2010年6月30日水曜日
木綿に付いて
木綿の原産地はインドで紀元前2500年頃から栽培され棉織物が織られていたと文献にあります。
シルクロードを通って運ばれたインド木綿の軽やかさに古代ローマの人達はすっかり魅了され「織られた空気」「流れる水」「夕べの雪」などと呼称して珍重したそうです。
日本で木綿が織られるようになるのは天文・弘治(てんぶん・こうじ1532~1577年)の頃で桃山時代の末期には河内・丹波を中心に山城・摂津・和泉・播磨などで盛んに織られました。
しかし一般庶民の人達が衣料として用いるようになるのは江戸時代の中期以降です。
それまでは麻が主流でしたが、江戸時代の後期になりますと麻に代わって木綿が広く用いられるようになります。それまでの麻は木綿よりも高級な夏の衣料として用いられるようになるというように、麻の用途範囲も変遷をしていきます。
木綿が安価な衣料として一般に広がるのは江戸中期以降ですから、それまでの夜具はどうしていたのでしょうか。
上級階級には古くから掻巻という真綿の入った夜具がありましたが、一般庶民は布団なんかなかったわけですからどうしていたのでしょうか。
京都の藁ぶき屋根の集落に見学に行きますと農家の寝室が残されています。
寝室は低く作られていて周りは5寸くらいの囲いが出来たように高く作られています。
寝る時はそこにご座やむしろを引いて藁をいっぱいに引き占めて、その藁にもぐって寝たので藁が外に出にくくするためにそういう作りにしてるという事です。
農家の人達だけでなく貧しい町家の人達も同じようにござやむしろで寝たのではないでしょうか。 そういう状態での生活ですし、食料事情も栄養価の高いものが食せなかったので、すぐに風邪を引き、風邪を引けば肺炎を併発して亡くなる人が多<かったのです。
それが木綿が普及したことによって、死亡率がうんと減ったと言われています。
2010年6月29日火曜日
人生という空間
人生とは生まれてから死ぬまでの有限の時間・空間を言います。
私は若い時はこういうことすらも認識出来ていなかったのです。
宿命的なものがあって空間の長さは長短まちまちですが、空間の中身は喜怒哀楽によって存在しているという点において人間社会は全て同じです。
人間は喜怒哀楽によって生きている動物です。
喜怒哀楽によって生きているという事は意識次第という事です。意識次第という事は仏教の教えのように色(しき)に拘ることなく静安に生きて行く事は可能なのです。
晩年の庵に住まう良寛和尚のように飯を頂く器はかけていて汚いものであっても、それ一つあればそれで十分とい生活でも静安に生きて行く事はできます。私達は終極のところ幸不幸は心の持ち方次第であるという真理だけは知っておくべきです。
乞食と西条法師や良寛の違いは色の世界では区別できないが、大きな違いは欲を持っているか否かの違いだといわれています。
我々凡人はどうしても色にこだわり、色によって喜楽を増幅させたいと念じるしか生きられない動物です。
因みに色とは世の中の目にし手に触れることのできる全ての物のことです。
我々凡人は色にこだわり、色によって喜楽を増幅させたいと念じる動物ですから、そこから逃れられないからこそ、余計に人生という空間を意識しておかなければいけないでしょう。
世の中は平等であると言われていますが、それは法の本に平等に生きる権利を与えられているというだけで、決して平等な立場で生まれ、生きているわけではありません。
私の様に貧しい家庭で生まれ育ち、中学しか行けなかった人もいますし、もっと悲惨な家庭で育った人もいます。 それに反して生まれながらにして社長を約束された人もいます。
世の中は決して平等ではありませんが一つだけ全く平等なものがあります。それは時間です。
時間だけは分け隔てなく平等に与えられていますので、その時間を如何に自身の為に有効に使うかということで人生の中身が左右されます。
神様は人生という空間を本当によく設定してくれています。貧しい家に生まれ、それほど成功も出来なかった。それでは幸せになれないかと言いますと、そんなことはありません。
