2010年11月30日火曜日

着付けた素敵な人達


七条 容子様
結城地の贅沢な訪問着です。絞りは一竹のこれも贅沢品です。
高級品として最近は紬の訪問着もたくさん作られていますが、紬のものは高級品ではありますが、趣味性の強いものですから公的なパーティーやレセプショウンなどでは着れません。

七条 友紀様
お子さんの七五三に行かれます
友禅の訪問着に龍村の袋帯です。
久しぶりに龍村の帯を触らせていただきました。
振袖に締めておられたそうです。

2010年11月29日月曜日

着付けた素敵な人達


                    森下明子様

結婚式にご出席です
からし色の色無地です。
からしでも少し渋めの辛子色ですから色目だけで言えば少し地味目ですが、大きな市松模様の個性的な色使いの袋帯はからしの色無地によく乗っています。
こういう色目の着物は若い人が個性を強調されてお召しになると素敵な装いになります。
こういう色合わせはお母さんに選んでもらえば、若い御嬢さん向きとしては絶対に選ばないだろうと思います。
素敵な装いでした。

2010年11月28日日曜日

着付させて戴いた素敵な人達


               上田 浩美様
これで着せさせた頂いたのは二度目です。
素敵な奥さまです。
お友達の結婚式にご出席されるそうです。
今回は着てから頭をセットされるそうです。


 最近は後ろで束ねておけば様々な付け髪があるので自分でも簡単にできますので、自分でされる人も多くなりました。
そういうことの大きな原因は経済的なことよりも、美容院でセットをしてもらうと老けて見えてしまうという事が多いからです。
着物を着る人が少なくなっていますのでセットを勉強するのに時間とお金を掛けても採算が取れないから美容院側の勉強不足ですね。

2010年11月27日土曜日

男の料理 大根の炊きこみご飯


大根四分の一を、長さはそのままで7~8mm位の短冊に切ります。
竹輪を5mmくらいの幅の輪切りにします。
合挽きミンチを150~200gを用意する。
写真には青いものが入っていないが青いものを出来上がったら上に置くとよい。
ご飯は少なく炊くと美味しくないので私は何時も四合炊きます。上記のものはご飯四合の分量です。
竹輪と大根とミンチ肉を入れて酒とみりんを入れて薄口醤油をいれます。
出汁の素を少し入れて炊きます。
けっこういけますからおすすめです。

2010年11月24日水曜日

絹糸について


絹には
(1)生糸=繭玉から糸を繰り出した糸
(2)玉糸=蛹(さなぎ)が2匹以上入っている繭から糸
   を繰り出した糸です。28~250デニールと太さ
   がまちまちで、その上に節があるので染物には不向
   きですから裏地、帯、紬の着尺地などに使用されま
   す
(3)真綿紬糸=繭の中には蛾(が)が穴を空けた繭、傷
   や汚れた繭、糸口の見つからない繭、途中でもつれ
   て糸繰りの出来ない繭、また繭は最後まで糸くりが
   出来なくて必ず10%くらい薄皮繭ができます。
   そういうのを特殊加工で真綿にします。真綿にした
   ものを紡いで糸にしたものが真綿紬糸です。これは
   連続糸ですから軽くて丈夫です。
(4)絹紡糸=「けんぼうし」と読みます。これは屑繭を
   木綿のように紡績加工をして糸にしたものです。
   素材は絹ですが、絹独特の光沢、こし、また丈夫さ
   に欠ける糸です。
 
 生糸以外は副蚕糸(ふくさんし)と言います。
例えばデパートで以前はワゴンに乗った安い反物が目玉商品として販売されていました。
今でも店頭に安い目玉商品を展示している所があります。それらは絹100%の商標が付けられていますが、絹紡糸100%s使用のものや、何十%か絹紡糸が含まれている商品がほとんどです。
 きものを着るときに伊達締めという10cm位の幅のある紐条のものを2本使用します。
 その伊達締めには各学院オリジナルの物が沢山ありますが、昔からの博多織りの伊達締めが一番理に適って使い良いものです。
 その伊達締めは最近京都で織った京筑というものが出回っています。それには絹紡糸が使用されています。見た目は博多織りのものよりも奇麗ですが、使って糊が落ちてしまいますと腰が無くなり紐状に幅が寄ってしまい扱い難くなります。
同じ絹100%でも絹紡糸はこしや強度がなく木綿と変わらないもので、私に言わせれば粗悪品です。
同じ絹100%と表示していましても全く異なりますので、生活の知恵として知っておいて頂きたいとおもいます。

