2010年6月22日火曜日

眼力を養う



 私にも好みのタイプがあります。しかしこの年で付き合う人を求めることになりますと大幅に妥協をしなければいけないでしょう。
こんな言い方をすれば妻には大幅に妥協したのかと言われそうですが、そんなことはありません。妻の名誉のために言い訳をしておきます。
 妥協は必要と思っているから写真を交換して、相手の容姿を確認をしてから逢うというのは相手に失礼な気がして、私はそれは求める事はしなかったのですが、妻は自分から写真を送ってきました。
 携帯で顔だけのアップの写真ですから全体像がわかりません。
待ち合わせをして待っている間中随分とドキドキしました。
 階段を下りてくる人を見ますと、あんな肥えた人だったらどうしょう。肥えてお腹の出ている人だったら上手に断ろうなどと様々に考えました。
 階段を笑いながらこちらを見て降りて来る人がいます。YouTubeで私が歌っているのがありますのでそれをみて私を知っていたのです。
ああ彼女だと直ぐに分かり、同時に俺の好みの範疇の人だと安堵しました。
 映画に行きました。タイプの人だったので映画を見ている最中にそっと手を握りました。
そうすると彼女は両方の手で挟み込むようにして握り返してくれました。
その握り返してくれた手の何とも言えない温かさと優しさと思い遣りのある感触を感じて俺はこの人にすると決めました。
 彼女も私に好感を持ってくれたようでトントン拍子に進展をして結婚という話が出てきました。
 結婚ということになると彼女は持ち家がありますので住まいをどうするか。また子供が四人いますので子供にも了解を得なければいけない。難問題が山積していましたが、彼女は子供たちを説得し、家も直ぐに売りに出して空家にしてサッサと私の家にきました。
 妻の長女に「お母さんの何処がいいのですか」と聞かれました。私がどんな人かを見定めたかったのでしょう。
 私はくみちゃん(妻)が一緒に暮らしたいと思える人だったからと答えました。フィーリングが合ったのです。
彼女のことを何も知りません。彼女も私のことは何も知りません。だけど気が合ったそれで充分だと答えました。
 人にはお互いに良いところもあるが、それ以上に醜い部分を持っているのが人間です。そんなことは承知の上だから醜い部分が覗いてもそれが人格を損なうほどのものでなければ歳だから見過ごす事はできる。
 お互いに長年淋しい思いをして暮らしてきたのだから、そうして協力して生活をして行こうと話し合っているから安心してくれと説明をしました。
 彼女の事は全く分からないし彼女も俺の事は何も知らない。それでも悪でないことが分かり、気が合えばそれで十分ではないでしようか。
 これから色々と出てくるかも知れませんが、良いところは讃え、悪いところは目を瞑る。それが出来なければ今更結婚なんかできません。
それができれば「この人なら」とフィーリングが合えば飛び込んでいけばいいのです。

 時間が問題ではなく相手を見定める目ですね。悪は必ず悪を形で表しますのでそれを見定める目があればそれで十分です。
子育ての為に長い間淋しい思いをして来ている人が沢山います。その寂しさを紛らわせることを優先させて付き合えば、必ず失敗に終わったり騙されたりしますので要注意です。

さぁー今日から妻の子供達が新婚旅行のプレゼントをしてくれたので2泊3日で沖縄に行って来ます。
ブログは25日からですのでよろしく。

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