこに入りました。「ホットをください」と注文をしますと「まだモーニングが出来ますが如何しますか」と言われましたので小腹がすいていましたのでくださいと頼みました。
出てきたのが写真のドッグです。ボリュム満点で味も美味しいのです。「これやったらちょっと早い目の昼食に出来るね」と喜んで頂きました。
お値段は480円ですが納得の嬉しい値段です。
私たちは、私が以前からそうであった習慣で結婚をしてからも朝食は喫茶店のモーニングにしています。
家で食べるよりも少し高くつきますがその分楽ができますし、ご近所の人達とも妻がお知り合いになれるからです。
値段は安いところで350円~380円で平均で400円前後という所です。
普通はトースト一枚とゆで卵というのが一般的です、それと比べれば写真のモーニングはデラックスです。
80円くらいの違いでこんなに内容が違うのです。
食べ物商売は安くて見た目が良くて美味しければ必ずはやります。この写真のモーニングとトースト一枚とゆで卵一つのモーニングと比較すれば80円くらいの違いでしたらそりゃこちらの店に来ます
帰り道に11時までにそこを通れば行くだけの店で、私の行きつけの周辺でなくて良かったね。
これを見て商売はセンスと情熱と努力だなぁーということを思い起こしていただければと思います。
原価を見てください。400円と480円の差の80円でじゅぶん賄えますあとは努力と情熱だけです。
2011年1月18日火曜日
TPP
作りました雪お化け
前回理屈に適った生活ということを考えた時に、今政治課題になっているTPP環太平洋パートナーシップへの加盟のことが頭を過りました。
政治の根本は国民が平和で住みやすく豊かな生活が出来るようにするという事です。
そのためには教育と防衛と経済発展が大切でしょう。
教育もお金がかかります。防衛もお金が掛かります。そう考えますと政治の最も大きな課題は経済です。
TPPに参画することに反対をしている人がいますが、その大半の理由は農業育成と保障を十分に考えてからだという理由です。
有事のことを考えると食料の自給率を高めるという事は大切なことは分かりますが、農業で経済発展は望めません。
内需を高めなければと長きにわたって言っていますが、現況のように将来に対して不安いっぱいで、政治に対して信頼の持てない状態では、国民の財布のひもを緩めさせるということも困難でしょう。
やはり日本の生きていく道は産業界の発展を後押しして、輸出に頼る以外に道はないでしょう。
そういう理屈からすればTPP加盟は当然のことではないでしょうか。
発展途上の時代ならいざ知らずこんなに熟成してきた時代においてはすべての面でうまくいくようにするという事は不可能です。
どちらに向いて進むか。進むべき道を選べばそのことに相対して必ず負となることが生じてきます。
農業に経済を支える力はないのは明確ですから、そちらに捉われていては競争に立ち遅れてしまいます。、国は経済発展を重視してこちらの方向に進みますとハッキリと宣言する。
そして農業も大切ですから、農業にも世界に通じる力をつけてもらえるように国を挙げて努力をする。それには予算もかかるでしょうから、その分は国民に負担して欲しいと、堂々と方向性を語って負担も求める。そういうように負の部分も明確にして国民に負担を求めて、確かな方向性をもった政治をしてほしいです。
国を富めるためには、私のような愚直な人間が考えても産業界の大きな発展に委ねる以外にないと思います。
論理的に考えてそれが道筋だと思うのですがTPPに加盟することに反対を唱えている議員も多数おります。
2011年1月17日月曜日
理に適った生活
各家庭に訪問して着付けをする出張着付けを初めて30年になります。
普段お会いしてお話をするということも出来ないような社会的地位の高い人たちの御家にも訪問をさせて頂き、立派な家も多数見せて頂きました。
様々に立派な御家に伺いましたが、お伺いして判然としたことは経済的に豊かであるということと、個々の幸せ感はまた別のような気がしています。
お金は無いよりはあった方が良いのは当然ですが、お金に執着してもどうにかなるものでもないし、お金が潤沢になければ幸せになれないのかと考えますとそんなこともありません。
それぞれの立場で仲良く和気あいあいと暮らせる人生が一番幸せではないでしょうか。
ところが人生は皮肉です。生涯仲良くということが続かないのです。人生は難しいと言いますが己の気持ちが崩れていくのですから難しいのではないのです。単純に飽きてくるのですね。
親子関係がうまくいっていない家庭が多数あります。
夫婦関係はそれ以上に最悪だという家庭が多いのも現実です。
そうなると最も頼りになるのはお金です。多くの大人が慣れて飽きて新鮮味も感じない生活を経験しているから、「結婚するときは経済的に力のある人を選びなさい」とお金の大切さを強調しようとうするのです。