2010年11月23日火曜日

菅総理の体たらく


 APEC CEOサミット2010横浜が開催され、議長国である我が国の菅総理大臣は張り切っておられた事と思いますが、トップとしての貫録という点で影が薄いのにはがっかりです。
 人間というものは大きな希望を抱いて、自信を持って前に進んでいる時は内面から輝きオーラーを感じるものですが、菅総理にはそれが感じられないのです。
 先進国の首脳と並びますと貧弱に見えてしまうのは私だけでしょうか。
 希望に燃え自信に裏打ちされていればもっと輝く筈なのですが、総理としての器に欠けるのではないでしょうか。
 そのことを象徴するのが中国の胡錦濤国家主席との対談の時です。
 人と話をするときには絶対に目をそらすなと言います。自信の無い者、信念の弱い者は相手の気迫に押されて必ず目をそらせてしまいます。
いま中国との間では問題が山積しています。そんな時に相手国のトップと対談するのですから確りと目を見据えて「舐めたらあかんぜ、何時でもやったるぜ」という気迫をもって話し合いをしなければいけないでしょう。しかるに対談をするのに下を向いたままでメモを読んで意向を伝える。まるで蛇に睨まれた蛙のごとくの様でした。情けないです。
会談をするのにメモを読んで会談をするなんて前代未聞です。
 民主党は官僚に答弁をさせないで大臣自らが答弁をするなんて言っておきながら、あの無様な姿はなんやと言いたいですね。
 自民党政権時は、君たちはやるやると言いながらやらない「やるやる詐欺や」と言っておきながら「詐欺はお前たちや」と言いたいです。
この不況でみんなが困窮している時にあんな無様な姿を見せられたら夢も希望もなくなります。

2010年11月22日月曜日

尖閣問題に物申す


      燃えてます 怒っています 紅葉だ

 尖閣の問題でビデオが流出したことに付いては、もう皆さんは語りつくされたと思いますが、私も一言叫びたいです。
 事件に関するビデオを撮ってあるという事は当初から知らされていました。
その一言で中国に非があることはおおよその察しはついていました。それなのに中国に言われぱぁなしのままでした。
 事件が報じられた日に喫茶店に入りました。マスターはぶつぶつ言いながらコーヒーを入れています。そのつぶやきが尖閣の事であることがわかりましたので「マスター腹が立つやないか舐められぱなしやで」と私が言いますと、即座に「わしも朝から腹がたってじーとしていられへん気分やねん」と直ぐに返してきて怒りをぶつけ合いました。
 初めて行った喫茶店でしたがそれで一気に意気投合です。
 「国でも個人でも一緒や舐められたらまともな付き合いはできへんで」「せや舐められたらあかん。舐められて何が国益や、舐められて国益が守れるかい」「ほんまや情けないわ」今でも怒りはおさまりません。
 
 ビデオ流出に関しては守秘義務があるからいかんといいます。法律は大切ですから罰せられても仕方はありません。本人も覚悟はしていました。
法律は大切ですから法に則って処理をしたらいいのですが、おさまらないのは感情です。
当初からビデオがあると言っていました。確たるものがあるのに何故中国の思惑通りに事が進められて堪えているのか。
 政府が舐められているだけではないのです。日本即ち我々国民全体が舐められているのですよ。単細胞ですから「舐めやがって」と俺の気持ちはおさまりません。
 政府は国益を考えての事と弁解すると思いますが、問題を先送りにすると禍根を残すだけですよ。
 アメリカも今や中国の財力に頼るところがある。そんな状況化で先送りをすれば力関係でどうすることもできなくなります。
 アメリカの顔色を窺い、中国に気を遣い、我が国は何処に向かって船を走られせるつもりなのか。
「はっきりせい」「もっと明確な目的地を定めて船を走らせろ」政治家は確たる信条と認識を持ってなければいけないはずなのに、口先ばかりで日本丸を操船しているのではないか。そうとしか思われない。
 竜馬ごめんね。晋作ごめんね。松陰ごめんね。あなた達は今の政治家のように良い思いをしなくて国のために尽くしてくれたのにね。

2010年11月21日日曜日

絹について


絹は中国では紀元前2000年の殷の時代から用いられていました。
中国では絹織物のことを錦(にしき)と言います。
帛(はく)は絹のことで金=帛で、絹はお金と同じぐらいに尊いものでした。貴重なものですから国外への持ち出しは禁止していたのですが、坊主などの手によってシルクロードを経てイタリア、フランスに持ち出されて西欧においても絹織物が発達しました。
 日本でも絹の伝来は早くて垂仁天皇(紀元前28年)には任那の国王に赤絹百疋を持参させたと日本書紀にあります。
 麻のように茎の繊維から糸にすることを績(う)むと言います。木綿のように綿状のものを糸にするのを紡績といいます。絹は繭玉から直接に糸を繰り出しますので製糸と言います。
・繭玉の周期
(1)卵から
(2)毛蚕(けご)になり、眠期と齢期を四回繰り返しま
   す。その期間は25~30日で五齢期に入って繭をつく
   ります。
(3)繭が完成するとその中で幼虫期最後の脱皮をして蛹
  (さなぎ)になります。
(4)その後12~13日で蛾(が)に変態します。蛾になる
   と口から体液を出して繭層の一部を溶かして外に出
   てきます
(5)外に出てくると交尾して卵を産み一週間後に短い生
   涯を終えます

(3)の蛹が蛾になる前に殺蛹(さつよう)して乾繭(かんけん)といって繭を乾燥させて貯蔵します。
糸を製する時は繭を煮ながら糸を繰り出します。一つの繭から取れる糸の太さは2.5~3.5デニールという細いものです。糸の長さは1200m前後の長さがあります。
 白生地などを織る時には大変長い状態で織りあげて、反物(12m),四丈物(16m)、疋物というようにカットして商品にします。
 一つの繭から取れる糸の太さは細いので五個、七個、九個の繭から一本の糸を作ります。作られた糸が生糸です。専門的には15中、21中などと言います。中というのは糸の太さのことで、一つの繭の糸の太さは約3デニールですから21中は七個の繭から一本の生糸にしたという意味です。