時間を大切に思い、有効に使った人は、たとえ財力や地位や名誉は他者を越えられなかったとしても、人生を振り返った時に十分に自分をほめてやりたい人生だったと、逝く時には満足のいく人生にしてくれます。
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2010年6月28日月曜日
袖の形の変遷
着物のことを昔は小袖と言っていました。
これは公家の着装する衣の大袖に対して上図の左上のように小さい搾袖(つつそで=筒袖)だったのでそのような名称がつけられました。
小袖は上流階級では当初は内衣として用いられていたのですが、衣服の簡略化が進むにつれて次第に表に現れる部分が多くなり、白色だったものに色や絵模様がほどこされるようになります。
そして安土・桃山時代には小袖中心の時代にとなります。
小袖中心の時代というのは、公服は公家社会、武家は武家社会の中で確立された服制というものが存在するのですが、安土・桃山時代になると貴賤・男女を問わず小袖を着て過ごすようになるということです。
小袖が表衣化しますと身幅、身丈も変化をして行くのですが、特に大きく変化をするのは袖です。
安土・桃山時代になりますと上図右のように筒袖から少し袂(たもと)が膨らんで薙刀(なぎなた)袖になります。
元禄時代になりますと更に袂が大きくなって、下図左のように元禄袖と言われるようになります。そして宝歴(1704~1711年)年間になりますと現在の角袖と言われる形になります。
角袖は四文銭で丸みを付けましたので銭丸(ぜにまる)袖とも言います。
上図の小袖を見て頂きますと、袖付けが下まで付けられたものと、現在の女性のきものと同じで振りが付けられたものとが見られます。
袖は振りの無いものが本来のお袖の形ですが、袖丈が長くなり、帯幅が広くなったことで上図右下のように明和年間になると振りが付けられることが一般化します。
但し、武家の女房は庶民の真似をしないで留袖(振りの無いお袖のこと)で通しました。昔は結婚をすれば留袖仕立てにするのが習わしでしたから、留袖はミセスを表す言葉として使われています。
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2010年6月27日日曜日
沖縄の名も知らぬ花達
妻は花が大好きですから沖縄に行ったときに撮りました。
名前の分からない花が多いのですが珍しいのでアップしてみました。
沖縄市に亜熱帯植物園というのがあります。
前回にヤシの木に昇って記念撮影をしたところです。
以前にテレビで鯉のえさやりの時に物凄い数の鯉が群がってえさの奪い合いをすることで話題となり放映をされた事のあるところです。
鯉にえさをやっている時です。ゴーという物凄い音の響きがおこり、次第に近付いてくるのです。「何やこの響きは」と一瞬身構えましたが、普天間から飛んできた戦闘機でした。
物凄い爆音でびっくりしました。普天間ではもっと近くでこの音が頻繁に発せられるのですから「これはたまらんやろうな」と同情すると共に基地問題について考えました。
今現在は歴史上の線上にありこの現実は、我が国が完全自立する以外に解決の方法はないだろうと感じました。
完全自立をして基地の分散を試みても、世界情勢からすれば戦略上沖縄から基地をなくすることはできないのではないかとも考えました。
沖縄から基地を失くすことはむりでしょう。ならばどうするかという観点から思考することが大切ではないでしょうか。
人間には自分ではどうする事も出来ない宿命があります。
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2010年6月26日土曜日
2010年6月25日金曜日
沖縄の木炭そば
子供達のプレゼントで沖縄に2泊3日の新婚旅行に行ってきました。
妻は新婚旅行が初めてですので感激していましたが、私が行く前から風邪を引きまして苦労をかけてしまった事が残念でした。
二日目に沖縄は沖縄そばが有名ですから一度は食べておかなければねと、昼食にたべました。
「かりー亭」という店に入りました。
そばを注文しますと「じゅーしー」というご飯をサービスで食べて下さいと持ってきてくれました。