そういう経験を踏んでいない若い人たちは一様にお金よりも愛だと主張します。
論理的にはその方が正しいのです。
論理的にはその方が正しいのですが、理に適った生き方ができないのです。
お金に執着してもどうにもならなくて、またそれで惨めな思いをさせられるのに際限なく人間は同じことを繰り返しています。
2011年1月16日日曜日
とんど
2011年1月15日土曜日
菅第二次改造内閣発足
菅第二次内閣が発足いたしました。
これからの課題は財政にも大きく影響する行政改革ではないでしょうか。
逼迫した財政の赤字を唱え、国民もこのままでは消費税アップは仕方がないかと思い始めている節がありますが、それは善意と誠意ある政治ではないと私は思います。
例えば昨年の公務員と民間人の給与比較をしますと、昨年の8月現在では公務員が641万円で民間人は466万円です。
財政が危機的状態というのならば先ず公務員の数を削減し給与も減らす。そして議員の数も削減する。それを行っても財政改善は困難ではないことおもいますので、まずは危機的経済事情に立ち向かう姿勢を示してから行うのが筋ではないでしょうか。
やるやると言いながら一向にやらない。そんな政党は如何に内閣改造をしても信頼できません。
2011年1月14日金曜日
愛妻の食事
妻はハードな仕事をしていて私は稀に仕事をするという状態ですから食事の支度は私がしています。
独り生活22年で結構こまめに食事をつくっていましたので苦になりませんので妻には一度も作らせたことはありません。
ところが一昨日けがをしてしまいましたので、妻が作ってくれました。
ブタステーキです。醤油にたっぷりのニンニクにごま油と生姜を混ぜたたれがおいしかったです。
口を切っていて痛かったのですが私が二枚頂きました。
妻は食事の支度が嫌でしないわけではありません。私がするというものですからお言葉に甘えてというわけです。ところが長年鍛え上げてきた腕前は伊達ではなくさすがです、作ると美味しし後片付けもきれいです。
やっぱり女性は凄いです。
2011年1月13日木曜日
無惨なる顔
この無惨な顔。この顔を見ますと若い時に喧嘩をしてボコボコにやられた時のことを思い出します。
これはそんなに格好が良いことではありません。
喧嘩なんか勝っても負けても恥かしいだけですから、いまはそういう雰囲気になりかけたときは「ごめん」とか「済みません」と先に謝るようにしていますが若いときは引くことを知りませんのでよくやりました。
喧嘩なんかいくら強くても自慢にはなりませんが、相手が脅かしてきたときは「やるんやったら何時でもやってやる」という根性だけは感じさせるようなものを持っていないと舐めらていじめられたりします。
この顔はそんな武勇伝ではありません。朝暗いときに走っていて、途中でお腹がおかしくなってコースを変えて家に帰ろうと、団地の中に足を踏み入れた時にチエーンが張ってあったのが見えないで足をひっかけてころんだのです。
こんなに見事に転んだのは初めてです。顔面を痛打していました。
不細工やね顔を痛打するなんて。それでの瞬時に両手でカバーしていたのでしょう。顔よりも腕が痛いです。明日になっても痛みが取れないときは医者でレントゲンを撮ってもらいます。
2011年1月12日水曜日
2011年1月11日火曜日
2011年1月10日月曜日
金箔
織物をゴージャスなムードにするために、特に帯には盛んに金箔が用いられます。
金箔は金から作られるのですが1gの金を引き延ばしますと畳1畳くらいの大きさになります。
帯の場合はそれを1~2mm幅のこまかい糸状に切りそろえます。
切り揃えた金箔をそのまま緯糸と一緒に織り込む方法と上図のように糸に金を巻きつけたもの、引箔と言いますがその糸を使用したものとあります。
上図Aは箔をそのまま織り込んだもので金色の光が強くなります。Bは引箔を使用したもので金色が上品な押さえられた織色になります。
金箔は着物の模様の加工にも用いられます。
箔置きと言うのですが金箔を糊の中で練り込んだものと、模様に糊を置いてから粉の金箔撒いて余分な箔を掃き落とすやりかたとあります。
高級品には後の技法が用いられることが多いです。
2011年1月9日日曜日
着付けた素敵な人達
2011年1月8日土曜日
お化け野郎
歌手の坂本冬美さと藤あや子さんが出ている番組で、坂本さんはこれは特別に取り寄せている絆創膏と言って見せていました。
歌手はのどが大事なので寝る時に口で息をすると喉を痛めるので、口で息をしないように口を塞ぐための
絆創膏と説明されていました。
それを聞いてなるほどと思いました。
私も幼い時から扁桃腺が弱くて直ぐに扁桃腺をやられて医者にいきます。
自然治癒では私の場合は絶対に治せませんのでその度に抗生物質を呑みます。従った何種類かの抗生物質が既に効かないようになっています。