2010年11月20日土曜日

有馬 瑞宝寺

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太閤も愛でたという瑞宝時の紅葉
山門だけが残っている廃寺址ですがその山門がロケーションの効果をたかめています。
ここは新緑の紅葉も綺麗ですしその時期はツツジも咲きます。

2010年11月19日金曜日

武田尾温泉

画像が見れますここをクリックしてください

妻の娘を三田まで送って行ったついでに武田尾温泉はたしか紅葉がきれいと聞いていましたので足をのばしました。
武田尾は19歳の時に一度キャンプにきたことがあります。
たしか川に沿って福知山線が走っていた記憶があったのですが、トンネルができてきれいに整備され、旧の廃線路はハイキングコースになっています。一度また車ではなくハイキングに来たいと思いました。
聞いていた通りに紅葉はきれいでした。妻が撮影しました。私よりセンスがいいようです。

2010年11月18日木曜日

西国33か所番外花山院



西国三十三か所には西国巡礼の開始と発展に関係ある3か所の寺院が番外として列記されています。
西国33か所を開始されたのは徳道上人で、その徳道上人を祀っている発越院が一つです。
西国33か所巡礼を再興されたのが65代花山天皇でその花山天皇が剃髪された元慶寺がその一つです。
花山天皇が晩年は三田にお住まいになられたので、三田の花山院ごその一つに数えられています。花山院はこの時期は紅葉がきれいで大変癒される寺院です。

2010年11月17日水曜日

長着の生地


長着というのは大人用の本身の着物の事です。
長着用の高級白生地といえば羽二重、綸子、縮緬がその代表です。

・羽二重=
平織り組織ですが、筬(おさ)といって経糸を整理するものがあります。その筬に経糸を二本入れて整経して、経糸に緯糸を交互にくぐらせて織りますのでその名前があます。
上品な光沢のある柔かい織物です。男子の高級衣料の紋付はこの羽二重が用いられます。

・綸子=
上図左の地模様のあるのが綸子です。
紋織は経糸何本かに対して緯糸を一本くぐらせるというように織って、糸の交錯を不均衡にして経糸と緯糸の浮き沈みで模様を織り出すものです。
繻子組織といいますが、今はコンピューターでジャガードが簡単にできます。
ジャガードというのは紋紙に穴を空けて経糸を自動的に上げ下げされるものです。
これが出来るまでは柱の梁の上に乗って腹這いになって、人が経糸を上げ下げさせて織りました。従って、機の前に座っている人より梁の上で経糸を上げ下げする人の方が上級者であったのです。そんな大変な工程で織ったものですから、大変な高級品で支配者階級の上級者しか用いることができませんでした。

・縮緬=
緯糸に糊を付けて1mに対して3500~5000mの撚りを掛けて強撚糸に仕上げます。撚糸には右撚糸と左撚糸があり、それを交互に、即ち平織りに織った織物です。平織りですから朱子織よりも手間が掛からなかったのでその分安くなり、町人の礼装はこの縮緬が主になりました。
縮緬は撚糸を使用していますので幅は縮ます。幅は広く織って整理して普通の反物の幅にします。
整理すると撚糸によって畝が表面に出来ます。それが縮緬の特徴です。

 封建社会では男尊女卑ですから、男性が用いる羽二重が最上級で、次いで高級な綸子が次位で、支配者階級の下級者や一般庶民は専ら縮緬を用いました。そんなところから、一位に羽二重、二位に綸子、三位に縮緬というように白生地にも昔は格式が存在していました。
高級織物は綸子を用いられることが多く、帯揚げも同様で礼盛装、染物の着物には綸子の帯揚げを用いるという約束事がありました。
 礼盛装、柔らか物を着用した時は帯揚げは必ず綸子の帯揚げと決まっていたのですが、最近はそういう事を知っている人は少なくなり色さえあえば何でもありになっています

2010年11月16日火曜日

映画「幸せになるための27のドレス」


 主人公の女性はブライダルの仕事をしています。
今までに26人の花嫁を送っています。その記念に26着のドレスを大事に保管しています。勤めているオーナーのことが好きで会社では妻のごとくに尽くしています。そんな主人公にはチャーミングな妹がいます。
その妹が失恋をして姉の家に転がり込んできます。
姉が思慕している社長はその妹の魅力に惹かれて結婚を申し込みます。
 オーナーの事が好きで今日まで尽くして来たのですが、妹の事でもあるし、オーナーの真意でもありますから仕方がありません。辛くて気が進みませんが二人の結婚式のための準備をします。
そんな中で妹はあまりのも破廉恥なことを平然とします。オーナーの前では猫を被って良い女を演じます。見るに見かねて妹の破廉恥ぶりを皆の前で暴露します。
それで縁談が壊れてしまいます。元々は自分が好きな人だったのでその思いのたけをオーナーに告げます。告げられたオーナーは自分も嫌いではないので抱きしめてキスをします。
だけどもピタット来ないのです。嬉しくないのです。オーナーの方もそうです。
彼女には最近付き合いだした男性の事が胸につかえているのです。自分は最近付き合いだした彼の方が好きなのだということをオーナーとキスをして確証を得たのです。それに気付いて彼のもとに走ります。それが自分が着る幸せの27番目のウエディングドレスにつながる話です。

