2010年5月25日火曜日
親と子供
ヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャ)
先日肩が凝ったので少し気分が悪いと言いますと、妻が揉んでやるといって揉んでくれました。
グット摘まんで揉み指で指圧をする。その力は私なんかよりも強く、力が衰えることなく続きます。
あまり長くなると悪いので「もういい」と遮りました。「男以上の力やね」と言いますと、小さい時から高校生ぐらいまでよく父の肩を揉まされたからだと言いました。
今の親なら「お父さん肩を叩くから100円頂戴ね」「よっしゃ」てな様子ですが、彼女の父は厳しくて子供が親の肩を揉むのは当たり前、親父が「もういい」というまで何時間でも揉まされたということです。
いい気持になって寝ているようだからそっと止めようとしますと「阿呆揉まんかい」と怒られたそうです。だから指が鍛えられていて、少々肩を揉んでも指がだるくなるという事はないと言っていました。
田舎ですから山仕事に行きます。親父は何を怒っているのか訳が分からないのに、山の上の方から走って降りて来て飛び蹴りをされたと言っていました。そんなことは始終有ったそうです。
学校から帰ってくると必ず仕事を手伝わされた。夏休みなどは朝から晩まで仕事をさせられていたので学校に行っている方が楽だったと言っていました。
彼女は11歳を頭に4人の子供がいる時に離婚をしていますが、親父に怒られて鍛えられていたから色々と苦しかったけれども、厳しい家庭で育てられて鍛えられていたから頑張りきれたと言っています。
子供の頃は家が嫌で早く学校を卒業して都会に出たいと思っていたと、親のことや田舎の事をよく話をするのですが、その時の話は怒られた話ばかりですが、本当に嬉しそうに懐かしそうに話をします。
ある学校の先生の話ですが、優しい先生と大変厳しい先生がいた。優しかった先生が亡くなった時の葬儀はさびしかった。厳しかった先生の葬儀の時には物凄い参列者の数で、先生の現役時代の武勇伝を参列者間で囁かれていたという話があります。私も今は怒られた先生の想い出しか残っていません。
優しい親も怖かった親も子供を愛しむ愛情に差異はありません。ただ子供時代はそういう事は理解できないので優しさを好みますが、怒られて叩かれて厳しく育てられた方が、子供にとっては心の財産として残るものが多いと思います。
私たちの年代の親は厳しかった、怖かったものです。何時も親父の顔色をうかがっていました。食事の時は親父は必ず一品おかずが多かった。お袋は優しいが親父は怖かった威厳があった。そのバランスが絶妙でお袋の切り札は「お父さんに言いつけますよ」で子供を制御できた。
怖い親父にたまに褒められたりすると嬉しさはかくべつだった。たまに何処かに連れて行ってもらえると天にも昇る喜びであった。子供の育成にはそういうメリハリのある環境の方がよい成果が出てくると思います。
今の子は家ではやりたい放題に甘やかされていますが、社会に出れば未だに上下関係は厳密で厳しい。そういうギャップの大きさを考えても子供はもっと厳しく育てるべきではないかと私は思います。
人間が生きて行く目的はどんなに世の中が変わっても変わりません。そしてその為にはどうしてどうなればいいかも変わらない。それに対応できる子供に育てるには,愛の鞭の言葉の如く厳しい方が子供の為には絶対にプラスになると思いますが如何でしょうか。
昨今草食系などと言う言葉が生まれていますが、そういう子供に育てたのは大人達の優しすぎる愛情の結果です。草食系が親達もそれでいいその方が幸せだというのならそれでもいいですが、そんな親はいないでしょう。ならば親はもっと厳しく子供を育てあげなければ。
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