雨降って 艶やかさます アジサイ花
遊びの中で老弱男女を問わず憧れに近いものを持っているものといえば旅行ではないでしょうか。
その旅行は何のためにするのでしょうか。
多くの人はタンスを開ければ、もうそれ以上買わなくても困ることはないというほど衣類を持っておられます。 それでも新しい服を見れば欲しくなって、中にはクレジットで借金までして買う人がいます。何のためにそこまでするのでしょうか。
自分は今は独り身ですから、独りで旅行をしても面白くないのでしませんが、恋人や家族で行く旅行ほど楽しいものはありません。
衣服の役割は文化人として社会から逸脱した存在にならないためという目的もあるのですが、そういう観点から衣服の必要性を考えれば、もう十分に皆さん持っておられます。それでも買うのは新しい服でお洒落をすれば楽しいからです。
自分はなんとしてもミュージシャンになりたいと希望する人がいます。そういう人は成りたいという気持ちが強いために、成ることが終極の目的だと思ってしまう人がいます。そのように考える人は少なくありません。 何のためにそんなに強い気持ちでミュージシャンになりたいのか。オリンピックに出場して世界一になった人は、その場では「最高にしあわせ」と雄叫びをあげます。しかし後で冷静になってインタビューをしますとオリンピックで優勝することは人生のすべてではないと答えられます。 そうなんです。全ての物事は喜楽を得るための手段であって、終着駅は目に見えない心の駅なのです。
仏教では目で見て手に触れることのできる全てを色(しき)と言います。般若心経に色即是空というのがありますが、その色です。 お金は勿論のこと全ての色は喜楽につながる手段です。色によって喜楽が得られ~喜楽が得られれば心が潤い良い心地になる~良い心地になれば幸せ感や充実感を得られるというメカニズムになっています。
その方式が分かれば人生にとってネックとなるのは喜楽であることが判然とします。 その喜楽は一定のものなのかといえば、そうではありません。大小長短様々な大きさをしています。 人は誰もが充実した日々を過ごしたいと熱望しています。皆さんそのような願望を抱いているわけですから、喜楽は一定ではなく大小長短様々に存在することを知って、充実した人生を送るためには大きくて長い喜楽を掴まえることに努めなければいけません。 大きくて長い喜楽とはどういうものなのか。その理解によって人生の中身が決まります。
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