 どうということのない男と女の話ですが、それを見ていてふと思いました。
男と女は互いに惹かれあい、一緒に暮らしたいと念じて懸命に努力します。
それが実現できないときは嘆き悲しみ落ち込んで、死にたいと思ってしまいます。
あんなに一緒にいて楽しかった、一緒にいるだけで幸せだった。そしてみんなに祝福されて一緒に暮らせるようになった。それなのに月日の経過とともに白けてしまいます。
別に嫌いになるわけではなかっても顔も見たくないという時がある。一緒にいるだけでときめくことはなくなってしまう。
 人は夫婦は空気のようなものというけれど、阿吽の呼吸で分かり合えているわけではありません。経済的に困らなければ直ぐにでも別れたいと思っている人は山ほどいます。それを分かって理解できていない人も沢山います。それで何が空気のようなものですか。
 このことを解決しなければ人生は真に楽しいものにはならないでしょう。一番身近にいる人が好きでなくて何故幸せになれるでしょうか。こういうことにすら留意しなくて我意を通す人が多いからそうなるのでしょうね。

2010年11月15日月曜日

映画「幸せのきずな」


 この物語は車のワイパーを発明したロバートウイリアムス・カーンの物語です。
カーンは博士号を取得した発明家であり大学の教授です。
妻と6人の子供がいます。
6人の子供がいるという事は妻は家庭的で優しい女性であるという事を描いています。
カーンズも学者として研究熱心な人で、妻と雨降りに車に乗っていて思いつき、それまでとは異なったワイパー発明します。
それを友人に頼んでビッグスリーに売り込みにいきます。
商談成立間違いなしという段階になって話は破断となります。
特許裁判は時間が掛り自分のものであるという証明が難しいことをよいことに、カーンズの特許を無視してビッグスリーが自社の車に搭載します。
1969年以降はカーンズの発明したワイパー一辺倒になります。
約束が違うそのワイパーは自分が考案したものだと談判に行きますが、取り上げてくれません。
そこで仕事もなげうって闘争に明け暮れます。教授の仕事も辞め闘争に没頭したことによって家計は苦しくなります。ある時にフォードの代理人という人が来て、50万ドルで示談しようと家を訪れます。50万ドルというと一躍億万長者です。妻は家計も苦しいので示談に応じてくれるように夫に頼みますが、示談の条件は自分の発明であるという事を伏せたままでという事ですからカーンズは承知しません。
妻はこれまでは協力してやってきたけれどもこれ以上は堪えられないと言って家をでます。
それでもカーンズはあきらめないで裁判に持っていきます。裁判は弁護士を雇うお金がないのと専門的なことは自分でしか分からないから弁護士を雇わずに長男に手伝ってもらって自身で裁判に臨みます。
子供たちも家族や家庭のことを顧みらずに闘争に明け暮れる父親を嫌っていたのですが、大きくなって父の正当性を理解して全員が父親に協力します。
 もちろん最後の審判の時には妻も駆けつけます。判決はカーンズの勝利です。フォードは1億101万ドル支払うことで決着します。おめでとうと子供たちや友人知人たちではしゃいでいる最中に妻はその場から去ります。
 カーンズは追いかけて行きます。闘争を始めてから12年間掛かったそうです。その間妻はほったらかしのまま、妻はその間随分と苦労もし寂しい思いもしています。その過ぎ去った時間は帰ってきません。
 フォードは決着ついたけれどもまだ闘争は残っています。裁判によって莫大なお金を得ましたが人生はお金だけではない、もっと大切なものがある。この人はこの後も恐らく闘争を続けるだろうから同じことの繰り返しになるだけ。妻は「貴方は今後も闘争を続けるでしょうね」と夫に言うと夫は「Yes]と答えます。「そうでしょうね」と言って妻は去った行きます。カーンズの闘争の始末を描きながら一番言いたかったことは最後の妻が去るところです。一番大切なのは何か、そこを描いた監督に乾杯です。

2010年11月14日日曜日

谷汲みさん


地元の人から「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれる西国三十三ヶ所の満願霊場。
延暦17年(798)創建と伝わる寺には、次のような縁起が残っています。
会津の黒河郷に住む大口大領という熱心な観音信者が、ある時十一面観音像を建立したいと願って近くの村の文殊堂に毎日願掛けに通っていた。すると夢のなかに観音菩薩が現れて榎の木を示したので、大領はさっそくその木を切って、京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらった。
しかしようやく彫ってもらった観音を会津まで運ぶ途中、谷汲村まできて仏像がピタリと動かなくなった。「観音さまはここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこに堂を建てて像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困ることはなかったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音さまに華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名がついたといわれています。

2010年11月13日土曜日

肉丼


 簡単でおいしい、これは料理と言えるのか。
男の俺が作るものは簡単なものでも料理の内だ。
前にも記したが・だし汁を作って保管しておくことをすすめる。
そうめん、そばのつけ出汁だけでなくひじきの煮物、肉じゃが、すきやきの割り下、俺の好きな風に吹かれての豆腐にも、多くのものに使えます。
みず3.みりん1・濃口醤油1、そして甘い目の好きな人は砂糖をいれます。
その中にだしの素の顆粒を少し多い目に入れて一度沸騰させます。
一か月は大丈夫です。
出汁を少し多い目に入れて玉ねぎを入れます。玉ねぎがしんなりしたら肉をいれます。
あまり煮ると肉が固くなりますので、肉に火が通って肉の色が変われば出来上がりです。
ご飯にかけて山椒の粉があれば振りかければいいだけです。
ちょっとのろけを言わせて頂くと「今日は肉丼にするわ」と妻に言うと彼女は飛び上がって喜びます。俺の肉丼は、肉は安もんだけど美味しいと妻には評判です。