「じゅーしー」と言うのは豚の皮と脂肪の部分を細かく切って昆布と人参を細かく切って入れてある炊きこみご飯でした。あっさりして美味しかったです。
そばですが木炭のうわずみを練り込んで手打ちで打った物で一日に20食の限定品でした。
写真でも分かるようにそばとは言えどもきしめんぐらいあり。厚みはうどんぐらいありますので、我々関西人から見ればうどんですが、何故沖縄ではそばと言うのか聞くのを忘れてしまいました。
だしは少し濃い味付けで、豚の骨付きリブを柔らかく炊きこんで上にのせてあり、ねぎと紅生姜がトッピングされてありました。
何故にそばというのか分からないまま両方とも美味しくて「かりー亭」を選んだことを幸運に思いました。
オーナーの安護明子さんありがとうございました。
因みに「かりー」とは我々が乾杯をするときに「乾杯」というのと同じように沖縄では使うそうです。
「かりー亭」TEL0980-47-5657です
オーナーは写真の真ん中の人です。もし沖縄に行かれたら行ってあげて下さい。
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2010年6月22日火曜日
眼力を養う
私にも好みのタイプがあります。しかしこの年で付き合う人を求めることになりますと大幅に妥協をしなければいけないでしょう。
こんな言い方をすれば妻には大幅に妥協したのかと言われそうですが、そんなことはありません。妻の名誉のために言い訳をしておきます。
妥協は必要と思っているから写真を交換して、相手の容姿を確認をしてから逢うというのは相手に失礼な気がして、私はそれは求める事はしなかったのですが、妻は自分から写真を送ってきました。
携帯で顔だけのアップの写真ですから全体像がわかりません。
待ち合わせをして待っている間中随分とドキドキしました。
階段を下りてくる人を見ますと、あんな肥えた人だったらどうしょう。肥えてお腹の出ている人だったら上手に断ろうなどと様々に考えました。
階段を笑いながらこちらを見て降りて来る人がいます。YouTubeで私が歌っているのがありますのでそれをみて私を知っていたのです。
ああ彼女だと直ぐに分かり、同時に俺の好みの範疇の人だと安堵しました。
映画に行きました。タイプの人だったので映画を見ている最中にそっと手を握りました。
そうすると彼女は両方の手で挟み込むようにして握り返してくれました。
その握り返してくれた手の何とも言えない温かさと優しさと思い遣りのある感触を感じて俺はこの人にすると決めました。
彼女も私に好感を持ってくれたようでトントン拍子に進展をして結婚という話が出てきました。
結婚ということになると彼女は持ち家がありますので住まいをどうするか。また子供が四人いますので子供にも了解を得なければいけない。難問題が山積していましたが、彼女は子供たちを説得し、家も直ぐに売りに出して空家にしてサッサと私の家にきました。
妻の長女に「お母さんの何処がいいのですか」と聞かれました。私がどんな人かを見定めたかったのでしょう。
私はくみちゃん(妻)が一緒に暮らしたいと思える人だったからと答えました。フィーリングが合ったのです。
彼女のことを何も知りません。彼女も私のことは何も知りません。だけど気が合ったそれで充分だと答えました。
人にはお互いに良いところもあるが、それ以上に醜い部分を持っているのが人間です。そんなことは承知の上だから醜い部分が覗いてもそれが人格を損なうほどのものでなければ歳だから見過ごす事はできる。
お互いに長年淋しい思いをして暮らしてきたのだから、そうして協力して生活をして行こうと話し合っているから安心してくれと説明をしました。
彼女の事は全く分からないし彼女も俺の事は何も知らない。それでも悪でないことが分かり、気が合えばそれで十分ではないでしようか。
これから色々と出てくるかも知れませんが、良いところは讃え、悪いところは目を瞑る。それが出来なければ今更結婚なんかできません。
それができれば「この人なら」とフィーリングが合えば飛び込んでいけばいいのです。
時間が問題ではなく相手を見定める目ですね。悪は必ず悪を形で表しますのでそれを見定める目があればそれで十分です。
