2011年2月27日日曜日

万博公園梅林

万博公園に梅を観賞に行ってきました。ご一緒に観賞してください。

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2011年2月25日金曜日

頑固者は損


きものを着た時に美しく見えるようにするにはベースとなる体形補正が重要です。
洋服のイブニングやカクテルというフォーマルは曲線美を表現する衣服ですが、きものは逆に直線のシルエットと色柄の美しさを見せる衣服です。
きものの場合は凹凸を見せますと美しく見えません。
私肥えているのでと言われる方でも窪みが必ずあって、そのままでは美しく見えませんので体形補正をしなければいけません。
体形補正は大変重要な働きをしますので、ウエストはワンタッチで巻きつけれる大変優れ物の補正具を考案して用意をしています。
それを使用すれば着ていて楽で、そして美しく、その上着崩れない着付が出来るのですが、それを奨めますと売りつけるために来ていると思われてしまうので、バスタオルやフエースタオルで代用しています。
「補正をしますのでタオルを出してください」とお願いしますと大抵の人は出してくれますが、中にはバスタオルなどを巻きますと肥えて見えるので嫌だと言う人がいます。
そう感じるのも無理はありませんが、補正をすることによってスマートに見えるのです。
 プロにも色々ありますが、私は着付人生48年です。芸能界で色々な役作りの手助けをして着付けに携わってきています。「こんにちは」と訪問をして当人を見た瞬間に、この人はこのように補正してあげなければいけないという事がわかります。
 私はプロですからどんな条件でも着せますが、依頼を受けた限りは消化すればいいというのではなくいい仕事をしたいわけです。そのために補正は大切ですからタオルを出してくださいとお願いをするわけです。
それでも「肥えて見えるから嫌だ」「あなた方はお客の言う通りに着せてくれればいいのだ」と頑として受け入れない人がいます。
そういう時は「私がこのまま帰ったらお宅は困るでしょう。ですから今日は着せて帰りますが二度と依頼しないでくれ」と言ってさっさと着せて帰ってきます。
プロを舐めるな。同時に携わっている者はプロらしい仕事をせい。プロらしい仕事をしない人が多いからお客さん達は信頼しきれないで様々に注文するのです。

2011年2月24日木曜日


             おめでたや 紅白に咲く 貴種あり

 如月ともなれば厳寒の中でも素晴らしい芳香を放ち咲く梅。花色は主に白と紅系です。紅白の謂れは五行説にあると言われていますが、ここにもその謂れがあるのではとおもってしまいます。
 古代の万葉集では萩が一番でその次に梅が多く詩に詠みこめられいます。その数は一一四首と言われています。
春の先駆けに梅を頭に飾ることは新しい年に希望をかけるしるしとされています
紀貫之は古今集で
「春くれば 宿にまづ咲く 梅の花 君が千歳の かざしとぞみる」
八条宮の七十の賀歌に詠っています。
 梅は四君子の一つに数えられ吉祥として扱われています。また松と竹とに結び付いて昔から歳寒三友の松竹梅の観念を生み出し広く一般に親しまれています。
ところで歳寒三友の松竹梅で梅は最下位に扱われていますが、梅は桃山時代に嘉樹(かじゅ)とされたからで、松は平安時代、竹は室町時代と言われていますので時代順に位置づけられたものだと思います。

2011年2月23日水曜日

孫誕生


              孫が誕生の翌日の朝妻が撮りました


 昨晩二女に女児が誕生しました。
私は昨年結婚をしてその妻の子供たちですから血は繋がってはいませんが、そんなことに関係なく子供は可愛いです。長男には男児、そして長女には女児、そして二女にはこの度女児が授かり孫が3人になりました。
なんと順調にそして無難に推移していることか、嬉しく喜ばしい限りです。
 無事に順調に人生が推移することは何より目出度いことで、我々は孫たちの成人式を見れないかもしれませんが、それも順調の一つですから、子供や孫たちはこのまま無事に順調に推移していくことを念じてやみません。


 どんなに好きで結婚をしましても、2~3年もたてば一緒にいてもときめきを感じるというようなことはなくなっていきます。夫の帰りは次第に遅く成って行き、妻は一人で待つ時間が長くなっていきます。
愛によって喜楽を感じ緊張感も充実感も感じていた気持ちにゆるみが出来かけて来た頃に、通常は子供を授かります。
 子供は夫婦の分身ですから文句なしに可愛いです。
この子供のためなら命さえも何かあれば身代りになってもよいと感じるようになります。そしてよしこの子の為に頑張るぞという新たなエネルギーを授かります。
子供は幼くして生んでくれこと、また育ててくれたことに対する恩返しを既にしているというのはそういうことでしょうね。
子供の存在は親にとっても偉大な存在です。そして可愛い。大切に育て無事に順調に育って欲しいと家族の一員として念じています。
二女は予定日は24日でした。その日から妻は四日間泊りの仕事ですから直ぐに病院に行けないと悔しがったいました。そのためではないのですが昨日は2月22日でぞれ目の目出度い日ですので、この日に生むと朝に宣言のメールが入りました。「そんなにうまいこといかへんで」と妻と言っていたのですが出産はその日の23時01分見事に宣言通りに産みました。万歳です。今日は妻も病院に行けますので喜んでいます。