2010年11月12日金曜日

舐めたら駄目


修とはおさめるということで、この段階も大変難しいですね。
 着付けを例にしますと、みなさん着れるようになりたいと考えてお稽古に来ます。
でも着れるようになれる人の確率は物凄く低いのが現実です。
 フォーマルはもちろんですが、街着も最近はみなさん町では上手に着ておられます。したがって習ったとしても、そういう人達と比較して、上手に着れている自信がなければ外に着て出れません。恥ずかしくて外に着て行けない着付けでは着れたという事にはならないでしょう。現実にはそういう人の方が多いのです。
 その現実を直視しますと、たかが着付けです。その着付けができないということは如何に「修」の段階を極めることが難しいかという事です。
 
 何故そうなってしまうのか。それは前回の分で記したように今は趣味の延長としてお稽古に来られており、自分を磨き鍛える場という考えがないからです。
「頑張りましょうね」「頑張らなければ」と叱咤激励しますと、趣味の延長で捉えている人は、「別にこれを職業としたいと思ってないし」「別に先生になりたいと思ってお稽古しているわけでもないし」などと自己弁護します。
 例えば「自分は街着が着れたらいいだけですから」という線を引く人がいます。
 人というものは不思議なもので、ここまででよいという線を決めたら、ほとんどの人はその線を越えられないでその手前で停止してしまいます。
 そこは通過点と考えている人はその線を越えて前に進めます。お稽古の成果にとって一番大切なのはヤル気という精神面です。
 楽な位置に線引きをしている人は、そんな程度のものは直ぐに出来るようになるだろうという軽い気持ちで臨むからです。ウサギとカメの競争と同じです。
 器用な人でも楽な位置に線引きをしている人よりも、不器用でも志を高く持って取り組む人は確実にその線を越えれるのです。
線引きをしている人はどうしても取り組みが一生懸命になれないのです。
 楽な自分のペースで進めてしまうからです。自分の楽なペースで進めて出来るようになるほど簡単なものは何一つありません。
 簡単であればお金を得て主催することなどできないのです。お金を戴けるものはそれなりの難しさはあります。以前に記しましたように6か月無料というところがあります。私が教えている時に何人かそこの卒業者という人がお稽古に来ていましたが。下手も下手くそで見るに堪えない着付けしかできていませんでした。只という自分を追い込む必要のないところでお稽古してきたからです。

 人は努力すれば光る能力を持っているのですが、努力もしないで舐めて見てしまうという大きな欠点をも持ち合わせています。それは改めなければいけませんね。

2010年11月11日木曜日

「修」「破」「離」


お稽古事の進め方の理想に「修」「破」「離」というのがあります。
現在はお稽古事と言えば趣味の一環と捉えておられる人が多いのですが、昔は教養の一環として、自身を磨く一つの手段として考えていました。
 他者に好まれる人間になる。他者に役立つような人間になる。そうなることが自身の人生を有意義に充実させたものになるという考えであったのです。
 だから何かに取り組んだならば「離」の段階まで進まなければいけない、そうすることによって本当の意味で自信を磨き鍛えることが出来るということです。
 「習わんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ」という言葉があります。
「こうなったらいいなぁー」「こういうことがしたいなぁー」と思念しているだけでは一歩も前進しません。現実に自分の手で櫓を漕いで船出をさせなければ何も得られないし何も身に付きません。そういう意味では何かを始めることは「我が身ながらの師匠なりけれ」となり大切なのですが、始めたならば確かな目標を持って確りと櫓を漕がなければ船は前に進まないのです。遊び半分、娯楽の延長気分ではどうにもならないのも確かです。
 娯楽の延長気分でどうにかなるようなものでしたら、わざわざ貴重な時間とお金を投じてお稽古する必要のないでしょう。わざわざ貴重なお金を投じてお稽古しなければいけないものは全てそれなりの難しさはあるのが道理なのです。
 
 やると決めたら頑張らなければいけないのです。頑張らないで自分を磨き鍛えることはできません。自分を磨き鍛えないで自分の人生を充実させたいと念じることが矛盾です。
 若い人、特に女性は白馬に跨った王子様が出現してくるように思っていますが、現実にはそんに素晴らしい男はいません。
また自分が努力もしないでそんなに素晴らしい男が付くはずがありません。
他力に頼るのではなく、自力で人生を充実させる努力をしなければ人生はどうにもなりません。
そのためには思念するだけでなく自分を磨く何かが必要なのです。
 今の若い人は頑張るという事を忌み嫌う人がいますが、誰かが陰で助けてくれているからそんなことが言えているのでしょう。
またそういいながらも嫌々ながらも生活のために働いているのでしょう。
 同じ働かなければいけないのであれば少しでも収入がよく、働き甲斐のある仕事をしなければ損ではないですか。そのためには自分自身に値打ちを付けなければどうにもなりません。