子育ての為に長い間淋しい思いをして来ている人が沢山います。その寂しさを紛らわせることを優先させて付き合えば、必ず失敗に終わったり騙されたりしますので要注意です。
さぁー今日から妻の子供達が新婚旅行のプレゼントをしてくれたので2泊3日で沖縄に行って来ます。
ブログは25日からですのでよろしく。
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2010年6月21日月曜日
出会い系に思う
私達夫婦が最初にデイトをしたのは昨年の8月30日です。
入籍は今年の4月1日です。式は二人で神社にお参りに行きました。
花嫁衣裳の写真を撮りに行ったのは4月14日で披露宴は6月2日です。
6月2日は妻の誕生日ですからより思いで深い日にということでその日にしました。
出逢ってから8カ月のスピード結婚です。
私達はヤフーパートナーの出会い系で知り合いました。
出会い系に入会しますと直ぐにお付き合い出来るように思っている人がいるかもしれませんがとんでもありません。
新聞紙上を賑わしている悪評高い出会い系です。確かに悪事を企んでいる人間には絶好の場です。
そういう事は会員の人達もよく分かっているので女性の皆さんは特に用心深く、なかなか交信に辿り着きません。
やっと交信できるようになっても用心されていますので容易に前進しません。
何という名かもわかりません。何処に住んでいるかもわかりません。そんな状態で交信をするのですからじれったいものです。
会話も弾みませんから自分の事ばかりを話します。私は男ですから直ぐに名前と住所を教えるのですが相手は用心していますのでなかなか教えてくれません。
名前を明かして何処に住んでいるかを教えてくれれば少しは心を開いてきたと考えていいのではないでしょうか。
私は別にメル友が欲しくて出会い系に入ったわけではありません。付き合ってくれる人を求めて入会したのですから直ぐにでも会いたいのですが「そんなに急がなくて、もっと十分に知り合ってからでもいいのではないですか」と逢うことを拒まれました。
男と女の出会いにおいて最も大切なのはフィーリングです。逢って「この人は自分のタイプだなぁー」とお互いが感じ合わなければ一歩も前進しません。そのためには逢わなければその判別が付きません。いくらメールのやり取りをしても本当に知り合うことはできません。
怖がらずに逢えばいいのです。始めて逢って襲いかかって行くような無茶な男はいないでしょう。
なぜ逢わないのか不思議です。
お互いに承知の上ですから逢って気に入らなければ出会い系なんですから遠慮なく断ればいいのです。
断れない気の弱い人は最初から出会い系などに入会しなければいいのです。
逢ってお茶でも飲んで語り合ってこそ相手を知る事ができます。知ることが出来ると言いましても全てが分かるわけではありません。フィーリングが合うか否かぐらいですが、男と女はそれで十分です。そんな単純な事では済まないという人が多いと思いますが、私はそれで十分と思っています。その訳は長くなるから次に話します。
メル友探しではなく出会い系なのですから積極的に逢えばいいと思います。逢う気が無ければ最初から入会しないで頂きたい。これは男性側の一人として女性に申し上げたいです。
一つだけはっきりとしていることがあります。
逢ってその時の御茶代を割り勘にする男は、自分を大切に思っていない証ですから、そんな男とは次の約束はしないようにすることですね。
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2010年6月20日日曜日
ちりめん山椒
じゃまくさいよ。細かい枝というのですか、それをとって山椒の実だけにするのは。
でも安く美味しいく頂く為ですから山椒が出回りますと必ず買います。
山椒の実だけを取り出せばもう出来たのと同じです。
後は簡単です。
山椒をお醤油とみりん、酒と少々のお砂糖を入れて煮ます。水分を飛ばすまで煮れば冷まして瓶に入れておけばずいぶんと日持ちはします。
ちりめんの魚の臭みを飛ばすためにとろ火で少しいります。
酒1、醤油1、みりん1と少々の砂糖を入れ、山椒を大サジに山盛りの量を入れてちりめんを煮ます。
