2010年5月3日月曜日
上海万博と俺の万博
鳳凰を 透かして見たし 藤すだれ
上海万博が始まりました。
大阪万博では私はお祭り広場で様々なイベントの衣裳担当として派遣されていました。
半年前からプロジェクトチームに入り準備を始めましたので、丸一年間は千里に通ったわけです。
万博最後の日は東レが振袖を提供して、参加国の各パビリオンのコンパニオン全員が振袖を着ました。
総数で300名以上だったと記憶しています。阪急東宝系が下請けで入っていましたので、宝塚歌劇の衣裳担当の人に応援に来てもらい、それだけでは足りませんでしたのできもの学院の人にも何人かに来てもらいました。
女性というのは実に頑なところがあって、着せ方が違う、帯の結び方が違うと宝塚組ときもの学院組がいがみ合っていました。時間までに全員を着せなければいけないのに「何をやってるねん」「着付けなんか速くて、綺麗で着崩れがしないで、着ていて楽であればどんなやり方でもいいねん」、宝塚組には同じ幕内で知っている人もいましたので、「きもの学院側が何を言っても放っておけ、それよりも時間に間に合わせてくれ」と注意をしたのを覚えています。
私も着付けに勿論加わりましたが着替えの場に男がいるものですからコンパニオン達から出て行けと抗議をされました。
私はプロだからそんな事を言っていては仕事が消化出来ないので我慢してくれと通訳してもらいますと、コンパニオン達は納得してくれました。納得してくれるとコンパニオンたちは実に手際よく恥ずかしがらずに脱いで準備をしてくれました。
一つ困ったことがあります。足袋を履いてもらわなければいけません。そのためにはパンストを脱いでもらわなければいけません。日本人はパンストを履く時はショーツの上から履きますが彼女達はパンストはショーツと靴下が一体化したものですからパンストしか履いていません。彼女達にとってはショーツを履く方がおかしいのです。しかし脱いでもらわなければ足袋は履けませんので肌着を付けたからパンストを脱いでもらうことにしました。下はスッポンポンです。その時に外人と日本人の文化の違いを見せつけられました。
最後のパレードではコンパニオン達もあこがれの着物を着せてもらって嬉しかったのでしょう。私の傍に来た人は皆さん温かくキスをしてくれました。何でお前だけやと皆に羨ましがられたのが一番印象に残っています。
そんな事はどうでもいいんです。今回の上海万博では日本館には反日感情に配慮して日の丸を掲揚していないと聞きました。
戦争は勝った方が善で負けた方は悪で、悪者扱いを受けた敗戦国はそれだけの我慢や辛抱を強いられて戦後処理は終わっているのではないですか。何時まで尾を引いてるねん。
我々は日本人として自分の国に誇りを持って生きています。反日感情に配慮してと言っているようですが、我々日本人の誇りや自負心はどうでもいいのか。そんな骨なしだったら最初から参加するな。
むかつく、政治家は何をしてるねん。外交というものはそんな程度のものなのか。
人と国の付き合いも一緒や「やるんやったら何時でも相手になるで」という姿勢で臨まなければ舐められます。
舐められたら対等の付き合いは出来ませんで。もっと根性を持てよ。情けない。本当に情けない。こういう俺は馬鹿か皆の意見を聞きたいです。
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