2010年11月10日水曜日

出張着付の思い出


各家庭に出向いて着付けを始めたのは30年も前の事ですから私は出張着付けのパイオニアだと自負しています。
 当時着付けは美容院でしてもらうものという概念がありましたので、なかなか私たちは受け入れてもらえませんでした。
 私は芸能界で衣裳担当をしており、舞台や映画の第一線で着付けをしていましたので、美容院の着付けというものはプロフェッショナルとしてはもう一つだなと思っていました。
 美容業界は着付けに自信をお持ちの先生が、勉強会を主催して美容界の人達を教えておられる先生方もおられます。私はそういう美容界の先生方に時代衣裳の着付けを教えに行ったことがあります。

 私がきもの学院を始めたきっかけは、各きもの学院の先生方を教えていたことが発端になっていますので、きもの学院の先生方の技能もよくわかっています。
 技能面においては美容業界の先生方と、きもの学院の先生方とはそんなに差異はありません。
 私から見ればの着付けのプロフェッショナルとしては決してグッドとは言えないレベルですが、そんなことは一般の人は分かりませんので、社会通念を打ち破って美容業界に打ち勝つことは至難のことでした。

 何の取り柄もないけれど着付だけは絶対の自信を持っていましたが、それを広く知っていただかなければ前進しません。そこで私の技量を知っていただくことが先決ですから、美容院が留袖の着付が5000~6000円という時代に2000円から始めました。
 お陰様で口コミで広がって行き10月~5月いっぱいくらいまでは仏滅の日祭日以外は正月も関係なく仕事が入ってくるようになりました。学院の講義の方は夏も関係なくありましたが、日祭日に休めるのは6月の中旬から9月の中旬くらいまでという状態でした。
ですからどこかに旅行に行くときは何時も夏でした。
旅行専門家は旅行で一番つまらないのは夏だと言います。景色に趣が少ないからだそうです。それでもそれ以外は行けないのですから仕方ありませんでした。
今は後継者に全てを譲ってしまって、新しく私個人で細々と始めていますが、忙しかった時のことを時々思い出します。

2010年11月9日火曜日

女性の品


思わず見とれてしまうホワイトクリスマス
ウエディングドレスを着た花嫁のように清楚で気品のある美しいバラです。

 昔鎌倉幕府を討伐した新田義貞に褒美として後醍醐天皇から天皇が寵愛していた勺当内侍(こうとうのないし)という女官を賜ります。
 天皇に仕える女官は無骨な武士にとっては深窓の花です。
いくら義貞が恋をしても手に届くひとではありません。
 義貞が勺当内侍に思いをはせているという噂を聞いた後醍醐天皇は、鎌倉幕府を討伐した義貞に与える土地がないので自分が寵愛していれる女官を褒美に与えます。
義貞としては土地を頂くよりも喜んだといわれています。
それほどまでに女官に思いをはせた要因は、教養に満ち溢れた気品のある様ではなかったでしょうか。
女性の気品というものは魅力を増幅させることは確かです。

 男というものはみなスケベーで気品に満ち溢れたあの美しいい女性が自分に抱かれたときに腕の中でどう喘ぐのか。それを想像したときにたまらなく興奮する動物です。この世には男と女しかいなくて、互いに惹かれあっているのですから女性は魅力につながる品格を大切にすべきだと思います。

2010年11月8日月曜日

プロデューサーもっと考えろ


     秋バラ

 私達の年頃になりますとバラエティー番組は面白くないです。
面白さを追求して作るのであれば落語や漫才をじっくりと見せてくれる番組がいいですね。クイズ番組も面白くない。
そういうものよりもシリアスな大人向けのドラマが見たいのですが、そういうドラマは少ないですね。
 しっくりとしたシリアスなドラマが少ないから、韓国ドラマはそういうのが多いから韓国ドラマに走ってしまうのではないでしょうか。
 もっとシリアスなドラマを見たいのですが、それがないために仕方がないからサスペンスを見てしまいます。
 サスペンスの中には家族間や人間関係を追及した、考えさせられる作品も中にはありますが、それは稀で後は筋書きを楽しむという程度の内容に終始しています。
 裏切ったり罵ったり騙されたりの結果殺してしまった。犯人は誰か、何故殺したのかその筋書だけを楽しみに見るのですが、サスペンスの犯人は役者で決まっていて、最初から犯人はこの役者だなぁーということが分かってしまっているのです。
 殺人を犯す役は準主役ですから、主役を食ってしまわない程度に知名度の高い人を使わなければいけないのでしょうが、犯人役という役者がいて、その役者が出演していれば、話の途中では全く蚊帳の外という描き方をしていながら、最後はやはりその役者が犯人であるという結末で終わります。
 自分も芸能界にいましたので少しは分かりますが、新劇の役者なんかで名は売れていないが芝居をさせたらうまいという人はいくらでもいます。
 視聴率を稼ぐためには準主役の有名な犯人役が必要なのかもしれませんが、もっと他の役者を犯人役にして準主役の人が必要なら大切な絡みで出演させて、犯人役は全く知らない見たこともないという役者を使って、見ている私達をあっと言わせるプロディースが出来ないのでしょうか。あまりにもプロデューサーの能のないのに呆れてしまいます。
同じパターンの話しで同じ役者で同じ犯人役者が犯人。
始まったら直ぐに犯人が分かるような作品は面白くないです。