2011年2月22日火曜日

NHK大河ドラマ「江」


現在NHKで放映している大河ドラマ「江」の衣裳に付いて解説します。
私達の着ている着物のことを昔は小袖と言っていました。
その小袖が中心の時代になるのは安土桃山時代からです。
小袖が中心の時代というのは礼装は従来通りに存在しますが、貴賤を問わず普段は小袖で過ごすようになるという事です。
 安土桃山時代に武家の女房は礼装に打掛姿を採用します。打掛は小袖の上に小袖を羽織る姿です。
これが武家の上級者の礼装盛装ですからお市の方は通常屋内では打掛姿でいます。
打掛は上級者の礼装盛装ですから下級者や江などは普段は小袖姿で生活しています。
その小袖ですが身丈はおはし折のないつい丈です。
模様は友禅がありませんので型染か絞りですから簡単な一色染めが主です。
 髪型は垂れ髪ですから今のように衣紋も抜きません。男性と同じで襟が後ろで首に当たっています。
 帯はこの当時は丸帯が主でその帯幅は2~3寸の幅で自由な位置に結んでいました。
帯結びが後ろになるのは帯幅が広くなる元禄期以降です。
 小袖の正式な着装は十二単の重ね着を真似て3枚重ねです。一番下に白の小袖、中は色物の小袖、表着の小袖は絵模様を着るということになっています。
打掛の正式な着装の時には打掛の下の小袖が3枚重ねになっていますので見てください。
 上図左がそのつい丈の時代の打掛姿です。平和な時代が続きますと衣服も優雅になり身丈が長くなり屋内では裾を引いて着装するようになります。そうなりますと裾にふき綿が大きく入れられるようになります。

2011年2月21日月曜日

幼稚園


カラフルな幼稚園の送迎バスの珍しい揃い踏み。
今の子供はいいですね。きれいなバスで送り迎えをしていただいて。
私の子供達の時代は送迎バスはありましたが、こんなにカラフルなものではありませんでした。
そして私の時代はよほどのお金持ちの子供しか幼稚園には行っていません。
幼稚園というのはドイツの幼児教育者のフリード・フレーベルという人が、1840年に最初に幼児のための学校を作りました。その学校の名前が幼稚園という名でしたので、それ以降幼児のための学校を幼稚園というようになったそうです。
 日本では1875(明治8)年に京都上京区第三十区第二七七組小学校(後の柳池小学校、現在の市立柳池中学校)に付設されたものが最も早い幼稚園だそうです。
 そんなに古くからあったようですが、私達長屋の子せがれには無縁のもので幼稚園の存在すら知りませんでした。
 私達の年代で幼稚園い行った人は何人いるでしょうか。その人はよほどのおぼっちゃまかお嬢ちゃんでしょう。
私の知り合いにはいません。幼稚園の存在を知らないということは、貧乏人は貧乏人同志で肩寄せあって生活していたからでしょうね。
 65歳以上で幼稚園に行かれた人はいますか。私が26才の時に結婚をして子供を設けた時は幼稚園に行かせるのが既に当たり前になっていました。
送って行ったと思ったら直ぐに迎えにいかなければいけません。その送迎は私の仕事でした。懐かしいですね。その子供ももう40歳です。年を取るのは当たり前ですね。光陰矢の如しと言いますが時の過ぎ去るのは本当に早いですね。そのうち消え去って存在していたことも忘れ去られていきます。
仏教では「朝露の如く消え去る」命と言います。消え去るからこそ人生妙味があるのでしょうね。
何時消え去るか。そんなに長くは無いことは確かですから悔いのない時間を過ごさなければいけませんね。

2011年2月19日土曜日

小紋について


小紋は細かい柄のきものと思っておられる方がいらっしゃいますが、上図の着尺は全て小紋です。
細かく柄が込み入っているものも、下図左の大きく飛んでいる柄も全て小紋です。
小紋とは小紋型という型紙で染めたきものという意味です。
 型紙には大紋、中型、小紋型という種類があります。
旗や布団のように大きな模様を染める時は大紋型を使用します。浴衣や手拭などを染める時は中型を使用します。ちなみに浴衣は専ら中型で染めますので浴衣のことを別名中形とも言います。
着尺や羽尺を染める時は小紋型を使用しますので、柄の大きさに関係なく型染めの着物は全て小紋と言います。
 小紋を染める時は柄色一色につき一枚の型紙を使います。柄がずれないように錐で空けたような細かい穴をあけて置いて、その穴に各型紙を合わせて型置きをして、柄色一色づつ染めていきます。全体で五色の柄色があれば5枚の型紙で一つの柄色を染めます。従って色数が多いほど型紙の枚数が増え、手間も掛かりますので値段が高くなります。
 普通は品は型紙を使って色糊で染めますが、高級品は型紙の上から刷毛で色を差す手差し小紋というのがあります。
手差し小紋は大変な手間と技術が必要ですから値段も高くなります。
 きものの値段は生地代よりも如何に手間が掛かった染であるか否かで決まります。
100%型染かそれとも手差しが加えられているか、全くの手差しかで値段は決まりますが、素人の人は色や柄の好みで選択するだけで、染の良し悪しまでは判別は難しいだろうと思います。

