2010年5月28日金曜日

楽しみの理解


珍しい色のハリエンジュー

 吉田松陰は人生は春夏秋冬の繰り返しで12歳の子供でも既に経験をしているから何時死んでもいいと言っています。
人生はまさに喜怒哀楽の繰り返しです。
怒哀ばかりの人生もないし喜楽ばかりの人生もありません。巡り巡りの繰り返しですが、人は欲の強い動物ですから出来れば喜楽の多い人生であって欲しいと念じています。
 その喜楽につながるものは無数にありますが、一般的には男女愛や家族愛、また買い物や旅行というお金を出せば簡単に得られる喜楽を求めています。
 そういう喜楽は楽しくないとは言いません。楽しいのですが長続きしません。
 仏教などでは刹那的に消え去ると言っています。
喜楽には刹那的に消え去るものと、本人の心がけ次第では永続する喜楽があります。
 大きな喜楽を得るにはこの事の理解が必要なのですが、永続性のある喜楽は経験がなければ理解できなくて、一般的には愛とお金で得られる喜楽しか知らないというのが現実です。
趣味や娯楽以外に喜楽につながる何があるのか、それが分からないという人が多いのです。
 お金で得られる喜楽はお金が潤沢にあれば喜楽も大きいものになりますが、一般的にはお金はその人の値打ちに比例するものですから潤沢にお金を手に入れようとしますとそれだけ社会的地位の向上に努めなければいけません。
 そのためにはそれ相応の努力と働きが必要になります。それが自分の意のままに進みませんし、想像を絶する大きな努力が必要ですから、自分の身の丈に合った財政の範囲内で得れる喜楽で我慢しています。
 それが一般的ですが、それも苦痛でしんどい疲れる。もっとマイペースで行きたいという人の一部が草食系と言われているのでしょうか。

 人生は各自のもので他者がとやかくいえません。言えませんが人間は欲の強い動物でその欲を無くす事が出来ないのも人間です。
 ならば逃げないで本能の赴くままに喜楽を追求していくのが人間らしい生き方ではないでしょうか。
 追いかけるのが辛くて出来ないというのも草食系なのでしょうか。。
 欲を追い過ぎて、ままにならないことに気を揉んでストレスをためてしまっては病気になってしまいますので、そういう人は仕方がありませんが、元気に欲と追い駈けっこするのが最も人間らしい生き方だと思います。簡単に走る事を諦める人生はつまらないでしょう。
追いかけて成功した時に永続性の喜楽が理解出来、永続性の喜楽が得られます。

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