弱火で水分が無くなるまで煮ます。
それで出来あがりです。
ちりめん山椒は買えば物凄く高いのですが、家で作れば安く沢山頂けます。
私は少し甘くしたいのですが、砂糖を入れすぎるとちりめんが凝結してしまってはなれなくなりますので、みりんを多く入れるようにしています。
山椒の辛味とほのかな甘さが欲しいのですが、甘くする方法はないでしょうか。砂糖以外で甘くする何かよい方法がありましたら教えてください。
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2010年6月19日土曜日
2010年6月18日金曜日
2010年6月17日木曜日
儲けという字
儲けるという字は「信」と「者」とが一つになって出来ていると言われています。
「信」は「信頼」の信、「信用」の信ですね。「者」は人です。
健康で真面目に働いていれば人並みに食べて行ける位のものは稼げます。
但し人並み以上に稼ごうと思いますと真面目だけではどうにもなりません。
何をやっても真面目だけでなんとかなるのでしたら苦労はしません。真面目は絶対条件ですが真面目にプラスして人から注目を受ける何か優れたものを身に付けなければいけません。
それをもって人の役に立つ働きをして、始めて多くの人達に信頼されて自分の周りに人が集って来るようになります。
人並み以上に儲けるには、そういう形で多くの人が自分を信頼して集まってくれるようにならなければ、儲けることは出来ないということを文字は意味しています。
多くの人に信頼をされるようになるには、人の為に社会の為に人並み以上に貢献できる人にならなければいけません。
人は最初から社会の為に貢献しなければいけないというような、立派な考えを持っている人はいません。
先ずは自分の立場を確立させたいと考えて必死で頑張ります。
必死で頑張って頑張り続けて立場が少しでも良くなってくると少し振り返るゆとりが生じます。
その時にここまでやってこれたのは、多くの人が支えてくれたからだということを実感します。それが分かりますと更に頑張らなければという思いが湧出してきます。そういう気持ちになれば頑張ることが苦痛ではなくなり逆に快感になってきます。
そして更に頑張れば自分の立場が良くなってお金も伴ってきます。
お金も大切ですが精神的に大きく成長して、充実した人生を送れるようになるという事の方が重要です。
頑張ることが出来ない人、頑張ることが嫌いな人はそういう楽しみは得られなくて、喜楽の根源はお金と愛だけという人生に終わってしまいます。
お金は高い所に流れて行きますので頑張れない人は経済的にも一般的で終わってしまいます。どういう人生を選択するかは各自の自由ですがこの人生の図式は不変です。
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2010年6月16日水曜日
お節介
俺はある店で余計なことを言ってしまいました。
俺はそこのマスターとはフィーリングがあって好きだから。そこのマスターは前向きに頑張っているその姿勢も好き。マスターの作る料理は美味しいし気に入っている。
俺は現役を退いて経済的には力がないのでしょっちゅうは行けないので、応援する力も無いが店が発展すればよいと心底から思っている。そういう伏線があるから言ってしまったのです。
何を言ったのか。
私も事業をやっていて経験があるから分かるのですが、人は親切心で色々とアドバイスをしてくれます。でもお金云々という実情があるから言われることは分かっていても悔しいけどやれないということもあります。
だからお金の掛かることは言いませんが、努力で何とか出来ることはすべきであるというのが私の信条です。
それは頑張っているマスターも分かるだろうと思うから「もっと店を綺麗に整理整頓しろ」と言ったのです。
この店はマスターの人脈と心意気で持っている店ですから、その状態でもマスターの顔で御客が来ている事は分っています。
でももっと繁盛するには口コミの一見さんが来てくれて、その客がまた客を連れて来てくれるという形にならなければ店は大きく繁盛しません。