2011年2月18日金曜日

梅見に

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2011年2月17日木曜日

無縁社会


無縁社会に付いてNHKで取り上げていました。
社会とは無縁になり独り孤独に生活している人達です。話し相手もいない。こんな生活が続く限り生きていても仕方がないと悲しく嘆いている人が多数いるということです。
こちらの方は引きこもりとは異なり経済的理由が大きな要因のようです。
 真面目に正規社員として仕事をしていたが急に会社が倒産をして、それからというものは就活運動をしても正規の社員として働くところがない。
契約社員としてアルバイト的に仕事をしている。その仕事も途切れる。収入は激減して次第に蓄えもなくなっていく。
お金が無くなっていけば遊びにもいけない。外に出ないから人と接する機会が無いものだから知り合いや友達も出来ない。もちろんそんな状態で恋人も出来るはずがない。
そういう生活が続くと家族の人にも恥ずかしくて会いに行けない。
 次第に孤独が深まっていき話す相手もいない。恐らく何日も会話らしい会話をしたことがないという生活になっているのではないでしょうか。お金にゆとりがあれば馴染みの喫茶店や食堂や飲み屋で店の人とでも話はできますが、そういう所にも行くお金に困っていれば、コンビニで握りやインスタントラーメンを買ってきて独り淋しく食事をするということになります。食事というよりも毎日毎日が生き延びるために食べて息を繋いでいるというだけになります。
 若くて仕事をする気持ちのある人たちでも仕事がない、正社員になって生活の安定を図れないという人が多数います。折角この世に生まれてきて別に犯罪を犯したこともない。真面目に働いて来たのにこんなことになってしまっている。
 私は22年間独り暮らしをしてきました。私の場合は昼に仕事仲間と色々と話も出来ますし、飲み会に行ったりすることもできました。それでも帰ってきて電気を自分で灯して床を敷いて、時間があればテレビを見る。
 音楽が好きだったのですが楽しい音楽を聴いて気分が高まっても声を掛ける相手がいない。いい気分になればかえって淋しさが増幅しますので眠り薬の代わりにまた酒を飲んで眠ります。本当に独りは淋しいものです。その寂しさを私は知っていますので淋しいと嘆いている人のことを聞くと涙がでます。弱いとか強いという問題では済まされない哀れな現象です。
 政治家の先生方本当にしっかりしてくれ。俺なんかがぼやいても何の解決にもならないけど、こんな俺でよければ話相手になるから電話でもメールでもしてきてください。

無縁社会

2011年2月16日水曜日

大根ゲット



東大阪には小さな町工場が沢山あり古い佇まいも見られます。
淡路阪神大震災を経験している者にとってはそういう古い住まいを見ますと懐かしさと同時に、ああいう大震災がくればひとたまりもないだろうとも思ってしまいます。
そういう町の真ん中に広い畑がありました。
畑の一角に大根が栽培されており、ちょうどご主人が畑仕事をしていましたので、その大根をわけていただけませんかと声をかけてみました。そうすると「これは売る為に作って無いので」と言われました。「美味しそうな大根ですね一度こういう地植えのものを直接食べてみたいなぁー」と言いますと、「それではあげますから持って行きなさい」と言って一本抜いてくれました。「それはいけません代金を受け取ってください」と2百円わたしました。そう言われるなら1百円でいいと言われました。そう言わずに取っておいてくださいと渡しますとそれではもう一本持って帰って下さいと言って2本頂きました。
そして人参も自分の所で食べるだけしか栽培していないのだけど「持って帰りますか」と言って、人参も引き抜いて3本くれました。あたらしい野菜が手に入ったことも嬉しかったですが、その御主人とのひと時のやりとりが心地よく嬉しかったです。
経済学者はこんな地価の高いところで単価の低い畑仕事をしてなんになるといっていましたが、自給率アップには頑張って頂かなければいけません。頑張ってくださいそしてありがとうございます。土に触れている農家の人は温かいですね。

2011年2月15日火曜日

懐かしい文化住宅


      懐かしや 文化の路地に 梅が咲き
  
 文化住宅懐かしいです。自分の若い頃はアパートから転じて文化住宅が花形の借家になりました。
二階建てで上下二所帯が入居する住宅です。
二階に上がる階段の下が押し入れになっていて、階段の目隠し板一枚がよその家ですから、夫婦喧嘩なんかしようものなら丸聞こえです。それでもアパートよりはやや高級感があってマイホームを持たない人は大挙して文化住宅に入居しました。
 私も結婚をして入居したのが文化住宅です。当時は風呂の焚口が外にあって危険だなぁーと感じたことを覚えています。
 台所は冷蔵庫と食器棚が置ける程度の広さで、4畳半と6畳二間です。
風呂があって台所とトイレがあって二間あるということで借家としてはアパートよりみんなが憧れました。
その後西宮の枝川や千里が丘に台地ができ、収入の高い人は文化から団地に移行していきました。
 西宮に住まいしていますと、震災で新しく建て替えられたということもあって、文化は本当に少なくなりましたが、先日写真の文化を見て何とも懐かしく感じましたので記しました。

