2010年4月15日木曜日

宗教と生き方


妻は生長の家という団体の信者と言えばいいのか、会員と言えばよいのか私にはよく分かりませんが入っているようです。
 そういう団体は皆の寄付と言えばいいのか、寄進と言えばいいのか、はたまた他の呼び名があるのかこれもわかりませんが、そういうものと雑誌や新聞を購入していただくことで成り立っている筈です。
 妻もいくばくかのお金を納金しているのかもしれませんが、そういう事実を目にしたことも無いし聞いたこともありませんし、こちらから尋ねた事もありません。

 以前に創価学会に入信している女性と付き合ったことがありますが、その女性は京都や奈良のお寺に散策に行っても門はくぐりますが絶対に手を合わせるということはしませんでした。

 哲学的に言えば、私たちは大自然の恵みが有って生きています。太陽の光があって、水があって、樹木があって、火があって私たちは生きれています。大自然は偉大であり、感謝の気持ちを捧げるとしたら先ず大自然の神々に捧げるべきだと思っています。
 そして自分が今ここに存在出来ているのは祖先と両親のお陰ですから、祖先という仏を大切に思い感謝を捧げることが次位だと思います。
 私はそのように思っていますので、何処の神社仏閣に行っても分け隔てなく礼を尽くすようにしています。

 以前に付き合っていた彼女にはそのように私の意見を述べてありましたので、創価学会の人達は普通は他宗の神社仏閣には行かないと聞いていましたが、彼女は一緒に行った時は門だけはくぐりました。しかし絶対に手を合わせることはしませんでした。
 一緒に行けば並んで手を合わせて拝みたいと思うのが普通でしょう。そういうことのない彼女にはそれは間違っているでという気持ちは何時も抱いていました。

 様々な宗教や団体があります。そこに参画してそれによって自己の心を浄化させてくれるのであれば悪いことではなく、むしろ良いことだとは思っていますが、自分の所だけはオンリーワンで正しいというような教えをする所は私はどうかと思います。

 人生の歩みは、人には優しく愛を持って接し、自分には厳しく、そして前向きに何かに取り組み社会貢献の度合いを高める生き方をする。どこの教えもそれが不変の教えではないでしょうか。そしてそういう生き方が出来れば自己の人生は必ず充実します。人生はそういう図式になっています。
 ところで我が妻は何処に行っても丁重に頭を垂れていますので好感が持てます。

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