2009年12月22日火曜日

死の直前


 臨死とは 現世と冥土 渡し船

 私はこれまでに3度死にかけたことがあります。
一度目は小学校6年生の時です。
 今は武庫川で泳ぐ人はいませんが、私たちの子供のころは武庫川は水泳場になっていて、多くの大人や子供が泳いでいました。
 武庫川は阪神の武庫川駅の北側~旧国道までの尼崎市側の川渕は深くなっています。その深間で妹が溺れていましたので助けに行って、私も妹に抱きつかれて身動きが出来なくなって一緒に溺れてしまいました。
 意識を回復した時は河川敷に寝かされていました。どこかのおじちゃんが助けてくれたと聞きました。
 溺れて死んで行く時は、皆さんはさぞ苦しいだろうとお思いになられると思うのですが、そんなことはありません。
 大きく一息水を飲み込みますと直ぐに意識はなくなり、分からなくなります。
 例えば、首つり自殺をする時でもさぞ苦しいだろうと思いますが、体重が首に掛った瞬間に、苦しいと感じる以前に意識はなくなります。
 高い所から飛び降りる時でも、どかんと地面に叩きつけられるまでに意識はなくなり、苦痛は感じないのではと思います。
 人は現世から直ぐに冥土に行くのではなく、現世~臨死状態~冥土~来世という順序になっており、臨死状態に陥れば苦痛は意識しなくなるのだとおもいます。
 そう考えれば末期癌などで亡くなる人は気の毒です。
現世の終盤に抗がん剤治療で苦しむだけ苦しんで、そして大抵のひとは助からずに臨死状態~冥土の旅につかなければいけません。
臨死状態になれば意識は朦朧として苦痛は感じなくなるのですが、それまでは家族の者でも、もう死なせてやって欲しいと思うほどに苦しみます。
 苦しんでも蘇って来ることが無ければ臨死状態になる前に、苦しまないで死ねる道を自分で選択できるようにして欲しいです。
 生きているという事は息をしているということではありません。
喜怒哀楽を感じることが出来なくなるという事は生きているという事ではありませんので死なせて欲しいのです。
 そんな状態で生きていても本人は勿論のこと。家族や社会に多大の迷惑をかけてしまいます。
 人は早かれ遅かれ死亡率は100%ですから、死に対する覚悟をしっかりと持って生きることが大切です。

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