2011年2月14日月曜日

引きこもり


NHKで引きこもりに付いて取り上げていました。
明確に分かっているだで70万人いるという事です。
そのうち30才以上が約50%近くいるという事です。
ある一人を取り上げていましたが年齢は 42歳で外にも出れない状態で生活は母親の年金で暮らしているということです。子供の為に蓄えは無くなり今は年金だけに頼っている生活だそうです。
 引きこもりはうつ病に発展していく厄介な現象です。
なぜそのように成っていったのかうかつなことを言えば叱られそうですが、親が可愛がり過ぎ、援助し過ぎが一つの要因ではないかと思います。
 私も物凄く貧乏な家に育って小学校の時から八百屋へアルバイトに行って親にお金をあげていました。
 妻も10歳をかしらに4人の子供を育てなければいけないので子供にかまっている時間は無かったと言っています。それでも私も妻の子供たちも立派に成人して自立しています。
 親の一番の役割は子供を少しでも早くに自立させることです。。そして怒るときは時には殴り倒してでも、怖さや厳しさを教えるのも親の仕事なのですが、それが出来ていないのです。頑張りなさい、しっかりしなさいと言いながらも最終的には面倒を見てしまうから強い子にならないのです。
親しか最終的には面倒を見る人がいないというのは事実ですが、同時に親しか厳しく出来る人もいないという事も事実です。
 可愛い子供には旅をさせという諺があるように、旅をさせ、時には愛の鞭でしばき倒する勇気も必要です。子供は食べさせていさえすれば勝手に育ちますが、性格育成は自分で作り上げるのではありません。大半が親や社会通念に大きく影響を受けて育ちます。
 妻とよく話すのですが、私達の年代の親は怖かった。めそめそなんかしておれなかった、本当に家を追い出されるくらいに怒られた。そういう中でたくましく生きることを勉強できたのです。引きこもりの半分は優しすぎる親の溺愛にも責任があるように思います。もっと自立心のもった強い子に育たなければ子供が可愛そうです。
 子供が可愛ければ突き放す勇気を持たなければいけません。甘やかして親のいう事を聞かなくなり、手が付けられなくなったら親がそっぽを向いてしまっている話もよく耳します。学級崩壊の先生と同じですね。

2011年2月12日土曜日

建国記念日にちなんで


建国記念に因んでこれからの日本と題してNHKで討論されていました。
その一つにTPPと日本の農業に付いてがテーマーの一つになっていました。
TPP参加は日本の農業にとって大打撃を与えるので反対という人も少なくありません。
政治家にも反対を唱える人も多いのですが、そういう人は農業従事者を基盤とする選挙区の政治家がほとんどだからではないでしょうか。
反対を唱えると選挙民から見放されてしまうからでしょう。
 日本は輸出大国で各界の企業の頑張りによって経済的に成り立っています。その企業が活動しやすくするためにはTPP参加は不可欠といっています。ならばそうすべきでしょう。
 農業では世界のお金を集めることが出来ません。企業に頑張ってお金を稼いで頂かなければ日本は成り立たない。そんなことは反対する政治家も分かっているはずです。分かっていなければ政治家ではないでしょう。
 稼いでくれるところには大いに応援をして稼いで頂けるように環境づくりを積極的にする。そして大いに稼いで頂いて。儲けた分で弱いところにテコ入れをして強くなって頂けるように助成をする。
 農業はどうでもよいというのではなく、大切な分野ですから企業も国民も国を挙げて農業を助成をしていくのだという考えを持たなければいけないと大方の有識者は仰っておられました。
先日私も記しましたが全くその通りだと思います。
 ただTPPに加盟してどれだけのプラス面が生じて、そしてどれだけの実利が得られるかは不透明な段階では、犠牲を強いられる農業に、どれほど大きな助成をしてもらえるか不明確ですから不安に感じるのではないでしょうか。そして政権政党からもっと具体的な支援の内容が示されないからでしょう。
 今までの農業のあり方では世界と渡り合っていく競争力を持てないという事は有識者の誰もが唱えていることです。農業に従事する人々や、新しく農業進出を考えておられる人たちには頑張って頂き、世界と争えるように改革をしていただきたいと思います。
将来に若者が進んで農業に就職を希望するようになって頂きたいですね。
そのためには大企業が農業進出を考えているというようなことも耳にしますが、そういう場合は絶対に妨げないようにしてほしいいですね。

2011年2月11日金曜日

名古屋帯


名古屋帯はお太鼓結び専用の略装帯として考案されたものです。

A=織物の九寸名古屋帯(生糸を使用)
B=織物の九寸名古屋帯(生糸を使用)
C=紬の八寸名古屋帯(副蚕糸を使用)
D=染の九寸名古屋帯(生糸を使用)
その他に・紬の九寸帯(副蚕糸を使用)・織物の八寸帯
(生糸を使用)・博多の八寸帯(副蚕糸を使用)があります。

