2011年2月9日水曜日

政治に関心を


                 イソヒヨドリ

 前二回は政治向きのことを記しました。
政治向きのことを記しますと「躍起になってもどうせ変わることないから」と無関心の人が結構います。
私達の暮らし向きのことを私たちが選んだ代表者が論議して方向性を決める。私達にとっては最も重要なことを決めているわけですが、「どうせ変わらないから」と無関心に投げてしまえば、私達のように下層階級の生活は益々生活し難くなっていきます。
 裕福な人たちは放置しておいても死ぬことはありませんが、私のように下層の人間は生活できなくなる、また子供にも教育を受けさせてやれないという事になります。
 政治は下層階級の人間が安心して生活が出来るような社会にして行くことが肝要で、そういう政治をしてもらえるようにするには政治から関心を逸らせてはいけないのではないかと思います。
 どうせ変わらないからと言いますがそんなことはありません。
議員は議員であってこそ値打ちがありますが、議員でなくなればただの人ですから、常に次の選挙では当選できるか気を揉んでいます。
恐らく胃が痛む程に危機感を有している議員もいると思います。議員を選ぶ主権者は私達です。
 選挙の時は地に頭を擦り付けて低頭していても、当選すれば豹変することは常時です。個人の人間性なんかは当然のことながら分かりません。しかし今は政党政治ですから約束を破ったり、託するに値しない政党だと思えば情け容赦なく切っていけばいいのです。それが出来るのが我々なのです。
そういう厳しい判断を突き付けていけば、議員は辞めたくないので国民の方を向いた政治をするようになります。
それは間違いのないことなのです。選ぶ方と選ばれる方の相関関係はそのようになっているのに、選ぶ方が政治に関心を示さず選挙の時に棄権をしますと、政治家の思惑通りになってしまいます。
 投票率が低いという事は選挙に関心のある人だけが行く。そうなればおなじみの人だけが選挙に行き、同じ人が再選され良い意味での改革はできなくなります。
現に浮遊者層が多く選挙に行ったときは革新的な政治につながる人や政党が必ず浮上してきます。
皆が政治に関心を持てば変わらないことは無いのです。
 子供が可愛い。孫が可愛いと言っていても、先で子供たちが生活しやすい社会を構築するために、今の大人たちが奔走しなければ本当に可愛いという事にはなりません。

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