そのためにはマスターの気風がいいということ、料理が美味いというだけでは十分ではありません。
一見さんが来て居心地のいい落ち着いた綺麗な店というのも大切なサービスです。
そういうサービスを提供するにはお金を掛けなくても出来る範囲のことは実行する。そういう事を言ってしまったのですが、どう受け取ってくれたか。言わない方がよかったかなぁーと今は少し反省しています。
俺の言った事は絶対に正しい事ですが、正しいからこそ余計に負担に感じて気まずくなるということもあります。正義や誠意を振りかざすことは必ずしも善であるとはかぎませんものね。
マスターもしこのブログを読んで俺の心意気が分かったら、今度行った時は美味しい肉を食べさせてくれ。
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2010年6月15日火曜日
2010年6月13日日曜日
2010年6月11日金曜日
2010年6月10日木曜日
2010年6月9日水曜日
菅新総理に期待
あまり下層に篤いと競争力を欠いてしまうという懸念もありますが、菅新総理が言われたように最小不幸者の社会を構築することを目指す政治が私は正しいと思います。
北欧の様に社会保障が充実している国では経済的に困るということは無いが、生活に目標が無いために自殺者が結構多いと聞いています。
そこまでは面倒看きれないと思うのですが、年老いてからは生活に心配のない最小不幸者の社会を目指して頂きたいです。それが出来てこそ真の豊かな国と言えるのではないでしょうか。
民主党に加担をして政権を取らせて期待をしていたのですが、鳩山内閣は甘い事ばかりを言ってばら撒きの政策だけで終わってしまい心配と不安だけを残してくれました。
甘いことを言って借金まみれの政策だったら誰でも出来ます。
事業仕分けを行いましだが大きな財源は出てこなかった。後は消費税のアップしかないでしょう。
それは分かりますが消費税をアップする前に公約である政治家の削減をやってください。
それも無しに消費税のアップだけは許されません。
このことはブロガー全体でアピールしていこうではありませんか。
ブロガーが結束すれば大きな力になるのではないでしょうか。
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2010年6月8日火曜日
技能
留袖のタイム着付 助手 小坂 寿々子
音楽は「時を止めて」自分で歌っています
以前にも記しましたが腕のいい人は仕事が早く良いものを作り上げます。
熟練した技能というものは自然に体が反応して仕事を進めます。
下手な人ほど次の手順を考えながら進めます。考えながら進める人は良い形にするにはどうすれば良いのかが体に染み込んでいませんので、時間が掛かる割には出来上がりは良くありません。
腕前と時間は比例しますので学院を経営していた時はタイム着付のお稽古を重視していました。
生徒は家で着付けをする場合には3分や5分で着付けをする必要が無いので、タイム着付けの意義が理解できずに抵抗を示し辞めて行った人も少なくありません。
要は最後は人間性ですね。教えられることを素直に受け入れるか、自己判断をして受け入れを拒むかという違いです。
タイム着付けの動画は早く出来る事を自慢にアップしたものではありません。
早くできるようにすることは大切ですよと言いたいからです。技能向上のために早く出来る事の大切さを認識して、私のタイムを負かせてやろうという人が出てくれば面白いなぁーと思います。
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2010年6月7日月曜日
男らしさ
我々の中学生時代には進学組と就職組を比較しますと、一クラス55人中に就職組は確実に30%くらいいました。
それだけ貧しい人が多かったという事です。
就職組は勉強は皆目駄目でしたが、喧嘩をさせれば強いという者が多かったです。
学問と家庭環境の貧富の差は確実に成績に比例します。「衣食足りて礼節を知る」という諺は的をえています。