そして私は鼻孔が狭いのでしょうか、鼻で息をしないで自然と口で息をしてしまっていることが多いのです。
口は食べるところで鼻は息をするところということは分かったいて、腹式呼吸のように鼻で息をすると気持ちも収まって、脳にも良いという事は分かったいるのですが、寝ている時はどうしても口で息をしてしまったいるようです。
そのために特に冬には夜中に口の中の唾液がなくなって、口の中がカラカラになって目を覚ますことが頻繁です。
唾液で歯を保護してくれていて、喉も守ってくれているのですが、口で息をするために唾液がなくなります。
そんなことで特に冬場はよく喉をやられて風邪引き状態になっていました。そういうことで悩んでいた私ですから坂本冬美さんの話は物凄く参考になり私も早速口塞ぎを始めました。
坂本冬美さんのように特別に絆創膏を取り寄せるということはできませんので写真のようにバンドエイドで代用しています。
写真はこれからジョギングに出かける前の写真ですが、外は暗いのでわかりませんのでジョギングをするときもそのままで走って鼻で息をする訓練をしています。
お蔭で口がカラカラになって目が覚めるということはなくなり、口は唾液で潤っているという状態が保てています。
2011年1月7日金曜日
御節と雑煮
御節は節句の時に頂く煮しめのことで昔は野菜が主だったのですが最近は中華風のものも作られて豪華なものが多くなっています。
それに引き換え私の作ったものは写真のように質素なものですが、野菜は匂いが移りますので別々に煮ていますので結構手間はかかっています。
重箱に入れているのですがお正月にはお皿に盛ってそのまま頂けるものは一人分ずつ写真のように盛り合わせて頂いています。数の子もあるのですがそれは鰹節をかけてお醤油で頂きましので別にしています。
大根は少し甘めに煮て柚子を入れて煮ると美味しいです。
雑煮は味噌と清汁があります。私は母の作り方を引き継いで白味噌でつくります。
肉類は一切入れないでうす上げを入れるのがポイントです。
同じ大阪の人でも私は白味噌という人と私は清汁という人がいます。
母親か父親かどちらかの実家の影響を受けているのでしょうね。
最近は部屋が暖かいのでタッパーに入れて保存をしておいて頂くときは写真のように盛り合わせて頂く方がいいかもしれませんね。
2011年1月6日木曜日
出会い
昨日さんまさんの番組でアメリカで取った統計だそうですが、男性が女性に対して一目惚れをした場合の離婚率は20%で、女性が男性に一目惚れをした場合の離婚率は10%であるということを述べていました。
アメリカでは離婚率50%に至っている状況下においては破格の数字であると言っていました。
結婚をする場合に相手の性格や環境や立場や財産や将来性等を考慮する。悪く表現すれば計算ずくで結婚をするということもすくなくありません。しかしそんなものはほとんどの場合に虚しく、何の支えにもなりません。
重要なことは最後までその相手が好きなままでいれるか否かです。一目惚れの場合は何の計算もなくただただ相手が好きであるという事で一緒になるのですから、その分長持ちするのではないでしょうか。
私も少ない女性とのお付き合いの中で感じていることがあります。
女性は「もっと相手を知ってからでないと」とよく言います。お付き合いの中では自分をよく見せるために多少繕います。そんな状況下で付き合っていて全てが分かるでしょうか。分かれば分かるほど人間は拙い部分の方が多い動物ですから熱が冷めてくるだけでしょう。
私は男女の付き合いでは瞬間で判断します。いいなぁ好きなタイフだなぁーと瞬間で思えばそれでOKです。
後は食事をしている時とか会話をしている時に一般的であれば何の問題もないのです。
人は相手の欠点を指摘して、結婚をすればより親密になりますので遠慮会釈なしに相手を攻めたてます。
そんなことをしていれば人は拙いことの方が多いのですから嫌になってしまうのは当たり前です。
相手の拙さはよく目に付きますがそれ以上に自分も拙いのが普通です。拙いところを指摘し合えば必ず嫌になってしまうから、そんな場合は自分の心の引き出しに仕舞い込んで表に出さないようにして、相手の良いところだけを見るように心掛けます。そういう覚悟があればいいなぁータイフだなぁーと瞬間の一目惚れで相手を選んでそれで十分です。
だからこの年になって結婚できたのです。環境や立場や財産や性格の一致やなどと考えていたらこの年になって一緒になれません。
2011年1月5日水曜日
2011年1月4日火曜日
金剛山
2011年1月3日月曜日
2011年1月2日日曜日
2011年1月1日土曜日
新年のご挨拶
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