2010年4月9日金曜日

指導すること


医者も看板を掲げていますが患者募集とは書けません。患者募集とは書けませんが宣伝行為で有ることに変わりはありません。

 私が大阪できもの学院を設立しましたが2年目に経営的に苦しくなりましたので、教室を使用しない日に貸すことにしました。
 大阪の扇町線のメイン通りに面して目立つ場所にあるところでしたので、直ぐに書道の先生が借りたいとこられました。
「先生生徒募集の看板を掲げますと」聞きますと、書道は生徒募集は書きません。「書道」とだけ書きますと言われました。
その先生は60歳代の方で私は30代の青二才ですから、その先生は私に「あのね生徒募集と書きますとこちらから来て下さいとお願をすることになります。こちらからお願いをしておいて厳しく接することはできないでしょう」と諭すように私に言われました。
 それから私はずーと不審に思っています。
 露骨に生徒募集と書かなくても書道と表に掲げれば「ここでこういうことをしていますので来てくださいね」と宣伝していることに変わりはないのではないでしょうか。

 教えるということはどんなものでも同じですが戦いです。生徒に舐められたら責任と使命が果たせません。
 生徒達から貴重なお金と時間を頂戴しています。お金を頂いているからこそ厳しく接して生徒をぐんぐん引っ張って行く、それが先生の責任です。引っ張って行くと言ってもどれだけの人を引っ張っていけるかという%の問題です。どんなに頑張っても100%は無理です。

 厳しくしたら直ぐに辞めるからと優しくする先生がいますが、そういう先生は指導者としては失格で必ず失敗します。

 普通の学校でも勉強を他人事のように軽視している人は少なくありません。特にお稽古事なんか切羽詰まって来ている人はいません。そういう状況下で行っているわけですから自主性に任せておけば多くの人が行ったという事実だけが残るだけで、行ったけどやっぱり出来ないという結果に終わってしまいます。
そんな人は沢山いらっしゃると思います。
 そうならないようにするのが指導者の責任です。そのためには生徒募集の文言なんかは些細なことであって、そんなことよりもお金を頂いているからこそ、情熱と愛を持って厳しく接して行く事は肝要だと私は考えています。
書道の先生方の御意見を聞きたいですね。

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