私も就職組の一人で悪餓鬼でした。そんな環境で育った私ですからやんちゃもし、警察にも補導され家裁にも呼ばれた事はありますが、神戸製鋼に養成工として入社をして、仕事は真面目に行っていましたので、そのことに免じて許して貰ったこともあります。
尼崎の兄ちゃんですから柄はいい筈がありません。
こういう言い方をすれば尼崎の人に怒られますねごめんなさい。
そんな環境で育ちましたので若い時は「男らしさ」といえば、酒が強い、喧嘩も強い、それでいて義理がたい、そういう男が「男らしい」と思った時期もありました。
若い一本気な人間は「青い」と言われますが、全くその通りで青二歳でした。
家庭をもって子供を設けて、責任を感じるようになってから「男らしさ」の観念が全く違ってきました。
意気がっている若者は沢山いますが、そういう人達に申し上げたい。
男らしさというのは、女房や家族に優しく、前向きに仕事をして家族の為、社会の為に少しでも役立つ人になる。それを実践している男が一番男らしい男です。
そういうように言えば反発して子理屈ばかり言う奴が多いのですがそんな奴は餓鬼ですね。
真面目に家族の為に頑張っている人が沢山います。そういう人が男らしい男であることを若い人は知っておいてください。
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2010年6月5日土曜日
充実した人生
結婚式で途絶えていました。ぼちぼち拙い名人節をうなりますのでよろしく。
好きな人と結婚が出来た楽しい幸せだ。旅行に行った良かった楽しかった、最高の気分だ。
そういう快感が永遠に続けばそんな幸せなことはありません。しかしそういう喜楽は刹那的に消え去ってしまいます。
お金と時間を要するものは容易には続きませんので暫くは我慢、辛抱、忍従の生活に陥ります。
そのように楽しく幸せな気分になれても直ぐに消え去ってしまうものと、自分の心がけ次第では永続する喜楽があります。
喜楽には異なる種類のものがあるのですが、一般的には愛とお金で得れる喜楽ばかりを追い求めます。何故ならそれ以外に心をときめかせる喜楽が有ることを知らないからです。以前に生徒から「そんなものがあるのですか」とよく聞かれました。
あるのですが、今は豊かですからそんな七面倒な事を考えなくても、普段の生活に何の支障もありませんので、どう生きようと勝手じゃないかと主張する人の方が多いのが現実です。
人生は各自のもので、他人がとやかく言える筋合いのものではありませ。
それは十分に承知し上での老婆心です。
自分の人生「もうこれで十分」と思っている人はいません。凡人は絶対に欲望を断ち切ることはできません。
草食系と言われる人達にして、もって良くなりたいと希望すれば苦労して競争に勝たなければいけない。それは大変困難な事ですから自分の欲望を抑えているだけではないでしょうか。
人間というものは生きている限り「もっと良くなりたい」と希望し、そしてもがいているのが一般的です。そうであるならば老婆心はお節介ではありますが経験に基づいた説ですから耳を傾けることは大切だと思うのですが如何でしょうか。
極端な例ですが、テレビで神の手を持つ医者というキャッチフレーズで福島先生という人が取り上げられて再三放映されています。
あの先生方は物凄い数の手術をこなし毎日寝る間のないくらいに仕事をされています。
普通の人ならぶっ倒れそうな過密スケジュールの中でも活き活きとして輝いておられます。
なんの娯楽や趣味を持たないけど毎日が物凄く充実しているから、どんなに忙しくても苦痛ではなく逆に楽しいのです。
そこまで行かなくてもそれと同じ気持ちで前向きに頑張っている人は沢山おられます。
そういう生活をするには人の為に役立つ無形の財産を所持し、その財産を散財して活躍することが絶対の条件です。そうして活躍している人は永続性のある喜楽を持っておられる人です。
人には様々な喜楽がありますがどういう喜楽が最も大きなものかの理解がたいせつです。
人は自己主張をしたいのです。あの人は素晴らしい人だと評価されるようになりたいのです。そうなれば遣り甲斐を覚えて活力が湧き活き活きと生活して行くことが出来ます。リフレッシュをするための息抜きは必要ですが、特別に遊びなんかしなくても、没頭出来るものがあれば毎日が楽しく過ごせます。