 名古屋帯の本来のものは九寸名古屋帯です。帯の出来上がりの幅は礼正装用は八寸が基本です。
九寸名古屋は仕立てる前が九寸の幅がありますので九寸名古屋と呼ばれています。九寸は芯を入れて仕立てるのですが、仕立ててしまえは基本の八寸の幅になります。
九寸は芯を入れて仕立てますので手間がかかりますので簡単な仕立てで使用できるように戦後になって八寸名古屋帯ができました。名古屋帯はお太鼓結び専用の略装帯ですから礼装盛装の時は締めれません。
 名古屋帯は外出着以下の着物の時に締める帯ですが、きものには染の着物俗に柔らか物と言われるものと、先染の織の物とがあります。
 染の着物はご挨拶とかお礼に訪問するというように儀礼の場にも着れるおきものですが、染の着物の時は上のA・Bの織物の名古屋帯を合わせるという約束事があります。
紬などの着物の時はCの紬の帯か、Dの染の帯を締めるという約束事になっています。
 江戸時代はどんなに裕福であっても町人は織物の帯を締めることを奢侈禁止令で禁止されていました。
外出着、普段着を問わず染の腹合わせ帯を締めていましたので、染の帯は小紋などの染の着物にも締めれるという事になっています。
 色の調和が取れていても材質の調和が守られていませんと着物を知らない人ということになります。

2011年2月10日木曜日

名古屋帯の起源


Dの写真の帯は名古屋帯と言います。
江戸時代の初期にロープ状の名護屋帯というものが一時流行しましたが、江戸時代の初期には廃れてしまい、帯は裂地(きれち)か布地に芯を入れたものが主流になりました。
因みに裂地というのは絹という意味で、布は麻とか木綿を意味します。
小袖(今のきもの)が中心の時代になるのは安土桃山時代からです。
小袖が中心の時代というのは貴賤を問わず普段は小袖姿で過ごすようになるという意味です。
その当初の帯の幅は2-3寸の細いものでした。
帯の幅が現在のように八寸位になるのは江戸の中期以降です。帯の幅が広くなったことによって帯によって上下に文様が分断されますので、小袖の模様が全体柄から肩裾模様に変化していきます。
そして帯は一般庶民は奢侈禁止令によって贅沢な織物を使用することを禁止されていましたので、専ら染めの丸帯か腹合わせ帯を使用してました。
Aは丸帯ですが、丸帯は一枚の布に芯を入れて仕立てたもので模様が全体に丸に通っているところから丸帯と言われています。
Cは腹合わせといいます。腹合合わせ帯は表と裏に異なった布を使用して芯を入れて仕立てたものです。
時代劇でよく見かける裏に黒繻子を使用し、表には文様のあるものを使用した腹合わせ帯は、昼夜帯と呼ばれていました。
帯結びはミス向き、ミス・ミセス共有の帯結びが結ばれ、武家風町人風と江戸の後期になりますと様々に結ばれていました。
 文政6年(1823年)に東京の江東区にある亀戸天神(かめいどてんじん)のお太鼓橋の渡り初め式に、巽芸者と呼ばれていた深川の芸者衆が、男結びの一枚カルタに帯枕を入れて膨らませた帯結びをして渡り初めに華を添えました。その帯結びは太鼓橋に因んでお太鼓結びと命名されました。
 当時はこれが江戸で一番新しい洒落た帯結びであるということで全国に広がっていきました。そして明治時代になりますと老若を問わず、帯結びはお太鼓結び一辺倒になっていきます。
それまでに結んでいた帯は腹合わせ帯が主流でした。腹合わせ帯は長さが1丈5寸~1尺くらいあります。それでお太鼓結びを結びますと二重太鼓になってしまいます。それを一重で簡単にお太鼓が結べるように、大正年間になって名古屋の女学校の先生がお太鼓結び専用の帯を考案しました。それが現在の名古屋帯です。名古屋の先生が考案したので名古屋帯と命名されました。