2010年11月7日日曜日

男の料理 茄子の豚炒め


 茄子が安くておいしい季節です。
私は茄子を豚と炒めてよく頂きます。
茄子は少し大きめに乱切りにします。
先ず豚を炒めます。この時にニンニクを入れます。
私は出汁3・みりん1・濃口醤油1の割合のだし汁を常備しています。甘いのが好きな人は砂糖を入れればいいと思います。これはそうめんのだし汁ですが、何にでも使えて便利ですから作って置かれるといいと思います。
豚を炒めたら取り出して次に茄子を炒めます。少し多い目のサラダ油でしなっとするまで炒めます。
茄子がしなっとしたら豚を入れます、そしてだし汁を入れて一度沸騰させてからませる程度に煮ます。
最後にゴマ油と一味かラー油をいれて少しからみを付けて出来上がりです。
一味よりも辣油がいいですね。
写真はエビがありましたのでエビも入れちゃいました。

2010年11月6日土曜日

コスモス


武庫川に広大なコスモスが植えられています。
今が満開です。こんなに広大なコスモス畑を見るのは初めてで
興奮いたしました。
みずみずしく華やかで可憐で秋のさわやかな風に優しく妖艶に揺れ動いて微笑んでいます。
550万本あるそうです。一年草ですから毎年9月に種まきをしているそうです。尼崎の皆さんありがとう。多くのボランチィアの方々の力のたまものです。
武庫川に架けられている橋は明治の30年にできたそうで、それまでは江戸時代と同じに渡し場があったそうで、西国道に通じる武庫川に髭の渡し場というのがあったそうです。今でも髭の会というのがあってそこの方々が協力して憩いの場を作ってくれているそうです。
平成の15年にできたそうですが私は知りませんでした。
来週まではきれいな状態が保てると思いますので知らない人は一度行ってください。

2010年11月5日金曜日

私の着付けた素敵な人達


おめでとうございます。今日はお宮参りです。
おばあちゃんもおいでになって出掛けられます。
おばあちゃんといっても随分と垢抜けされた方で、宝塚の女優さんのようでした。
お母さんは背の高い方で169cmあるとのことですが、足の長い腰骨の位置が高い西洋人のような体型の方でした。
お子様の末永いご健康をお祈りいたします。

 ところで私の写真の撮り方は下手ですね。
おばあたやんは背の高い素敵な方なのですが下半身が短く映っています。
カメラ位置が高いのでしょうか。

2010年11月4日木曜日

納豆リンゴ


納豆にリンゴを細かく皮ごと切って、そして梅干を包丁で細かく砕いて入れます。
リンゴのまろやかさがでて、リンゴだけでは甘すぎますので梅干を刻んで入れます。
 出汁少々と洋からしを入れるのは普通どおりです。
そのままご飯に乗せて食べてもいいし、丼のようにして食べてもおいしいです。
納豆は私は小粒の方が好きですが、個々の好みでいいと思います。
きざみ海苔をきらせていましたので乗せていませんが、きざみ海苔を入れると風味が増します。

2010年11月3日水曜日

無縁社会


          秋バラ 大阪西区靭公園にて

 10月30日に放送されたNHK日本のこれからの「無縁社会」を考えるというトーク番組をご覧になられた方も多いのではないかと思います。
 孤独死をされた人が今年に入って470人で無縁仏になられる方が毎年3万人以上いるという事でした。
 私も今年で68歳になりますが二人いる娘とのつながりが途絶えています。
幸い私は縁があって結婚をしましたが、もし妻と知り会わなければ他人ごとではなくなっていたわけです。愛しい娘達との交流がないことはさびしいです。辛いですね。何故そういうことになってしまうのでしょうかね。
 一つは経済問題ですね。仕事が順調でお金にも不自由をしない時は、独りでいても縁を作りやすいのですが、蓄えは乏しい上に収入は無いとなると、どうしても外に出向くことが少なくなって人との触れ合いがなくなる。また自身で自信喪失に陥って人との交わりが嫌になってきたりします。
 経済的に困窮してくると、子供たちの立場からすれば親と関わらなくても生活に何の支障もないし、経済面においても煩わしさがなくなるので、親との交わりを断ってしまう子供たちも増えてきています。
 血縁というものに何の価値観も感じないで、血縁を断ち切ることが出来る人が増えているのです。そうでなければ孤独死や無縁仏が増えるはずがありません。自分の親であってもお骨を届けられるのは迷惑で、受け取りを拒否する人が少なくないというのです。

 今のままでは益々この傾向は増幅して行くとおもいます。
昔はよかった家族の絆がもっと強く思い遣りもあったという人もいますが、それは社会全体の概念が親を大切にしなければいけない。親不孝なものは世間の笑いものになるという社会通念が蔓延していたから、そうすることが当たり前で、そうしなければ自分が恥をかくという社会通念が生きていたからです。
 今は一番にお金で、お金さえあれば幸せになれるという概念が定着し、自己主張が強くなって愛情の大切さにたいする概念が薄れて来ているのです。一番大切なのは愛なのですが一番大切なのは愛であるという事を誰にも教えられずに、子供たちは大人のお金にまつわる醜い闘争ばかりを見て育って来ているからです。
 こういう寂しく辛い状況を解除するにはもう一度親孝行をしない人は恥ずかしくて世間にまともに顔向けができないという修身教育を復活する以外にないのではないでしょうか。
愛なしにシステムが作動しないし、システムだけを、即ち介護システムをいくら整備したとしても、こういう状況を救えることはありません。