ブロガーが良い例です。別にお金儲けが出来るわけではないのに、皆さん一生懸命に投稿されています。自己主張しているのです。自分の作品が良い評価を得れれば嬉しいから、各自が特徴を発揮して頑張っています。その事実でお分かりのように人は自分の存在を承認されることが一番うれしいのです。もしそれが可能になれば遊びなんかなくても楽しく生活が出来るようになります。
そのためには永続性のある喜楽を持つことが必須です。永続性のある喜楽は秀でた教養を持つ以外に得ることは出来ません。
こういう理屈は経験のある人が聞けば「そうだそれ以外にない」と同調してくれるのですが、経験のない人は理解が難しいのが人生の難しさであり妙味です。
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2010年6月4日金曜日
2010年6月3日木曜日
披露宴終わりました
会場です甲子園にあります
現役を退いてからのことですから、出席して下さる方がいるのか大変心配していましたが、大勢の方が応援して下さいました。
有り難いことです。この場をお借りして厚くお礼申しあげます。
ウエディングケーキは恥ずかしくてやめました。
彼女の誕生日ですからバースディーケーキにしました。
強く思い出に残るように彼女の誕生日に披露宴をおこないました。
ケーキは皆さんにお出ししたのですが、残されている方もおりまして、持って帰りたかったと言われる人もいました。ホテルでは残されたら持って帰るように小さな箱にいれてくれます。そういう配慮がなかったのが残念です。
お店発展のためにはそういう配慮も忘れないようにされてはどうでしょうか。
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2010年6月1日火曜日
明日はいよいよ披露宴
いよいよ明日は披露宴です。
この年になって友人、知人を煩わせるのは心苦しかったのですが、彼女と話をしていますと、前の時も彼女は式をあげていないという事を聞きました。
女性は幾つ何十になっても一度は花嫁衣裳を身に纏い、きちっとした形を踏んでおきたいのではないかと思いましたので「式を挙げるか」と聞きますと嬉しそうに「うん」と答えましたので挙げることにしました。
私たちの勝手な思惑や事情で明日を迎える運びとなりましたが、大勢の人が応援をしてくださり、お越しいただけることになっています。
本当にありがたいことです。感謝でいっぱいです。
私達は出会い系で知り合いました。出会い系といいますと世間では悪評が蔓延していますが、真面目に付き合いたいという人も沢山おられることをパソコンの仲間の為にフォローしておきたいと思います。
最初に彼女とデイトしたのは昨年の8月30日です。映画にいきました。
最初は顔を見るまではどんな人か大変気をもみました。彼女が笑いながら階段をおりてきました。彼女だなぁーとわかりました。「これは俺のこのみのタイプだ」とおもい安堵しました。
映画を見ている時に勇気を振るって手を握りました。そうすると彼女は両方の手で包み込むように私の手を握ってくれました。
その手の暖かさ、そして優しさと思い遣りのある気持ちが伝わってきました。
その時に俺は彼女に決めたと決意しました。
彼女も好意を持ってくれたようでそれからはトントン拍子に前進して明日につながったわけです。
男女の仲はフィーリングが大切です。よく観察しなければ、十分知らなければと能書きを言う人はなかなか相手はみつからないでしょうね。
この人だと思えば全てを受け入れればいいのです。受け入れるだけのひらめきがなければ、幾ら付き合っても私達の歳になれば結ばれることはないでしょう。
タイフだと思えば突き進んでいけばいいのです。中身なんか分かりませんし、分かっても誰もが醜い部分を持っています。勿論自分にも醜い部分はあるのですから、好きだと思えば後は全てを受け入れる度量が大切です。自分の拙さを棚に上げて要求ばかりしていては結ばれません。
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