2011年2月9日水曜日

政治に関心を


                 イソヒヨドリ

 前二回は政治向きのことを記しました。
政治向きのことを記しますと「躍起になってもどうせ変わることないから」と無関心の人が結構います。
私達の暮らし向きのことを私たちが選んだ代表者が論議して方向性を決める。私達にとっては最も重要なことを決めているわけですが、「どうせ変わらないから」と無関心に投げてしまえば、私達のように下層階級の生活は益々生活し難くなっていきます。
 裕福な人たちは放置しておいても死ぬことはありませんが、私のように下層の人間は生活できなくなる、また子供にも教育を受けさせてやれないという事になります。
 政治は下層階級の人間が安心して生活が出来るような社会にして行くことが肝要で、そういう政治をしてもらえるようにするには政治から関心を逸らせてはいけないのではないかと思います。
 どうせ変わらないからと言いますがそんなことはありません。
議員は議員であってこそ値打ちがありますが、議員でなくなればただの人ですから、常に次の選挙では当選できるか気を揉んでいます。
恐らく胃が痛む程に危機感を有している議員もいると思います。議員を選ぶ主権者は私達です。
 選挙の時は地に頭を擦り付けて低頭していても、当選すれば豹変することは常時です。個人の人間性なんかは当然のことながら分かりません。しかし今は政党政治ですから約束を破ったり、託するに値しない政党だと思えば情け容赦なく切っていけばいいのです。それが出来るのが我々なのです。
そういう厳しい判断を突き付けていけば、議員は辞めたくないので国民の方を向いた政治をするようになります。
それは間違いのないことなのです。選ぶ方と選ばれる方の相関関係はそのようになっているのに、選ぶ方が政治に関心を示さず選挙の時に棄権をしますと、政治家の思惑通りになってしまいます。
 投票率が低いという事は選挙に関心のある人だけが行く。そうなればおなじみの人だけが選挙に行き、同じ人が再選され良い意味での改革はできなくなります。
現に浮遊者層が多く選挙に行ったときは革新的な政治につながる人や政党が必ず浮上してきます。
皆が政治に関心を持てば変わらないことは無いのです。
 子供が可愛い。孫が可愛いと言っていても、先で子供たちが生活しやすい社会を構築するために、今の大人たちが奔走しなければ本当に可愛いという事にはなりません。

2011年2月8日火曜日

河村名古屋市長頑張れ


出直し市長選と知事選、それに住民投票という名古屋の「トリプル投票」は、市長選で66万票という過去最多得票でほかの候補を圧倒した河村たかし前市長とその盟友の大村秀章氏の圧勝でした。
名古屋市民ではない私ですが一つの光明を見た感じで嬉しかったです。
 江戸幕府は譜代と外様大名で構成されていましたが、権力の中枢に近いものは外様と言えども保守的になり改革の先頭を切るというのは難しいのです。
なんだかだと不平を漏らしながらも権力の蜜の甘みを吸ったものは先頭を切って改革をすることは出来ないというのが歴史を見ても明らかです。
 民主党も自民党も大きな改革はできないでしょう。
皮肉なもので今回は徳川幕府の基盤である名古屋と大阪から大改革の狼煙が上がりそれが実現しようとしています。これが実現すれば保守的な考えが消滅していくのは歴史的に見ても時を要しないでしょう。
旧態然と構えている政治家や政党は取り残されていくでしょう。
 困難は多々あると思いますがどうか河村名古屋市長には頑張って思い切った改革をお願いします。
頑張ればあなたは絶対に歴史に名が残ります。
大阪の橋下知事もこの勢いに乗じて一気に大改革をしてください。
歴史的に見れば権力の中枢に在位している人たちが何時も美味しい思いをして、民間人は辛苦を舐めさされています。この近代国家でそんなことがあることがおかしいです。
頑張ってください。河村さん大村さんそして橋下さん。多くの人が応援しています。

2011年2月7日月曜日

社会保障と税の一体改革


 今国会の大きなテーマは社会保障と税の一体改革です。
年金がまた下がります。社会保障改革と言っても財源が無いので社会保障は減退していくばかりです。
それではいけない。社会保障の減退を防ぐには財源の確保が最重要課題で、それには消費税を上げる以外にないというのが現在の大勢です。
 財源が枯渇し国の借金が増える一方であることは国民も十分に承知しているから、税のアップに付いては国民のコンセンサスも得られる方向に傾いているとまで菅総理は言っています。
 国と地方の長期債務残高は778兆円で、財政投融資特別会計国債残高は133兆円ですから、合計で911兆円借金があります。
もうこれ以上の借金は国際的に信用を失墜させて長期金利の上昇を招きかねない。
一刻も早く財政の健全化を図らなければいけない。こんなことは私のような阿呆でも分かります。
 ならば実際にどういう英断を下して国を導いていくのかが政治家の仕事です。
 国会議員一人当たりで年間1億1357千万円も使っています。
一般のサラリーマンは年間で、平成21年度406万円です。これを見ても政治家は命を懸けて仕事に取り組まなければいけないでしょう。
命を懸けるというのはこんなに財政が逼迫している状況では、何をおいても先ずは自分たちの首を切って公約通りに議員の数を減らすことでしょう。そして公務員の数と給与を徹底的に見直して、それでもどうすることも出来なければ、それから社会保障と税の一体改革を考えるのが道筋です。
そういう考えの本に現実に動く人間が本当の国と国民のことを考える政治家です。
それの出来ない政治家は口ばかりの偽善者です。
 幕末に自分の命を擲って近代国家を構築してくれた人たちに、こんな有様では申し訳ないと思わないのでしょうか。竜馬のドラマが何の刺激にもなっていない自己中の政治家ばかりでしょうか。
 口ばかりで平気なのですね。政治家のそういう姿勢が察しられるから国民は政治離れしていくのです。
そうなれば政治は益々貧困なっていくという悪循環が繰り返されます。もう一度皆でいじわるばあさんになりましょう。

