2009年7月2日木曜日

映画の主人公のようになるな



 幸せということに付いて以前に記しました時に「幸せは人のかずほどある」「幸せの感じ方は人それぞれに異なる」というコメントを頂戴しました・ 喜楽が生じれば~心が潤い良い心地になる~良い心地になれば幸せ感や充実感を覚えるというメカニズムになっていますので、喜楽=幸せ と解釈しておられる方がいます。 

コメントを下さった方もそのように解釈されて「幸せは人の数ほどある」と言われておられるのだと思います。 先日「買い物中毒な私」という映画を見ました。面白く楽しく描きながら「そんな楽しみで本当の幸せが手に入りますか」という今の世相を風刺した映画でした。 主人公は「買い物をすれば楽しくて幸せな気持ちになれるから」「でもその幸せは直ぐに消滅してしまうから、幸せな気分になりたいから直ぐに買ってしまうのです」と言っています。 

そうなんです。買い物をしたり、チョットリッチな食事をしたり、旅行したりという楽しみは、その時は楽しいのですが刹那的で直ぐに消滅します。 映画の主人公のように直ぐに消滅してしまうので、またすぐに次の欲求が募ります。それが直ぐに実現すればいいのですが、一般的には時間と経済に限りがありますので、直ぐには実現できないのが現実で辛抱や我慢をしなければいけません。我慢が出来なければ映画の主人公のようにクレジット地獄に落ち込んでしまいます。現実にそういう人が多いのでそういう映画ができたのでしょう。 次の要求が湧いても我慢しなければいけない、その上に従事している仕事が食べるために仕方なくやっているという人も少なくないので、面白くない日が続きます。 楽しみは刹那的に消え去ってしまい、我慢や辛抱をしなければいけない時間の方がはるかに長い。そんな生活で幸せな人生といえるでしょうか。 幸せという言葉の解釈は様々な場面によってことなりますが、刹那的に消え去ってしまうような幸せや楽しみに付いて語っても仕方がありません。 

人生で大切なことは、生涯に渡って幸せ感や充実感を持って生きていくにはどうあるべきかとい事です。 そういう観点からすれば「幸せは人の数ほどある」というのは間違っています。 各々に行う道は幾筋もあります。しかし、どんな道を歩んでも行っていることが永続性のある喜楽につながらなければ、生涯を通して活き活きとした人生を歩むことはできないという点では一つなのです。 若い人は目先の喜楽ばかりを追い求めるというところがあります。それは致し方のない部分ですから年長者の親が確かな見識をもって幸せ感について説いて上げなければいけません。 説いて上げなければいけない大人が喜楽に付いての検証が出来ていない人が多いのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