2010年11月2日火曜日

貴方は頑張れるか


          どんな人にも夜明けはやってくる

 毎日が「面白くないなぁー」、「もっと充実した日々を過ごしたいなぁー」と思っている人は多いでしょう。
 そんなに鬱とした日々を送っていても、それではどうすれば楽しく活き活きとした日々を過ごせるようになるのか、それが分からないという人が少なくないと思います。
 今の年配層の人たちはお金を持っていますので、旅行に行ったり、友達と観劇や散策に行って美味しいものを食べて、そういうことで楽しんでいる人も少なくありません。お金があらばそういう楽しみというか紛らわせはできますが、若い人たちはそんなゆとりもありませんので、お金で紛らわせるということはできません。
 お金で紛らわせることの出来ない人が、「もっとお金が」あればと考えてもお金は絶対に入ってきません。お金は高いところにしか流れないのです。
 
 鬱としている人は男女愛にも恵まれていない人でしょう。たとえ男女愛に恵まれていたとしても、一緒にいて心がときめくという状態は生涯続きません。愛もまた無常で男女愛で生涯を楽しく幸せにということは、稀に例外はあるでしょうが無理です。
 恋愛をして燃える時は無茶苦茶に燃えたらいいと思いますが、そういう状態は生涯続かないという現実を確りと把握しておくことです。
 人間はそんなに強くありませんので、人に縋って甘えたり、愛する時は夢中に愛さなければいけませんが、それは一時的なものと分かっていれば、それはそれで大切にしながらも、生涯を通して生き甲斐となるものを持たなければという自覚につながります。
 普通に生きていればお金は現状以上にどうにもならない。愛も無常で生涯を通しての生き甲斐になりません。
このことはわかりますか。このことが実感として理解できない人は、この先の思考につながらないのです。

 それでは生き甲斐につながるものは何かと言いますと教養です。お稽古事もその教養の一つです。
 最初は自分のきものが着れたらそれでよいと思ってお稽古に来た人が、お稽古が面白くなってそのまま着付けの先生になって活躍して、お金も自分で男並みに稼いで活き活きと生きているという女性を私は何人か育てました。
 閉塞した状態から脱するには人から注目されるような教養を先ず身に付ける。そして勇気をもって一歩踏み出せば、そこから新しい世界が開けて充実した人生につながるといことがあります。技芸を磨くという事はそういう可能性につながりますので、折角自分でやろうと決めて始めたものはどんなものでも頑張り通してほしいのです。
 今の人は頑張るのが嫌いという人が多いのですが、頑張らなければ絶対に新しい道は開けません。それでも頑張りたくない人は生涯くすぶりで過ごせばいいのです。それもまた自由ですから。

2010年11月1日月曜日

頑張ることは大切



着付けが出来るようになりたいと希望してお稽古に来られても出来るようになってやめる人はごく少数だと言いました。
「君らは家に帰れば恐らく子供を捕まえて勉強をしなさい、頑張りなさい」と言っていると思います。そんな大人が着付けぐらい出来なくてどうするのですか。
 着付けなんかその気になってチョット頑張れば、直ぐに出来るようになるから等と様々に叱咤激励をしました。
 着付けの場合は学院と言ってもサービス業です。お茶もお花も踊りも全てサービス業で2月には確定申告をしなければいけません。営利目的のサービス業ですが学院、教室と名が付けば販売を目的とする商売よりも、責任感と使命感を持って頑張らなければいけません。
 着付なんか出来なくても、着物が無くても生活していく上で何の支障もないことは、生徒よりも私たちの方がよくわかっています。分かっていますがそういう問題ではないのです。
 自分でやろうと思って始めたことはやり通す意欲を持たなければ、そういうことは何にでも共通して自分の人生を無駄にしてしまうからです。

 人生とは時間です。生まれつき天才というのはごく少数で、あとは自分に与えられた時間を如何に有効に使うかという事で自分の人生の中身が決まります。
 それが分かれば着付けでも何でも自分でやろうと決めたら頑張らなければいけないのです。だけど頑張れない人の方が現実には多いのです。それが現実ですから私達は頑張らすための戦いを繰り返します。大抵はその戦いは敗北で終わるのですが、敗北しても諦めたてしまうのであれば、人から先生と呼ばれている立場を退かなければいけません。そんな情熱のない人は先生になってはいけないのです。
 そういう風に真剣に考えて取り組んでいるのですが、かたや6か月無料という学院もあります。そこは呉服を売るのです。強制ではないのですが京都の呉服屋に勉強と称して連れていかれて、逃げ出せない雰囲気のもとで勧められるのです。6か月も親切に教えて戴けば普通の人なら逃げられないでしょう。そういうシステムでテレビコマーシャルをしています。大きな利益を上げているという事です。
そこの学院に行っていた人が私の学院に来て、その話が出た時に「私は買わないで逃げ通しました」と自慢げに言うのです。
私は思わず「偉いね」というよりも「そんな人情のない人とは付き合いたくない」と言ってしまいました。
 きもの学院は月謝だけでは成り立ちません。販売をすることは致し方のない行為ですが、月謝を無料にして人を集め、勉強見学会などと称して全員を連れて行って選択の幅を狭めて販売するやり方は如何なものかと私は思っています。
 それでもテレビコマーシャルが打てるくらいに繁栄しているという事は、私には理解できない大きな魅力があるのかもしれません。