2011年2月6日日曜日

バラ寿司


節分に巻き寿司を巻きました。
私の母の巻き寿司は高野豆腐.干瓢、みつばというごく普通のものですが、妻は愛媛の実家の母の作り方を引き継いで、細長いソーセージを半分に切って入れ、卵焼き、牛蒡と人参を海苔の長さに細く切って味付けをしたもの、ほうれんそうを牛蒡と人参を煮た煮汁でサット湯通しして十分に水切りをしたもの、甘めの沢庵をこれも牛蒡のように細く切ったもの、それから干し椎茸を戻して少し甘い目に煮たもの、これだけの分を定番で入れます。
 私の母は寿司屋で言えば普通の安い巻き寿司ですが、妻のは太巻きというものです。
 私の母の巻き寿司もあっさりして美味しかったのですが、妻の巻く巻き寿司も食べればこくがあって非常に美味しいです。
 巻き寿司を巻くときは二日前には椎茸を水に浸けておいて戻し、前日には椎茸と牛蒡と人参を先に煮て味を浸み込ませておきます。
そのように手間をかけて折角煮ていた椎茸を巻き寿司に入れるのを忘れてしまいましたので、翌日は写真のバラ寿司を作りました。
これは全て私が作りました、すし酢は市販のすし酢を使っていますので簡単です。
温かいご飯にすし酢を入れて混ぜて、次に椎茸とちりめんじゃこを入れてまぜます。
その上に紅ショウガと錦糸卵とうなぎを乗せただけのものです。
バラ寿司はやはり椎茸を入れないと駄目ですね。椎茸を入れると美味しいです。

2011年2月5日土曜日

撫で仏


    撫でられて 輝く仏 民の願

お詣りをして願掛けをすれば何故か心が落ち着きます。
神仏に抱かれるということはそういうことでしょうか。
願いをすれば叶えて頂けると純粋に思っている人もいますが、私は他力ではなく、神仏に素直に頭を垂れて感謝することによって、前に突き進む心を養うものだと信じています。
 テレビでしか知りませんが紛争のある国に行きますと本当に悲惨な生活を強いられている人が多数います。
ああいう所の子供たちを見ていると、既に紛争が始まって20年、そんな中で生まれてきて、これから先何時まで紛争が続くのか知れない。私達の平和な生活から比べれば本当に可哀想の一言です。
そんな環境の中でも子供たちは子供たちなりに知恵をしぼり、懸命に生きています。
あの姿を見ていると、あんな悲惨な状態ばかりが強いられるのなら、いっそ生まれて来なければよかったのではなどとと、軽々しいことは言えません。授かった命は生きていることが貴重なのです。
みんな必死で生きています。生きている限りは喜楽が少しでも多い方がいいから神頼みに行きます。
そしてご利益があろうがなかろうが、自分の気持ちの安らぎのために撫で仏は撫でて撫でて撫でまくってご利益を念じます。仏の輝きはみんなの希望の証です。

2011年2月4日金曜日

巻き寿司


節分に巻き寿司を巻きました。豆も69個食べました。子供の頃この豆を戴きますとお腹を下していたことを思い出します。
私達の子供の頃は節分に恵方巻きを食べるなんてことは無かったものです。
もし昔から行われているものであれば。私達の子供の頃は中断されていたという事になりますが、あれは恐らく商業的意図で始まり普及していったものでしょうね。
節分の行事は地方によって異なりますので関東ではどうなんでしょうね。
関西では今は完全に定着していますので私の家でも巻き寿司を巻きましたが、巻き寿司というのは私にとっては母の思い出につながるものです。
 母はお正月、遠足、運動会の時は何時も朝早くから起きて台所でコトコトを音を立てて料理をしていました。
起きて服を着替えるころには支度は出来ていて巻き寿司を竹の皮に入れてくれていました。
 そして当時は卵が貴重品だったのですが見抜きのタマゴが一つ入っていました。
あとは覚えていませんが何か行事があった時は巻き寿司だけは必ず作ってくれましたので巻き寿司を見ますと母を思い出します。
 再婚をしてから二回お正月を迎えましたが妻の家でも御正月には必ず巻き寿司を巻くそうです。
子供たちがお正月に遊びに来た時にこの巻き寿司を食べないとお正月を迎えた気がしないといって美味しそうに食べていました。
皆さんのお家ではこの料理を見れば家を思い出すとか、母を思い出すというような料理はありますか。
そういうものは親が子供に与える思い出という最高の贈り物です。物は無くなりますが思い出は何時も心の奥に残って消えません。
そういう思いに浸れた時には気持ちも安らぎ癒されます。

2011年2月3日木曜日

今日は節分


 節分は立春の前の日で大寒の末日、冬の節が終わって春の節に移る日です。
 立春は年の改まる日と考える風習があって、社寺ではお籠りをして厄払いを行いました。
 節分には神社にお詣りをして年越しをしたのですが年越しは正月に固定されていき、厄払いに節分詣でをすることに変わっていったということです。
 節分に豆を打って鬼払いを行うようになるのは室町時代からだということです。
 節分の夜には「鬼は外福は内」と言って追儺式を行います。多くの社寺でも行います。
 また焼嗅がし(やりか)と言って鬼、厄病神、鬼を追い払うために臭いの強いもの放って追い払います。
これは鳥おどしの案山子の語源は嗅かしで、臭気によって鳥獣を追い払うという事が古くからおこなわれており、それを応用したものだと言われています。
 大阪など主に関西では節分の時にお化けと言って様々に紛争してお詣りをするという事が昔から行われており、その風習は現在でも引き継がれて色町の人達はこの日は様々に紛争します。
私もずーと大阪の新地などに芸者や舞妓などの着付けに行っていました。
現在でも行っていますが、費用は本人持ちで高くつきますので次第に少なくなってきています。
 今日は今から巻き寿司を巻きますが、節分には恵方を向いて巻き寿司を食べるという風習は文献にはありません。
恐らく業者によって作り上げられたものではないでしょか。
それでも現在ではすっかり定着していますので、私達も世間の風習に倣って巻き寿司を巻きます。

2011年2月2日水曜日

プロらしく


 私は今でも出張着付というものをやっています。
今は年を取りましたので少し丸くなりましたが、50歳代位までは決して自分から失礼はことはしませんが、理屈に合わない事を客から言われますと、お客さんでも容赦なく言い返していました。
 前にも言いましたがお客さんは神さんでもなんでもありません、絶対の選択権があるだけですから嫌なら二度と依頼をしてくれなくていいのです。その覚悟さえあればたとえお客さんでも遠慮なく言い返せます。
 あるお客さんの話ですが、一か所終わるごとにちょっと待ってくださいといって鏡を見に行きます。
自分の気に入るように着せて欲しいからですね。その気持ちは分からないこともないのですが、鏡がその場に無いものですから一々席を外されると仕事になりません。
最初は辛抱していたのですがあまりにも頻繁ですから「仕事にならないからそんなことをされると迷惑だ」「自分で出来ないから頼んだのだから。頼んだ限りは任せらな」と叱りました。「でも心配でしょう」と言うのです。
 女性は自分のお洒落に関してはデリケートですから、美しく気に入るように着せてほしいという気持ちはわかりますが、覚悟がなさすぎます。
色々と注文を付けても腕の無い人は丁寧に仕事をしても出来上がりは大したことはありません。その人間の腕前以上の出来上がりにはならないのです、それが真理なのです。そのお客さんはそれが真理であるという事を知らないのです。
 自分で選択してしまった限りは担当者がもし下手であっても諦める以外にないのです。拙ければ二度と頼まなければいいのです。
ただそいう下手な仕事をしていれば繁栄することなく必ず潰れてしまいますので、お金を戴くこと。すなわちプロとはどういう事かという十分な認識と信条を持って仕事をするように。そのためには先ず腕を確りと磨くようにと生徒には言い続けてきました。
 例えば飲食店に入ってもこの店はこの味と接客でよく商売をやっているなぁーと感じてしまう店が多々あります。自分のつくる料理の味が客観的にみてどういう味なのか謙虚になって人に尋ねたことがあるのでしょうか。味を通してその人の人間性を疑ってしまう不味い店があります。
 美容院でもそうです。これがプロの仕事かという下手なセットしか出来ない所も少なくありません。
それでもそういう所の店主はそうは思っていいないのでしょうね。
 そういう仕事しかできない人があまりのも多すぎるからお客さんの方も疑心暗鬼になって色々と注文を付けてくるのですね。仕事をする方にプロとしての自覚と認識に欠ける人が多いのも確かです。

2011年2月1日火曜日

孫の誕生日


 2月に妻の長男の子供の初めての誕生日です。
長女の子供は3月に二回目の誕生日を迎えます。
昔は3歳くらいまでは頭を剃りました。髪の毛は生命の象徴ですから、髪がすくすくと延びるという事は、元気で長生き出来るという事ですから髪が良く伸びるようにしたわけです。
日本には宮詣りから始まって、お食い始めの百日(ももか)の祝い、七五三、十三詣りと様々な行事があります。
これは嬰児幼児の死亡する数は少なくはなっていますが、今もなお率から言えば依然として多いと言われています。
昔はそれ以上ですから子供の健やかな成長を祈念して行われたものです。
 そのように祈りを捧げお祝いをすることによって、感謝の念が育成され豊かな生活に結び付くからです。
 子供の死亡率が高い、そして事故にあい怪我をする確率も高い。そういう幼児期に一年また一年と誕生日を重ねていくことは大変ありがたく目出度いことですから、特に幼い時の誕生日は大いに祝ってあげて、同時に感謝の念を神仏に捧げて欲しいと思います。
 とにかく目出度いのでお祝いをと思い二人に三輪車をプレゼントすることにしました。
色々と調べましたがSmart Trike(スマートトライク)の三輪車が安全のための配慮が行き届いていますので二台購入しました。
 自分たちで組み立てなければいけないのです。日本製ですと説明書きが丁寧に記されていますが外国の物は大雑把で難儀しました。上の写真は組み立てているところです。
幼いときは乳母車として使用できるようになっていて、その場合はぺたるが回転しますと足に当たって危ないのでペタルが回らないようにクラッチが付いています。行き届いていますね。